私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

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黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』

2015-12-01 20:48:56 | NF・エッセイ・詩歌等
 
「きみは、本当は、いい子なんだよ!」小林宗作先生は、トットちゃんを見かけると、いつもそういった。「そうです、私は、いい子です!」―トモエ学園の個性を伸ばすユニークな教育と、そこに学ぶ子供たちをいきいきと描いた感動の名作。
出版社:講談社




ともかくも、すばらしい作品である。

黒柳徹子の実話に基づいているようだが、子を教育するということ、子が育っていくということについていろいろ考えさせられる作品だった。



トットちゃんは今でいうところのADHDだったのだろう。

授業をまともに受けず、机のふたを何回も開け閉めするなど、落ち着きのない行動はあからさまで騒々しい。
いまでこそADHDと言う言葉があるので、認識は進んでいるけれど、昔はそうはいかなかったことだろう。
集団に馴染めない子どもは劣等生のレッテルを貼られ、退けられてしまう時代なのだ。


しかしトットちゃんが幸運だったのは、周りの大人たちが、そんな子であっても、子供の気持ちにしっかり寄り添っていたことだ。

トットちゃんはわけのわからないことを始終言うような、空気の読めない子供だ。
いくら親だからとは言え、いらいらすることもあったろう。

だが母親は辛抱強く、トットちゃんに向き合ってくれる。
そしてトモエ学園の校長、小林宗吉先生も、子供の突飛な話を何時間でも聞いてくれるような人なのだ。
これは戦前という時代状況を鑑みても、非常にラッキーとしか言いようがないと思う。

そうして彼らは、トットちゃんのことを、和を乱す存在としてではなく、そういう個性を持った子どもなんだ、とありのままに受け入れてくれているのだ。
その姿勢が本当にすばらしかった。

彼らの基本スタンスは、子どもと言えど、一人の人間として扱うということにあるように思う。そんな彼らの姿勢からは、教育がどういうものか、子どもと向き合うとはどういうことか、についても深く考えさせられる。


しかし、トモエ学園の授業は戦前にしてはリベラルだ。

授業の順番も子供の興味に任せているし、自然と触れあい、そこから学ぶ姿勢を持たせることも大事にしている。
そして相手の差異に対して、差別意識を持たないように、注意を払っているし、女性だからと言って抑圧もしない。
危険なことをしていても、よほどのことがない限りやめさせないし、あくまで子どもに考えさせる姿勢を崩さない。
そして、こうしろ、と言って、人格を否定するほど強く命令することもない。

まさに一人の人間として子供を尊重しているのだ。
その様は徹底しているといっていい。


その最たるものが、君は、「本当は、いい子なんだよ」という校長先生の言葉だろう。
子供に劣等感を抱かせないように、子供の良い面に目を向けて元気づけてあげる。
教育者として、その姿勢は尊敬に値する。黒柳徹子が後年まで感謝するのも当然だ。

そうしてトモエ学園の生徒たちは、のびのびと育ち、社会に巣立っていった。
人を育てるということについて、本当に深く考えさせられる次第である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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リルケ『若き詩人への手紙、若き女性への手紙』

2015-06-02 21:25:59 | NF・エッセイ・詩歌等
 
「若き詩人への手紙」は、一人の青年が直面した生死、孤独、恋愛などの精神的な苦痛に対して、孤独の詩人リルケが深い共感にみちた助言を書き送ったもの。「若き女性への手紙」は、教養に富む若き女性が長い苛酷な生活に臆することなく大地を踏みしめて立つ日まで書き送った手紙の数々。その交響楽にも似た美しい人間性への共同作業は、我々にひそかな励ましと力を与えてくれる。
高安国世 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




本書には、2篇の書簡集が収録されている。

どちらも相手の手紙は掲載されていないので、具体的にリルケと、若い詩人ないし若い女性との間で、どのような内容のことが話し合われたか、細かくはわからない。
加えて、抽象的、観念的な話が多く、意味が容易につかめないところがある。

そういう点、決して読みやすい作品ではないだろう。
しかし胸に響かないというわけでもないのだ。



たとえば『若き詩人への手紙』。

この中でリルケが言いたいことは、自分自身を追求せよ、ということに尽きるように思う。

たとえば、
「自分の内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい」とか、
「どうかあなたの内をになっていらっしゃる世界に思いを馳せて下さい」という言葉がある。

それは結局のところ、自分の創作の源泉は自分にあるからこそ、自分の内部をしっかりと見つめ、そこから自分にしか出せないものをくみ上げることが重要だっていうことなのだろう、と思ったがどうだろう。


だからこそ、そのためにリルケは孤独を愛せ、とも言っており、興味深い。
「孤独を愛して下さい。あなたに近い人々が遠く思われる、とあなたは言われますが、それこそあなたの周囲が広くなり始めたことを示すものにほかなりません」
という言葉はおもしろい。
そうか、孤独にはそういう見方もあったのか、と驚く思いだ。


リルケの思想の中心は、自分の内部から湧き出るもので、自分が何を表現するか、ということにあるように思う。ある種、芸術至上主義的だ。

たとえば次の一篇、
「創作するものにとっては貧困というものはなく、貧しい取るに足らぬ場所というものもないからです」
それは、貧困を恐れず、金銭的なものに流されず、自分の信じる芸術の道を突き詰めよ、という風に読めなくもない。誤読かもしれないけど。

でもそういう行為って、才能がある人間だけに許されることなのでは?と感じてしまう。
しかしリルケなりの覚悟はうかがえて興味深かった。

ともあれ自分の生き方を含めて、いろいろ考えさせられる一品である。



『若い女性への手紙』もそれなりに楽しめた。

手紙の相手の女性が日を追うごとに何かと苦境に立たされているらしい。
リルケは最初女性に対して、抽象的な言葉を駆使して人生を語っている。
愛に関する文章も、孤独を肯定するような文章も、どこか現実感を欠いているような気がしなくはない。

しかし女が「土地に立ち向」かうあたりから、現実的に女性を励ましているように見えるのだ。
そして女性がアルゼンチンに行こうと考えているときは、年長者らしく穏やかに、彼女の性急の行動をいさめている。

他人の人生と関わるのは面倒なことだ。
でもリルケは女性に対し、なるべく優しい言葉で説得している。
そこからはリルケの優しく思慮深い性格を見る思いがして、目を引いた。

評価:★★(満点は★★★★★)
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正岡子規『歌よみに与ふる書』

2015-02-25 21:01:22 | NF・エッセイ・詩歌等

明治31年に発表された表題作は、『古今集』を和歌の聖典としてきた千年近い歴史がもつ価値観を転倒させた衝撃的な歌論であった。万葉の歌風を重んじ、現実写生の原理を究明した子規の歌論は、全篇に和歌改革への情熱が漲り、今なお我々を打つ。「あきまろに答ふ」「人々に答ふ」「曙覧の歌」「歌話」を併収。
出版社:岩波書店(岩波文庫)




『歌よみに与ふる書』は、ずいぶんと挑発的な歌論だ。

「近来和歌は一向に振ひ不申候」とか、
「貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」
など、ケンカを売っているとしか思えない、ボロくそのけちょんけちょんの文章が続き、読んでいるだけでもハラハラしてしまう。もちろんその分、おもしろくはあるのだけど。


だが内容自体は、子規なりの短歌観が開陳されており、結構筋が通っているのだ。

子規の自論は興味深い。
彼が嫌うのは、理屈っぽい和歌で、わかりきったことを、持って回ったような文章で語るのは唾棄するものと見なしている。
子規からすれば、自然に感じればいいのに、変に頭でこねくり回すなよ、といったところか。

百人一首でも有名な、
「月見れば千々に物こそ悲しけれ我身一つの秋にはあらねど」
などはその典型例として挙げられている。僕は結構好きな歌なのだけどな。

加えて子規は伝統に則った表現も、自然の感情から離れていると糾弾する。
「梅の匂」でさえも、伝統に従った真似ごとでしかないと批判しており、おもしろい。


そんな子規が称揚しているのは、実朝などの自分の感情や観察したものを簡明に語った短歌である。

「武士の矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原」
などを、子規は絶賛している。
僕個人は、いい歌だが絶賛するほどとは思わなかった。しかし子規の理論はその歌を通じ充分に理解できる。
何よりその歌の良さを語るときの子規の文章は、熱がこもっており、胸に届くのである。


結局は子規自身が強調しているように、
「ただ自己が美と感じたる趣味をなるべく善く分るやうに現すが本来の主意に御座候」
という一語に尽きるだろう。

とは言え、「我身一つの秋にはあらねど」だって、個人の自然な述懐だと思うし、否定するほどとも思わない。
しかし子規の考えは納得のいく面も目立つ。
何より頭でこねくり回さず、自然の感情に沿って歌うという考え方は、現代でも通じよう。

僕も下手なりに短歌をつくっている。
それだけに感銘を受けること大なる一冊だった。



そのほかの併録作品も、子規の自論を補強するものとしておもしろく読んだ。
特に『歌話』の下記の添削はおもしろい。

「おほなむちすくなひこなのいましけむしづの岩屋は幾世経にけむ」
 ↓
「おほなむちすくなひこなのいましけむしづの岩屋は苔むしにけり」

添削後の方が明らかにセンスが良く、客観の美点が実感をもって伝わってきた。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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村上春樹『やがて哀しき外国語』

2014-09-11 21:28:25 | NF・エッセイ・詩歌等

初めてプリンストンを訪れたのは一九八四年の夏だった。F・スコット・フィッツジェラルドの母校を見ておきたかったからだが、その七年後、今度は大学に滞在することになった。二編の長編小説を書きあげることになったアメリカでの生活を、二年にわたり日本の読者に送り続けた十六通のプリンストン便り。
出版社:講談社(講談社文庫)




気楽に読めるエッセイである。
元々村上春樹はエッセイも上手いのだが、本作も作家の良さを存分に感じさせる内容だった。


海外で暮らしたときに、著者が感じたことについて書かれたものだ。
そのため日本に住んでいては、なかなか見られない風景も多くおもしろい。

個人的に一番印象に残っているのは、東海岸のインテリたちが抱いている、「コレクト」な価値観である。
それは傍目的には、大層窮屈に見えるが、そういう価値観が当たり前のように存在していることに単純に驚くばかりだった。
今は知らないが、当時の空気がよく伝わってくる。

そういった「コレクト」なるものの窮屈さは、女性たちの質問に関する挿話にも通じるものがある。
インテリたちと言い、フェミニストたちと言い、アメリカにはこのようなコレクトな回答を期待する雰囲気が多かれ少なかれあるということなのだろう。

アメリカは自由を標榜する国だ。
しかしそんな国でも、微妙な同調圧力といったものは存在する。
それは日本に住んでいては気付き得ないことだけに、興味深く読んだ。


とは言え、自由の国らしいところももちろんあるのだ。
たとえばアメリカではマラソン大会などは日本のように利権が絡まず、本当のチャリティとして運営されている。
こういったおおらかなアメリカのイメージを伝えてくれるものもあり、それもまたおもしろい。


ともあれ全体的に肩の力の抜けたエッセイである。
後に残るものは少なそうだが、少なくとも読んでいる間は楽しめる。エッセイらしい気楽な読み味の一冊だった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの村上春樹作品感想
 『アフターダーク』
 『1Q84 BOOK1,2』
 『1Q84 BOOK3』
 『女のいない男たち』
 『海辺のカフカ』
 『神の子どもたちはみな踊る』
 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
 『象の消滅』
 『東京奇譚集』
 『ねじまき鳥クロニクル』
 『ノルウェイの森』
 『めくらやなぎと眠る女』

 『遠い太鼓』
 『走ることについて語るときに僕の語ること』
 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
 『若い読者のための短編小説案内』
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 (河合隼雄との共著)
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『今はじめる人のための俳句歳時記』

2014-08-03 22:07:05 | NF・エッセイ・詩歌等

よく使われる重要な季語に絞った、簡潔で使いやすい歳時記です。季語約1000(傍題約2200)を精選し、実作の手助けとなるわかりやすい名句を、各季語につき3句以上、例句として掲載しました。また、読みにくい語には原句にないルビも付しています。「句会をやってみよう!・俳句Q&A・古典の名句・俳人の忌日一覧・俳句のクイズ」と、初心者に嬉しい付録も充実。文庫版で一番文字が大きく、索引も読みやすく一新した新版。
角川書店 編




何を思ったか、俳句をつくろうと思い立った時期があった。
結局、歳時記を買っただけで終わってしまったわけだが、作句ではなく、観賞として読んでみると、非常におもしろくてためになる。

初心者向けに俳句をつくるためのアドバイスがなされているが、それよりも掲載されている秀句を読みふけった方がよっぽど勉強になるのだろう。

自分がつくるかは別として、観賞として充分楽しい時間を過ごすことができた。


以下、気に入った俳句を、各季節で三句挙げて、感想としたい。



彼岸会の墓に文句のありつたけ
林紀之介

花曇城を小さく見せにけり
宮津昭彦

木瓜の朱の少しみだらに咲き満てり
竹中多恵子



そらす背に夏の怒涛を聴きにけり
仙田洋子

水着着て肘のほか掴む処なし
中根美保

栗咲く香死ぬまで通すひとり身か
菖蒲あや



鐘ついて十万億土霧うごく
福永法弘

色鳥やむしろすがしき朝の飢
金子潮

つきぬけて天上の紺曼珠沙華
山口誓子



寒昴身のすきとほるほどひとり
椿文恵

冬銀河かくもしづかに子の宿る
仙田洋子

泣けば瞳に寒燈の矢の殺到す
有馬籌子


新年

初暦めくれば月日流れそむ
五十嵐播水

姫始め闇美しといいにけり
矢島渚男

寝正月自問自答をくり返し
下村非文


評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『新・百人一首 近現代短歌ベスト100』 岡井隆、馬場あき子、永田和宏、穂村弘

2014-06-06 07:00:42 | NF・エッセイ・詩歌等

五七五七七で詠まれる短歌は明治以降、大きく表現の幅を広げ、日本語の豊かな財産となってきた。口ずさめば詠みこまれた情緒がたちまち甦る。現代を代表する歌人が近現代百人の歌人の愛誦したい名歌を精選し、「新・百人一首」がここに誕生した。
出版社:文藝春秋(文春新書)




近現代の歌人を100人選び、その代表歌1首、および秀歌を2首ずつ収めている。つまりは300首強の作品に触れられるという体裁だ。

短歌に関する知識は浅いため、こういう企画は大変ありがたい。
たぶんどんな人でも、必ず気に入った歌に出会うことだろう。
そして短歌のすばらしさに気づくことができる一冊と感じる次第だ。

個人的に代表歌百種の中で好きな歌を五つ上げるなら、次の通りとなる。


君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
北原白秋
何と言っても「さくさく」という小気味の良いリズムが良い。
雪と林檎の取り合わせもどこかロマンティックだ。
内容的には不倫の歌らしいが、その暗さや重さを感じさせず、普通の恋愛歌としても楽しめる作品となっているように感じた。


桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり
岡本かの子
いかにも情熱の作家らしい力強い歌だ。
桜の爛漫と咲く姿を見て、自分もそれに応えるようにして桜を見ている。
そこにある気概に心震えてならない。


マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
寺山修司
何となく暗がりかなと思うが、その中でマッチを擦る風景がダンディズムそのもの。
祖国に対する若干の失望を抱えながらも、祖国を思わずにいられぬようにも見え、その感情の揺れのようなものが心に残った。


観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生
栗木京子
男と女の恐らくたった一回のデートの捉え方が心に残る。
相手にとってはたった一日の思い出も、当人には永遠に忘れがたい記憶となる。
「回れ」の祈りめいた文句も含めて心に残る作品だ。


目にせまる一山の雨直なれば父は王将を動かしはじむ
坂井修一
「目にせまる一山の雨」というのが父のイメージとかぶるよう。それはまさに大いなる父のイメージだ。
そしてそんな父を王将を動かさせるほど追いつめる息子。
その父子に漂う緊張感が心に響く。



ほかに秀歌も含めて10首選ぶなら以下のようになろう。

やは肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君
与謝野晶子

相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるふ
川田順

不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心
石川啄木

バイカルの湖に立つ蒼波のとはに還らじわが弟は
窪田章一郎

ベッドの上にひとときパラソルを拡げつつ癒ゆる日あれな唯一人の為め
河野愛子

いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅
玉城徹

一隊をみおろす 夜の構内に三〇〇〇の髪戦ぎてやまぬ
福島泰樹

雨にうたれ戻りし居間の父という場所に座れば父になりゆく
小高賢

唇をよせて言葉を放てどもわたしとあなたはわたしとあなた
阿木津英

名を呼ばれしもののごとくにやはらかく朴の大樹も星も動きぬ
米川千嘉子


もちろんこれ以外にもすてきな作品は多い。
ともあれ短歌のおもしろさを堪能できる一冊である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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河野裕子・永田和宏『たとへば君 四十年の恋歌』

2014-05-29 20:23:51 | NF・エッセイ・詩歌等

「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」1968年、河野裕子。そして、「一日が過ぎれば一日減つてゆくきみとの時間 もうすぐ夏至だ」2009年、永田和宏。――大学でのふたりの出会いから、河野の乳がんによる死まで、四十年にわたる歌人夫婦が交してきた歌の数々、感動の記録。
出版社:文藝春秋(文春文庫)




短歌を通して知り合い、後に二人ともその世界で大成した歌人夫婦の相聞歌を中心に編纂された本である。

二人の出会いから妻である河野裕子の死までを短歌を中心に追っていて、心に響いた。
こういう形の愛情表現があるのだということを知らされる良質の作品だ。


二人の出会いは二十歳のころだ。
若い二人という感じで、初々しさも感じられる作品が多い。

たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか

タイトルの元にもなった河野裕子の歌は、二人の男の間で心が揺れていた頃の心情と情熱が見えて、胸にぐっとくるものがある。

夫の永田和宏の側にも、若い恋を感じる作品が見える。
あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまでおれの少年

とかが笑えておもしろい。


ともあれそうして二人は夫婦となる。
危ぶみて触れし裸身をかなしめり父と呼ぶにはあまりに若き
そう表現されるような若い夫婦だ。

それでも子供にも恵まれ、苦労を抱えながらも、家族を形成していこうとする。
諍いの部屋を抜け来し昼ふかく鳥は目蓋を横に閉ざせり

といったように、生活上のすれ違いから夫婦げんかもあるようだが、
たつたこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる

そう思えるような家族の形ができてくる。

そして夫婦も互いを思いやる睦まじい関係ができてくる。
おおほきな月浮かび出でたり六畳に睡りて君ゐるそれのみで足る

という河野の歌や
たった一度のこの世の家族寄りあいて雨の廂に雨を見ており

という永田の歌などはそれを象徴していよう。


そうして日々を過ごしていた夫婦だが、妻の河野に乳がんが見つかる。
河野の乳がん発覚前までの歌はまったく日常の歌そのものである。それだけに乳がん発覚は衝撃だったろう。
そこから夫婦に微妙なすれ違いが起こる。

河野は病気の不安から精神が不安定になる。永田は日常を送ることが大切だと考え、それがかえって妻をいらだたせるという悪循環に陥る。
この辺りの人間関係は難しいものだな、と思う。

今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉ぢて

という河野の歌と、
平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ

の永田の歌などはその思いが強くにじみ出ていて苦い。


そうして乳がんの不安な時期を乗り越えるが、残念ながら癌が再発してしまう。
そこからは余命を否応なく考えて、夫婦は向き合わなければならない。その姿がかけがえのない分、非常に悲しい。

一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため

という河野の歌と、
一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ

という永田の歌は、それぞれの切実な思いが伝わって来て苦しい。


そして河野裕子に最期のときが訪れる。河野裕子の絶筆は深く心を打ってならない。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が


残り僅かな命の中で、これだけの歌を残したことはすばらしいと思う。
そして最期の歌の中にも、夫婦の情愛が眠っているようで、やはり心震えてならない。

短歌はわずか三十一文字。その中で互いの心を伝えあった夫婦の姿が、深く胸に沁みる。
一読に足る良質な夫婦の記録であろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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谷川俊太郎『自選 谷川俊太郎詩集』

2014-04-26 20:23:42 | NF・エッセイ・詩歌等

デビュー以来、半世紀を超えて人々に愛されつづけてきた谷川俊太郎(一九三一‐)の二千数百におよぶ全詩から、作者自身が一七三篇を精選。わらべうたから実験的な長編詩まで、のびやかで、リズム感あふれる言葉がここちよい谷川俊太郎のエッセンス。
出版社:岩波書店(岩波文庫)




谷川俊太郎の詩をまとめて読むのは初めてだ。
本作は初期から近作までが収録されており、詩人のたどった軌跡を追うことができる。それが何よりも良い。

教科書にも採用されがちな初期の作風から、物語性さえ感じさせる詩、実験的な詩、子供向けの詩など、それぞれに違った味わいがあってユニークだ。
個人的にはひらがな詩が好きだが、それ以外の作品ももちろんすてきである。



まずはデビュー作の『ネロ』。

失われてしまった愛犬への哀惜がにじみ出ていて胸に沁みる詩だ。
長く生きている者は、早く亡くなった者より多くのものを経験し、知っていく。
見ようによってはそれは理不尽なことだろう。

だがそれでも生きている者は新しい季節を迎え、生き、新しいことを知っていくし、そうせざるをえないし、しなければいけない。
生きていくことの意味を考えさせてくれる。
十代の若者が書いたと思えないほど老成してているが、同時に若さも見えるすばらしい作品だ。



『ののはな』『かっぱ』『ほっとけ』などの、『ことばあそびうた』『ことばあそびうた また』に所収の作品群もおもしろい。

中身はほとんどないのだが、ひらがなで書かれることで、文章の意味が捉えられなくなるところが楽しい。
それに読んでいても、漢字がないだけでここまで目が滑るものかと教えてくれる。
ことばあそびうた、と命名するだけあり、リズムがあるのも良かった。



子供向けという点では、『わらべうた』『わらべうた 続』所収の作品群もすてきだ。

たとえば『わかんない』。
「わかんなくても/みかんがあるさ」とか「わかんなくても/やかんがあるさ」なんかは、なぜそっちに? と一瞬でも思わせるところが特に良かった。

『ふつうのおとこ』もすばらしい。
のんびりしたどこか哀愁も感じさせる作品と思ったら、最後でぞくりとさせられる。



さて、本作の白眉はまちがいなく『あなた』である。
個人的には谷川俊太郎の最高傑作と思う。

同じ姿形をしても、人は他人の世界を覗き見ることはできない。
同じ空間を共有し、近くにいてさえ、決して心が一つになるわけでもない。
そこには限りないくらいに深い断絶がある。
たとえ愛していてさえ、その溝を越えることはできない。そしてぶつかることもある。
しかしその間にさえ、愛が生まれることがある。

そういった事実を静かに訴えているように見える。
そこには限りないまでの生の美しさが感じられて、深く深く胸に響いた。



そのほかもいちいち感想は書けないがすてきな詩ばかりだ。
羅列になるが、気に入った作品は以下の通りになる。

『24(何気なくうつってゆく)』、『ビリイ・ザ・キッド』、『生きる』、『ポエムアイ』、『生長』、『うそとほんと』、『乞食』、『美しい夏の朝に』、『鳥羽1』、『これが私の優しさです』、『午の食事』、『ここ』、『ほほえみ』、『ほほえみの意味』、『父親は』、『風』、『明日』、『ぼくは言う』、『陽炎』、『たんぽぽのはなの さくたびに』、『にじ』、『きみ』、『はな』、『わらう』、『夕焼け』、『ひこうき』、『おに』、『ケトルドラム奏者』、『死と炎』、『十二月』、『現世での最後の一歩』、『ああ』、『あのひとが来て』、『願い』、『いや』
などが良い。


谷川俊太郎という詩人のイメージのすばらしさを感じさせる詩集だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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小林秀雄『モオツァルト・無常という事』

2014-04-07 20:12:44 | NF・エッセイ・詩歌等

小林批評美学の集大成であり、批評という形式にひそむあらゆる可能性を提示する「モオツァルト」、自らの宿命のかなしい主調音を奏でて近代日本の散文中最高の達成をなした戦時中の連作「無常という事」など6編、骨董という常にそれを玩弄するものを全人的に験さずにはおかない狂気と平常心の入りまじった世界の機微にふれた「真贋」など8編、ほか「蘇我馬子の墓」を収録する。
出版社:新潮社(新潮文庫)




坂口安吾は『教祖の文学』で、小林秀雄を以下のように評していた。

「小林に曖昧さを弄ぶ性癖があり、気のきいた表現に自ら思いこんで取り澄している態度が根柢にある」
「彼の文学上の観念の曖昧さを彼自身それに就いて疑わしいものがないということで支えてきた這般の奥義を物語っている。全くこれは小林流の奥義なのである」
「つまり教祖は独創家、創作家ではないのである。教祖は本質的に鑑定人だ」
「彼は見えすぎる目で見て、鑑定したままを書くだけだ」

読み終えたときには、何となくそういった安吾の意見も理解できるのだ。
特に「曖昧さ」というところに共感する。


小林秀雄は内容自体はおもしろい。
取り上げるエピソードは目を引くし、文章も美しいため、さくさくと読み進めることができる。

しかし全体を通して見たとき、結局何が言いたいのかがわからないのだ。
僕の頭の悪さもあるが、それで? という結論しか見えず、曖昧模糊と感じる。
そのためおもしろいのだけど、読み終えた後は戸惑うことが多い。



たとえば『モオツァルト』。

モーツァルトが天才的で、自由な感性のまま曲を書いていることはよくわかる。
それを伝えるエピソードも豊富で、どれもなかなかおもしろい。はっとするものもある。

だが全体を通して見えてくるのは、自由でどこか子供じみたところのあるモーツァルト像でしかないのだ。
そこから曲の持つ自由闊達な雰囲気は伝わるのだが、それで?としか思えないのである。
すべては結論らしい結論をちゃんと書いてくれないことが原因なのだろう。
それがどうにももどかしい。

しかし内容自体はおもしろいから、どう評価していいのかに困ってしまう。

理屈で考えがちな理系の僕としては、少し苦手かもしれない。
おもしろいのだけど、ふしぎな作家だな、と感じる次第だ。



そのほかにも小林秀雄の個性を感じさせる作品が多い。


『当麻』
意図しての美の表現ではなく、行為することによって生まれる情感というものがある。
たとえ仮面をかぶっていても、そこから伝わる何かがある、ということか。
「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない」という有名な文句からも伝わるが、そこに存在して、行為すること自体が美しいと感じる瞬間はあるのだろう。


『無常という事』
「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」とあるけれど、それが過去に対する追慕にもなっている。
過去は動じない美しい形しか現れぬとも言うが、それが現在生きている人間とは違うのは、そこにあらゆる感情や状況によって左右されるものが紛れ込まないかららしい。
はっきり言ってわかるようで、わからない言説だな、と思うのだが、ふしぎと心に響いた。


『西行』
この中で描かれる西行像はどこか近代人の影さえ見えるような気がする。
「如何にして己れを知ろうか」と考え、悲しみに向き合った西行の姿はまさに自我に苦悶する近代人のそれであると言っていい。
そこから新しい歌が生まれたとする見方はなかなか新鮮である。


『実朝』
青年の天才性と苦悩する姿が浮かぶようで、なかなかおもしろい。


『蘇我馬子の墓』
武内宿禰や聖徳太子のエピソードなどは楽しかった。
要するところ、歴史に思いをはせる話で、必ずしも蘇我馬子の墓を起点にする必要もない気がするのだが、エピソードの着眼点などもあって飽きずに読めた。

評価:★★★(満点は★★★★★)
コメント (2)

『バガヴァッド・ギーター』

2014-02-25 21:02:20 | NF・エッセイ・詩歌等

インド古典中もっとも有名な本書はヒンドゥー教が世界に誇る珠玉の聖典であり、古来宗派を超えて愛誦されてきた。表題は「神の歌」の意。ひとは社会人たることを放棄することなく現世の義務を果たしつつも窮極の境地に達することが可能である、と説く。サンスクリット原典による読みやすい新訳に懇切な注と解説をくわえた。
上村勝彦 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)




ヒンドゥー教に関する知識はほとんどない。
そのため理解の追いつかない部分がいくつか見られた。

特にまえがきの叙事詩の梗概は、途中からまったくわからなくなる。
人物相関が複雑すぎだ。

そのほか、クリシュナはアルジュナのいとこなのに、当たり前のように絶対神として対している点など、微妙に引っかかる点もある。教義的に知らないことが多く、やや混乱した。
訳注が煩雑だった点も少しつらい。

だがその分、新しく知る部分も多かった。


個人的に目を引いたのは、ヒンドゥー教と仏教との親和性である。
物質の接触などは無常である、ってところや、あらゆるところに執着してはいけない、っていうところなどは、仏教と同じで、目を引く。

だが当然ながら、大きく違う部分も見られる。
素人なので直感でしか言えないが、いわゆる梵我一如に対する姿勢は、ヒンドゥーと仏教ではまったく違うと感じた。

ヒンドゥー教では、我(アートマン)がブラフマンを希求することで一体化することを目指している。
だが仏教は、我を消失させることで梵の境地に至るっていう風に見えた。

ともあれ考え方の違いがよく見えて興味深い。


内容を自分なりの言葉で要約するならば、以下のようになろう。

行為を成すときは結果を求めず、結果に対する期待などを放擲し、無償の気持ちで自分の階級の義務のため行動しなさい。
そして欲望に支配されることなく、あらゆるものに執着することなく、自分を律し、絶対者であるクリシュナに専心していきなさい、といったところか。

そこにあるのは自己(アートマン)によって自己を考察し、自己を支配して行動していくことの薦めと言える。

そのための修養の一つ、プラーナ気とアパーナ気の制御などは文字通りヨーガの呼吸法めいているし、瞑想を推奨する文章などはインドっぽいなと感じた。
またバラモン、クシャトリヤなど階級によって生じる要素が配分されている、と説くところはカースト制の残るインドの考え方と思う。

そういった諸々の知らない内容は知的好奇心を煽られた。


中身は初心者向けとは言えず、読むのはちょっと難儀だったことは否定しない。
しかしそれだけに、非常に意味のある読書体験ができたと感じた次第である。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』

2013-12-08 20:16:45 | NF・エッセイ・詩歌等

「生まれて初めて触ったお金には、魚のウロコや血がついていたのを覚えている」―お金の無い地獄を味わった子どもの頃。お金を稼げば「自由」を手に入れられることを知った駆け出し時代。やがて待ち受ける「ギャンブル」という名の地獄。「お金」という存在と闘い続けて、やがて見えてきたものとは…。「お金」と「働く事」の真実が分かる珠玉の人生論。TVドラマ化もされた感動のベストセラー、遂に文庫化。
出版社:角川書店(角川文庫)




お金をメインテーマに据えた自伝といった作品だろうか。
西原理恵子の作品はいろいろ読んでいるので、知っているエピソードは多いのだが、あらためて読むと、この作家はすごい人生を送ってきたものだな、と思う。

その人生とお金に苦労した経験がかなりハードなためか、彼女のお金に対する思いと執着はかなり強い。
そしてそれゆえに、ぐいと心に踏み込んでくるものがあった。



作者の実家は貧困家庭である。
実父は呑んだくれで、義父はギャンブル狂。典型的なろくでもない家庭だ。
母親も貧しいために心に余裕がなく、怒ってばかり。
周囲の同級生もお金がなくて、親からの暴力を受けたりし、非行に走っている。
子供が生きるにはかなりきつい環境だ。

そして貧困は連鎖しやすく、そういう家庭に生まれた子供はまた貧困に陥ってしまう。
その状況をかなり克明に描いているので、強い説得力がある。
貧困家庭から逃れたいと思っても、逃れられない子がいるという事実は、想像以上に重い。

こういう話を読むと、自分がどれほど恵まれていたかということを知らされる。


作者はそんな状況から逃れようと、上京し、そこで雑誌の絵の仕事を始める。
西原理恵子は確かに決して絵が上手とは言えない。
その事実を上京して目の前に突きつけられることとなる。彼女としてもかなりつらかったことだろう。

しかし彼女はそこから最下位には最下位の戦いがあると開き直って、勝負していく。それがすごい。
こういう状況に置かれたら、つぶれていく人も多いと思うが、西原理恵子はさすがに違う。

そんなマイナスの状況から戦えるのは、やはり貧困の連鎖に入りたくないという恐怖心が強かったのかもな、などと思ってしまう。

もちろん編集の要求を組み取り、がむしゃらに取り組んでいくアグレッシブさと、人に受けるものを判断し表現する才能もあったればこそ、彼女も今の位置まで来られたのだろうが。



貧しさから抜け出してからの、アジアの子供たちに関する話も興味深く読んだ。
ここにもまた貧困の連鎖があり、読んでいてもかなりつらい。
しかしそこにあるものも現実なのだろう。

西原も自分の過去と重ねているためか、それらのエピソードには力がこもっている。
貧しさというものは、考えることを放棄することにもつながっていくというのはかなりリアリティがあった。
こういう現実もこの世界にはあるらしい。世の中にはいろいろな世界がある。

そしてそれらの話を読んでいると貧困を避けることの意味を強く考えさせられる。


本書はルビの多さや、語りかけるような口調からして、子供向けに書かれたものだろう。
実際子供が読めばきっと何かを思うはずだ。そして大人が読んでも、胸に迫るものがある。
作者の実感と強い思いと、この世界に確実に存在する現実を強く見せつける作品だった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『論語』

2013-09-04 05:27:22 | NF・エッセイ・詩歌等

古代中国の大古典「四書」のひとつで、孔子とその弟子たちの言行を集録したもの。人間として守るべきまた行うべき、しごく当り前のことが簡潔な言葉で記されている。長年にわたって親しまれてきた岩波文庫版『論語』がさらに読みやすくなった改訂新版。
金谷治 訳注
出版社:岩波書店(岩波文庫)




『論語』は言わずと知れた古典であり、名言の宝庫でもある。

「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや」
「巧言令色、鮮なし仁」
「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」
「故きを温めて新しきを知る」
「義を見て為ざるは、勇なきなり」
「行くに径に由らず」
「後生畏るべし」
「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」
「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし」
「己れの欲せざるを所は人に施すこと勿かれ」
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う」

あたりは有名だろう。



今回そんな有名な古典を初めて読んでみたのだが、はしがきにもあるように、確かに内容的には古いと思う。

特に『論語』は儒教の経典としても使われていたので、儒教的な価値観などはそこかしこに見られる。
一言で言うならば、目上や年上の人を敬え、ということだろう。

たとえば、父親が死んだら、三年は父親のやり方を改めるな、と孔子は言う。
悪いところは都度改めろよ、と僕は思うのだけど、儒教的にそれはアウトらしい。実に不合理な話だと僕は思う。

また、父親がずるをしたので、息子が正直にそのことを報告したと孔子が知ると、子は父のためにそのことを隠せ、とも言っている。
法治国家で暮らした身としては、それはただの身びいきにしか見えず、ないわ、と思わずつぶやいてしまった。

ほかにも商業蔑視としか見えないところや、女性蔑視的な考えも見られ、これは古いな、と思う点はいくつかあった。
それに儀礼的にもうるさく、どうにも考え方が窮屈だ。



しかしそういった古臭い考えは、見方を変えると、謙虚でありなさい、ということを訴えているようにも見える。
それだけに我が身を省みる面はいくつか見られる。


「吾れ日に三たび吾が身を省る」ってところは、結構好きだ。
「人のために心から考えてあげてまごころからできなかったのではないか。友だちと交際して誠実でなかったのではないか。よくおさらいもしないことを受けうりで人に教えたのではないか」(人の為めに謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか)
ってところはちょっと耳が痛い。


「まずその言おうとすることを実行してから、あとでものをいうことだ」(先ず其の言を行ない、而して後にこれに従う)
「自分を認めてくれる人がいないことを気にかけないで、認められるだけのことをしようとつとめることだ」(己れを知ること莫きを患えず、知らるべきことを為すを求む)

といった不言実行を勧めるところや、

「わが身が正しければ、命令しなくとも行なわれるが、わが身が正しくなければ、命令したところで従われない」(其の身正しければ、令せざれども行なわる。其の身正しからざれば、令すと雖も従わず)
「君子は自分に反省して求めるが、小人は他人に求める」(君子は諸れを己れに求む。小人は諸れを人に求む)

といったあくまで謙虚さを勧めるところも好きである。


ほかにも
「利益ばかりにもたれて行動していると、怨まれることが多い」(利に放りて行なえば、怨み多し)
「学んでも考えなければ、ものごとははっきりしない。考えても学ばなければ、独断におちいって危険である」(学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆うし)

ってあたりは人生訓めいておもしろく、

「大軍でもその総大将を奪い取ることはできるが、一人の男でも、その志しを奪い取ることはできない」(三軍も帥を奪うべきなり。匹夫も志しを奪うべからざるなり)

ってあたりは無駄に格好良くて少し笑う。


また孔子は弟子のことをよく観察しており、その人間評もおもしろい。
また、自分たちのやっていることを「だめなのを知りながらやっている方ですな」と門番からからかわれるところなどは、自虐的でおかしかった。

それに
「知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということである」(これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。これ知るなり)

はソクラテスの無知の知に通じる面もあり、西洋と東洋の共通性にも思いを致す。


成立が紀元前ということもあり、確かに現代では合わない部分もある。
しかしいくつかの文章は目を引き、現代でも通じる内容は多い。
一度通読するに足る、『論語』はそんな古典だと思った次第だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『百人一首(全) ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』

2013-04-26 20:40:58 | NF・エッセイ・詩歌等

かるた遊びとして広まり、誰でも1つや2つの歌はおぼえている「百人一首」。すべての歌の意味、どんなところが優れているのか、そして歌人たちはどんな人だったのか―。天智天皇、紫式部、清少納言、西行、藤原定家、後鳥羽院ほか、日本文化のスターたちが一人一首で繰り広げる名歌の競演がこの1冊ですべてわかる!歌には現代仮名でも読みを付け、コラムには歌の技法や歌を作る場、現代につながる文化など、楽しい話題も満載。
谷知子 編
出版社:角川書店(角川ソフィア文庫)




百人一首は知っているし、一通りどんな歌があるかは聞いたことはあるけれど、通しでしっかりと読むのは初めてだ。
そんな初心者にとって、ビギナーズ・クラシックスは最適の入門書だな、と感じた。

とにかく解説が丁寧で、わかりやすいからだ。

言葉の意味はもちろんのこと、その作品が生まれた背景、そして作者の人となりも解説してくれて、勉強になることばかり。
特に歌の背景や、その人の人生などを読んでいると、表面からはうかがい知れない、歌の奥深さに気づかされ、目の見開かれる思いがした。
いい買い物をしたと心から思う次第だ。


歌の内容も、それぞれ味わい深く心に残る。
一つ一つは書けないので、好きな歌を五個選び、それの感想を書くこととする。



一二  天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ
僧正遍昭

解説にもある通り、ケレン味たっぷりではあるけれど、ロマンチックで僕は好きだ。
天女が空を舞いながら遊んでいるイメージが湧いてくるようで、その鮮やかなまでの幻想性が胸を打つ。



一四  陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに
河原左大臣

i音の連続から、ふしぎなリズムが生まれているのが何より良い。
そのリズミカルな音感から、心乱れていく様子がひしひしと伝わり、忘れがたいものがある。



三三  ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
紀友則

あまりに有名な歌だけど、人口に膾炙されるだけあって、すばらしい歌。
春のうららかな太陽の下、果てなく散り続ける桜の風景が目に浮かび、その美しいイメージに心奪われる。



六六  もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし
前大僧正行尊

字義通りに読むなら、センチメンタルな歌で、その雰囲気がまず心に残る。
しかしそんな感傷的な感慨の中には、悲壮感も漂っているようで、その凄みが心に刺さる。



九七  来ぬ人をまつ帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ
権中納言定家

夕なぎと言い、焼く藻塩と言い、赤い風景でまとめていて、恋の情念がにじみ出るかのよう。
その色彩感覚と、思いの激しさがすごくもあり、どこかこわくもあった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『名短篇、ここにあり』

2013-04-03 20:47:57 | NF・エッセイ・詩歌等

本の目利き二人の議論沸騰し、迷い、悩み、選び抜かれたとっておきのお薦め短篇12篇。半村良「となりの宇宙人」、黒井千次「冷たい仕事」、小松左京「むかしばなし」、城山三郎「隠し芸の男」、吉村昭「少女架刑」、吉行淳之介「あしたの夕刊」、山口瞳「穴」、多岐川恭「網」、戸板康二「少年探偵」など、意外な作家の意外な逸品、胸に残る名作をお楽しみ下さい。文庫オリジナル。
北村薫、宮部みゆき 編
出版社:筑摩書房(ちくま文庫)




名短編と呼んでいいのか、判断には迷うが、それなりに質のそろった短編集である。
抜きん出ておもしろいものもないのだが、かと言ってつまらないものもない。安定して楽しめる作品集といったところだろうか。
何より普段読まない作家の作品を知れたのは良い体験だった。


井上靖『考える人』が、本作中では一番良かった。

即身仏に引かれた作家が、それをめぐる旅をするというものである。その過程で、遠い土地で見た即身仏の男の一生に思いを馳せていく。
その展開がなかなかおもしろかった。

作家や友人たちの考えた話が、弘海の人生の真実を突いているかはわからない。
しかしそれが事実かは別としても、修行がつらく、慈善事業に励みながらも、即身仏にならざるをえないプレッシャーの中生きた姿に思いを馳せるところは印象に残った。

何より最後の、主従を済度するどころではなく、木乃伊にならなければ生きられなかった自分について考えざるをえなかった、というところに人間の真実を見る思いがする。
人間はどこまでも弱く、強欲な生き物だ。そして生にすがらざるをえない生き物でもある。
そんな人間の姿が、余韻を残す作品である。


吉村昭『少女架刑』もすばらしい作品だった。

遺体解剖に供出された少女を、死んだ少女の視点から描いた作品である。
何と言っても目を引くのが、遺体がものとして切り刻まれていく姿を懇切丁寧に描いていることだろう。その生々しいまでの解剖の描写はとにかくすごい。

それでいて、どこか透徹した雰囲気があるのも良かった。
主人公の少女は、親からは愛されず、死後も体を切り刻まれているわけで、それは見ようによってはむごいことだ。
しかしそこに悲しみといったものはなく、淡々としているところが心に響いた。
ラストの骨の砕ける音の余韻もすばらしかったと思う。


そのほかの作品もなかなか楽しめる。

半村良『となりの宇宙人』
みんなが宇宙人を受け入れる流れは良かった。
のんびりした展開が笑えるし、雰囲気自体も楽しくてよい。

黒井千次『冷たい仕事』
冷蔵庫の霜取りをする。ただそれだけなのに、変てこな友情っぽくておかしかった。

小松左京『むかしばなし』
「むかしばなし」というタイトルにふさわしい作品。オチは利いている。

城山三郎『隠し芸の男』
哀愁漂う感じがいい。
監査役もなかなか意地が悪いが、たぶん拒絶されたことに対する腹いせもあるのだろう。
そう考えると、人間の感情のもつれやずれが、にじみ出た作品とも感じられた。

戸坂康二『少年探偵』
探偵ものらしく、よく練られた構成で感心する。
伏線を張って名推理を披露するところは単純に上手かった。

松本清張『誤訳』
対談で編者が話していたほど、美しいものとは思えなかった。
世界的な詩人でも奥さんの前では形無し。この状況を言い換えるのならそういうことだろう。
訳者はその点に、詩人としては尊敬しても、人間としても失望したからでは、とも思えた。
その解釈はともあれ、多様な読みが可能な一品。

円地文子『鬼』
円地文子だけあり、六条御息所って感じの話である。
母と子のある種の心のもつれがうかがえるようで、それが心に残った。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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『告白』 チャールズ・R・ジェンキンス

2013-01-06 21:46:27 | NF・エッセイ・詩歌等

私もあきらめていた――娘たちはやがて工作員になり、数年後には二度と会えなくなるかもしれない。そしてひとみと私は二十年近くそうしてきたように、変わりばえがしない日々を送っていくのだ。そして北朝鮮で死ぬ。それは百パーセント確実だった……。二〇〇二年九月十七日になるまでは。(本文より) 北朝鮮からの帰還者として初めて長い沈黙を破った衝撃の手記。待望の文庫版。
伊藤真 訳
出版社:角川書店(角川文庫)




去年の秋に、両親が佐渡島に行った。その際、本書を買って、著者のジェンキンスさんからサインをもらったとのことである。
そのせいか、実家に帰省したとき父から、読め、読め、と盛んに本書を勧められた。

多分そういう機会がなければ、本書を手に取ることはなかっただろう。
人と同様、本との出会いも一期一会である。


さて、肝心の中身だが、手に取る前に想像していた以上に興味深い内容だった。
それはひとえに、北朝鮮での生活があまりに過酷だという一点に尽きるだろう。それが何よりも目を引く。

著者のジェンキンス氏はベトナムへの派兵を恐れ、それから逃れるため、駐留していた韓国領内から非武装地帯を越えて北朝鮮へと渡る。
彼としては、北朝鮮からソ連に引き渡され、人道的措置によりアメリカに帰れるだろうと目算を立てた上での行動だ。

確かに、東ドイツでならば、それは通用したことだろう。
ただし、当時はわからなかったのも仕方ないけれど、北朝鮮ではそんな常識的なことは通用しないのである。
そうして彼は、北朝鮮という国家的牢獄の中に四十年も閉じ込められることとなる。


北朝鮮で一番過酷なことは何と言っても貧困だ。
外国人の暮らしは北朝鮮内ではマシだが、世界的に見れば、話にならないほどヒドい。

電気は止まるし、石炭を使っての暖房設備はどう見たって大変そうだ。
食糧も配給の米には石が混じっていたり、卵が腐っていたり、とマトモではない。
そのせいか、国内では盗みも盛んで、学校のものが盗まれないよう、児童が見張りに立つとのことらしい。

その貧困から生まれる腐敗が底知れず、ただただ唖然としてしまう。
話には聞いていたけれど本当にひどい国だ。


また北朝鮮は監視社会で、盗聴などは当たり前のように成されていたらしい。
たとえば逃亡米兵のみが集められていた場所で、盗聴器が見つかるなんてことは当たり前であるらしい。
日本に暮らす身としては、信じられない気持ちになる。

そういった環境もあってか、同じ米兵同士でも対立することがある。
たとえば、幹部の歓心を買うため、相手を売ることも辞さないし、あえて敵対することもあったりする。

それは確かに現実的に起こりえることだろう。
そしてそう思うだけに、暗澹たる思いに駆られてしまう。

その他にも、北朝鮮の感性にはおかしい部分が多い。
妊娠できない朝鮮人女性を、元米兵の妻にあてがうところは異様と思うし、曽我ひとみさんが拉致されたときのアサリに関するエピソードも、どう見たって異常である。


そんな中で救いは、彼が曽我ひとみさんと出会い、二人の娘に恵まれたことだろう。
おやすみ、と、グッドナイト、のエピソードには囚われの身となった者同士の絆が感じられるし、北朝鮮を出るときは、何よりもまず娘のことを案じている。

北朝鮮での暮らしを嫌悪しながらも、自ら進んで全否定しないと、著者は語っているが、それは本心から出た言葉なのだろう。
どんな悲惨な中でも、愛する者にめぐり合えたことは数少ない幸運であるらしい。


ともあれ、かの国の生々しい状況と、国家の暴力により個人が翻弄されていく姿には茫然とならざるをえない。
著者の北朝鮮に対する怒りと、家族に対する愛情が感じられ、忘れがたい一品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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