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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2008年01月29日 | ショスタコーヴィチ
○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(BRILLIANT)1957/4/12LIVE・CD

ゴステレラジオ・ファウンデーションの正規音源によるガウク・ライヴ録音集成より。廉価盤なりの軽さが感じられやや残響付加気味の音場の小さい録音だが聴きやすい。ガウクはドラマチックである。性急で力強い同時代西欧で流行ったスタイルにスピードや発音は近いものがあるが、もっと主情的で、男らしいロマンチシズムが感傷におぼれることなく支配している。弛緩することはまずなく、その点でムラヴィンに近い感もあるが、あそこまで抽象化しないため、その親しみ易さがゆえに素人はのめりこみやすい。だが、この演奏には更に悲愴感が強い。けして重く引きずることはないが、強く慟哭するような表現の交じる1楽章、暗い攻撃性の支配する2楽章、悲しみに対する何故という問い掛けをひたすら歌い続ける3楽章、ライヴゆえか異常なテンポで突き進み崩壊しながら「見せ掛けの頂上」へアッチェルしていき、しかし苦難から大団円へというそのあとも楽想を余り描き分けず、暗い情熱が強い内圧となって弛むことなく音楽を持ち上げるのみの4楽章、戸惑い気味の拍手は曲に対してのものであるにしても、単純でない、ガウクなりの時代への思いがかなり出ているように思う。アンチェルよりはムラヴィンであり、コンドラシンよりはスヴェトラであり、音は悪いがひとつ見識として聴ける。○。
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ショスタコーヴィチ:ポルカとギャロップ(ストコフスキ編)

2008年01月10日 | ショスタコーヴィチ
ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)マンハッタン・ヴェッツ病院慰問1967/5live

慰問演奏会の一節でオーディエンス録音ゆえ極端に音が悪い。派手な音でがちゃがちゃやるのにストコは真骨頂を示すが、リズム感がイマイチか。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」

2007年12月07日 | ショスタコーヴィチ
○ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団(EMI?他)1974・CD

終始、音がメロウでなめらか、終楽章クライマックスのスヴェトラ張りの壮麗凶悪な表現を除けば薄味で物足りない。綺麗というよりしっとりと上品、シベリウス指揮者と言われてなるほどというようなもので、もっと硬骨魚みたいな演奏であってほしい、と思うが入門盤としてはいいのかも。駅売り廉価盤あり。○。
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ショスタコーヴィチ:「黄金時代」よりワルツ

2007年12月06日 | ショスタコーヴィチ
○サモスード指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(VISTA VERA)1953/2/11live・CD

ふにゃふにゃした変なギターから始まる(スパニッシュギターで聴きたいうらぶれた旋律だ)いかにもロシア式の演奏で、パーパー雄渾に吹きっぱなすトランペットがまた曲の希求するキャバレー音楽ふうのバタ臭い雰囲気が変な感じに歪んで聴こえる。こうしてロシアンワルツやロマン派ワルツを並べて聴いてくると、この20世紀の作曲家のワルツが如何に地盤を異にしているかがわかる。卑俗な同時代の世俗音楽がワルツの書式に倣って奔放に描かれる、それはけして構造的ではないしユニオンの家で流れるには似つかわしくない感じもあるが、しかしこれこそソヴィエトの求めた新しいワルツのプロレタリアな姿なのかもしれない。演奏的にはショスタコのそういった特殊な面を余りちゃんと解釈していない感もあり、○にはしておくが、それほど充実感はなかった。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第13番「バビ・ヤール」

2007年12月06日 | ショスタコーヴィチ
○ロジェストヴェンスキー指揮ハーグ・フィル、アレクサシュキン(B)他(RO)1998/11/8・CD

新しいものにかんしては否定的なこともいろいろ言われる人だが盟友ショスタコにかんしてはいずれ外れはない。ドロドロとした曲始めからムラヴィンやコンドラシンのような妙にキリキリした抽象的な引き締めもなく、曲のそのままに暗く、不健康な情念の躁鬱に揺れるさまをドラマをこめてわかりやすく提示し、展開させてゆく。ショスタコはこれなのだ。余りスコアに固執して骨皮に削ぎ落としてしまうと、元来わかりやすいテーマと強い表現力をもった世界がヘンに歪みわかりにくくなる。リズム表現だって執拗に厳密に刻ませる必要はない。全体が何を歌っているのかわからなくなるほど正確で激しい刻みの重視は、この曲のような歌詞のあるものはいいけれども、純管弦楽のものについてはそこにピンポイントにスポーツ的な娯楽性を見いださせてしまうという、誤解に近い状況をまねく。音楽の必要以上の引き締めはスケール感をそこなう側面もある。生なら別だが音盤では、渋い、完成度が高い、などと詰まらない感想しか呼ばない。ショスタコはあるていど、いやかなりサービス精神の旺盛な作曲家、だからスヴェトラやロジェストヴェンスキーのほうが似合うように思うのだが。録音もきわめて良好だがなんとなく最高評価にはしない、でも興奮も感動も巨大なスケールの中にもりこまれた名演である。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

2007年11月19日 | ショスタコーヴィチ
○スヴェトラーノフ指揮LSO(vibrato:cd-r/bbc,medici)1978/8/28エジンバラLIVE・CD

懐かしい音楽だ。忘れられつつあるこの孤高のカリスマ指揮者、やはり独特の風格をもち、最後の巨匠系指揮者であり、その芸風は「ロシアの大陸を思わせる雄大でドラマティックな指揮」などと総括できない理知的な計算に基づく音響感覚の上に設計された音楽であった。この演奏は既出ではないか?LSOがまるでUSSRsoのような音をはなつ。弦の揃わなさ薄さ個人技誇示系の表出性と強い発音からなる独特の音やパーカス、ブラスのぶっ放し方、木管の超絶技巧を存分に発揮させるテンポ設定、このあたりがオケ起因によるものではなく、あくまでスヴェトラという人の設計に基づいてあらわれてきたものであり、それはやはりバンスタのような即興性に基づくものであったのではなく、予定調和であったのだろう。終楽章のまるで歌舞伎の見得を切るようなドラマティックな表現のもとには聴衆もフラブラを余儀なくされ、このように内面から沸き立つ熱狂的な歓喜のブラヴォを呼び覚ます指揮者というのは、スヴェトラが最後だったろう。ガウクやラフリンやサモスードやハイキンといった「純ロシア系指揮者」、フェドやロジェスト先生のような同時代の指揮者と比べても、今これを聞いて、晩年の芸風を思わせる鋭敏な音響感覚にもとづく静謐な音楽を描いた3楽章など聴くにつけても、この人は独特であり、孤高であった。ロシア人指揮者の典型などとゆめゆめ言うなかれ、ムラヴィンやコンドラシンはロシアというより西欧的な芸風を持っていたし、ガウクの系譜は即興的なものに基づく芸風であり、スヴェトラは前者の傾向にあった中に独自の「大げさな表現」を持ち込んだ。これはアンサンブルの乱れからとても最上位には置けない演奏ではあるものの、多分今はもう聞けないたぐいの演奏である。○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第15番

2007年10月26日 | ショスタコーヴィチ
○コンドラシン指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(PROFIL)1974/1/23live・CD

研ぎ澄まされたクリアな音で聞けば聞くほど荒涼たる気分になる演奏。しょっぱなこそ異常なテンションと統制具合に並ならぬコンドラシンらしい切り詰めたスリリングな音楽を楽しめるものの、次第に楽しさは失せ、ただ音楽の提示するやるせなさが最後の一音まで続く。このオケの渋い音と見事な弦がストイシシズムをひときわ際立たせ恐ろしいくらいの雰囲気をかもす。ただ、聴衆はポカーンなところもあったかもしれない。ボリス・チャイコフスキーといっしょに録音されたもの。海賊盤CD-Rでも出ていたが音は段違いにいい。

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ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲

2007年10月24日 | ショスタコーヴィチ
○バルサム(P)ブダペスト四重奏団(bridge)1951/12/18live・CD

きわめて明確なバルサムの音と金属的な硬質な音できちんと演奏するブダペスト四重奏団の噛み合った、内容的なものと比するとやや軽いが聞き応えの十分にある演奏。長くて暗くて分裂症的な楽曲に慣れない私にはここまで明快な表現だと非常にわかりやすかった。人によっては◎にするだろうが録音がやや歪んでおりブダペスト四重奏団の表現がぼやっとしてやや聞き取りづらいところもあるゆえ○にはしておくが、この曲を聴いてきた中では変な重さやロマンティックなくぐもりが無い分もっともしっくりきた感じ。

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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

2007年07月20日 | ショスタコーヴィチ
バーンスタイン指揮VPO(DA:CD-R)1979ウィーン音楽祭live

イマイチ。録音が撚れすぎている。かすれがひどいし、ピッチも安定しない。VPOというよりNYPみたいな弦も気になる。管楽器群はあきらかにウィーンの音をしているが弦が機能性は高いがライヴでは雑味の多く色の無いNYPであるかのようだ。とくに4楽章のバラケ具合は問題だろう。またバンスタにしては意外と落ち着いていると言うか、客観的すぎる。比較的遅いインテンポというか、無個性的なのである。とりたてて印象に残らない演奏、ただ、3楽章だけはいつもどおり美しい挽歌になっている。だからバンスタではあるのだろう。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

2007年06月29日 | ショスタコーヴィチ
○バーンスタイン指揮ORTF(VON-Z:CD-R)1966/11/30LIVE

きわめてクリアなエアチェック音源でカペルマイスターの76年とされるものと比べてもはるかに楽しめる。バンスタは粗い。雑味をも味とした典型の人で、あたえた影響はけしていいことばかりではない。変に厳しさのない勢いや起伏だけのアンサンブルをこうじるトップ指揮者はバンスタ前にはそんなにいなかったのではないか。逆にバンスタは唯一無比のアバウトさを感情のほとばしりと聴かせる指揮者だったのだ、とこの解釈の行き届いた、しかし雑音も多い演奏を聴きながら思った。バンスタははっきり、ショスタコ適性があり、作曲家の内面に踏み込めたからこそどんなに曲から遠いオケでもここまでやりきることができたのだ。録音が僅かな混信を除けばほぼ満点なので◎をつけたいがいかんせん、それゆえ聞こえてしまう雑味が気になったので○。3楽章なんて自作じゃないかというくらいないきおいだ。しかも晩年のようなフォルムの崩れはない。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第7番~Ⅰ、解説

2007年06月24日 | ショスタコーヴィチ
◎バーンスタイン(P)、語り、指揮NYP(KENYON&ECKHARDT,FORD)1959/10/25のCBS放送・モスクワLIVE・LP

バーンスタインによるレニングラード・ショスタコーヴィチとその周辺や同時代音楽にかんする解説がA面、一楽章のみの演奏がB面に収録されている。A面は最終日のモスクワ音楽院ホールにおける講演というアナウンスが入る。バンスタがこの時期によくやっていたていのもので、基本的にはレニングラード全楽章の抜粋を中心に構成され、コープランド「ビリー・ザ・キッド」をはじめピアノと管弦楽をまじえたさまざまな曲の手短な説明だが、これはこれでなかなかにききごたえがある。派手な両国国歌から音楽は国境を越えて人々を結び付ける、たとえばポーギーとベス、と言ってサマータイムをピアノでかなで、アメリカで一番人気はロシアの曲といってピアノでかなでるのはラフ2にチャイコンの有名な旋律。笑いがもれたところでレニングラードとビリー・ザ・キッドを対照した本題に入る。ソヴィエトに敬意をはらいつつもアメリカを誇示するような調子が面白い(コープランドの演奏はやや荒いが)。

しかし聴き物はやはり(1楽章だけではあるが)B面のほうだろう。NYPの「いい意味で悪いところ」が出ている。即ち、「いつも本気ではなく、いつも集中しているわけではない」この老獪なオケ、流して演奏したようなバラケ具合を見せるアメリカでのライヴ演奏のレベルに比べて、「明らかに違う」のである。ベルリンのトップオケかとききまごうような質量、音色の揃い具合、密度の高いアンサンブル、これをいつもやれと言われたら酷なのかもしれないが、オーマンディ同様この時代モスクワでアメリカ人が演奏するという国家を背負った状況において、NYPはベストメンバーとトレーニングで万全に臨んだのであろう。とにかくNYPにしては極めて精度が高くスリリングである。そして重く硬質な表現もみせる。後年のバンスタのみせた音楽表現の幅というものはそれほど無いにせよ、テンションが高い位置で行き来しているさま、一番の聴き所は戦争の主題の全てを蹂躙する行軍の描写である。異常なスピードで、あきらかに娯楽的ではなく、ひたすらの非人間的なメカニカルな表現である。ここに生易しい軍歌は聴かれない。軍靴の鳴り響く音がひたすら背筋をぞっとさせるのである。人間の主題の表現は過度の思い入れが無いぶん、コントラストが極端にならないでバランスがとれている。正直1楽章だけでは何とも言えない。だが、マスターから直接落としたと思われるこの録音自体も素晴らしくクリアで、モノラルとはいえ生々しい・・・生々しいといっても脂肪のぶよぶよした生々しさではなく、人の死に、物の壊れる肌触りの生々しさだ。◎。

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ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番

2007年06月22日 | ショスタコーヴィチ
○ボルツァーノ三重奏団(WESTMINSTER)

2楽章など遅く確かめるようなところもあるが、ワタシ、この団体は好きですねー。アンサンブル専門団体は音色や奏法が揃ってきわめてまとまりがいい。アウンの呼吸で自然にひとつの音楽を作れるのである。アンサンブル団体はオケがそうであるようにソリストの寄り合いではなく独立したひとつの表現形態だ。なつかしい色気のある暖かな音で統一され、耳やさしい。しかし技術的に集中すべきところでは不足なき力を発揮している。楽しめる。

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ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

2007年05月16日 | ショスタコーヴィチ
○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(revelation)1959/11/2・CD

録音が篭っていてかなり聞きづらいモノラル音質。演奏はスリムでしなやか。1楽章など悲愴にドラマチックにアゴーギグをつけてはいるが印象として素っ気無さが残る。焦燥感のあるスピードからきているのだろうか。これはムラヴィンの芸風の特長でもある。トスカニーニも原典主義といいながらかなり独自の解釈を投入している場合もあり、それでもやはり直線的で原典主義という捉え方をされるところに通じるものを感じる。生々しくリアルな音作りはラフリンなどと違い幻想的な音風景を常に現実世界に引き戻して純音楽的であろうとする、そのへんが好悪あると思う。4楽章になると途端に息を吹き返したようになるのは曲自体の性格のせいもあるが、ムラヴィンの芸風とレニフィルの合奏力が最も活きるのがこのような闘争的な楽章であるということもあるだろう。最後の沈潜がやはりリアルでちょっと物足りない。警鐘の鐘よりもオケ全体の破裂のほうがすさまじいのは録音のせいだろう。全般小粒な印象。おまけで○。
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ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第13番

2007年05月12日 | ショスタコーヴィチ
○オレグ・クリサ(1Vn)クラフチュク、ヴェンゼガ、ポタポフ(MELODIYA)

クリサ先生がファーストをつとめた珍しいもの。1970年作品にしては「古風な前衛」の粋を切り詰めたような作品となっていて、晩年の骨皮筋衛門なショスタコの作風を象徴的に知ることが出来る。三部が融合したシベリウスの交響曲の顛末を思わせる単一楽章の中に、有機的に絡み合う要素が緻密に、かつ非常に簡素に提示されている。ショスタコのカルテットは決して複雑な様相をていさないが、これは其の中でもほんとにホネしかない実に単純で非構造的である。しかしベートーヴェンを思わせざるをえない深刻で重い響きをもつ。一桁番号の作品にいくぶんのこっていた旋律性や世俗性が、このころになると極端に絞られ昇華されており、この短い作品の中に要素だけが散置されるさまはツィガーノフ教授(ベトQの全集は最近やっとdoremiで集成復刻された)によると初期作品へのオマージュがこめられたものという。実際、3部後半にいたるまでえんえんと厳しく研ぎ澄まされた音の点描風景が、最後に色をおびていくぶん情趣をかもし出すさまは確かに僅かではあるがまるでプロコが晩年に立ち返った無邪気な世界の想起させる心情を、もっと厳しく抽象化して提示しようとしたかのようだ。

ただ、この演奏はボロディン四重奏団を思わせる雄弁さに若々しい覇気が漲りすぎて、ややウンザリしてしまうところもある。巧いし、とにかく四人とも非常に力があるのだが、哲学的な面から前記のような心象を引き出すまでにいたっておらず、単なる楽譜の再現という純度の高い領域から一歩出ていない。いや、くさすつもりはなく、クリサ先生も素晴らしく独特の透明感をたたえた音で対処しているが、すいません、単純に、3部後半まで乗れなかったのです。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

2007年05月11日 | ショスタコーヴィチ
○ラフリン指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)

初演者による記録である。国家的作曲家の作品初演はしばしば分業的に当時のトップ指揮者に分け受け持たれる。このときはムラヴィンスキーと「同時初演」という形がとられた。ラフリンはモノラル期のほうが統率力もオケの力量も上で聞き応えがあるが、この演奏もラフリンとは思えない、ガウクよりムラヴィンスキーに近いくらいの集中度である。オケの充実ぶりも、最も調子のいいころのスヴェトラよりも凄いと言わせてもらおう。録音の問題がなければ◎にしたところである。

予め「そう」かかれている部分については牧歌的なリャプノフや晩期ミャスコフスキーの臭気に近いものが強くかんじられ、ソヴィエト国民は共感するだろうがショスタコ好きはどう聞けるのかというところがある。最初と最後の教会音楽のひびく風景、オルガンを模した分厚いコラールがとてもリアルで、しかし最初のほうはまるでロンドン交響曲のように牧歌的な暖かさ(それが「臭気」にもなっているのだが)がある。不安の予兆としての半音階的な揺らぎが余り不安として捉えられない感じもある。これは中間楽章の表現においてもどちらかといえば娯楽的に聞こえてしまうところにあらわれているが、4楽章にはやっとショスタコらしさを引き出して、骸骨の暴力的な宴が繰り広げられる。最後は挽歌のように暗く遠く囁き、最後の最後の警鐘までどちらかというとそのまま沈潜する感じに収められている。

ロマンティックな性向の強い演奏だと思うが、意思的なコントロールはロシア指揮者の伝統にのっとった力強いもので、筋書きの理解抜きに感覚的に内容をわからせるだけの説得力を持ち合わせている。

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