私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

コンラート・ローレンツ『ソロモンの指環 ―動物行動学入門』

2015-05-22 22:06:05 | 本(理数系)
 
生後まもないハイイロガンの雌のヒナは、こちらをじっとみつめていた。私のふと洩らした言葉に挨拶のひと鳴きを返した瞬間から、彼女は人間の私を母親と認め、よちよち歩きでどこへでもついてくるようになった…“刷り込み”などの理論で著名なノーベル賞受賞の動物行動学者ローレンツが、けものや鳥、魚たちの生態をユーモアとシンパシーあふれる筆致で描いた、永遠の名作。著者による「第2版へのまえがき」初収録。
出版社:早川書房(ハヤカワ文庫NF)




動物行動学者による科学エッセイである。

動物のことは言うほど好きでもないのだけど、対象の動物をしっかり観察し、それを愛情深く、ユーモラスに語る著者の筆致はともかくも達者。
知らない世界も多くて、非常に興味深かった。



たとえばコクマルガラスについて述べられた第五章。

刷り込みによって、コクマルガラスであるのに人間の仲間と思いこみ、人間を好きになることや、人間に恋し、口や耳に餌を入れようとするところは微笑ましい。
そしてそれによって、親から敵に対する恐怖を身につけることができなくなる点、本能的には敵を知らない点はおもしろく読んだ。

そしてコクマルガラスの求愛行動も、人間みたいで関心を引く。
ラストのロートゲルプとゲルプグリューンの話は、ちょっと感動的だった。

コクマルガラスというのはよく知らないけれど、鳥たちにもいろいろな行動原理があるのだなとつくづくと思い知らされる。


最後の章もおもしろい。
「敗北者」に対して、社会的抑制を持つ動物と、持たない動物がいるという事実は初めて知ることなので、ワクワクしながら読めた。

ジュズカケバトやバンビなど傷つける力が弱いからこそ、手加減というものを知らず、徹底的に相手を痛めつけることができるらしい。
しかし強力な武器を持っている動物は、相手が敗北し首筋を差し出すと、社会的抑制が働いて、かみたいけどかめなくなる。
この事実は本当にすてきだった。

そこには種の保全という遺伝子の因子もあるのだけど、人間のモラルにも通じるものがあって、心震わせる。
動物の世界は実に奥深い。


そのほかにも、ジャッカルとオオカミ系の犬の違いや、どの動物が飼うのにふさわしいかなど、興味を呼ぶ話題が多い。
僕は生物をまともには勉強しなかったし、動物をきちんと飼ったことすらない。
それでも非常に楽しく読め、知的好奇心を存分に満たしてくれる一冊であった。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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『宇宙は何でできているのか』 村山斉

2014-02-02 20:14:48 | 本(理数系)

物質を作る最小単位の粒子である素粒子。誕生直後の宇宙は、素粒子が原子にならない状態でバラバラに飛び交う、高温高圧の火の玉だった。だから、素粒子の種類や素粒子に働く力の法則が分かれば宇宙の成り立ちが分かるし、逆に、宇宙の現象を観測することで素粒子の謎も明らかになる。本書は、素粒子物理学の基本中の基本をやさしくかみくだきながら、「宇宙はどう始まったのか」「私たちはなぜ存在するのか」「宇宙はこれからどうなるのか」という人類永遠の疑問に挑む、限りなく小さくて大きな物語。
出版社:幻冬舎(幻冬舎新書)




『宇宙は何でできているのか』というタイトルから、てっきり暗黒物質についてもっとつっこんだ話題があるかと思っていた。
だが実際は、暗黒物質が何か、今もわかっていないため、簡単に内容を触れる程度で終わっている。
そういう意味、僕が期待したものとちがって、肩透かしを食った気分だ。

しかし内容自体はおもしろい。それもこれも、語りが平易であることが大きいのだろう。


本書は、『素粒子物理学で解く宇宙の謎』とサブタイトルにあるように、素粒子物理学の初歩的な議論が成されている。
そのため知っているものもあるが、内容を復習するにはうってつけである。

とは言え、後半のクォークやJ/プサイ中間子などは、細かい議論をはしょっているので、ある程度の予備知識がない人にはついていけないかもしれない。
だが読みやすい文章のおかげで、本当の初心者でも、雰囲気くらいはおおむね伝わるだろうと感じた。


しかし素粒子物理学というのも、おもしろい分野だな、と気づかされる。

宇宙に存在するニュートリノをすべて集めると、宇宙にあるすべての星とほぼ同じ質量になるという話。
太陽系が銀河にとどまっているのは暗黒物質の重力によるという事実。
右と左が異なるというパリティの破れ、などなど、

どれも興味深い話題に満ちているのだ。


その中で特におもしろかったのは、消えた反物質の謎だろうか。

ビッグバンで生じたはずの物質の反物質はどこへ行ったのか。
それは10億分の2だけ、物質の方が多かったから反物質が消えてしまったのである。
そういうことになっているが、その理由がわかっていない。

それに対する仮説などは、読んでいるだけでもワクワクする。
世界の構造が、このようにして判明していくのだな、ということが伝わり興味深い。


期待していたものとちがっていたことはまちがいない。
しかし多くの話題は目を引くものばかりである。

つっこんだ説明がないので、予備知識がないとわかりにくいかもしれないが、謎と可能性に満ちた分野に触れることのできる一冊だ。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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中谷宇吉郎『雪』

2013-12-18 21:22:37 | 本(理数系)

天然雪の研究から出発し,やがて世界に先駆けて人工雪の実験に成功して雪の結晶の生成条件を明らかにするまでを懇切に語る.その語り口には,科学の研究とはどんなものかを知って欲しいという「雪博士」中谷の熱い想いがみなぎっている.岩波新書創刊いらいのロングセラーを岩波文庫の一冊としておとどけする.
出版社:岩波書店(岩波文庫)




東北にも雪のシーズンが到来した。
そんな季節にふさわしい一冊だが、雪の神秘と、その解明に励む科学者の姿勢を伝える良書である。


東北とは言え太平洋側に暮らしているため、雪国ほど雪が降るわけではない。
だから第一章の雪害に関する話などは、大変だな、とつくづく思い知らされる。

雪が恐ろしいことは北国の人間なので知っているし、雪に幻想を抱く気持ちは名古屋で生まれたので知っている。
しかし戦前の日本の雪国は、今の僕が知っている以上の苦労があったのだと忍ばれる。


著者の中谷宇吉郎はそんな雪について研究を重ねている。
彼がアプローチするのは、雪の生成過程だ。

雪の結晶を北海道まで行き、研究する様は大変だ。
寒い中での研究の苦労は、寒がりな僕としては身震いを覚える。
なかなか難儀な研究をしているものと思うが、世の中にはいろいろな研究があるらしい。

雪は生成条件の違いによって、いろいろな形状を見せる。
ある程度のことは知っているつもりだが、そういった雪の形の違いはなかなかおもしろい。
そしてその違いを懇切丁寧に語る著者の熱意も伝わってくるのが良かった。


著者は天然ではなく、人工で雪をつくろうと、研究室で実験に励むこととなる。
エンジニアの一人としては、こういうトライ&エラーで試行錯誤しながら、原因究明に勤しむ姿は、感じるものがあった。
地道な作業で、正解を求めていく著者の姿勢には同じ理系人として共鳴するばかり。

その結果として、世界で初の人工雪を作成したのだから、見事なものだ。
そして解説を読む限り、彼が見出したナカヤ・ダイヤグラムが、結果的に数十年後の実験データよりも正しかったというから驚くほかない。

そうして知りえたデータを元にすれば、雪の形状から上空の天候具合を読み取れるのだと思うと、ロマンチシズムを感じずにはいられない。
「雪の結晶は、天から送られた手紙である」というロマンチックな言葉で表される世界に、ただただ感銘を受ける一冊だった。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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サイモン・シン『フェルマーの最終定理』

2013-10-24 20:59:13 | 本(理数系)

17世紀、ひとりの数学者が謎に満ちた言葉を残した。「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」以後、あまりにも有名になったこの数学界最大の超難問「フェルマーの最終定理」への挑戦が始まったが―。天才数学者ワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に、3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く、感動の数学ノンフィクション。
出版社:新潮社(新潮文庫)




人間が生き、意志を持ち、行動するからこそ、そこにはドラマが生まれる。
それは理数系のような、一見無味乾燥なものでもそうだ。

300年以上の長きにわたって証明されることのなかった、フェルマーの定理。本書はその証明に至るまでの流れを描いた、優れたノンフィクションだ。
僕は数学が得意な方だったが、数学が好きではなかった人でも楽しめる作品だろう。

それもこれも、数学の流れを描きながら、人間の姿を描いているからにほかならない。


もちろん数学の知識があれば、さらに楽しめることは確かだ。

補遺などは、錆びかけた数学の知識を呼び起こす要素に満ちている。
√2が無理数であることを証明するところや、分銅の話(情けないことに引き算に気づかなかった)、帰納法の証明の話などは、それだけで充分に楽しい。

それに限らず、川の距離と直線距離がπと関係しているところや、セミのライフサイクルが素数と関係しているところなど、本文中の数学の話も実に刺激的だ。
読んでいるだけでワクワクする。


だがそんな数学を扱いながらも、それを扱うのは人である。
そしてそういった人物たちのエピソードもおもしろいものばかりなのだ。

ピュタゴラス教団の話はおもしろかったし、ソフィー・ジェルマンが男たちの社会で認められるところや、ゲーデルのアスペルガー障害を疑わせるような変人なところ、ほとんど哲学の様相を帯びた不完全性定理とそれに伴う波紋などは、ときににやりとさせられ、ときに胸を突かれ、実に忘れがたい。

個人的には、同じ日本人の谷山豊と志村五郎の話題がおもしろかった。
楕円方程式もモジュラー形式も、初めて聞く話題で、そのすごさは読んでみても完全にわかったわけではない。
けれど、それを導き出した二人の友情はすなおに胸に響くのだ。
それに別々の領域の理論を結びつけるという点も大きな意義を見出せる。


そして本書の主人公とも言うべき、アンドリュー・ワイルズのエピソードもまたすてきである。

子どものころからの夢だったフェルマーの最終定理に取り組み、それを証明するまでの流れがすばらしい。
そのために、人と数学的に議論するのを避けて、ストイックに証明に励む。
そして一旦証明したかに見えた内容に穴があると気付き、追いつめられるところなどは、読んでいるだけでハラハラする。

それだけに、天啓のように下りてきたアイデアで、突破口を見つける流れは印象深い。


知的好奇心も刺激され、人間たちのドラマにも感動できる。本書はそういう内容である。
優れた理系ノンフィクションと言い切ってもいいだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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『死体入門』 藤井司

2012-06-19 20:13:36 | 本(理数系)

あなたが今日出会った人は、100年後にはほぼ全員が死んでいる。もちろん、あなた自身も例外ではない。人は必ず死ぬ。しかし、私たちは死について、どれだけのことを知っているだろう。死ぬ瞬間、何が起こるのか? 人は死んだらどうなるのか? 死への疑問は尽きず、それらを考えることは、命や人生を真摯に見つめることに他ならない。死と死体について、あらゆる角度から考察する衝撃の書。
出版社:メディアファクトリー(メディアファクトリー新書)




何でこんなの買ったんだろ。

買い物から家に帰った後で、そんなことを思うことがたまにある。本においても例外でない。
『死体入門』は僕にとって、まさにそういう本で、実際本書は買われてからずっと積読本の中に埋もれていた。

だが読んでみると、これが意外に当たりだったりする。
著書が言うように、確かに死体はおもしろいらしい。非常に刺激に満ちた読み物だった。


人が必ず死ぬ、というのは永遠不変の真理である。
にもかかわらず、僕が死体について知っていることは少ない。人間の死体を間近で見たことも、30年以上生きていて一度しかない。

だから本書から初めて知ることは多く、何かと勉強になる。


圧巻だったのは、カラーで収録された『九相詩絵巻』だ。
いまの社会において、人が目にするのは、新死相までだろう。それだけに、それ以降の死体の変化は、わかってはいたけれど、びっくりさせられる。

腐敗するにつれ、人の姿はずいぶん変わる。そのおざましいほどの変わり具合が見事だ。
死体が棺桶の中で動く、というゾンビのなぞを説明もしてくれて、非常におもしろい。

それにも多少つながるが、個人的にもっともびっくりしたのは、豚の腐敗実験である。
死体にはうじ虫が湧くとよく聞くけれど、実際あんなに湧くものなのか、と写真を見てマジで驚いてしまった。
白黒写真だと、白い小石で覆われているようにしか見えず、そのうじ虫の量は僕の想像力をはるかに超えている。

それを見てると、著者も言う通り、自然に還るという言葉の意味を考えざるをえなくなる。
読み手にそんな気持ちを起こさせる面を見ても、本書はまさしく良書だろう。


またそれ以外では、ミイラや法医学関係の話も楽しく読める。

フラゴナードが作成した「人馬一体のミイラ」の話は大変興味深く読んだし、「ロザリア・ロンバルドのミイラ」の文字通り生きて眠っているかのような美しさには、ミイラを作成した者の腕の高さと、幼くして娘を失った親の執念をみる思いがして、印象的である。

そのほかにも知らないことがたくさんあり、ともかく知的好奇心を刺激された。


人は必ず死ぬけれど、実社会において死を語ることは、どちらかと言うと忌避される傾向にある。穢れを避ける神道文化の影響根強いことも関係していよう。
それを抜きにしてもこの本自体、これは気持ち悪いな、と感じる写真もないわけでなかった。死体はやはりグロテスクだ。

しかし死体に対する偏見をなくそうという著者の強いモチベーションのおかげか、読み物として楽しい内容に仕上がっている。
読み終えた後には、新しい世界を知ることができたという喜びでいっぱいになる。

いい意味での驚きにあふれた、納得の良書である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『統合失調症 その新たなる真実』 岡田尊司

2011-09-26 20:56:37 | 本(理数系)

百人に一人がかかる身近な疾患であるにもかかわらず、多くの人にとって縁遠く不可解な統合失調症―そのメカニズムが現在かなりのところまで解明され、治療法は大きく様変わりしつつある。時間はかかるが統合失調症は克服できる病になろうとしているのだ。本書ではこの疾患の背景やメカニズム、治療技術ゆ回復過程について、最先端の知識をわかりやすく伝える。そして、この病を理解して克服するためには、正しい知識とともに人間として共感する姿勢が大切だと説く。
出版社:PHP研究所(PHP新書)




統合失調症について、通しで一冊読んでみようととりあえず本書を取ってみたが、なかなかの良書と感じた。
その理由は、何と言っても、読みやすさにある。

以前、同じ著者の『境界性パーソナリティ』(幻冬舎新書)を斜め読みしたことがあるが、その本と同様、実例を上げて、症例を紹介しているため、内容を理解しやすい。
著者は小笠原慧という筆名で小説家デビューしているわけだが、作家だけあり、学術書だけど、読み手を意識した書き方がされていて、とっても好ましい。
またあくまで患者目線に立った書き方をしているため、優しさが文中から感じられたのも好印象であった。
ともかく、初心者にはうってつけの内容と言えよう。


しかし統合失調症に関していろいろ調べれば調べるほど、自分がその症例について無知だったのだな、ということに気づかされる。
たとえば人類の1%が罹患するということや、発症する要因は遺伝的要因も大きいが、それ以上に環境要因が大きなファクターとなるということ、世間の常識に当てはめて患者のために良かれと思ってすることが、必ずしも患者のためにならないこと、など。
いろいろ知らされることが多く、自分が本当に無知であることを知らされる。

また統合失調症の歴史にも考えさせられる。
むかしは狂人というくくりで容認されていたのに、いつしか隔離するようになってしまったという事実にはげんなりしてしまう。

精神分裂病と呼ばれていた時代から、有名な病気であるわりに、世間でもこの病気はどれほどちゃんと理解されているのだろう、と思う場面は多い。


そして知れば知るほど、統合失調症の患者は大変なのだな、と感じてしまう。
患者だけでなく、患者の周囲の人間も覚悟がいるらしい。
実例などを読めばわかるが、罹患者が周りにいると、その周囲の人は戸惑うことも多いだろう。

統合失調症の有名な症状としては、妄想や幻聴が挙げられる。
例としては、ありもしない悪口を言われているように感じるとのことだ。
たとえば自分の周りに病気にかかっている人がして、その人が病気にかかっていると周りがまだ気付いていない、とする。
最初のうち周囲は、何をバカなことを言っているんだ、と感じて、いらだつことだってあるのだろう。そして統合失調症について知らないと、それが病気だとなかなか認識されず、放置されて、悪化してしまうことだってあるのかもしれない。
知識は正しく持つ必要があるのだな、と読んでいて強く感じる。そうでないとそれは不幸を呼んでしまうのかもしれない。

そして周囲以上に、罹患している当人が、一番つらいのだろう、と感じられる。
周囲が理解してくれない場合だと、つらさはなおのことに違いない。


だからこそ、周囲はその症状をちゃんと理解し、患者の視点に立たなければいけないのだろう。
とは言えそれは過度に甘やかすでも、突き放すでも、干渉するでもなく、適度な距離を保たねばいけないらしい。
それがきっと一番難しいのだけど、その距離感は、人と人と向き合うということにも通じるのかもしれない。


統合失調症は、人類の1%はかかる病気である。
僕もひょっとしたらかかっていたのかもしれない、とこの本を読んでいると感じる。この先だってわからない。
そのことを胸に、統合失調症のことを、わがことのように捉え、勉強していきたい、と思う。
そう人に思わせる力に富んだ一冊であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『脳のなかの幽霊』 V・S・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー

2011-05-31 19:04:38 | 本(理数系)

切断された手足がまだあると感じるスポーツ選手、自分の体の一部を他人のものだと主張する患者、両者を本人と認めず偽者だと主張する青年など、著者が出会った様々な患者の奇妙な症状を手掛かりに、脳の不思議な仕組みや働きについて考える。分かりやすい語り口で次々に面白い実例を挙げ、人類最大の問題に迫り、現在の脳ブームのさきがけとなった名著。現代科学の最先端を切り開いた話題作ついに文庫化。
山下篤子 訳
出版社:角川書店(角川文庫)




脳科学の本はこれまでいろいろ読んできたけれど、どの本も本当に刺激的な内容ばかりだ。
脳は人間のあり方を左右する器官だけど、単純には理解しがたい、ふしぎな存在だと思い知らされる。

本書は、そんな脳の不可思議さを感じさせるようなエピソードに富んでいる。
ある程度の内容は、これまで読んできた本で知っているけれど、やはり何度読んでも、興味深い事象ばかりで本当にびっくりしてしまう。


幻肢の話がまずおもしろい。

幻肢とは、腕などを失った人間が、なくしたはずの腕に痛みを覚える現象である。
そういう症状があることを知っているけれど、その失くした腕の触覚が、人間の頬に現れるっていう点はすごい話だよな、って思う。
失くした腕に痛みを感じたら、頬をかけばいいっていうのも、冷静に考えたらとってもシュールだ。

幻肢がらみでは、ミラーボックスの話もおもしろい。
人間は視覚というフィードバックさえあれば、動かない幻肢の感覚さえよみがえらせることができるらしい。
そういうのを読んでると、人間の感覚は柔軟なのか、単純なのか、よくわからなくなってくる。

文学では、身体性というものが、重要なテーマとして描かれる作品もある。
けれど、その絶対的と思われている身体性すら、体に対する認識の方法を変えてしまえば、簡単に崩れてしまうほど、もろいものなのかもしれない。


そのほかにもおもしろい話が多いのだが、個人的には中盤の作話の話が強く印象に残っている。

それは病態失認に陥った患者の話である。
その患者は左腕を動かせない人で、彼自身、自分の左腕が動かないとことを、目の前で見てもいる。にも関わらず、彼は自分の左腕は動いている、とあくまでも言い張っているのだ。

これは『妻を帽子とまちがえた男』にあった話につながるけれど、一つのアイデンティティの問題だと思う。
そういう風に作話をすることで、その患者は自我を守っているのだ。
著者はそれをフロイトの防衛機制(否認、合理化、作話、抑圧、反動形成)の科学的なアプローチであると書いている。その発想はなかなか鮮やかでおもしろい。

しかし、この話を読むと、人間の認知や信念の体系は、あやふやなものだということを知らされる。
自分の身に置き換えて、その現象を考えてみると、とってもこわくはないだろうか。
自我を保つために、現実の自分の行動を否定するのならば、自分っていうやつは何なのだろう。

我思う、ゆえに我あり、とデカルトは言ったけれど、その言葉は非常に疑わしいと思えてくる。
著者が言うように、それら脳の現象は、「人間の存在の基本的な土台にさえ、疑問を投げかける」ものなのだろう。
梵我一如は言い過ぎとしても、我という概念の解体につながるような気がする。


そういう奇妙で不可思議で、自分という存在について深く考えざるをえない脳の世界をおもしろく書いていて、ぐいぐいと読み進めることができる。
ときどき挿入される皮肉交じりなユーモアもこの本を読む上で推進力となっている。
脳の世界というものの奥深さを堪能できる一冊であろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『妻を帽子とまちがえた男』 オリヴァー・サックス

2011-05-24 20:59:33 | 本(理数系)

妻の頭を帽子とまちがえてかぶろうとする音楽家、からだの感覚を失って姿勢が保てなくなってしまった若い母親、オルゴールのように懐かしい音楽が聞こえ続ける老婦人―脳神経科医のサックス博士が出会った奇妙でふしぎな症状を抱える患者たちは、その障害にもかかわらず、人間として精いっぱいに生きていく。そんな患者たちの豊かな世界を愛情こめて描きあげた、24篇の驚きと感動の医学エッセイの傑作、待望の文庫化。
高見幸郎・金沢泰子 訳
出版社:早川書房(ハヤカワ文庫NF)




神経科医である著者が、実際に診療した患者たちの姿を描いた症例集である。
当然、いろいろな症状が登場するのだが、脳の器質的な問題から、こうもたくさんの症状が現れるのか、と驚かされる。
脳科学の本をいろいろ読んで知っている気にはなっていたけれど、不可思議だな、と感じるものが多い。

表題作である、相貌失認のため、人間の顔を識別できない男の話、
むかしのことを覚えていても、ある段階からの記憶が消えている人の話、
言葉の意味や、声の調子を理解できない人の話、
絶えず音楽が頭の中で鳴り響いている人の話など
どの話も非常におもしろく、その症状の奇妙さに大いに興味を惹かれる。


だけど、本書はそんな珍奇な症状を並べることで、患者たちをきわもの扱いしているわけではない。
どれほど平常の人間から見て、不可解で、ときに絶望的とも見える事例であっても、彼らが人間らしさをもった、当たり前の存在であるということを、描いているのだ。
著者はそんな、常人では理解できない患者たちと、真剣に向き合っている。


個人的に好きなのは、「アイデンティティの問題」だ。

この話はコルサコフ症候群の男性の話である。
彼は長い時間、記憶を保てないため、絶えず作話をすることで、記憶の代わりとなるものをつくっている。
そうすることで、記憶(言うなれば、自己存在を定義づける要のようなもの)を失った彼は、己のアイデンティティを保っているのだ。
その姿は見ようによっては滑稽である。
だが、それはあまりに悲しく、あまりに絶望的でもあるのだろう。

だけど著者はそんな相手のことを、決して突き放して見ていない。
結果的に治療は失敗に終わったわけだが(素人目に見ても、治療は難しそうだ)、記憶を失っていても、彼の中に、一人の人間としての幸福があることを、著者は確信している。
それを記した描写の中に、著者なりの優しさを見る思いがする。

そして同時に、脳というもののもつふしぎさと、人間の可能性のようなものに関して、考えずにはいられないのである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『単純な脳、複雑な「私」』 池谷裕二

2011-05-11 21:16:56 | 本(理数系)

20年前に卒業した母校で、著者が後輩の高校生たちに語る、脳科学の「最前線」。切れば血の吹き出る新鮮な情報を手に、脳のダイナミズムに挑む。かつてないほどの知的興奮が沸きあがる、4つの講義を収録。
出版社:朝日出版社




脳科学に関する著作だが、そういうのは抜きにしても、読み物として単純におもしろい作品だった。
そう感じたのは、著者の語りによるところが大きいのだろう。

『進化しすぎた脳』でも感じたが、池谷裕二は本当にしゃべりが上手だ。そして他人に物事を教える才能に恵まれている。
脳のふしぎさや特異さをいかにおもしろく、しかもわかりやすく伝えるのか。著者はそのことを常に意識して話しているように見える。それだけでも著者の人柄が感じられるようだ。


中身は高校生向けの講義スタイルということもあり、高校程度の生物と、ざっくりとした脳の知識さえ持っていれば、何の問題もなく、理解できる。

そこで語られる内容は本当に刺激的だ。門外漢なので知らないことばかりで驚くポイントは多かった。

ピンク色の斑点実験や、人間は相手の顔の左側を見て、顔を認識しているという話。
直感が大脳基底核という手続記憶にかかわる部分から生じており、学習と結びついているらしいという話。
自分の行動に合わせて、その行動理由を無意識のうちにでっち上げる「作話」の話。
心が痛む、と呼ばれるような社会的な痛みを、実際の痛覚システムが感知しているという前適応の話、など。

どれもおもしろく、かつ勉強になるものばかり。


その中でも特に印象的なのは、自由意志、脳内時間、ゆらぎの話だ。

自分が何か行動をするとき、と、たいていの人は以下のように考えるんじゃないだろうか。

  「動かそう」と脳が意識する
  → 脳が動かす「準備」を始める
  → 脳の「指令」が行く
  → 「動いた」と感じる。

しかし実際は以下の通りであるらしい。

  脳が動かす「準備」を始める
  → 「動かそう」と脳が意識する
  → 「動いた」と先に脳が感じる
  → その後で脳の「指令」が行く。

これはちょっとビックリしてしまった。
つまり、動かそうと人間が考える自由意志は、脳の活動に引きずられ湧いてくることになるからだ。
しかも意志は、後から理由付けされていることにもなる。

それだけでなく、脳が行動を意識するのは、脳が行動を指令する前なのだ。
つまり人間はまだ動かしていない、自分の行動の未来を知覚していることになる。
脳内時計はこんな風に動いていたの!? と本当に驚いてしまう。人間の感覚ってわからない。


また脳のゆらぎの話もおもしろい。

ゴルフ・パットをはずすか否かが、脳のゆらぎでわかってしまうというところは驚いた。
そんなもので決まってしまうの……、と呆然としてしまう。

またそのランダムな脳のゆらぎから、ある種のパターン性が生まれ、秩序だった動きに変わるという話や、そこからエネルギーを得るという話もおもしろかった。
また「創発」も楽しい理論だ。ランダムな動きから、意志すら感じさせる動きが生まれる様はすごい、と思う。

ひょっとしたら、人間の何かをしようという考えも、そういうあいまいなところから発生するのかもしれない。


脳はふしぎに満ちている。そして恐ろしく不可解でもある。
人間が大層なものと考えているような、意識や自我のようなものは、つきつめれば、とってもあやふやなものなのかもしれない。
そんなことを思い知らされ、いろいろなことを考えさせられた。
何はともあれ、良書である。それは断言してもいいだろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの池谷裕二作品感想
 『進化しすぎた脳』
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『できそこないの男たち』 福岡伸一

2010-04-26 20:23:21 | 本(理数系)

「生命の基本仕様」―それは女である。本来、すべての生物はまずメスとして発生する。メスは太くて強い縦糸であり、オスはそのメスの系譜を時々橋渡しし、細い横糸の役割を果たす“使い走り”に過ぎない―。分子生物学が明らかにした、男を男たらしめる「秘密の鍵」。SRY遺伝子の発見をめぐる、研究者たちの白熱したレースと駆け引きの息吹を伝えながら「女と男」の「本当の関係」に迫る、あざやかな考察。
出版社:光文社(光文社新書)



『生物と無生物のあいだ』を読んで以来、福岡伸一の著作を読んでいるが、それは単純に彼の本がおもしろいからにほかならない。
読みやすいし、素人レベルの知識しかなくても、内容についていける。最新号の『ゴーマニズム宣言』でも取り上げられるくらいだから、文系の人でも理解は可能なのだろう。
何より語っている内容が非常に楽しい点が良い。


いままで読んできた作品もそうだったが、科学者のエピソードはこの作品でもおもしろかった。

第三章から五章で語られる、性決定遺伝子をめぐる争いがおもしろい。
デイビッド・ペイジの発見したジンクフィンガーYの業績が、グッドフェローたちによる、ジンクフィンガーYの近くにあったSRY遺伝子の発見によって覆される部分ところなどは、読んでいてゾクゾクしてしまう。
そこには運命の皮肉さえ感じられる。

こういったエピソードを探し出して、おもしろく語り、本のテーマと上手くからめるあたりはさすがだな、と感心してしまう。


もちろん男性を男性として決定付けるものは何か、という本書の内容自体も非常におもしろい。

生物の基本仕様が女性であることは知っていたけど、その過程をくわしく知るのは今回が初めてだった。
最初女だったものがSRYによって、男性にカスタマイズされる過程は、読んでいて感動的ですらあった。

ミュラー管が消失し、ウォルフ管が成長して、男性器の形状へとつくりかえられていく流れは、芸術的と言いたくなるほど美しい。「蟻の門渡り」なんかは読んでいてそうだったのか、と驚いてしまう。
そんな、イブからアダムがつくられていく様を読んでいると、生命っていうのはふしぎなものなんだな、と当たり前のことを思ってしまう。

また男性が女性に比べると弱く、早死にしてしまう理由についての、著者なりの考えにも惹きこまれた。
男性化を促すテストテロンが、人体の免疫系を傷つけてしまうという説は非常におもしろい。
その刺激的な内容に、僕は胸を躍らせながら読み進めていた。

ほかにもY染色体から人類の起源を探る試みや、ナダル‐ジナールとヴィジャクのエピソードも楽しく読むことができる。


専門分野の話でありながら、楽しく読むことができ、知らなかった世界について教えてくれる。
語り手としての福岡伸一の上手さを再認識させられる、実に楽しい一冊だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの福岡伸一作品感想
 『生物と無生物のあいだ』
 『世界は分けてもわからない』
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『世界は分けてもわからない』 福岡伸一

2009-12-21 22:07:53 | 本(理数系)

顕微鏡をのぞいても生命の本質は見えてこない!?科学者たちはなぜ見誤るのか?世界最小の島・ランゲルハンス島から、ヴェネツィアの水路、そして、ニューヨーク州イサカへ―「治すすべのない病」をたどる。
出版社:講談社(講談社現代新書)



本書は、ベストセラーになった『生物と無生物のあいだ』の続編的な立ち位置にある作品だ。

だが、個人的には、前作よりも劣るという印象を受ける。
それは構成が前作よりもいくらか散漫に見えるということもあるし(意図はわかるけれど、前半の文章などは特にそう感じる)、前作ほど心に訴えかけるようなエピソードが少なめだということもある。
比較するのもどうかとも思うけれど、前作にあった上手さが本作では失われているように、僕には見えた。もちろん個人の好みもあるけれど。


だが知的好奇心をかき立てるという点においては、本作でもその魅力を失っていない。

特に興味を引いたのは、マーク・スペクターを巡る事件だ。
そのため第8章以降の展開はワクワクしながら読める。
章ごとの引きは上手いし、マーク・スペクターとはどんなやつなのか、どんなことをしでかしたのか、と期待をあおるところように描いているあたりが良い。
そして最後に待っていた結末に、ちょっと苦々しい気分になってしまう。

ラッカーによる、リン酸化カスケードの仮説は非常に美しくシンプルであるし、後年それがまったくまちがいでないことはわかったらしい。
だが天空の城の夢が、それを結果的に崩壊に導いたとしたら、なんとも悲しいことだ。
人間は見たいものしか見ないのかもしれないな、とその部分を読むと、思ってしまう。


そのほかにもおもしろいと感じるエピソードは多い。
ソルビン酸の作用に関する部分はバイオミメティックの勉強を(ほんのちょっとだけだが)した時期もあったので、それに近いなと感じるところもあり、個人的な関心を引く。またサプリメントに関する話題や、消化の意義などの部分はなるほどと思い、感心させられる。


新たに知ることも多くて、世界が一つ開けたような気分になる。
内容の質としては、前作には及ばないけれど、これはこれで、いろいろなことを知ることができて楽しい。
知的好奇心を刺激する一作である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの福岡伸一作品感想
 『生物と無生物のあいだ』
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『旅人 ある物理学者の回想』 湯川秀樹

2009-08-05 20:10:11 | 本(理数系)

日本発のノーベル物理学賞受賞者、物理学者湯川秀樹が、50歳の誕生日を迎えたことを機に、自己の生涯を回想する。「未知の世界を探求する人びとは、地図を持たない旅行者である」と自らを振り返りながら、淡々と生涯を語る文章は、深い瞑想的静けさをたたえている。科学者として最高の栄誉を得ながら、平和論、教育論、人生論にと多彩な分野の論客として活躍した博士の透徹した心境は、最良の生き方への示唆を与えてくれる。
出版社:角川書店(角川ソフィア文庫)



以前読んだ『素粒子物理学をつくった人びと』の中で、湯川秀樹は結構多くの紙数を割いて、その研究が紹介されていた。
そこからうかがえる湯川秀樹の姿は、自分の中間子理論を認知してもらうために、必死に動き回る学者という印象の方が強かった。

学者である以上、そのような行動をとっていたのは事実だろう。
だが本書で描かれている湯川の姿は、中間子理論発表前ということもあってか、どちらかと言うと、その逆のイメージを受ける。
精力的な人間というよりも、内向的な少年であるという印象の方が強いのだ。


基本的に、湯川秀樹という人はきまじめな人なのだろう、とこの本を読むと思う。
机を畳の目に合わせて置かなければ気のすまない、ちょっと神経質なところなどは特にその印象が強い。
そして、思っていることもうまく口にできず、引っ込み思案なところがあり、孤独が好きなのだが、だれも相手にしてくれなかったらさびしいだろう、と思うような矛盾した心を持っている。
また、内向的な人間らしく、繊細な心根を持っているところもある。特にうさぎの骨を折るところなど、彼の優しさを感じさせるエピソードで、僕は好きだ。


そういったいくつかは、自分にも当てはまる部分があり、何となく共感してしまう面が多い。
特に個人的には、数学が勉強の中では一番得意で、文学も好きというところは共感する。
数学に関して、著者は「明晰さと単純さ、透徹した論理」が「私をひきつけた」と書いているが、同じことを数学に対して思っていただけに、読んでいてなんとなくうれしくなる。

そういった似ている似てないを抜きにしても、共感できる面は多い。
たとえば、後半の物理学の道に進む辺りはそうだろう。
そこにあるのは、新しい未知の世界に向けて進んでいこうとする若者の姿だ。野心を持ち、何者かでありたいという意志をこめて、自分の研究にぶつかっていく姿は、普遍的な青年像ですなおに胸を打つ。
だがそんな野心的な時期でも、生来の内気なところも併せ持っている点もどこか好ましい。


一人の科学者の記録として、内気な一人の青年の姿を描いた記録として、すてきな内容であり、いくつかの面で心に響く。
大科学者であれ、一人の少年や青年であったという当たり前の事実を、淡々とした文体で静かに語った一品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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『iPS細胞 世紀の発見が医療を変える』八代嘉美

2009-06-22 21:24:43 | 本(理数系)

具合の悪いところは、新しい臓器に替える―そんな夢物語が、実現にむけて着実に進んでいる。それを可能にしてくれるのが“iPS細胞”。60兆もの細胞を持つ私たちのからだも、もとは、たったひとつの受精卵からはじまっている。iPS細胞の研究は、その仕組みを解くことだったのだ。さあ、生命科学の最前線へ「いのちの仕組み」を探りに―。
出版社:平凡社(平凡社新書)



本書ではiPS細胞が発見されるに至る経緯を、ES細胞から説き起こし説明している。
基本的に、僕の生物に関する知識は乏しいので、iPS細胞も、ES細胞も名前くらいしか知らなかった。それだけにこんなにもおもしろい機能を持っているということに驚いてしまう。

たとえば未分化の細胞が分化していくというプロセスや、分化が後戻りしないメチル化、ゲノムを初期化するクローンの技術、分裂や冬眠のできる幹細胞、再生能力を有する細胞などの内容が本当におもしろい。どれもこれも新しく知ることばかりで、刺激的だ。

特にメチル化の機構などは鮮やかの一語に尽きる。
タンパク質をつくるか、否かを、メチル基をくっつけるか否かで決定する、というシステムは何て合理的なのだろうか。自然がつくり出したものとは思えないほど、それは巧妙なスイッチ機構で、すなおに感嘆するほかない。


もちろん、山中ファクターを導入するというアイデアで生まれた、iPS細胞の研究も非常にユニークだ。
生物が多能性を有するかどうかが、四つのファクターで決定されるということも驚きで、こちらも自然界のシステムとは思えないほどきわめて合理的。
そういうのを読むと、生命というものが持つ不可思議さについて思いを馳せずにいられなくなる。

本書はさらに、iPS細胞の研究成果がもたらす恩恵や、その新しい研究が市場原理に飲み込まれてしまうのではないかという懸念など、iPS細胞の今後を複合的に語っている。
それらのすべては非常に楽しく、どれもためになる内容ばかりだ。


ただ難を言うなら、つっこんだ議論があまりないため食い足りないこと、またiPS細胞そのものの記述が少ないのが大いに不満だ。
だが、一通り学ぶ程度なら、これでも充分な内容である。
将来有望な優れた研究内容を知る。その一点に関して見れば、本書は初心者にふさわしい一冊である。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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『素粒子物理学をつくった人びと』 ロバート・P・クリース、チャールズ・C・マン

2009-05-26 21:12:13 | 本(理数系)

広大な実験施設で大量のエネルギーを投入し、加速した粒子同士をぶつけて壊す。何のために?それは万物の成り立ちの究極理論を実証するためだ。素粒子物理学と呼ばれ、数々のノーベル賞学者を輩出するこの学問は、20世紀初め、原子の構造の解明に頭を悩ませた学者が、波でも粒子でもある「量子」を発見したことから始まる…
理論と実験の最先端でしのぎを削る天才たちの肉声で構成された、決定版20世紀物理学史。
鎮目恭夫、林一、小原洋二、岡村浩 訳
出版社:早川書房(ハヤカワ・ノンフィクション文庫 <数理を楽しむ>シリーズ)


この本は、初心者にはこれっぽちも優しくない。
ある程度の知識がないと、この本を読み進めるのは難儀に感じるだろう。

そもそも、本書は専門用語の説明がかなりアンバランスなのだ。
以下は純粋なる、恨みつらみなのだが、たとえばプランク定数みたいな、初歩の知識をちゃんと説明してくれるかと思えば、何の前触れもなく、ヒッグス・ボソンなんて専門用語が出てきたりする。これでは初心者が置いてきぼりになるに決まっているだろう。
個人的な印象を言うなら、ウィーク・ボソンの説明が抽象的で、読むだけではなかなかイメージしづらいのも気に食わなかった。クォーク以降の章は、その傾向が顕著だ。
著者は読者をどこに想定しているのか知らない。あるいは内容が内容だけに、わかりにくくなるのは仕方ないのかもしれない。
でも工夫ってもんが必要じゃあないのかね?

僕は、素粒子物理学に関して、趣味で勉強した程度の知識しかない。頭の回転だって基本的には遅い。
そのため、それなりに努力しなければ、内容についていくことはできなかった。というか、一度下巻の途中で挫折した。
それでもツンデレの如く、愚痴りながら、この本を投げ出そうとしなかったのは、本書が単純におもしろかったからである。


確かに本書を読み進めるには、ある程度の素粒子物理の知識は要る。
だが知識さえ揃えれば、この分野の発展がいかに刺激的なものなのかがよくわかるのだ。それはこの本が「素粒子物理学会の内幕」を描いているという要素が強いことも、関係しているのかもしれない。

特に電磁気学と弱い相互作用との統一理論を思いついたときの、若き日のグラショウの文章なんかにはドキドキする。
新発見をしたときの科学者の興奮が、そこから伝わってくるのが何よりもいい。


そしてそういった場面を読んでいると、どんな難解な理論でも、それをつくりあげるのは人間なのだと気づかされる。
教科書で数式として書かれる世界にも、人間の意志や感情がかくれているのだ。

個人的におもしろかったのは、ハイゼンベルクとシュレーディンガーの、マトリクスと波動方程式をめぐる争いだ。
対立する理論の登場にいらいらするハイゼンベルクの姿はどこか滑稽で、少し笑ってしまう。
またハイゼンベルクの師匠ボーアが、体調を崩してグロッキー状態のシュレーディンガーに、議論をふっかけるシーンもおもしろい。弟子思いと言えば美しいけれど、これは100%いじめだろう。
あの有名なシュレディンガー方程式が受容されるまでには、こんな子供じみた(としか僕には見えない)感情のドラマがあったとは知らなかった。そう考えると、何か感慨深い。

またJ/ψ粒子を巡るティンとリヒターの研究合戦もおもしろかった。
特に慎重すぎるあまり、なかなか論文に着手しないティンが良い。もしも彼が向こう見ずな行動で論文を発表したなら、J/ψ粒子はJ粒子と呼ばれたかもしれないのだろう。
個人の決定はどのように作用するものかわからないな、とそういうエピソードを読むと思ってしまう。

ほかにもおもしろいエピソードは多い。
個人的にはパウリがお気に入り。辛らつな毒舌家の彼は非常に濃いキャラで、傍目で見る分には、むちゃくちゃ楽しい。毒舌を言われる当事者にはなりたくないが。
そのほかにも有名、無名、労が報われた者、そうでない者、様々な人間模様がうかがえて興味深い。


この本が初心者には向かないことは確かだ。
だがもしも素粒子物理学に詳しいのなら、あるいは素粒子物理学を学ぶきっかけをつくりたいのであれば、楽しい読み物となることはまちがいないだろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『図解雑学 心の病と精神医学』 影山任佐

2008-10-30 20:42:07 | 本(理数系)

本書は、精神医学の概説にはじまり、統合失調症、うつ病、神経症、人格障害、拒食症、多重人格、PTSDなどの代表的な心の病を説明し、さらに薬物療法や精神療法などの多彩な治療法をやさしく解説。近年、患者が増え、新しいタイプの症状を表す人も出てきているうつ病については、実際にかかった場合はどうすればいいのか、周りの人はどう接すれば良いのかといった、具体的なアドバイスを紹介する。
出版社:ナツメ社


相変わらずナツメ社の図解雑学シリーズはおもしろい。
各ジャンルの重要な部分をわかりやすく、簡潔に記している。非常にためになるし、知的好奇心を満たしてくれるありがたいシリーズだ。

精神医学はざっと読んだ感じだと、心理学という文学に近い要素と、生体機械論の立脚点から科学的に病理に向き合おうという生物学的な要素との、両方を併せ持った分野という印象を受ける。もっともそれは患者を治すという視点からすれば当然だろうが。

精神障害を述べる文章での、脳の働きに冠する説明のあたりが特におもしろい。障害の症状について説明すると同時に、その心的原因や生物学的原因を共に記している点が個人的にはツボなのだ。
理系人間で文学好きにとっては、両方の要素を楽しめて、感心しながら読むことができる。

しかし精神医学というものは知っているものもあるが、知らないものも多い。
トゥレット症候群やプレコックス感、ピック病などはまったく知らなくてそんな症例もあるのかと非常に勉強になる。またアダルト・チルドレンについて、少し誤解しており、知識の修正を果たしてくれて、非常にありがたい。

心の病については誤解している人も多い。僕が子どものころは近くに精神科の病院があったこともあり、誤解まみれの偏見の言葉をよく聞かされたものだが、いまだってまったくその風潮が消えたわけではないのだろう。実際人と話していると、適応障害やうつ病に関して、平気で偏見に満ちた言葉を吐く人に出くわすこともある。
だが元々偏見を持つ理由はないのだろうな、とこういう本を読むと改めて気づかされる。僕個人もこれから気をつけていきたいものだ。

ところで僕は工業大学出身ということもあってか、メランコリー親和型。うつに弱いことを改めて再確認した。気楽に生きていかねばね。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの図解雑学シリーズ
 『図解雑学 現代思想』小阪修平
 『図解雑学 重力と一般相対性理論』二間瀬敏史
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