私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『創世記』感想

2024-06-11 21:27:55 | 本(人文系)
久しぶりに聖書を読み直すことにしたので、文章としてなるべくまとめていきたい。


さて最初は『創世記』である。
以前読んだときも感じたが、今の倫理観で『創世記』を読むとなかなかきつい。

ロトの娘が父と近親相姦に及ぶ場面は軽く引くし、アブラハムがイサクをささげる場面では、なぜ試すようなことをするのかと腹立たしくなる。
リベカとヤコブの計略はあまりに身勝手でどん引きするし、これではあまりにエサウが気の毒だ。
また自分に子どもができないからと召使と夫を結ばせるラケルの選択は理解できず、シケムに対するヤコブの息子たちの報復も過剰すぎてちょっと怖い。
夢を読み解いたのにヨセフのことを忘れる給仕役も恩知らずで苦笑するし、冷たく扱った兄たちに対してヨセフが嫌がらせのような行動を取る様には嫌悪感を抱く。

それら疑問に思った点に関して、いろいろな教会の説教を検索したが、基本的にどこも善意の解釈を行なっていてもやもやする。非キリスト者の私としては納得しがたい。


そしてその納得しがたいという感情こそ、この場合は正しいのではないかと思えてならないのだ。

『創世記』は今の時代には合わず、その世界から善意で何かを読み取らなくても良い。
乱暴な意見かもしれないが、この感想こそ私にはもっともしっくり来る。

むしろこれは、当時の倫理観と価値観を記録した歴史的資料と見ればそれで良いのではないかと思うのだ。
当時の一神教的世界に生きていた者たちは、独善的で自分たちが選ばれた民と思い込み、女性を物のように扱っていた。
それを現在の価値観で断罪するのではなく、無理に好意的に解釈するのではなく、それをそのまま受け入れる。
その価値観の延長が今のパレスチナ問題の独善的行動と結びついているのだけど、『創世記』自体の価値観は『創世記』自体の価値観として、切り離して考えるしかない。

それが独りよがりな私の『創世記』の読み方である。


さて、そんな『創世記』で個人的に目を引いたのは、以下の文章だ。

「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある」(3章22節)。

これは人間への戒めの言葉でもあるのだろうが、同時に神を脅かす人間の可能性を神の口から語らせた言葉と感じた。

キリスト教的倫理観からすれば、この節から、神の分を越えず謙虚にあれという説教を導くのだろう。
しかし非キリスト者の私は、そこに反逆児の姿を見るようで少しく小気味よさを感じるのである。


過去の感想
 『聖書(旧約聖書) 新共同訳』
 『聖書(新約聖書) 新共同訳』
 『創世記』
 『出エジプト記』
 『民数記』

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