私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『あのころはフリードリヒがいた』 ハンス・ペーター・リヒター

2012-10-28 21:43:17 | 小説(児童文学)

ヒトラー政権下のドイツ,人々は徐々に反ユダヤの嵐にまきこまれていった,子どもたちさえも…その時代に生き,そして死んでいったユダヤ少年フリードリヒの悲劇の日々を克明に描く.
上田真而子 訳
出版社:岩波書店(岩波少年文庫)




僕が中学のころ、国語の教科書に『ベンチ』という作品が載っていた。
内容としては以下の通りだ。

一人の少年が少女と出会い、親しくなり、やがてデートをする。
そのとき少女はベンチに腰を下ろすのだが、少女がいくら薦めても少年はベンチに座らない。それを見た少女は立ち上がり、ユダヤ人専用のベンチに移動し腰を下ろす。少年は衝撃を受け、気が気でないが、少女はユダヤ人と親しくなっても平気だという態度を取る。
その後少女は少年と次のデートの約束をするが、少年はその約束を悩んだ末にすっぽかしてしまう。それは自分と親しくしているのを誰かに見られたら、彼女が収容所に送られてしまう、と思った末のことであった。

90年代前半に中学生だった人の何割かは知っているだろう。
ナチスによるユダヤ人迫害の悲劇と、少女の勇気を示していて印象的な作品である。


本作は、そんな『ベンチ』をはじめとした一連のフリードリヒの話が収められている。
読んでいると、そこにある悲劇の大きさと、日常にさりげなく侵入してくる差別の理不尽さに呆然とさせられるばかりだ。

物語は1925年の「ぼく」とフリードリヒの誕生から描かれる。
幼いころの彼らの生活は、ごくごくありふれたものだ。
「ぼく」の家族は、フリードリヒらシュナイダー一家がユダヤ人だと知っても、特に態度を変えたりしない。
もちろんレッシュ氏のように、露骨にユダヤ人を蔑視する人間もいるけれど、一般の人は「ぼく」の家族同様、当たり前のようにユダヤ人と接し、ユダヤ人の店で買い物もする。

「ぼく」の観察力は非常に卓越している。
訳者あとがきにも記されているように、おそらく著者自身の体験によるものだからだろう。
細かな生活の描写は非常にリアルなのだ。特にユダヤ人の信仰や習慣に対する描き方は丁寧である。
それだけに臨場感をもって、物語を追えるのが良い。


だからこそ、1933年にナチスが政権を取ってからの、ユダヤ人排斥がよりいっそう生々しく映るのだ。

そこにはいろんな人たちが登場する。
ユダヤ人は災いのもと、という言葉を平気で口にする人。
ユダヤ人という理由で、窓を割ったのはおまえだろう、と責める人。
ユダヤ人という理由で、借家を出て行け、と言う人、などなどだ。
そしてシュナイダーさんは、ユダヤ人という理由で、仕事をクビになっている。
それは本当に理不尽な話だ。

だけどこれほどの理不尽ですら、後からふり返ると、まだマシな部類だったのだ、と気づかされる。
実際その当時は、裁判官もユダヤ人相手であれ、公正に判決を下している。
ユダヤ人という理由で、学校を追い出されるフリードリヒのために、ユダヤ人の弁護をする先生もいる。
当時は、まだ良識を持ち、それを行動にあらわす人だっていたのだ。

だけど全体の空気は、そんな正義を吹き飛ばすかのように、ユダヤ人を排斥する方向へと流れていく。
特に印象的なのは、ユダヤ人をかばう、という自然なふるまいすらできない空気が全体にはびこってくる点だろう。

たとえば「ぼく」の父親は不況の影響で職もなかったが、ナチスの党員になったおかげで、職につくことができている。
そこにあるのは主義主張ではなく、ただの打算だ。
でもそれがために、ユダヤ人排斥には沈黙せざるを得ないのだ。
「ぼく」の父に限らず、保身のため、ユダヤ人が排斥されても見て見ぬふりをした人もいるのだろう。

それは見ようによっては情けない話だが、そういう人は当時多かったのだと思う。
自分が彼らと同じ立場になったとき、それをしないと言い切れる自信がどれだけ持てるというのだろうか。

だからせいぜい、彼らにできることと言えば、今のうちにこの国を出て行った方がいいと、警告するくらいでしかない。
だがシュナイダーさんのように、祖国がドイツとなると、そう簡単に外国に出ていくことなどできないのだ。
彼らの基盤は、外国にはない。それに家族がいると、国を出ることなんて、簡単にできるものでもない。
困難が襲ってきたとき、それから逃れるのはいつだって容易ではない。


そしてユダヤ人差別は、やがて暴力的な排斥へと変わっていく。

特に心に残ったのは、『ポグロム』の章だ。
そこで「ぼく」は集団心理に乗せられ、見知らぬユダヤ人の家を徹底的に破壊する。
だがその暴力が、友人であるフリードリヒたちに向かったとき、「ぼく」はかなりの衝撃を受けることとなる。

彼らがユダヤ人を差別し、虐げるのは、相手のことを知らないからなのだろう。
知らないからとことん冷たくなり、踏みつけても心が痛まない。
そこにあるのは致命的なほどの想像力の欠如だ。
そしてそこからこのような蛮行が生まれる。

だけど悲しいことに、それこそ人間であり、今だってその構図に変わりない。
その事実がただ悲しい。


さて、ラストはある意味では、想像通りの結末が待っている。
読んでいる間も覚悟はしていたことだけど、やはり実際読むとただただ痛い。
唯一の救いはそれでも、フリードリヒをかばおうとする人が、「ぼく」ら以外にいたことだろうか。
だけどそれだって、大河をほんのちょっとかき乱すだけのむなしい行為でしかなく、やがては全体の空気に呑まれてしまう。
現実はかくのごとく苦いのかもしれない。


ともあれ、人間の愚かさと、人間が生み出した悲惨さについて思いを致す。
児童書の枠組みに収めておくのがもったいない、まぎれもない良書である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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あsdふぁsdfg (SSSハコスラ使い)
2015-07-06 18:58:43
とても言い文でした。参考になりました。ベンチはとても感動できるお話でしたwww
返信する
最初から痛い思いで拝読致しました… (daitetsuinferno)
2016-01-14 20:26:46
同世代の者です。(1980生)
本作品は娘(中一)の教科書で知りました。
(私は戦争のさくひんは、中一:大人になれなかった弟たちに・木琴(詩) 中二:亡骸(詩) 中三:ヒロシマ(詩)・パールハーバー戦記でした)
娘の教科書を見て興味を持ったのがきっかけで本を購入し拝読しました。
一つ判らないのがレッシュ氏の最後の一言です。
どんな思いで「こういう死に方ができたのは、コイツ(フリードリヒ)にとって幸せな事だ」という言葉が出たのでしょうか?
「警察に連行された父親やラビの方がもっと残酷な死に方をするだろう」という事でしょうか?
少なくとも、自分(フリードリヒ)を思うドイツ人がいる事を見ることができたからでしょうか?
レッシュ氏自身も、ユダヤ人に対しての迫害などを本当はよく思っていなかった、本当は優しくしてあげたかったのでしょうか…?
彼のシュナイダー家への態度が冷たかったが故に解りません…。
管理人様はどうお捉えになりますか?
お付き合い頂けたら幸甚です。
どうぞ宜しくお願い致します。
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Unknown (Unknown)
2016-08-14 15:19:59
とても感想文の参考になりました!👍
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