○ジョリヴェ指揮ウーブラドゥ・コンサート管弦楽団(LYRINX/INA)1971/7/15live・LP
冒頭からの異常なやかましさもさることながら「アリア」を聴いてみてください。細かいテンポの緩急(あくまで小ルバートの範疇であり基本はインテンポだが)、音量変化の恣意性が著しく現代の演奏家ならのけぞるような音楽になっている。ソロだってこんな演奏はしない(ゴルゴ以外)。分厚い弦楽器のうねりにはしかし指揮者への共感が篭る。この波乱に満ちた人生を送った「若きフランス」の闘士の、同僚であったメシアンとは違う、人間の生活する大地に戻って来た境地を思うと感慨深いものがある。ヴァイオリン初心者にはおなじみの曲が並ぶこの組曲、つまんないや、という向きはこういう今はめったに聞かれない演奏スタイル、戦後くらいまでは普通だったライヴ的な感情の篭った誇大妄想的バッハを聞くといい。そして妄想のオーケストラの中にいることを想像しながら、レッスンの準備をするといい。ヒステリックなペットとかロシアみたいだな。。
(参考)カラヤンの管組
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G線上のアリアなら有名なこちら>
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このギャップを理解しないとあちらの文化ってのは理解できないのかもしれない。
モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の3楽章もそうだけどね。
2楽章のあの絶望の音楽からどうやったら3楽章のあの陽気な音楽に行けるのかさっぱりだ。
開き直りの明るさかな。
フルベンのAirもええけど、いつのがって言われると困るな。
いつのだろう(^◇^)
バウムガルトナーとルツェルンの
「ヨーロッパのバロック音楽」と言うのがお薦め。
アリアと特にパーセルの「シャコンヌ」は絶品だな。
ちょっとテンポが遅めだけど、だれはしないと思うよ。
しかし「ヨーロッパのバロック音楽」と言うのがどうも引っかかるが原語もそのようなタイトルなんだよね。
バウムガルトナー聴いてみた?
いや、こう言う小曲集ってなかなかええもんだよ。
特にパーセルのシャコンヌはなかなかやらないからね。
この盤のパッヘルベルのカノンは編曲してある。
編曲と言うか短くしてあるけど、これもまぁ良いのではないかと言う感じだね。
弦奏者なら聴いても損じゃないよ。
なかなか良い味だし。
でもここにバッハがあるぞ。
でもまぁ何だ、いろいろとほざいている20世紀の作曲家だけど、結局21世紀で生き残れているのかなぁと思うのだけどね。
大体20世紀の作曲家って過去を否定してやがる。
その結果はあっという間に飽きられたって所か。
技巧とかに拘ってもしょうがないのさ。
聴いてなんぼ。
何回も聴きたいって思える曲を作れなかったのが20世紀作曲家の敗因だね。
俺もその手のものを散々弾いたけど、空しさしか残らない。
一回弾いたら次はないってのがはっきりしていたから。
弦が高音で伸ばし、なんか訳の分からない音を出すってのがやたらと多かったけどさ、つまらんのだよ。
映画の効果音ぐらいにしか使えない。
やっぱりね、このクラシックってのは過去のものなんだよ。
今の世で新たに生み出すものじゃないと思う。
純粋に20世紀の作曲家の事の意見だ。
聴くものも同じだ。
何をやっても猿真似だと言われる。
だから即興的なものになってしまうのか。
色紙がいろんな大きさに切ってある「楽譜」から感じた事を即興的に演奏するような再現性のない音楽とか、過去にはなかったような不協和音だらけの音楽とか、旋律を回避するような作風になったのかな。
素直に自分の感情を表せば良いのにそれを許さないのは誰だろう。
作曲家自身なのかな。
聴衆者かな。
ま、いろいろな要素があるのだろうな。
やりにくい時代ではあると思う。
でもそう言うときは妙に突っ張らないで過去を見たらと俺は思うのだけどね。