大阪の街中へわての花のれんを幾つも幾つも仕掛けたいのや――細腕一本でみごとな寄席を作りあげた浪花女のど根性の生涯を描く。
出版社:新潮社(新潮文庫)
吉本興業の創業者、吉本せいをモデルにした小説とのことらしい。
現実とのリンクはどの程度かはわかりかねるけれど、少なくともこの小説の主人公、多加はバイタリティに溢れ、経営者としての才覚もある、優れた女主人だった。
そんなキャラクターの存在感がまず心に残る作品である。
多加の夫の吉三郎は非常に頼りない男だ。
ツケが払えないと、現実から目をそむけるようにして、店を抜け出し、放蕩三昧をくり返す。
その姿は典型的なボンボンで、何もできず、責任回避する姿は、さながら子どものようだ。
その上、最期は愛人宅での腹上死だから手のつけようもない。
多加も大変だったことだろう。
そんな中で、多加は夫になり変わり、店の切り盛りをすることとなる。
夫の好きな芸能を商売にしようと提案し、ガマ口という有能な男を使って、商売を軌道に乗せていく辺りはさすがと言うほかない、商売の才覚にあふれている。
とは言え、それも地道な積み重ねの上に成り立っていることは否定できない。
借金のために、風呂の時間を変えたり、師匠に寄席に出てもらうため、便所のそばに待機して五円札を配って歩くところなどは、本当に苦労がにじみ出ている。
この時代、女性だけで、商売を成功させるのは難儀だったのかもしれない。
だけどこの人の本当にすごいと思う点は、将来に向けて、金をばらまくことをいとわないことにあると思うのだ。
多加自身は爪に火を点すような生活なのだけど、徹頭徹尾ケチなわけではなく、投資するときはぽんと投資する。
しかも、そのタイミングをまちがえないところは驚くばかりだ。
安来節のときなんかの思い切った行動などはすごいというほかない。
それに関東大震災のときも、彼女は行動力はあった。
そこには打算もあったろうが、必ずしも欲得ずくばかりとも思えないのである。
彼女の商売は、運にも恵まれていたが、運を引き寄せたのは、そんな多加の行動力と肝っ玉のたまものではないかと思う。
だがそんな人だから、商売以外の部分はあまり幸運とも言えない気もする。
旦那はあんな感じだったし、未亡人となってからは伊藤という男に恋心を寄せるけれど、それも押し隠すばかり。
商売を貫くためと言えばそうだが、それは本当に幸せだったのだろうか、と少し考えてしまう。
しかし少なくとも悔いはないのだろうな、という気もしなくはない。
それだけ彼女は一生を突っ走っていたのだ。
白装束に身を包んでの葬儀、つまり寡婦として生きていくという結果的な決意表明は、ある意味必然的なできごとだったのかもしれない。
ともあれ、一人の女の一生をパワフルに描いている見事な作品だった。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
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