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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2017年02月26日 | マーラー
○ホーレンシュタイン指揮ボーンマス交響楽団(BBC)1969/1/10・CD

ガシガシと音は強いが遅めインテンポでフォルムの崩れないやり方は最初は抵抗あるだろう。だが内声部までぎっちり整えられた音響の迫力、またテンポ以外で魅せる細かなアーティキュレーション付け、デュナーミク変化にホーレンシュタインの本質が既に顔を出している。ブルックナー的な捉え方をしているなあと提示部繰り返しを聴きながら思うのだが、コーダの盛り上がりはそうとうなもの。続いてスケルツォでは切っ先鋭い発音が絶妙なリズム表現を産み出し出色である。アンダンテ楽章も意外にロマンティック。しかしやっぱりこの演奏は長大な4楽章に尽きる。独特の設計を施された英雄譚はこれはこれで成立している。ホーレンシュタインの表現も幅が出てきて、法悦的なテンポの緩徐部などそれまでのこの指揮者の表現からは逸脱している。威厳ある演奏ぶりはオケがやや残念な部分もあるものの十分堪能できます。モノラルなのが残念。
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☆マーラー:交響曲「大地の歌」

2017年02月21日 | マーラー
○ワルター指揮ウィーン・フィル、フェリアー(Msp)パツァーク(T)(andromedia)1952/5/18(?)live・CD

この音源はandanteが偽者を出したあとtahraが正規に復刻したものを何度も焼きなおしていろんなマイナーレーベルが出していた、その一番最近の復刻で音がいいというフレコミだったが石丸の店員は「いやー・・・かわんないす」といっていた。それ以前にレーベル表記上の収録月日が一日ずれているため、資料として入手。ワルターは元々リアルな肌触りの生々しいマーラーをやるけど(作曲家じきじきの委託初演者とはいえ同時代者から見ても「ユダヤ的にすぎる」と言われていた)、透徹した「大地の歌」という楽曲ではとくに違和感を感じることも多い。このEU盤は最近の廉価リマスター盤の他聞に漏れず、輪郭のきつい骨ばったのリマスタリングで、もっとやわらかい音がほしいと思った。でもたぶん普通の人は聞きやすいと思うだろう。大地の歌に浸るには、やっぱ新しい録音にかぎるんですが。イマかなり厭世的な気分なので、ドイツ語による漢詩表現が薄幸の電話交換手キャサリン・フェリアーの万感籠もった声と、ウィーン流儀の弦楽器のアクの強いフレージングとあいまって奇怪な中宇の気分を盛り立てられる。穏やかな気分で消え入る死の世界なのに、この生命力は・・・とかおもってしまうけど、ワルターもけしてこのあと長くないんだよなあ。

中間楽章でのパツァークの安定した、でも崩した歌唱にも傾聴。個人的にdecca録音にむしろ似てるきもするけど。(某SNS日記より転載)
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☆マーラー:交響曲第9番

2017年02月16日 | マーラー
○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(TCO)1969/1/30,2/1live・CD

30日録音については再三海賊盤が出回っているので言外とするが、クリーヴランド管弦楽団による生誕100周年記念の正規復刻(CENTENNIAL CD EDITIONボックス収録)とはいえ音はけしてよくはない。リマスタリングもされておらず、結構多いオケのミスや雑さ(終盤疲れたね。。)はおろか環境雑音までもが余りにはっきり聞こえすぎ。2楽章では正規にもかかわらず混信のような変調が一カ所。三回の演奏会の寄せ集めのはずなのに、、、うーん。そりゃ記録用録音よりもホール座席のほうがいいバランスで録音できるだろうさ?しかし重量感が強く感じられ、MEMORIES盤の印象が正しかったことがわかる。スピードのドライな速さは一部非常に特徴的な解釈表現を除けば気になるところで、トスカニーニ様式を極端にしたようなところも否定できない。リズム感のよさが発揮された2楽章は気の利いた解釈含め聞き所ではあり、高価なボックスという条件さえなければロスバウト好きにアピールできる演奏、ということでお勧めできなくもないが。録音は拍手も無いが、そこも含めオケのぎくしゃくがリアル過ぎて、細かいところまで聞こえることが必ずしも楽しめるということには繋がらないということがよく認識できる。○。
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☆マーラー:交響曲「大地の歌」

2017年01月31日 | マーラー
○クレンペラー指揮ハンガリー放送管弦楽団、レスラー(T)シャーンドル(A)(archiphon:CD-R/MEMORIES)1948/11/2ブダペスト放送live・CD

2017/1に他の録音とまとめてMEMORIESより廉価CD化。同盤はこの音源のみがCDフォーマット初出(私個人の記録上歌曲の歌手情報が混乱しているがMEMORIES盤については販売代理店に特記がないので確実に既出と思われる)。大地の歌の表現者としてはマーラー直系のワルターとともに双璧をなしたクレンペラーの驚愕のライヴ記録である。このときの放送スピーチ内容がシュトンポア編野口剛夫訳「クレンペラー指揮者の本懐」春秋社1998に収録されている。推して知るべしな音質ではあるがリマスター状態はよい。録音エアチェックなのだろう、歌手がマイクを通したように生々しく捉えられオケはやや引きで聞こえるが、前半楽章はクレンペラーの気合の掛け声と劈くような切り裂くような響きが圧倒する。気になるのはテノールのハイの出なさで、音痴で非力と言ったほうがいいくらい(それでもこれ見よがしにオペラティックな表現をとったりするのがまた。。)、もう1楽章から別の意味で酔ってしまうような感じだが、ソプラノはパワーも表現力も中堅どころマーラー歌いのレベルは十分に果たしている。そして何よりクレンペラーだがまだ戦前ベルリン時代の即物的な表現様式を高速インテンポという方法で維持している。しかしオケが素晴らしく感傷的である。クレンペラーが指示しているのだろうが(ライヴですし)大づかみには即物主義にもかかわらずよくよく聞き込むと実に細かい繊細な表情が諸所に付けられており、微妙なテンポの揺れを最大限に活かし音楽的に、じつに音楽的に、ワルターすら陳腐に落ちるとしたクレンペラーの確信的な表現が、落涙すら辞さないほどに絶妙の煽り方をして身を惹きつける、とくにやはり、「告別」だ。堅牢とした構造を最後は美しく、号泣にも落ちず昇華もせず、ただ、ひたすらに美しい。それが二次的に「悲しい」のである。速度についていけない部分もあるにせよオケは立派にマーラーオケとしての役割を果たしている(多分にオケ自身がノせられ過ぎて勝手にソリスティックな細かな動きを突っ込んでしまった要素が強いが)。クレンペラーの過酷なトレーニングもあったのだろう。しかし・・・ほんとに素晴らしい記録が出てきたものである。オケにはシューリヒトの旧いACO録音を思わせる生気がやどり、指揮にはさすがにライヴなこともありマーラーにどうしても共感せざるをえない部分も残しつつも、慄然とした「これはクレンペラーである」という筋の通った表現、これらの総合が実にバランスがとれている。このすぐのち50年代というとVSOとの不遇時代だが、VSOの録音が単なるクレンペラーだとすれば、これは「クレンペラーとマーラーの対話」である。ちょっとしばし、考え、沈んでしまった。こんな演奏に出会うことは滅多に無い。クレンペラーは、例え奇人で厭な大男だったとしても、稀有の芸術家であった。不遇時代とて例外ではない。これほどの指揮者に、今後我々は出会うことができるのであろうか?歌唱の不調と録音の不備でやむなく○にするが、告別一曲だけで私は◎をつけたく思う。他の楽章も素晴らしいのだが。。クレンペラーが告別で鼻歌、なんてのを聴くことができるとは。「永遠に」主題の最初の出現のときのマンドリンがなんとも涼しげで憂いがあって・・・
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☆マーラー:大地の歌よりⅡ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ

2017年01月28日 | マーラー
○フェリアー(Msp)パツァーク(T)ワルター指揮ウィーン・フィル(VPR)1949/8/21ザルツブルグ音楽祭live・CD

モーツァルトの40番と一緒に演奏された抜粋、即ち歌曲として演奏されたもの。だから録音も声だけが生々しくオケはやや音が遠くて悪い。若々しく張りのあるパツァークの声が素晴らしいし、インタビューも収録されているフェリアも闊達な歌と喋りでのちの不幸な死を微塵も感じさせない。まるで電話交換手のように闊達に喋る。歌を味わうものとして特筆できる、両者雄弁さを発揮した録音で、交響曲としては肝心の両端楽章が抜けているのだから土台評価できない。歌好きなら。依然溌剌としたワルターのライヴ芸風が楽しめる側面もあるが、とにかく時代がらまあまあの音質できける自主制作盤として、マニアなら。確かに交響曲じゃないものとしてワルターの大地の歌が聴けるというのは面白くはある。やはりベツモノなのだ、と各曲に明確な性格付けがなされ統一性を持たせようとしていないところに感じることが出来る。
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☆マーラー:交響曲第9番

2017年01月25日 | マーラー
○ドラティ指揮ベルリン放送交響楽団("0""0""0"CLASSICS:CD-R/WEITBLICK)1984/5/30LIVE・CD

2009年CD化。かなり厳しく律せられた演奏で驚くほど完成度が高い。何も特異なことをせずに力強く率直な解釈を施しているだけなのにこの音楽の何とマーラーであることか。オケの力も一方であることは確かで、今のラトルのオケにはこの音は出せないだろう。1楽章の音楽そのものが自ずから語り出すような何気ない、しかし生身の人間の苦悩と平安がいっそうリアルに伝わってくる演奏ぶりは、何度聞き、弾いてみたかわからない耳飽いたこの楽章がそれでも限りなく魅力的であることに改めて気付かせてくれた。繊細でしっとりした情感には欠けるかもしれない。響きの美しさや正確さを求めるのはこの時代の指揮者にはお門違い。だけれども論理ではないのだ。未曾有の苦難に塗れた時代をタクト一本で生き抜いてきた指揮者の生きざまがここに滲み出ている。マーラーに余り熱心ではなかった人だけれどもこれだけの演奏ができるというのは並ならぬ。中間楽章となると意見の別れるところだろうが(私は遅めのテンポはアンサンブルが乱れるので余り好きではない)、引き締まり統制のとれた
厳しい演奏であることに変わりはない。一音一音が強く突き刺さり、叩きつけるような発音は一時期のクレンペラーを想起する。もっともリズム感のよさにおいては全く上をいくが。3楽章中間部のドラマはリアルに感情を刺激する。楽想変化がスムーズで、テンポ差が小さいせいか緩徐部から抜けるあたりがとても自然にキマっている。テンポもデュナーミクも揺らさない直球の人だけれども4楽章の静かな旋律のニュアンス付けはヴァイオリンを始めとする旋律楽器の思い入れの余った音とあいまって美しい。内声の隅までしっかり弾かせるタイプの指揮者ゆえどうしても音楽がリアルになるきらいがあるが、それでもここでは歌わざるを得なかったのだ。テンポがとにかく前へ前へ向かい異様に速い場所もあるが、そんな演奏ぶりにはワルターの有名なウィーン・ライヴを思い出させるものがあり、同時代性を感じさせずにはおかない。思いでをかたるようなハープに載って単純な木管アンサンブルがひとしきり流れる場面の哀しさ、そのあとの奔流のような弦の流れ込みにはもう少し深刻さが欲しかったがそれでも充分にこれはマラ9だ。没入型の演奏ではなく、暗くはないけど、何か訴えるものがあり心にずしんと響いてくる。最後の美しさといったらない。最近ありがちな透明で金属的な美しさではない。温かみの中に生々しい感情の押し殺されたような呟き、これは涅槃の音楽ではない、「人間の音楽」だ。

長い沈黙のあとのブラヴォもうなづける佳演。
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☆マーラー:交響曲第9番

2017年01月22日 | マーラー
◎スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(KARNA:CD-R)1998/5/30LIVE放送

主観で恐縮だが、録音状態が適度に「悪い」がゆえに音が深くドラマが迫真味をもって描き出されており、しかもスヴェトラ本人も特に気が入っているせいかはっきり大きな唸り声まで聞こえ(ここまでのってるスヴェトラというのは日本では余り見られなかった気がする)、単純に面白い。テンポは速めで揺れず、特に3楽章中間部で殆どテンポが落ちた感じがしないほどさっさと過ぎ去るところなど創意に満ちている。スヴェトラはバンスタを好んだがマーラー指揮者としてのスタイルは異なる。ここではトスカニーニ的な演奏を聴く事ができる、いや、あの時代のスタイルだ。リズミカルな処理もすこぶるいい。中間楽章で聞かせる。音のコントラストが明確でメリハリがあり、直進する音楽が終楽章でいきなり止揚する、この終楽章がまたいいのだ。初めてスヴェトラ節らしいものが聞こえてくる。つまりは演歌だ。しかしここは北欧の名門オケ、音色が冷たく硬質なためいやみにならない。そのバランスが丁度録音の状態とあいまって非常にいいのだ。演奏も成功といっていいだろう、盛大な拍手。放送エアチェックものだが、9番はこれを第一に推しておきます。職人的名演。
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☆マーラー:交響曲第9番

2017年01月21日 | マーラー
◎バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(helicon)1985/8/25live・CD

録音状態にけちをつける向きもあるかもしれない。しかし、バンスタのM9というのは異論を差し挟む余地の無い一つの頂点を示していると思う。オケがすばらしい。田舎臭さも鈍重さも無く、バンスタの要求にびしっと応え、バンスタの解釈を完璧に再現している。ベルリン・フィルなどとのライヴに比べると強烈な個性には欠けるかもしれない。やや即物的な解釈に寄っていて、スピードも速く感じる。だが、スヴェトラーノフがかつてそうであったように、「やってほしいことを全てやる」演奏であり、「ここではこう行ってほしい、行ききってほしい!!」という期待に全て答える。ここが、かなり伸縮し恣意性の強い演奏にもかかわらず「聴きやすい」と感じるゆえんでもある。とくに聴きやすいな、この演奏は。過剰な思い入れとプロフェッショナルな「技」のバランスのとれたすばらしい演奏。規律のとれた一楽章がいいのだが、中間楽章も実に聴きやすい。個人的にこの曲の中間楽章はキライだが、これはとても愉悦的で、絶望的だ。終楽章には少し弛緩を感じた。
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☆マーラー:交響曲第9番

2017年01月21日 | マーラー
○バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(LANNE/eternities:CD-R)1985/9/5LIVE

劣悪なエアチェック音源(オーディエンス録音?)だが実演にふれられた幸運なかたには懐かしいであろうバンスタイスフィルのまさにそれである。まだ生気に満ちた音楽で、三楽章の荒れ狂うさまは特に木管ソロの聞いたことのないような技巧、ジャズ的ですらあるアーティキュレーションが聞き物だ。少し舞台が遠く弦のアタックがなかなかはっきり聞き取れないのは辛いが、オケ特有のものもあるだろう。全般速く常にアッチェランド気味のさまは世俗的な感興をもよおし生々しい音も至極現世的、でもそれがこの人壮年期のマーラー。○。
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☆マーラー:交響曲第9番

2017年01月20日 | マーラー
◎バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(LANNE/eternities:CD-R)1985/9/3live

数日ずれているとされるものに比べ録音のクリアさはなく篭っているが、音場が安定しておりノイズも極めて少ない。一部ステレオ乱れはあるものの、恐らくエアチェックもの(スピーカー前録音?)であるせいだろう。ホールがオケの雑味を吸収しており、イスフィル特有の表現の癖が目立たないぶん、BPOとのライヴに似ていることに気づかされる。数日ズレのものと壮年期の勢いぶりは同じだが、これも録音状態のせいだろうけれども、より深みを感じるのだ。いかにも第九らしいものを。いや、表現の振幅が大きい解釈は同じなのだけれども。1楽章緩徐部ではBPOライヴで行っていたファーストヴァイオリンのスル・ポンティチェルリ奏法(譜面指示無し)がはっきり聴ける。指揮台を踏み鳴らす音がティンパニより大きい。2楽章冒頭ではブラスがつんのめり気味で少しテンポが乱れるが、弦は終始ボリュームがあり凄い表現力である。荒いけれども、「音楽の空騒ぎ」を超高速でやり通しバンスタなりの見識を見せる。3楽章も荒々しくテンポは速い。弦にはとにかく歌わせ、木管にはトリッキーなことをさせる。緊張感溢れる演奏である。4楽章は涅槃ではなくあくまで地上の音楽として、ロマンティックな、寧ろ明るい音楽になている。生臭さが無いとはいえないし、メータなどの解釈に似ているように思うが、ある時期のマーラー解釈の典型を示すものでもあるだろう。終演後のいつまでも続く沈黙が演奏の素晴らしさを物語っている。この録音なら◎にして構わないと思う。激しい演奏。
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☆マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2016年12月06日 | マーラー
○ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団(movimento musica/WME:CD-R/DATUM/memories)1961/4/7?(3/30-4/6、WMEは表記上1950年代、DATUMは1960)・CD

ややこしいことにCD化以降データが錯綜しているが、恐らくいずれも同じスタジオ録音の板起こし。DATUM盤については既に書いたがこれも表記上のデータと実際の録音期日にはずれがあると思われる。正解はディスコグラフィどおり1961年3月30日~4月6日のセッションであるようだ(ちなみに私はLP含めこの三種全部持っている)。戦中録音とはオケ違い。しかしロスバウトのセッション録音とは思えない演奏上の瑕疵が特に中間楽章に目立ち、最終テイクでないものが流出している可能性もあるかもしれない。WMEは最新の復刻になるが(後注:2016年12月にMEMORIES(1961/4/7表記)が廉価で全記録復刻)、DATUMと同様板起こしであり、なおかつ原盤の状態が非常に悪いらしく、盤の外周部すなわち各楽章の冒頭が必ず耳障りな雑音だらけになり、そうとうに聴くのに苦労を要する。更に馬鹿にしているのは3楽章であり、ロスバウトの雄大で情緒てんめんなマーラーの緩徐楽章が音飛びだらけ。はっきり言ってこれは販売に値しない盤であり、LPを探して聴いたほうがよほどマシである。

演奏の独創性はマーラーに対するロスバウトの思いいれによるものだろう。この冷徹ともされる指揮者が如何に起伏に富んだマーラーを描いたか、とくにテンポを遅い方にルバートするやり方を駆使した粘着質の情緒が、ドライで研ぎ澄まされた音の鋭さ・・・特に打楽器・・・と何故かマッチして、非常に美しい音世界を描き出している。詳細は前に書いた内容と同じなのでもう書かないが、現代音楽指揮者というイメージはそろそろ払拭されたほうがいいのではないかと思う。古典からロマン派から独創的な演奏を残しているのだ。演奏に対して○。録音がよければ◎にできたであろう演奏。
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☆マーラー:連作歌曲集「亡き子をしのぶ歌」

2016年11月16日 | マーラー
○リタ・ゴール(Msp)アンゲルブレシュト指揮ORTF(INA,Le Chant Du Monde,Harmonia Mundi)1959/10/13パリlive・LP

この世代のフランス系指揮者でマーラーをやったとなるとマルティノンくらいしか思い浮かばないし(実際はミュンシュもパレーもアメリカではやっている)、この演奏についても記録としては唯一のもののようだが※、若い頃には様々な楽曲に挑戦していた流石「アパッシュ」アンゲルブレシュト、意外なほどの板の着きようで、リタ・ゴール名演集収録の一曲にすぎないとはいえ同ボックス一番の聴きものと言って過言ではない。色彩的で立体感のある構築性、と訳のわかったようなことを書くことも可能ではあるのだがこれはそう言うよりも素直にマーラー中期の声楽付き管弦楽曲の演奏としてよくできており、後期ロマン派の起伏ある表現を施したものだ。このさいゴールの独唱は全く無視して書くがアンゲルブレシュト統制下のORTFであるからこそ緊張感が半端なく、器楽ソリストの音色感や音響の透明感は素晴らしい。クリアなモノラル末期録音より終演後のブラヴォまで生々しく轟いてくる。高音打楽器の響きなど、密やかで精妙な管弦楽の施された楽曲においてはアンゲルブレシュトらしい、ドビュッシー的なメカニズムを見出したような注意深さが感じられて秀逸である。だが、冒頭からいきなり引き込まれるのはやはり、「マーラー」が出来ているからであり、もちろんそんなことはやらなかったろうが、もし中後期交響曲に取り組んでいたらマルティノン以上に清新且つ、自然なマーラーを描き出すことに成功していただろう。これはなかなかの演奏である。おそらく、CD復刻されるのではないか。音源提供していただいたかたありがとうございました。セバスティアンの大地の歌(69年ブザンソン音楽祭ライヴ、ケネス・マク・ドナルド(T))と、ル・コント伴奏の「若き日の歌」他ベルリオーズなどが収録されている。

※inaより別の放送ライヴ録音が配信された(2016)
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☆マーラー:交響曲第8番

2016年10月01日 | マーラー
◎テンシュテット指揮ロンドン・フィル他、ヴァラディ、ユーグレン他(EMI)1991/1/27,28BBC放送live・DVD

非常に有名な映像でプレミアもついていたLD、それでもまだ10数年しかたってない「晩年の演奏」なわけだが、LD映像がもっともっと復刻されてほしい(チェリとか)。新しい映像だから画質音質へのこだわりはほしいところだが、DVDは画質は劣るといわれているものの普通の家庭の機器ではまずまったく問題ない。演奏はスケールが大きくなってはいるが相変わらずダイナミックさが目立つ第一部(テンシュテットの精力溢れる指揮ぶりと終止後の憔悴振りの差が凄い)この曲の核心である第二部はテンシュテット自身の生涯の終焉を崇高に巨大に、密やかさからまさに歌劇的な盛り上がりを見せる結部の威容(やはりドイツの指揮者だなあという音響含め)、演奏自体極めて完成度も高く、二日の編集版とはいえこの演奏振りをプロのカメラワークと上質の音で楽しめるのは非常に贅沢である・・・いや、贅沢というスノブな言葉はこの純粋に人間の一生をえがく交響曲たる音楽に似つかわしくない。熱狂を呼ぶのではない、心の底から徐々に深い感動が沸き起こるのだ。終始わくわくして時間を忘れるたぐいの演奏ではない、この類稀なるマーラー指揮者のバーンスタインの主観的芸風から解き放たれた真の「千人」を眠い部分圧倒される部分揺り動かされる部分すべて包括したものとして聞ける。客観的演奏ではない、しかしそこには客観的な読みは確かにあるからその手の上がどのくらい広いかで現代指揮者の格は決まる。テンシュテットはきっと釈迦くらいの手の大きさなんだろう。憔悴しきっても満足げなテンシュテットの顔を見ても、これ以上望めないほどの布陣で素晴らしい会場設定のうえで行われた名演。音だけ聴いてみたがそれでも「指揮者にありがちな最晩年様式」を殆ど感じさせないダイナミズムが聞き取れるうえに、映像つき、◎にせざるをえないだろう。バンスタほどの有無を言わせないものがあるかどうかは置いておくが、千人の映像を見たい?ならこれしかない!という判断を下せる映像が来たという感じである。
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☆マーラー:交響曲第3番

2016年09月09日 | マーラー
○ミトロプーロス指揮NYP、クレブス(A)他(DOCUMENTS他)1956/4/15live・CD
異様なスピードでインテンポ気味に突き進み、音表現はひたすらけたたましく騒々しいミトプーだが、第三は特に得意とした曲だけに細部まで明瞭に表現され、オケの隅々まで技術の綻びなくテンションが漲るさまは若者に受ける要素盛りだくさんである。反面慣れている向きは煩過ぎると感じるかもしれない。長い曲だけに(1楽章は例によって細部の省略が目立つが)飽きる人も多いであろうことを思えば、実演指揮者としてこういう演奏を繰り返した理由はわかる。アメリカだしね。NYPがとにかく凄まじい迫力で、のちのバンスタを思わせるわかりやすい表現も織り交ざるものの、バンスタ時代には考えられない厳しい統制が行き届いている。ミトプーは恐怖政治の人ではなかったというから人望のなせるわざかもしれない。オケのトップを悉く手篭めにしていたから・・・?真実は藪の中。マーラーに期待される音色をもよく引き出している。1楽章の行進曲をテンションアップのために聞きたい、という人にはお勧め。もちろん中間楽章でもスピードとテンションは維持されている。3楽章の激しさは出色。幻想交響曲を意識したといわれる角笛交響曲群の中でも露骨な表現のみられる楽章のひとつだが、幻想のほうを聴いてみたくなる独特の派手派手でリアルな肌触りの演奏だ。4楽章も音量が大きくちっとも原光の神秘性が感じられないが歌唱はいい。5楽章だけは何故かテンポが落ち、非常に重い。オケ部の表現からしてそういう解釈ではあるのだが、前半がとくに合唱の集中力が落ちて聞こえる。弛緩して巧く組み合っていない感じだ。最後は壮麗な合唱のあと余韻をのこし、そのままアタッカで終楽章に入る解釈は独特。終楽章はNYPの分厚い弦楽器群の面目躍如だろう。滋味溢れ眩いばかりの光彩に心打たれる。

録音は古い録音慣れしている向きには気にならない程度。明確に音像が捉えられ実演を彷彿とさせる感じは評価できる。CD初出時は1枚に収めるために異様に曲間を詰めていたのが印象的だった。3番を1枚に収めること自体が異様だが。

<ミトロプーロスの現役盤は恐ろしいほど少ない。現代音楽を使命とした実演とオペラの指揮者であり、時代も半端だったせいで正規録音が無いのが理由だ。マーラーでは記念碑的な8番VPOライヴを聴くべき。>
マーラー:交響曲第8番「一千人の交響曲」 (2CD) [Import]
Vienna Philharmonic Orchestra
ORFEO

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☆マーラー:歎きの歌

2016年09月07日 | マーラー
○フリッツ・マーラー指揮ハートフォード交響楽団、合唱団、ホスウェル(SP)、チョーカシアン(CA)、ペトラーク(T)(PHILIPS)LP

なかなかダイナミックで引き締まった演奏である。ワグナーの影響は否定できないとはいえ「復活」を始めとする後年の作を予感させるような中空の響きや暗いメルヒェンふうのフレーズが横溢しており、この曲にありがちな客観的で透明な演奏ではない、こういう一時代前の熱演で聞くと余りの完成度の高さにマーラーが自らop.1を与えたことも頷ける。勿論改訂があり、これは二部からなる短い版に拠っているのだが。マーラーがオペラを書いたらこうなった、と想像して聞くもよし。ディーリアスらと同時代の世紀末作品として時代性に着目するもよし。フリッツはマーラーの甥だが録音に恵まれなかった。これは後年のシェフであった手兵との記録。○。
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