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妻子ある不遇な作家との八年に及ぶ愛の生活に疲れ果て、年下の男との激しい愛欲にも満たされぬ女、知子…彼女は泥沼のような生活にあえぎ、女の業に苦悩しながら、一途に独自の愛を生きてゆく。新鮮な感覚と大胆な手法を駆使した、女流文学賞受賞作の「夏の終り」をはじめとする「あふれるもの」「みれん」「花冷え」「雉子」の連作5篇を収録。著者の原点となった私小説集である。
出版社:新潮社(新潮文庫)
いい作品ではあるが、好みではない。
『夏の終り』とその連作短編の個人的な感想を書くならそういうことになる。
その心理描写は丁寧で、ところどころではっと目を見張る表現や、人物の行動がある。
しかし僕の心に響くまでには至らなかった。
それもこれも表題作の主人公知子の行動が理解できないからだ。
本作は『あふれるもの』『夏の終り』『みれん』『花冷え』の連作短編と、『雉子』の独立短編の五編より成っている。
『夏の終り』をはじめとした連作短編の主人公は、知子という三十代の女だ。
彼女は夫と子どもがいたのだが、あるとき涼太という若い男に恋をし、夫と子を捨ててしまう。その後涼太と別れた知子は、妻子のある慎吾と関係を持ち、そのまま八年間、不倫関係にあり続ける。そんなとき知子は涼太と再会、慎吾がいながら、涼太とも関係を持つようになる。
そういう話だ。見るからにドロドロである。
涼太や慎吾といった男たちは、僕から見ると、わかりやすい人物である。
涼太は知子と一緒になりたいと思っているらしい。
それゆえに現状の三角関係が許せず、惨めったらしい態度も取っている。
知子と慎吾の関係をなじるところなどは醜態ではあるけれど、わかりやすくて人間臭い。
慎吾も妻子ある身でありながら、態度をはっきりさせないところなどは、典型的な浮気男らしく、そのずるさもまた理解できなくはない。
それに同じ女と関係を持つ男同士、なれ合っているシーンがあるが、そういった本音を隠した付き合いは、腹の探り合いとも、休戦協定とも見えて、充分理解可能な行動だ。
しかし、主人公の知子の行動に関しては、僕にはどうしてもわからなかった。
知子は「無鉄砲で衝動的」で、「活力があふれ」た人である。
そのせいか、この人は感情で生きているように見えてならない。
好きと思えば、その感情に突き動かされるように動き、男が頼りなさそうならば、その男のために活力を注ぎこむほど、深くのめりこんでいく。
そんな風に、湧き立つ感情に従い生きる知子の姿が、僕には上手くなじめなかった。
知子がそういう人だってのはわかる。そんな知子の行動を記す筆は冴えていると思う。
だけど、その行動まですんなり受け入れるには、若干抵抗がある。
たとえば『みれん』の中で、知子は慎吾とその妻に八年の不倫関係を終わらせようと宣言する手紙を書き、投函する。
その淡々とした無自覚な行動が、僕には今ひとつピンとこなかった。
まだ嫉妬やら何やら、強い感情があって、それに従って行動するならわかるけれど、知子はあまりに淡白に映る。
実際、知子は惚れっぽいくせに、その関係に対する執着はあまりに薄い。
感情的なために、感情が落ち着いてくれば、それを平気で突き離せるのかもしれない。
それを評して、「知子の過去は、いつでも衝動的に事をおこしてしまって、あとから仕様ことなしの理屈づけをしていくという順序で、押し流されてきた」と書かれているが、まさにその通りだと思う。
そんな知子の姿は、あまりに女性的だと思う。
それゆえのおもしろさや、興味深さがあったことは否定しない。
しかしそれゆえに、男の僕には受け入れがたいものがあった。
やはりこの一連の作品は、僕には苦手な作品である。そう結論付けざるを得ない。
個人的には『夏の終り』などとは同音異曲の『雉子』の方が楽しく読めた。
こちらの主人公も、子を捨てた女で、子に対してもどこか冷淡に見える。
一応彼女は子どもや元夫に内緒で子どもに会いに行っている。
だがそれだって、子への愛の形を借りた無自覚な自己愛と見えなくもないのだ。
合っているかは別として、そう読み手に思わせるあたりはすばらしい。
しかし倫理的に見て自分の行動は問題があると女は気づいており、罪悪感もあるらしい。
最後の堕胎の場面には、そんな女の罪の意識がほの見え、グロテスクですらあった。
評価:★★(満点は★★★★★)
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