私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

中村文則『去年の冬、きみと別れ』

2015-12-14 21:25:00 | 小説(国内ミステリ等)
 
ライターの「僕」は、ある猟奇殺人事件の被告に面会に行く。彼は、二人の女性を殺した容疑で逮捕され、死刑判決を受けていた。調べを進めるほど、事件の異様さにのみ込まれていく「僕」。そもそも、彼はなぜ事件を起こしたのか?それは本当に殺人だったのか?何かを隠し続ける被告、男の人生を破滅に導いてしまう被告の姉、大切な誰かを失くした人たちが群がる人形師。それぞれの狂気が暴走し、真相は迷宮入りするかに思われた。だが―。日本と世界を震撼させた著者が紡ぐ、戦慄のミステリー!
出版社:幻冬舎




純文学ながら、ノワールミステリのような味わいがあっておもしろい作品だった。
ややつくりすぎの傾向もあるけれど、個人的には好きな小説である。


ライターの男が、犯罪者にノンフィクション執筆のため、話を聞きに行く。
物語自体は、最初至ってシンプルだ。だが途中から視点が微妙にずれていき、ミステリアスになっていく。その様には心惹かれた。

事件の構図が明らかになっていく過程には単純にワクワクさせられるのが良い。


この作品の人物は喪失感を抱えている人が多い。
それは親しい人の場合もあるが、人としての欠損を抱えている場合もある。

写真家の雄大などは後者に見えた。かといって、彼自身は悪人には見えない。ただ欲望がないだけであり、だからこそ、写真を通して何かを捉えようとしたのだろう。

姉の朱里の方はそんな弟を手助けする役割を結果的に担ったらしい。
朱里は言うなれば悪女である。ちょっとつくりものめいた悪女っぷりではあるし、「相手の本性をかき乱す」という割に、手応えがないのが残念だが、読んでいる分にはその悪女っぷりは印象的だ。
そしてそのコンビゆえに、共に破滅に至るのである。


結局、この作品で暴かれた欲望とは、人間の悪意ということにつきるだろう。
恋人を殺されたことで「化物」になることを選んだ復讐劇。それゆえに人としての倫理を踏み外したのは悲劇である。

もちろん復讐を選んだ彼にも、いろんな問題もあった。
指摘されたように恋人に対して打算の気持ちもあったのだろう。
しかしそこには愛があったのは確かだ。
そしてそれゆえに、彼は化け物になることを選択し、引き返さなかった。

その姿に、重く暗い、しかし哀切に満ちたものを見る思いがするのである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの中村文則作品感想
 『悪と仮面のルール』
 『王国』
 『銃』
 『掏摸』

天藤真『大誘拐』

2015-12-11 21:23:36 | 小説(国内ミステリ等)
 
刑務所の雑居房で知り合った戸並健次、秋葉正義、三宅平太の3人は、出所するや営利誘拐の下調べにかかる。狙うは紀州随一の大富豪、柳川家の当主とし子刀自。身代金も桁違い、破格ずくめの斬新な展開が無上の爽快感を呼ぶ、捧腹絶倒の大誘拐劇。天藤真がストーリーテラーの本領を十全に発揮し、映画化もされた第32回日本推理作家協会賞受賞作。
出版社:東京創元社(創元推理文庫)




何より、先に言いたいのは、本作は見事なまでのエンタテイメント小説だってことである。


広大な山林を所有する地方の地主を誘拐する。
ストーリーはまずそんな風にして始まる。非常にシンプルだ。

なのに、主導権を握るのは、誘拐犯ではなく、誘拐される側の柳川家の女当主という点がおもしろい。
しかもこの刀自がいちいち的確な助言と作戦を立てるから、痛快なのである。


何より刀自のキャラクターがいいのだ。

誘拐計画を逆手に取るぐらい大胆で、それを実行する計画を立てるほど賢く、慈善活動に励むなど慈悲深く、犯人の男気を見抜けば身を預けるほど腹が据わっており、自分の身代金を釣り上げるほどにプライドも高い。
なかなかかっこいいおばあさんだ。

そんな彼女だけに、多くの人が(恩を受けたってのもあるけど)彼女を慕っている。
その理由もよくわかるのだ。


さてそんな彼女のほぼ自作自演のような誘拐計画がどのように推移するのか、それが見どころなのだが、それも本当にすばらしかった。

まさに劇場型犯罪というべき内容で、大胆にテレビを駆使して、耳目を集めつつも、計画を遂行していく様には胸がすく思いがした。
この先、どう転がるだろう、と読んでいる間は、単純にわくわくすることができる。


それでいて、決して暗い気持にもさせず、明るく本を読み終えられた点はすばらしい。
それもこれも、基本的にこの小説に出てくる人物が、犯人も警察も、そのほかの人物も含めて、悪人がいないからだろう。

そんな小説世界の優しさも楽しんで読める要因だ。

本当に見事なまでの小説であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

麻耶雄嵩『木製の王子』

2015-12-01 20:48:01 | 小説(国内ミステリ等)
 
比叡山の麓に隠棲する白樫家で殺人事件が起きた。被害者は一族の若嫁・晃佳。犯人は生首をピアノの上に飾り、一族の証である指環を持ち去っていた。京都の出版社に勤める如月烏有の同僚・安城則定が所持する同じデザインの指輪との関係は?容疑者全員に分単位の緻密なアリバイが存在する傑作ミステリー。
出版社:講談社ノベルス




おもしろいか、おもしろくないか、で言ったならばおもしろい。
しかし人に薦めるか否かで言ったならば、薦めない。
本書の感想はそれだけで尽きるような気がする。

エンタテイメントとしては楽しいのだが、どうにもツッコミどころが多くて、萎えてしまうのだ。


萎えてしまうのは、設定の一語に尽きる。

もちろんこの手の作品はそういう点を気にしてもいけないけれど、殺人の動機のむちゃくちゃなところと、創り物っぽさが如実に出過ぎているのが、厄介だ。
こんなへんてこな宗教に、いくらカリスマがいたからと言ってついてくるだろうか、とか、死を救済と見なす論理を、信者だからと言って受け入れるだろうか、つうかカルトって言っておけば納得すると思うなよと疑問に思うのだ。

おかげでどうしても引いてみてしまう面があった。

それと晃佳殺しの推理で、あれほどパズル性を前面に出していたのに、真相がそれかよ、と思ってしまったのも、引いてしまった要因かもしれない。


しかし困ったことに、それなりにおもしろいのである。
真相はハチャメチャ。パズル性だって結局ないのに、不思議なけん引力でぐいぐいと読ませてしまう。
これはもはや作者の才能なのだろう。

何より、各章にときどき登場する、一見無関係な人たちの断片が、最後まで読み終えた後で、意味を持ってくるあたりは、ぞくりと来てしまった。
計算された小説である。


確かに、人に薦めるにはためらってしまう。
しかし読んでいる間、僕はこの小説を楽しんで読むことができた。
それだけで僕はもう十分に満足なのである。

評価:★★★(満点は★★★★★)

筒井康隆『ロートレック荘事件』

2015-09-20 09:29:53 | 小説(国内ミステリ等)
 
夏の終わり、郊外の瀟洒な洋館に将来を約束された青年たちと美貌の娘たちが集まった。ロートレックの作品に彩られ、優雅な数日間のバカンスが始まったかに見えたのだが……。二発の銃声が惨劇の始まりを告げた。一人また一人、美女が殺される。邸内の人間の犯行か? アリバイを持たぬ者は? 動機は? 推理小説史上初のトリックが読者を迷宮へと誘う。前人未到のメタ・ミステリー。
出版社:新潮社(新潮文庫)



ともかく上手い作品である。
非常に緻密な構成の下につくられていて感服するばかりだった。
そしてミステリの醍醐味である、だまされる快楽に存分にひたれる一冊である。


ネタばれなしで書き進むのは不可能なので、結末に触れつつ書いていきたい。

冒頭の文章の後、2章で視点が切り替わったとき、何となくぎこちなさを感じた。
そのため、ひょっとして叙述トリックなのではないかな、と気をつけながら、読み進めて行ったつもりである。

しかしそれでもこの展開には、まったく気づかないままに真相に至ってしまった。
同一人物と作中思われていた人物が、実は同一人物ではなかったとは思いもよらなかった。


そのミスリードを果たす上で、特に会話文の上手さは見事だ。
普通に読んでいると、二人だけの会話にも読めるのだが、ちゃんと三人での会話になるように計算して書いているのだから、恐れ入る。
そのほかにも、部屋の配置と言い、思い込みを見事に利用して描かれていて、感服する他にない。

それに章ごとの視点の移動もすばらしい。
こういう使い方で持って、読み手をだますことも可能だと知らされる。筒井康隆の天才性がうかがえるようだ。

ラストの真相のシーンを読んでいると、著者も相当神経をつかっていたことがよく伝わってくる。


ともあれ、驚きの体験を味わえる一冊だ。
丁寧な作者の仕事を賞賛したい。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの筒井康隆作品感想
 『懲戒の部屋 自選ホラー傑作集1』

小野不由美『残穢』

2015-09-11 09:15:34 | 小説(国内ミステリ等)
 
この家は、どこか可怪(おか)しい。転居したばかりの部屋で、何かが畳を擦る音が聞こえ、背後には気配が……。だから、人が居着かないのか。何の変哲もないマンションで起きる怪異現象を調べるうち、ある因縁が浮かび上がる。かつて、ここでむかえた最期とは。怨みを伴う死は「穢(けが)れ」となり、感染は拡大するというのだが――山本周五郎賞受賞、戦慄の傑作ドキュメンタリー・ホラー長編!
出版社:新潮社(新潮文庫)




ともかくこわい作品だった。
この作品については、その一語に尽きるだろう。
ホラー小説として生理的なこわさに訴えかけてくる点が目を見張る作品である。


小野不由美をモデルにしたと思われる作家を語り手としたドキュメンタリースタイルの作品である。
家の中で畳をするような音が聞こえるマンションの一室。その部屋の住民は、そのうち、そこで異様な黒い何かを目撃するようになる。
作家は、その音について調べて行くうちに似たような現象が同じマンションや、近くのアパートで見られることを発見していく。そういう話である。

異様な状況が、次々とつながっていく様は、得体の知れないだけに不気味である。そういった描写はすばらしい。


特に音に訴えてくるっていうのがこわい。
ちょっとした変な音ってのは家の中に住んでいれば聞こえるだけに、そこにこわい意味を与えられるとよけいにこわく感じる。

おかげで家の中で、ちょっとでも音が聞こえたら、真っ先に『残穢』を思い出すようになってしまった。
そう読み手の想像力をゆさぶるだけでも、本作は及第点の作品だろう。


そのほかにも赤ん坊が壁から出てくる描写や、黒い人影が見えるところなどはこわくてたまらない。
作家のところにかかってくる謎の電話も、理解できないだけに、不気味さを煽りたててくる。
そんな不可思議な現象が続く中、作家たちは、マンションが建つ周辺の過去を暴きたてて行く。
その過程に見えてくる風景の忌まわしさは何とも言えず、怖ろしい。

とは言え、それも最後の方では、中途半端な形で終わってしまった感はある。
だがそれは、不気味な現象とは、どう受けとめるかの問題だということを示しているのかもしれない。

ともあれ、生理的感覚に訴える描写は見事だった。
ストーリーテリングも抜群で、食い入るように読み進められる。見事なホラー小説である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの小野不由美作品感想
 『くらのかみ』
 『丕緒の鳥』

伊藤計劃、円城塔『屍者の帝国』

2015-04-24 22:50:29 | 小説(国内ミステリ等)
 
屍者復活の技術が全欧に普及した十九世紀末、医学生ワトソンは大英帝国の諜報員となり、アフガニスタンに潜入。その奥地で彼を待ち受けていた屍者の国の王カラマーゾフより渾身の依頼を受け、「ヴィクターの手記」と最初の屍者ザ・ワンを追い求めて世界を駆ける―伊藤計劃の未完の絶筆を円城塔が完成させた奇蹟の超大作。
出版社:河出書房新社(河出文庫)




はっきり言って、すべての内容をちゃんと理解できたか、と言われたら疑わしい。
人物の利害関係や目的はわかりにくいし、ストーリーも幾分混みいっているからだ。

加えて淡々とした文体のため、頭にすんなり沁み込んでこないところもある。
戦闘シーンなんかはあっさりし過ぎて、いまひとつ緊迫感に乏しい。

しかし屍者復活が可能となった世界という設定のおもしろさ、著名な人物がたくさん登場し、それを惜しげもなく物語に投入する様には読んでいてワクワクした。

物語の広がりも豊かで、格の大きさを感じる小説、ってのが本作の率直な感想である。



ホームズの相棒としても有名なジョン・ワトソンは諜報員としてアフガニスタンに潜入する。
本作はそんな出足で始まる。

まず屍者が労働者や戦闘員として使用されている、という設定がおもしろい。
個人の尊厳とかってどうなるのだろう、って気もするけれど、それが当たり前の世界となって、現実の歴史に干渉している様などは興味深く読んだ。
こういう発想ってとってもユニークで、それを味わうだけでも楽しい。


それに登場人物のぶっこみかたもおもしろいのだ。
まず最初の展開で、アレクセイ・カラマーゾフが出てきて、びっくりさせられた。裏表紙のあらすじはあえて読まなかった分、驚きは大きい。
さながら『カラマーゾフの兄弟』の続篇を見せられるような気分になって、ワクワクさせられる。

ほかにも敵が、フランケンシュタインの造形したザ・ワンという設定もおもしろかった。


物語はその後、アフガニスタン、日本、アメリカと舞台を移しながら、活劇調で進んでいく。
日本史が好きなだけに、日本を舞台にしているところは目を引いた。
個人的には、山澤の示現流を思わせる剣術などは魅せられてしまう。



最後の方ほど、話はややこしくなり、頭がパンクしそうになった点は否めない。
しかしザ・ワンと、とある人物との意外な関係や、人格に影響を及ぼす菌株など、様々なアイデアがあまりにユニークで、その発想の豊かさには感服する他ない。
理解しきれない部分は多いけれど、展開を追い、世界を味わうだけでも楽しめた。
ともあれ、才筆二人の豊かな発想世界を堪能できる作品と感じる次第である。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかの伊藤計劃作品感想
 『虐殺器官』
 『The Indifference Engine』
 『ハーモニー』
 『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』

そのほかの円城塔作品感想
 『道化師の蝶』

横溝正史『本陣殺人事件』

2014-12-21 20:37:19 | 小説(国内ミステリ等)

江戸時代からの宿場本陣の旧家、一柳家。その婚礼の夜に響き渡った、ただならぬ人の悲鳴と琴の音。離れ座敷では新郎新婦が血まみれになって、惨殺されていた。枕元には、家宝の名琴と三本指の血痕のついた金屏風が残され、一面に降り積もった雪は、離れ座敷を完全な密室にしていた……。アメリカから帰国した金田一耕助の、初登場の作品となる表題作ほか、「車井戸はなぜ軋る」「黒猫亭事件」二編を収録。
出版社:角川書店(角川文庫)




本書には、金田一耕介初登場作の『本陣殺人事件』を含め、三作が収録されている。

どの作品も、おどろおどろしいガジェットが目を引く作品で、読んでいてもおもしろかった。
横溝作品特有のある種の暗さは、金田一初登場のころから一貫していることを知れて興味深かった。



たとえば『本陣殺人事件』。

舞台となる、旧家然とした本陣の家の雰囲気。殺人現場のおぞましい道具立て。謎が謎を呼ぶ奇怪な事件現場、などなど。
どれも不気味な雰囲気が出ており、興味深い。
これぞまさに横溝正史風味と個人的には思う。

その事件を解決に至る金田一耕介の推理も、論理展開もなかなかおもしろい。

真相自体は、すでに存在している作品のアイデアに近いものはある。
しかしそれを踏まえた上で、日本風にアレンジしているところは見事。

雰囲気だけでなく、ミステリとしても充分にすばらしい作品と思う次第である。



併録の『車井戸はなぜ軋る』もおもしろい。

少し怪談っぽい雰囲気がまず目を引く。
こういうどろどろした旧家の感情のもつれこそ、横溝正史の真骨頂かもしれない。

だがもっともすばらしいのは殺人現場の謎である。
ミステリ的にはよくアイデアかもしれないが、ああ、そっち、と読んでいて思っただけにどきりとさせられた。



『黒猫亭事件』は「顔のない屍体」を扱った作品である。

既存のネタを使い、上手く凝った見せ方をしているあたりはさすがだ。
先行作品をいかにして越えていくかという、著者なりの意欲が伝わる。

雰囲気作りやストーリーもおもしろい。
幾分計画に手が込み過ぎているように見えるのだが、それを含めて作者の苦心の跡が見えるようだった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

土橋真二郎『生贄のジレンマ』

2014-10-23 20:17:04 | 小説(国内ミステリ等)

「今から三時間後にあなたたちは全員死にます。ただし生き残る方法もあります、それは生贄を捧げることです」卒業を間近に控えた篠原純一が登校してみると、何故か校庭には底の見えない巨大な“穴”が設置され、教室には登校拒否だった生徒を含むクラスメイト全員が揃っていた。やがて正午になると同時に何者かから不可解なメッセージが告げられる。最初はイタズラだと思っていた篠原たちだが、最初の“犠牲者”が出たことにより、それは紛れもない事実であると知り…。
出版社:アスキーメディアワークス(メディアワークス文庫)




ラストが少しもやっとしたが、基本的には楽しめた。

ありえない設定ではあるのだけど、精緻に駆け引きの際の心理をあぶりだしていて、心惹かれる。
物語自体も予測できず、ぐいぐいと読み進むことができた。
トータルで見れば満足できる作品と言えよう。



卒業間近の高校生たちが学校に閉じ込められる。校庭には謎の巨大な穴ができている。もしもその生贄の穴に誰かが飛びこむか、教室の誰かを投票で生贄に捧げなければ、クラス全員の命が奪われる。
そういう設定の元に描かれた物語だ。

ある種バトルロワイヤル的で、ゲーム的な内容と言えるだろう。
そのゲームっぽさゆえか、予測も不可能で読んでいる間は食い入るように読み進むられる。


しかしこの手の物語がそうであるように、そのような設定の状況が起きた理由は説明されない。
だから最後は、で、結局何がしたかったの? っと思ってしまい、もやっとする。

のみならず、最後では、重要人物のその後が描かれなかったので、消化不良な気分になったのは否定しない。



だけどゲームに身を投じる人々の心理などは大変面白かった。

自分が死なないために、どのように動くべきか。
生贄にささげられないよう、牽制をし合ったりと、お互いに心理的なつばぜり合いが繰り広げられておりおもしろい。

互いに裏切り合うなどの状況は読んでいても飽きさせない。
ある意味教室という単位で自分の立ち位置が明確になっていく様は、少しこわくもある。

これも人間社会の縮図と言えるのかもしれない。

それでいて、セカンドステージのゲームのように、コミュニケーションを取る関係をゲームとして可視化するなどの工夫もされていて、ユニークだ。



ラストに不満はあるものの、おおむねは飽きることなく全三巻を読み進めることができた。
リーダビリティにあふれ、プロットもすばらしく、心理描写も達者な作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

梓崎優『叫びと祈り』

2014-07-10 20:50:32 | 小説(国内ミステリ等)

砂漠を行くキャラバンを襲った連続殺人、スペインの風車の丘で繰り広げられる推理合戦…ひとりの青年が世界各国で遭遇する、数々の異様な謎。選考委員を驚嘆させた第5回ミステリーズ!新人賞受賞作を巻頭に据え、美しいラストまで突き進む驚異の連作推理。各種年末ミステリ・ランキングの上位を席捲、本屋大賞にノミネートされるなど破格の評価を受けた大型新人のデビュー作。
出版社:東京創元社(創元推理文庫)



海外を舞台にした連作推理小説だ。

中身も綿密に練られているが、それ以上に海外を舞台にしている必然性を描いている点に目を引かれた。
それは半数以上の作品で、その事件の動機がその国(文化)の価値観に基づいているという点である。



たとえば、冒頭の『砂漠を走る船の道』。

一応、叙述トリックが見られるのだが、それ自体は決してメインではない(もちろんミスリードや、クライマックスで大きな意味を果たすが)。

この話で重要なのは、塩を運んで生活していかざるを得ない砂漠の民の姿を描いている点だろう。
そしてその生活スタイルが、この事件の動機にもなっている。そこがまずすばらしい。
砂漠の船であるラクダといい、砂漠を舞台でなければ書けない内容に心惹かれた。



また、『凍れるルーシー』も、その土地の文化に根差した内容だ。

実際この事件の犯罪動機は、ロシア正教を深く信仰する者でなければ、決して考えもしないし、たどりつけない犯罪動機だろう。
それは日本人の無神論者である、僕からすればファナティックではある。
けれど、その人物の価値観においては絶対だったのだと思うのだ。
その価値観の違和が心に残る作品だ。



そしてそんな価値観の違和が、断絶にまで達した作品が、『叫び』かもしれない。

人はどれだけグローバルな文明に浸っていたとしても、生まれた土地から逃れることはできないのかもしれない。
そして自分の属する世界の価値観に従ってしまうこともあるのだろう。

この小説の殺人動機も、やはり日本人には理解できないが、この民族においては、すんなり受け入れられるものなのだ。
その過程を伏線を綿密に張って、描き上げている点はさすがに上手い。

そしてそれだけに最後の、斉木とアシュリーの叫びは、絶望すら感じられるのだ。
人と人とがわかりあえる、という考えは幻想かもしれない。そんなことさえ感じさせる、ハーモニカのイメージがどこか苦い。


だがそんな苦い予感に対して、作者は『祈り』を通して、希望を語ってもいる。
その温かい余韻が心地よく、快い気分で本を閉じることができるのはすばらしかった。

ともあれ、推理小説としても、文化の隔絶を伝える小説としても、高いレベルにあると感じる一品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

水上勉『飢餓海峡』

2013-11-29 20:23:23 | 小説(国内ミステリ等)

樽見京一郎は京都の僻村に生まれた。父と早く死に別れて母と二人、貧困のどん底であえぎながら必死で這い上がってきた男だ。その彼が、食品会社の社長となり、教育委員まで務める社会的名士に成り上がるためには、いくつかの残虐な殺人を犯さねばならなかった……。そして、巧なり名を遂げたとき、殺人犯犬飼多吉の時代に馴染んだ酌婦、杉戸八重との運命的な出会いが待っていた……。
出版社:新潮社(新潮文庫)




『飢餓海峡』はジャンル的にはミステリということになるのだろう。
しかしミステリという観点から見ると、いくらか不満な点も残る。

たとえば、刑事たちが事件の輪郭像を描き、それを状況証拠だけで決めつけて行動するところ。
その予想はおおむね事実で、意外性がないところ。
これだけの証拠を見せれば、相手も自白するだろうと当て推量で刑事たちが言うところ。

そういった部分は幾分不満で、馴染めなかった点は告白せねばなるまい。


だがそれら細部はともかく、物語の中身そのものはおもしろい。
それもこれも、作者が自負する通り、本作が人間小説となりえているからだろう。

この作品には何人もの人物が登場する。
岩幌の殺害事件を追う田島、海難事故の身元不明遺体の謎を追う弓坂、舞鶴の心中事件の疑惑を追う味村などの刑事は代表格だ。
彼らは刑事らしく,事件の謎とその裏に隠された真実と犯人を求めて、執念深く事件を追っている。
その求道的なまでの情熱はすばらしく、おもしろく、実に読み応えがある。


もちろん一般人の側の視点もおもしろい。

特に光り輝いていたのは八重だ。
八重は犬飼という大男と出会い、そこから運が開けていく。東京に出て警察を避け、人生を切り開いていく様は読んでいるだけで心に届く。
人生をひたすらに生きている女性の姿を、追体験できるからそう思うのだろう。
黒人のオンリーとして生きた時子を含め、この時代を生きた女性の強さと悲しさが、彼女の生き方からは感じられるのだ。

それだけに上巻のラストには衝撃を受けてしまった。


本作の犯人が、犬飼こと樽見京一郎であることは自明である。
その人物像に迫っていくのが、この小説のだいご味でもある。

彼の行なった(と思われる)犯罪はどれも非情で残酷なものと言わざるを得ない。
けれどそんな男もラストが近付くにつれ、人情味あふれる側面を表していく。

彼が告白した真実にも、一人の人間の理由と苦悩がある。
善悪はともかく、そこには樽見京一郎という男のつらい記憶と、優しさがうかがえる。その展開はなかなか良い。


そのようにあらゆる人間たちの思いを、本作は存分に描き切っている。
小説のおもしろさを堪能できる一品であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

山田風太郎『妖異金瓶梅』

2013-11-22 05:30:20 | 小説(国内ミステリ等)

性欲絶倫の豪商・西門慶は絶世の美女、潘金蓮を始めとする8人の妻妾を侍らせ、酒池肉林の日々を送っていた。彼の寵をめぐって女たちの激しい嫉妬が渦巻く中、第七夫人と第八夫人が両足を切断された無惨な屍体で発見される。混乱の中、西門慶の悪友でたいこもちの応伯爵だけは事件の真相を見抜くが、なぜか真犯人を告発せず…?美姫たちが織り成す凄惨淫靡な怪事件。中国四大奇書の一つを大胆に解釈した伝奇ミステリ。
出版社:角川書店(角川文庫)




『妖異金瓶梅』は一口で語りつくすのが難しい小説だ。

まずエログロ要素満載で目を見張るし、連載短篇ミステリーとしてもおもしろく、最後は愛の物語だったと気づかされ、思わず感動してしまう。
あらゆる味わいがごった煮のないまぜになっていて、感服するほかなかった。



漁色家の西門慶を主人公にした中国の古典『金瓶梅』を下敷きにしているし、何より山田風太郎ということもあり、エログロ要素は満載だ。
西門慶は多くの妻妾を同じ家に住まわせ、毎夜違う女の部屋に通っては快楽をむさぼっている。

そこで繰り広げられる痴態は猥雑でエロい。
SMに同性愛、スカトロに獣姦に異物挿入、最後の章では酒池肉林が展開されている。なんかこう書くとものすごい。
グロの方も人肉食があったり、スプラッタな場面もあったり、容赦がない。
そしてそれゆえにおもしろいのである。


そんなエログロの園で次々と事件が起きる。
それを西門慶の友人でたいこもちでもある応伯爵が探偵役を務め、事件の謎を探るというのが話のスタイルだ。
事件の趣向は多彩で、多少無理があるものもなくはないが、それはそれで楽しく読める。

だがこの作品は普通のミステリとは違うポイントがある。
それはすべての事件の犯人が同じだという点にあるのだ。
解説にならい、僕もその名は挙げないが、この人物のキャラが何よりも魅力的だった。

舞台が、何人も妾の住まう女の園ということもあり、そこには嫉妬の渦が巻き起こる。
犯人は主人である西門慶の家の中で常に一番でありたいと願い、ただそれだけのために殺人を重ねている。

その個性は強烈だ。
そこには野心があるのは言うまでもない。だがそこには同時にゆるぎのない愛もある。
その人物造形がすばらしい。


そしてその愛はラストに進むにつれ、どんどん前面に現れてくる。
名前は挙げないけれど、あの人もこの人も、その行動に出たのは、相手を愛していたがゆえであろう。
そしてその愛の中心には、常にこの作品の犯人がいるところがすばらしい。
その物語の構成に心を持って行かれてしまう。本当に恐ろしい女だ。

最後の応伯爵の叫びには、相手に対する深い愛がある。
だがその愛は、結局のところ、最後の最後まで届かなかった。
その愛の深さと報われない思いが、僕の心をゆさぶってならない。



山田風太郎は今回初めて読んだのだが、こんなにもすばらしい作家だとただただ驚くばかりである。
もっとこの作家の作品を読みたい。『妖異金瓶梅』は、そう思わせる快作であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

皆川博子『開かせていただき光栄です』

2013-11-15 20:21:28 | 小説(国内ミステリ等)

18世紀ロンドン。外科医ダニエルの解剖教室からあるはずのない屍体が発見された。四肢を切断された少年と顔を潰された男。戸惑うダニエルと弟子たちに治安判事は捜査協力を要請する。だが背後には詩人志望の少年の辿った恐るべき運命が……解剖学が最先端であり偏見にも晒された時代。そんな時代の落とし子たちが可笑しくも哀しい不可能犯罪に挑む、本格ミステリ大賞受賞作。前日譚を描く短篇「チャーリーの災難」と解剖ソングの楽譜を併録。
出版社:早川書房(ハヤカワ文庫JA)




『開かせていただき光栄です』はぜいたくな小説だ。

18世紀ロンドンを描いた歴史風俗小説としても、登場人物の魅力を伝えるキャラクター小説としても、ミステリとしても十二分に楽しめると思ったからだ。
文句なしの非常にハイレベルな作品であろう。



まず目を引くのは、18世紀のロンドンの生活描写だ。

解剖学がまだおぞましいものと思われていた時代、世間が向ける解剖学に対する視線や、当時の科学技術のレベルなどが伝わり興味深い。
また当時のロンドンには孤児が多かったことや、酒場での雰囲気、解剖学生たちの雰囲気、古書に関する当時の人たちの認識など、いろいろなことを知れて興味深い。

作者の取材の深さと該博な知識を堪能できる。


さてそんな物語で、中心にいる人物は解剖医のダニエルだろうか。
ダニエルの解剖学に対する執着はおもしろい。医学の発展のためということもあるが、単純に解剖が好きなのだろう。
その変人で天才肌のところが魅力的。

しかしそれゆえに実生活では役立たずなのだが、そんなダニエルを弟子たちは愛し、支えてくれている。
その雰囲気がとってもすてきだ。

この物語には、盲目の判事ジョンや、彼の姪のアン=シャーリー・モア、いかにも若者らしいネイサン・カレンなど、ほかにも魅力的なキャラは多いのだが、解剖教室の面々の雰囲気はやはりいい。
弟子たちの愛すべきキャラクターもあってか、読んでいるだけで微笑ましくなる。

しかし師を愛するがゆえに、あのような事件が起きたのだろう。


事件の真相を探る展開は非常におもしろかった。
謎の死体が現れてから、物語は二転三転していき、食い入るように読み進められる。
犯人は誰か、どのような真相が待っているのか、化かし合いやハッタリの応酬、各人の思惑など、様々な要素が入り乱れて、じりじりとした思いでページを繰ることができた。
エドの司法をあざ笑うかのような最後の行動も結構好きだ。



ともあれ非常に巧みな物語と言うほかにない。
舞台設定に道具立て、人物に物語構成、小説の基本要素のすべてを魅力的に仕上げたベテラン作家の技に感服するほかない。

重ねて言うが、『開かせていただき光栄です』は本当にぜいたくな小説である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

北村薫『朝霧』

2013-05-05 22:12:49 | 小説(国内ミステリ等)

前作『六の宮の姫君』で着手した卒業論文を書き上げ、巣立ちの時を迎えたヒロインは、出版社の編集者として社会人生活のスタートを切る。新たな抒情詩を奏でていく中で、巡りあわせの妙に打たれ暫し呆然とする「私」。その様子に読み手は、従前の物語に織り込まれてきた糸の緊密さに陶然とする自分自身を見る想いがするだろう。幕切れの寥亮たる余韻は次作への橋を懸けずにはいない。
出版社 :東京創元社(創元推理文庫)




「円紫さんと私」シリーズの最終巻である。

本作でも相変わらず、作品を包み込む空気は優しい。
作中である作家は、「本当にいいものはね、やはり太陽の方を向いているんだと思うよ」と言っているが、作品の内容にもそんな雰囲気がある。

そして今回も文学談義は楽しげだ。
特に本作は、収録作すべてが文学に深く関わっているので、その感は強かった。

そのほか、主人公の「私」の日常や人間関係など、シリーズ全作品を読んできた身としては、読んでいるだけで心地よいものがあった。
さびしくもあるが、最終巻としては充分満足できる一冊である。


収録は三作品だが、どれもおもしろい。

『山眠る』
作品内には、ある事件が起きるが、それについての本当の意味での真相は、最後まで語られることはない。ただ父娘間の衝突がほのかに見えるばかりだ。
見ようによっては暗い話かもしれない。
しかし「山眠る」という季語の意味を語ることで、「私」は本郷先生に明るい方向に向いてもらおうとしている。
その配慮は忘れがたく、響くものがあった。


『走り来るもの』
リドルストーリーの解釈の違いを語ることで、男女の恋愛の機微を描いている。
個人的には紫上の「涙の間」の言及にしびれた。そんなこと考えもせずに『源氏物語』を読んでいただけに、刮目する思いがした。
それはそれとして、物語の結末はなかなかよかった。
伏線の張り方は丁寧でミステリーとして優れているし、物語としても人の関係についていろいろ思う一品である。


『朝霧』
届かなかった恋の話だ。
博学な知識を駆使し、このような世界を展開させるあたり、すなおに感嘆する。
ラストは、次作につなげようと思えばできるし、ここで終わるのもベストとも見える。
どちらにしろ、「私」の行く末に思いを馳せることができる締めであった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



円紫さんと私シリーズ感想
 『秋の花』
 『六の宮の姫君』

そのほかの北村薫作品感想
 『玻璃の天』

北村薫『秋の花』

2013-05-05 22:09:50 | 小説(国内ミステリ等)

絵に描いたような幼なじみの真理子と利恵を苛酷な運命が待ち受けていた。ひとりが召され、ひとりは抜け殻と化したように憔悴の度を加えていく。文化祭準備中の事故と処理された女子高生の墜落死―親友を喪った傷心の利恵を案じ、ふたりの先輩である『私』は事件の核心に迫ろうとするが、疑心暗鬼を生ずるばかり。考えあぐねて円紫さんに打ち明けた日、利恵がいなくなった…。
出版社:東京創元社(創元推理文庫)




北村薫作品の美点の一つは、作中に漂う優しさにある。

現実の世界にはむごいこともあるということを見据えながらも、登場人物を捉える作者の視線はあくまで暖かく、その雰囲気は大変心地よい。
そしてその優しさが僕の心を打つのである。


『秋の花』においても、そんな北村薫の姿勢は変わりない。

「円紫さんと私」シリーズ三作目でもある本作は、前作からの雰囲気も引き継いでいる。
文学談義は博学で、文学好きにはおもしろいものばかり。
日常風景の空気の描き方はゆるやかで心地よく、女友達同士の会話はなかなか楽しげだ。

しかし本作では、そんな日常の中に人の死が紛れ込んでくる。


「私」の後輩の一人が学校の屋上から転落して死亡、彼女の幼馴染はそれを境に不登校となる。そんなとき「私」の元に謎のメモが届く。
そういう内容だ。

それを誰が行なったか、なぜそうしたのかは割に簡単にわかる。
むしろ主眼になるのはその事件において、一体何があったか、という点だ。

そしてラストで明かされた、その真相はあまりに悲しいものだった。読んでいるとどうにも痛ましい思いに駆られてしまう。
あんなことがあっては、残された友人もかなりつらいことだろう。心からそう思う。

そして北村薫のすごいところは、そんな風に傷ついた少女を決して見捨てないところにあるのだ。
なぜなら、謎の真相を解くことよりも「それからどうするかの方が、遥かに難しい本当の問題」だからだ。

そして謎解きが終わった後の、それからどうしたか、にこそ、北村薫の真骨頂がある。


親にとって娘の死を招き寄せた相手を「許す」ことはなどできはしないのだろう。
たとえそこで、何が起きたか、知らされてもそれは変わるまい。

それでも、時においては、そんな相手ですら「救わねばならない」ときもある。
それが何かしらの「無念」はあれど「余儀なく生き」た者の定めかもしれない。

そんな人の罪深さをそっと静かに包み込むラストに、僕の心は震えた。
そこにあるのは、人に対する信頼であり、慈愛でもある。
その美しさがただすばらしい。

ともあれ、北村薫という作家の持ち味が存分に描き上げられた作品である。
登場人物の母性と、北村薫の父性がにじみ出るような一品だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



円紫さんと私シリーズ感想
 『六の宮の姫君』

そのほかの北村薫作品感想
 『玻璃の天』

鮎川哲也『黒いトランク』

2013-04-11 20:46:34 | 小説(国内ミステリ等)

汐留駅でトランク詰めの男の腐乱死体が発見され、荷物の送り主が溺死体となって見つかり、事件は呆気なく解決したかに思われた。だが、かつて思いを寄せた人からの依頼で九州へ駆けつけた鬼貫の前に青ずくめの男が出没し、アリバイの鉄の壁が立ち塞がる……。作者の事実上のデビューであり、戦後本格の出発点ともなった里程標的名作!
出版社:東京創元社(創元推理文庫)




推理小説らしい推理小説だな、と読み終えた後に感じた。

それは本作が、物語のダイナミズムではなく、物語内の論理性を追及し、それを解き明かすことに主眼に置いた作品だと感じた点が大きい。
物語はプロットが命と考える僕にとって、論理性の追究に重きが置かれた本作は、必ずしも趣味とは言いがたかった。

だが、よく考え込まれた作品である、という点だけは強く感じた次第である。


事件は最初から派手に動く。
トランクに詰められた死体が駅の保管所で発見される。その事件の真相を暴くために、容疑者の妻から依頼を受けた刑事が、事件を再び捜査することとなる、というのが主筋だ。
刑事は、その事件にひたすら論理を積み重ねていき、徹底的にアリバイを崩していく。

そういった内容のため、本作は、物語の動きを追うよりも、事件の事象を推理する場面に、多くの筆が費やされる。
そのため物語としては、動きに乏しく、、何かが足りないという感覚は最後まで残った。
特に殺人の動機などは、とってつけたように感じられ、もどかしい。


しかし事件解決までの、論理的な推理は、本当に巧妙なのだ。

特にすばらしいのは、本作のメイントリック、トランクの移動の真相に尽きるだろう。
そのシンプルな真実にはただただ感嘆とするばかりであった。
そしてシンプルであるだけに、見事なのである。

そのほかにも、一つ一つのアリバイを丁寧に、推理しながら、一個一個崩していく様も、よく考えてつくっているのが伝わり、感心してしまう。
その分、つくりものめいて見えるけれど、物語の構築性は抜群に光っていた。


個人の趣味ではないので、積極的に楽しめるとは言いかねる。
だが優れた部分が非常に目を引く作品でもあった。

評価:★★★(満点は★★★★★)