私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『星の王子さま』

2015-07-31 20:59:46 | 小説(児童文学)
 
サハラ砂漠に不時着した孤独な飛行士と,「ほんとうのこと」しか知りたがらない純粋な星の王子さまとのふれあいを描いた永遠の名作.
内藤濯 訳
出版社:岩波書店




『星の王子さま』を初めて読んだのは、岩波の内藤濯訳である。
この訳で久しぶりに読み返してみたが、新潮の河野訳と比べると、幾分言葉が古臭く、硬めであることは否めない。

しかし内容自体は当然ながらすばらしい。
この訳を通して、たくさんの人たちが感銘を受けたことも容易に納得できるのだ。



『星の王子さま』を端的に表現するならば、愛の物語ということになろう。
本書は、愛、というものが世界をいかに美しくするか、ということを象徴的に描いた作品であると読んでいると感じる。


王子さまは最初遠くの小さい星に住んでいたのだが、わがままな花にふりまわされて、その星を出ることとなる。
そうして王子さまはたくさんの星の住人に会っていくのだが、どの住人も基本的には自分のことしか考えていない。王さまやうぬぼれ男みたいに自尊心を肥大化させたり、実業家のように私欲に汲々とする者ばかり。

その中で唯一好感を持つのが、点灯夫だ。
それは彼が「じぶんのことではなく、ほかのことを考えているから」ということに尽きる。
そしてそんな点灯夫の姿こそ、本書の一つのテーマだろう。

なぜなら愛とは、自分以外の何ものかのことを考えることにあるからだ。



キツネとの会話はそういう意味で象徴的だ。

キツネなんてのは、この世にいくらでもいるが、キツネと仲良くなることで、「この世でたったひとりのひとになるし」「かけがえのないものになる」。
ありふれたキツネがその瞬間、特別な存在に変わっていくのだ。
そして特別な存在になるからこそ、その相手のことを思うと狂おしい気持ちにもなるのである。それはとても幸福なことだろう。

もちろんそうなると、その関係に責任が伴うし、守らなければいけない約束なども生まれる。
しかしそんな風に特別な存在ができるからこそ、世界は見方を変えるのだ。

「星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるから」とも感じるし、「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているから」と思えるような世界に変わっていく。

そしてそれは、「ぼく」にとっての「王子さま」に対する思いにも通じるものがある。


しかしそういった内面的なものは、物質主義や、自己愛の中からは決して見えない。
愛他的な観念を通してでしか到達できない世界なのだろう。

だからこそ、「かんじんなことは、目には見えない」。ということになるのかもしれない。
表層的なものからは見えざる世界なのだ。
そういう意味、この話はシンプルで平易な言葉で語っていながら、深い領域にまで到達している作品であるとつくづく感じる。

『星の王子さま』まさに名著である。
そう再認識する次第であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかのアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ作品感想
 『人間の土地』
 『星の王子さま』(河野万里子訳)
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ライマン・フランク・ボーム『オズの魔法使い』

2014-07-22 21:35:22 | 小説(児童文学)

カンザスの大平原のまんなかから大竜巻で家ごと見知らぬ土地に飛ばされたドロシー。ヘンリーおじさんとエムおばさんが待つ故郷へ戻りたい一心で、どんな願いも叶えてくれるという偉大なる魔法使いオズに逢いにエメラルドの街を目指す。頭にわらの入ったかかし、心臓がないブリキの木こり、勇気がほしいライオン。仲間とともに困難を乗り越える一行の願いは叶えられるのか?柴田元幸の新訳による不朽の冒険ファンタジー。
柴田元幸 訳
出版社: KADOKAWA(角川文庫)




有名な作品であるのに、今まで読んでこなかった作品だ。
ある程度の流れは知っているが、実際読んでみると、いろいろな発見がありおもしろい。
一度読んでみてよかったと、すなおに思えた。



まず内容自体が楽しめる。

竜巻に巻き込まれて、異世界に飛ばされたドロシーは故郷のカンザスに帰るために、大魔法使いのオズに会いに行く。その旅路の途中、わらのかかしや、ブリキの木こり、臆病なライオンと共に旅をすることとなる。そういう話だ。

道中にはいろいろな困難が待ち受けていて、冒険譚といった趣が出ているのが良い。
「はじめに」で書いてあるように、「今日の子どもたちにひたすらたのしんでもらうために書」かれており、エンタテイメントな雰囲気がよく出ている。

それにキャラクターが立っているのもまた良いのだ。
カンザスにドロシーが戻るまでの、パーティたちの友情は心温まるものがあった。


それ以外でも、児童文学らしく、教訓的な要素も含んでいる。
そういう教訓ってのは下手したら説教くさくなりかねない。
だけど本作では、それを押しつけがましくなく描いており、そのあたりに作者のセンスが光っている。

かかしは脳みそがほしいと言い、木こりは心臓がほしい、と言い、ライオンは勇気がほしいと言っている。
だがそれは訳者も指摘していることだけど、それぞれのキャラクターたちが最初からすでに持っているものでしかないのだ。
かかしは困難をクリアするために、いろいろなアイデアを出しているし、木こりは心優しいところを見せている。ライオンだって、仲間を救うために敵に勇敢に立ち向かっている。

つまるところ、自分の魅力は、当の本人たちにはなかなか気付き得ないということなのかもしれない。
そして自分たちの能力に自信を持つきっかけは、他人の後押しであるのかもしれないのだ。
そんな展開を読んでいると、嘘も方便、ということわざを思い出す。


何にしろ楽しい一冊である。

長く読まれるに足る作品。そう素直に思えた次第だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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ジョーン・G・ロビンソン『思い出のマーニー』

2014-07-19 19:54:47 | 小説(児童文学)

みんなは“内側”の人間だけれど、自分は“外側”の人間だから―心を閉ざすアンナ。親代わりのプレストン夫妻のはからいで、自然豊かなノーフォークでひと夏を過ごすことになり、不思議な少女マーニーに出会う。初めての親友を得たアンナだったが、マーニーは突然姿を消してしまい…。やがて、一冊の古いノートが、過去と未来を結び奇跡を呼び起こす。イギリス児童文学の名作。
高見浩 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




ファンタジーである。
だから細かくつっこんでも仕方ないのだが、ことの真相には納得いかない部分もあった。
しかしそれ以外の部分は、少女の心情が丁寧に描かれていて、好印象の作品である。



この物語の読ませどころを、どこと捉えるかは人によって違うだろう。
けれど、マーニーが誰かという点は一つの肝であると思う。

理屈っぽい人間なので、この最後の真相にはいくらか納得がいかなかった。
細かくは言わないけれど、アンナが出会ったマーニーは結局何だったのだろう(誰ではなく)、という点がどうしても引っかかるのである。
理性的に読みがちな僕としては、物語のラストにもどかしさを覚えたことは否定しない。


しかしそれ以外の部分は結構楽しめた。
特にアンナの描写に心惹かれる。

彼女は言うなれば、孤児なわけで、そのせいでその心は孤児根性に染まっている。
人の輪に入れない孤独感を抱いているし、他人の愛を必ずしも素直に受け入れることができない。
子供だからというのもあるが、基本的にアンナは不器用な子だ。


そんな彼女はマーニーに出会い、彼女に心を開いていく。
特に自分の過去を告白するところがすてきだ。後からふり返ると、かなり重要な場面なのだが、そのとき二人は真に友達になれたのだと思う。

そしてマーニーに対して怒っていたけれど、最後に許した場面も心に残る。
このマーニーを許したっていうことこそ、彼女のトラウマを克服するトリガーになっているのかもしれないと思えるのだ。



言うなれば、この作品は癒しの物語なのだと感じる。
そして孤児根性の沁みついた少女が、心を開いていく話だというわけだ。
その過程が心地よい作品である。

納得いかない部分もあるが、少なくとも途中までは心奪われたし、物語全体を覆う雰囲気もすてきだった。
良質の児童文学である。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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上橋菜穂子『闇の守り人』

2014-06-21 20:28:33 | 小説(児童文学)

女用心棒バルサは、25年ぶりに生まれ故郷に戻ってきた。おのれの人生のすべてを捨てて自分を守り育ててくれた、養父ジグロの汚名を晴らすために。短槍に刻まれた模様を頼りに、雪の峰々の底に広がる洞窟を抜けていく彼女を出迎えたのは――。バルサの帰郷は、山国の底に潜んでいた闇を目覚めさせる。壮大なスケールで語られる魂の物語。読む者の心を深く揺さぶるシリーズ第2弾。
出版社:新潮社(新潮文庫)




単純におもしろい作品であった。

『闇の守り人』は大人から支持されていると著者も書いているけれど、実際読んでいても、こちらの方が、前作の『精霊の守り人』よりも楽しんで読むことができた。
すなおにすばらしい作品と思う次第である。


内容をまとめるならば、バルサが過去と向き合う話といったところだろう。
その過程で、政治的な謀略などがからんでくる。その展開がなかなか飽きさせない。
前作同様、戦闘シーンもあって、読んでいるだけでドキドキすることができる。
エンタテイメントとしても、実にすぐれた作品だ。


だが本作の良い点は、そんなエンタメ要素以上に、バルサが過去と向き合う過程にある。

バルサにとって、ユグロとの関係は非常に大きかったことは疑いえない。
自分を守り、戦う術を教えてくれたユグロ。そしてユグロもバルサに愛情をもって接してくれた。
だがそんなユグロにも、自分をこんな境遇に追いやったバルサに対する憎しみがなかったわけではないのだ。
その様が読んでいて悲しい。

しかしそれもまた仕方ないことだろう、と思う。
彼だって友人を殺したくはなかっただろうし、その怒りがバルサに向いたとしても責めることはできない。
だが同時に最期の時に、もう一度人生をやり直しても、同じようにする、といったユグロの言葉に偽りはないのだろう、ともまた思うのだ。

だからこそ、それを受け入れ癒すのは、バルサしかいなかったのだろう、と思う。


その物語の流れが、深く心に響き、ただただ感動した。
ともあれ見事な一冊である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの上橋菜穂子作品感想
 『精霊の守り人』
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上橋菜穂子『精霊の守り人』

2014-05-16 20:34:54 | 小説(児童文学)

老練な女用心棒バルサは、新ヨゴ皇国の二ノ妃から皇子チャグムを託される。精霊の卵を宿した息子を疎み、父帝が差し向けてくる刺客や、異界の魔物から幼いチャグムを守るため、バルサは身体を張って戦い続ける。建国神話の秘密、先住民の伝承など文化人類学者らしい緻密な世界構築が評判を呼び、数多くの受賞歴を誇るロングセラーがついに文庫化。痛快で新しい冒険シリーズが今始まる。
出版社:新潮社(新潮文庫)




上橋菜穂子作品を読むのは初めてだが、単純におもしろい作品だった。
よくできたエンタテイメントというのが率直な感想である。


この作品の魅力はやはりバルサのキャラに依るところが大じゃないか、と思う。
三十というファンタジーとしてはいささか薹が立った人物が主人公だけど、短槍使いの活躍は大層男前で魅力的。
それだけで物語に入りこめるのが良い。

そんな彼女は父帝から命を狙われる皇子チャグムの用心棒として行動することとなる。
チャグムも賢い少年らしく、心に残る。
最初皇子然としていたところから、バルサたちと心を通わせていく過程は読ませどころだ。
またバルサとタンダとの関係も読み手をやきもきさせてくれて楽しい。

期待を外さない王道の要素を持ちながらも、これだけ読ませるのはさすがだ。


民間伝承や伝説などを、物語中に組み込ませるのは、作者がそれを専門分野としている学者だからだろう。
その辺りの設定の深さも、おもしろい作品である。

読み終えた後、長く残るものはないが、読んでいる間は楽しく、しっかりと読み手の心をつかんでくる。
まぎれもない王道の作品であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『あのころはフリードリヒがいた』 ハンス・ペーター・リヒター

2012-10-28 21:43:17 | 小説(児童文学)

ヒトラー政権下のドイツ,人々は徐々に反ユダヤの嵐にまきこまれていった,子どもたちさえも…その時代に生き,そして死んでいったユダヤ少年フリードリヒの悲劇の日々を克明に描く.
上田真而子 訳
出版社:岩波書店(岩波少年文庫)




僕が中学のころ、国語の教科書に『ベンチ』という作品が載っていた。
内容としては以下の通りだ。

一人の少年が少女と出会い、親しくなり、やがてデートをする。
そのとき少女はベンチに腰を下ろすのだが、少女がいくら薦めても少年はベンチに座らない。それを見た少女は立ち上がり、ユダヤ人専用のベンチに移動し腰を下ろす。少年は衝撃を受け、気が気でないが、少女はユダヤ人と親しくなっても平気だという態度を取る。
その後少女は少年と次のデートの約束をするが、少年はその約束を悩んだ末にすっぽかしてしまう。それは自分と親しくしているのを誰かに見られたら、彼女が収容所に送られてしまう、と思った末のことであった。

90年代前半に中学生だった人の何割かは知っているだろう。
ナチスによるユダヤ人迫害の悲劇と、少女の勇気を示していて印象的な作品である。


本作は、そんな『ベンチ』をはじめとした一連のフリードリヒの話が収められている。
読んでいると、そこにある悲劇の大きさと、日常にさりげなく侵入してくる差別の理不尽さに呆然とさせられるばかりだ。

物語は1925年の「ぼく」とフリードリヒの誕生から描かれる。
幼いころの彼らの生活は、ごくごくありふれたものだ。
「ぼく」の家族は、フリードリヒらシュナイダー一家がユダヤ人だと知っても、特に態度を変えたりしない。
もちろんレッシュ氏のように、露骨にユダヤ人を蔑視する人間もいるけれど、一般の人は「ぼく」の家族同様、当たり前のようにユダヤ人と接し、ユダヤ人の店で買い物もする。

「ぼく」の観察力は非常に卓越している。
訳者あとがきにも記されているように、おそらく著者自身の体験によるものだからだろう。
細かな生活の描写は非常にリアルなのだ。特にユダヤ人の信仰や習慣に対する描き方は丁寧である。
それだけに臨場感をもって、物語を追えるのが良い。


だからこそ、1933年にナチスが政権を取ってからの、ユダヤ人排斥がよりいっそう生々しく映るのだ。

そこにはいろんな人たちが登場する。
ユダヤ人は災いのもと、という言葉を平気で口にする人。
ユダヤ人という理由で、窓を割ったのはおまえだろう、と責める人。
ユダヤ人という理由で、借家を出て行け、と言う人、などなどだ。
そしてシュナイダーさんは、ユダヤ人という理由で、仕事をクビになっている。
それは本当に理不尽な話だ。

だけどこれほどの理不尽ですら、後からふり返ると、まだマシな部類だったのだ、と気づかされる。
実際その当時は、裁判官もユダヤ人相手であれ、公正に判決を下している。
ユダヤ人という理由で、学校を追い出されるフリードリヒのために、ユダヤ人の弁護をする先生もいる。
当時は、まだ良識を持ち、それを行動にあらわす人だっていたのだ。

だけど全体の空気は、そんな正義を吹き飛ばすかのように、ユダヤ人を排斥する方向へと流れていく。
特に印象的なのは、ユダヤ人をかばう、という自然なふるまいすらできない空気が全体にはびこってくる点だろう。

たとえば「ぼく」の父親は不況の影響で職もなかったが、ナチスの党員になったおかげで、職につくことができている。
そこにあるのは主義主張ではなく、ただの打算だ。
でもそれがために、ユダヤ人排斥には沈黙せざるを得ないのだ。
「ぼく」の父に限らず、保身のため、ユダヤ人が排斥されても見て見ぬふりをした人もいるのだろう。

それは見ようによっては情けない話だが、そういう人は当時多かったのだと思う。
自分が彼らと同じ立場になったとき、それをしないと言い切れる自信がどれだけ持てるというのだろうか。

だからせいぜい、彼らにできることと言えば、今のうちにこの国を出て行った方がいいと、警告するくらいでしかない。
だがシュナイダーさんのように、祖国がドイツとなると、そう簡単に外国に出ていくことなどできないのだ。
彼らの基盤は、外国にはない。それに家族がいると、国を出ることなんて、簡単にできるものでもない。
困難が襲ってきたとき、それから逃れるのはいつだって容易ではない。


そしてユダヤ人差別は、やがて暴力的な排斥へと変わっていく。

特に心に残ったのは、『ポグロム』の章だ。
そこで「ぼく」は集団心理に乗せられ、見知らぬユダヤ人の家を徹底的に破壊する。
だがその暴力が、友人であるフリードリヒたちに向かったとき、「ぼく」はかなりの衝撃を受けることとなる。

彼らがユダヤ人を差別し、虐げるのは、相手のことを知らないからなのだろう。
知らないからとことん冷たくなり、踏みつけても心が痛まない。
そこにあるのは致命的なほどの想像力の欠如だ。
そしてそこからこのような蛮行が生まれる。

だけど悲しいことに、それこそ人間であり、今だってその構図に変わりない。
その事実がただ悲しい。


さて、ラストはある意味では、想像通りの結末が待っている。
読んでいる間も覚悟はしていたことだけど、やはり実際読むとただただ痛い。
唯一の救いはそれでも、フリードリヒをかばおうとする人が、「ぼく」ら以外にいたことだろうか。
だけどそれだって、大河をほんのちょっとかき乱すだけのむなしい行為でしかなく、やがては全体の空気に呑まれてしまう。
現実はかくのごとく苦いのかもしれない。


ともあれ、人間の愚かさと、人間が生み出した悲惨さについて思いを致す。
児童書の枠組みに収めておくのがもったいない、まぎれもない良書である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『長くつ下のピッピ』 アストリッド・リンドグレーン

2012-10-26 21:53:28 | 小説(児童文学)

世界一強い女の子ピッピのとびきりゆかいな物語。となりの家に住むトミーとアンニカは、ごたごた荘でサルと一緒に自由気ままに暮らしているピッピがうらやましくてなりません。
大塚勇三 訳
出版社:岩波書店(岩波少年文庫)




突飛なことを言い出して悪目立ちする。奇矯なふるまいを人前でする。そしてそういった言動で周囲の人間の和を、平気でかき乱す。
そういった人は、世間一般ではイタい子と言われる。

そういう点、本書の主人公ピッピも、イタい女の子と言ってもいいのかもしれない。

バレバレのホラ話をし、奇矯なふるまいをするという点だけを取り上げるなら、この子は絶対に変だと言い切っていい。
けど、こと物語においては、主人公がイタいほど、魅力的であったりするのだ。

もちろん馬を持ち上げるほどの力持ちという時点で、魅力的だよ、と言われればそうとも言える。
でもピッピの場合は、このイタさがあってこその魅力だと僕は思うのだ。


たとえば彼女がよくするホラ話。

エジプトではみんな後ろ向きで歩くだとか、ブラジルでは髪の毛に卵をかけるのだとか、彼女が語る物語には、あからさまなホラが多かったりする。嘘をつけ、と読みながらつっこむ場面は多い。
かと思えば「わたしは、舌がまっ黒になるくらい、うそをついてたのよ」と平気で開き直ったりするから意味がわからない。

だけどそういったホラを平気で語るのは、たぶん相手を喜ばせたいと願う、ピッピなりのサービス精神なのだろう。
ものの発見家の章で、トミーとアンニカに木の幹や切り株を探させるあたりはそれが出ているように思う。

またホラとはちがうが、サーカスの章で、ピッピはサーカス団の演技に平気で割り込んでいるけれど、それだって、みんなが喜んでくれるだろう、と思ったから、したことにすぎない。

ピッピのふるまいは突飛なのかもしれないけれど、そういう場面を読んでいると、そこにはピッピなりの理があることが見えてくる。
そしてその底辺にあるのは、ポジティブな陽気さであり、優しさなのだろう。


優しさと言うなら、コーヒーの会にもそれが出ていたりする。

コーヒーの会に呼ばれたピッピは、奥さん連中の会合に割り込んで、みんなの分のケーキを食べたり、いろいろ邪魔したりする。大人としてはたまったものじゃない。
また、みんなが自分の家のお手伝いの不満を言い合っているときも、会話に平気で割り込み、自分の家のおばあさんの家にいたマーリンというお手伝いのことを話したりするのだ。

そういった彼女の言動は、まったく周囲の空気が読めていないものだ。
おかげで読んでいるこちらが、あまりの痛々しさにハラハラしてしまうほど。

でもよくよく読んでみると、そういった空気の読めない彼女の言葉は、みんなが悪口を言っているお手伝いのたちのことをかばおうと思い、口にしていることなんじゃないか、という風にも見えてくる。

実際ピッピが語るマーリンというお手伝いはどう見ても有能とは思えない。
けれどマーリンがいなくなり、雇い主であるおばあさんは悲しんだ。
それを読んでいると、お手伝いの能力なんて重要じゃないんだ、と彼女なりに言っているようにも見えてくるのだ。

もちろん深読みかもしれないけれど、そう思わせる余地を残しているあたりがすばらしい。
そしてそこからピッピという少女の心性が見えるあたりも見事である。


たぶん幼いころに読んだら、ピッピの特異な身体能力にばかり目を奪われていただろう。
実際、彼女の超人的な活躍やふるまいはおもしろいし、それだけを取り出しても、お話としては優れている。

しかしこの歳になってから読むと、ピッピの心根がよく見えてくる。
そこには表層的なおもしろさにとどまらない、幾重にも重なった深みがある。

そういう点、『長くつ下のピッピ』は、子供はもちろん大人も楽しめる、名作と呼ぶに足る作品なのだろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『たのしいムーミン一家』 トーベ・ヤンソン

2012-10-18 22:21:18 | 小説(児童文学)

長い冬眠からさめたムーミントロールと仲よしのスナフキンとスニフが、海ベリの山の頂上で黒いぼうしを発見。ところが、それはものの形をかえてしまう魔法のぼうしだったことから、次々にふしぎな事件がおこる。国際アンデルセン大賞受賞のヤンソンがえがく、白夜のムーミン谷のユーモアとファンタジー。
山室静 訳
出版社:講談社(講談社文庫)




ムーミンに対する僕の印象は、カバがなんやかんやする話、という程度のものだ。

もちろん幼いころはムーミンのアニメを見ていた。スナフキンやミイ、ニョロニョロなどの脇役のことも知っているし、ムーミンがカバじゃなくて妖精の一種だということも知っている。
だけどそれ以上の細かいことはほとんど覚えてない。
どういうエピソードがあったかも忘れてるから、なんやかんや、としか言いようがないのだ。

要はさほどの思い入れはない、ということなのだろう。

その程度の記憶しかないので、読む前は楽しめるか不安だったのだが、読んでみるとこれが思った以上におもしろくて、ちょっと安心する。

ともかく、キャラクターと作品世界の雰囲気が魅力的なのだ。
そしてそれこそが、『ムーミン』という作品の良さなのだろう。


個人的に一番すてきだったのは、トフスランとビフスランだ。

こんなキャラクターがいたかどうか、もうまったく覚えていないけれど、これがまたかわいらしくて、ほのぼのしてしまう。
しゃべり方の時点で、反則的なくらいにかわいいのだが、二人の行動もまた愛らしい。

たとえば、友だちのスナフキンが旅に出てしまい、ムーミントロールが泣いているところに出くわしす場面。彼らはムーミントロールをなぐさめるために、大事にしているスーツケースの中身を見せてくれたりするのだ。
それだけで二人の優しさが存分に伝わってくる。

もちろんラストの飛行おにの場面もすばらしい。
そのなかなか粋なお願いに、読んでいて思わずニコニコしてしまった。


そんなトフスランとビフスランが象徴しているかもしれないけれど、本作にはそれなりにクセのある登場人物が多い。
にもかかわらず、作品世界からぬくもりがまったく失われていない点が忘れがたい。

クセがある人物としては、たとえばスナフキンがそうだろう。
彼は孤独を愛する根無し草といった印象が強い。あらしが来て興奮するところなんかは、ちょっとばかりマッドですらある。
だけど友人であるムーミントロールに対しては義理堅いし、彼にだけは別れを告げた。
かなりいいヤツじゃねえか、とそのシーンを読んでいると感じられ、とても好ましい。

ほかにも、じゃこうねずみや、ヘムレンさん、変に悩みがちなムーミンパパなど、それなりにクセがあるヤツらがそろっている。
だけど誰もが基本的にいいヤツで、おかげで作品全体が優しげなものになっているのが、はっきりと感じ取れる。

もちろんクセが弱い者たちも好ましい。
ムーミンママなんかはその典型であろう。
作中でムーミントロールは魔法のぼうしのせいで変な格好になってしまう。ほかのみんなは姿の変わってしまったムーミンとロールを見ても、まったく気づかないのだが、彼女だけはそれが息子だとちゃんと看破している。
それだけでムーミンママの愛情が伝わり、じんわりと胸に響いてならない。


そういうわけで、作品全体を覆う優しい空気はともかく見事なのだ。その空気の心地よさもすばらしい。
絵の味わいもすてきで、ラストも暖かく、気もちいい気分で本を閉じることができる。
本書はそんな作品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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『注文の多い料理店』宮沢賢治

2011-10-18 20:33:47 | 小説(児童文学)

これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません―生前唯一の童話集『注文の多い料理店』全編と、「雪渡り」「茨海小学校」「なめとこ山の熊」など、地方色の豊かな童話19編を収録。賢治が愛してやまなかった“ドリームランドとしての日本岩手県”の闊達で果敢な住人たちとまとめて出会える一巻。
出版社:新潮社(新潮文庫)




どの作品もすてきだけど、本作の白眉は、『雪渡り』だと個人的には思う。

冒頭の、子供たちと狐の「キックキックトントン」っていう言葉のやり取りや歌が、まずリズミカルで読んでいるだけで明るい気分になれるし、兄妹のやり取りからは、二人のきずなの強さと愛情がうかがえるようで、優しい気分になれる。

そんな中、本作中でもっとも温かいシーンは、狐から出された団子を食べるシーンだろう。
その団子を見て、自分は狐に化かされているのでは、と四郎は疑ってかかるけれど、「僕は紺三郎が僕らを欺すなんて思わないよ。」って言って、疑うことをやめ、妹と一緒に団子を食べている。
そこからは四郎の美しいまでの善意と信頼感が伝わってくるようだ。
その心根がすばらしく、僕の胸に深く響いた。


ほかには、『土神ときつね』もお気に入りだ。
これは一言で言えば、悲しい話である。

土神は、樺の木に恋をしていることはまちがいない。だけど、彼は狐のように嘘をついてでも、樺の木に気に入られることはできず、狐に嫉妬し、癇癪を起こすことしかできない。
土神は基本的に不器用な存在なのだろう、と思う。
そしてその不器用さゆえに、愛する樺の木からはずっと恐れられることとなる。そのすれ違いっぷりが悲しい。

そしてそんな不器用な土神は、かなり愚かな行動を取ることとなる。
最後に見せた土神の涙は、何に由来するものかはわからない。個人的には悔いかなとも思うが、人によっていろんな解釈はあろう。
ただ一つ言えることは、そのときの土神が、あまりに哀れだということである。
そこにある土神の悲哀があまりに苦々しく、読後しばらくは呆然とした気分になってしまった。


それ以外にも、すてきな作品が多い。

「一番偉くない人が偉い」という言葉の意外な深さが忘れがたい、『どんぐりと山猫』。
ちょっと皮肉が入っていて、だけどユーモラスなところが良い、『注文の多い料理店』。
子供を守ろうとする雪童子の姿が、切なくも愛らしい、『水仙月の四日』。
手ぬぐいを恐れてこわごわ近づいたり、歌って踊ったりする鹿の姿がかわいい、『鹿踊りのはじまり』。
「雨ニモ負ケズ」の精神にも通じる、聖なる愚者の姿が胸に沁みる、『気のいい火山弾』。
弟を守る兄の優しさと、ラストの少しさびしげな様が心に残る、『ひかりの素足』。
死についての情景を詩的に描いていて印象的な、『おきなぐさ』。
賢治の石に対する愛情が伝わってくるかのような、『楢ノ木大学士の野宿』。
シンパシーを覚える熊を殺さざるを得ない罪深さが切なく、運命めいたラストが悲しい、『なめとこ山の熊』。
など。

どの作品も、賢治作品のすばらしさを伝えてくれる。本作はそんなすてきな作品集であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの宮沢賢治作品感想
 『新編 風の又三郎』
 『新編 銀河鉄道の夜』
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『新編 風の又三郎』 宮沢賢治

2011-07-28 20:13:44 | 小説(児童文学)

「やっぱりあいづ又三郎だぞ」谷川の岸の小学校に風のように現われ去っていった転校生に対する、子供たちの親しみと恐れのいりまじった気持を生き生きと描く表題作や、「やまなし」「二十六夜」「祭の晩」「グスコーブドリの伝記」など16編を収録。多くの人々を魅了しつづける賢治童話の世界から、自然の息づきの中で生きる小動物や子供たちの微妙な心の動きを活写する作品を中心に紹介。
出版社:新潮社(新潮文庫)




宮沢賢治でもっとも好きな作品は何か、と聞かれたら、ほかの人はどの作品を挙げるのだろう。
僕の趣味で言うならば、『やまなし』こそが、宮沢賢治のベストと思っている。

とは言え、『やまなし』自体は、何て言うこともない、ただの小品でしかない。
そもそも筋自体、大したことはないのだ。
幼い蟹の兄弟の目の前で魚が鳥に食べられる話と、やまなしが川に落ちて、お酒ができるかもしれないぞ、という、ただそれだけにすぎない。

そんな小さな話なのに、それが僕の心に届くのは、蟹の子供たちのセリフ回しがおもしろいこと。
そして風景描写が冴え渡っていることにあると思う。

冒頭の「クラムボンはわらったよ」ってセリフからして、すてきなのだ。
クラムボンって何だよってつっこみたくなるし、会話の意味はわからない部分が多いけれど、変にユニークで、テンポも良くて、兄弟の仲が良さそうなのも伝わってきて、読んでいて微笑ましくなってしまう。

また風景描写の美しさもこの作品の特質だろう。
魚がつうと通り過ぎる際のゆったりとした描写とか、水の中で光がきらきらとしている様、かわせみが登場するときの緊迫感とか、夜の川の情景のかすかな光とか、本当にきれいで、強烈で、すばらしい。

宮沢賢治は童話作家でもあり、詩人でもある。
蟹たちの会話には童話作家としての側面を、風景描写には詩人としての側面を、見る思いがする。
『やまなし』は、宮沢賢治の両方の個性が、存分に発揮された一級の作品と、強く思う次第だ。


表題作の『風の又三郎』にも触れよう。
十五年以上前に初めて読んだときは、はっきり言って大した作品とは思わなかった。
世評は高いけれど、そこまで言われるほどのものとは思えない。それは今回読んでも変わらなかった。
ただ少年たちと又三郎との交流はすてきであることは確かだし、当時の子どもたちの素朴な遊びや生活が反映されている点は、読んでいてちょっと楽しく感じられた。
他人はともかく、僕個人はまあまあの作品という(上から目線っぽい言い草だが)印象である。


そのほかにも、本作品集にはすてきな作品が多い。

いくぶん教訓めいているが、ラストのお父さんの言葉は深いよな、と感じさせられる、『貝の火』。
ブラックユーモアがおもしろく、性格の悪い三者の個性が記憶に残る、『蜘蛛となめくじと狸』。
因果応報めいているが、持ち前の性格の悪さから自滅していく姿が読ませる、『ツェねずみ』。
皮肉の利いたラストのセリフに、虚勢を張って自滅することの愚かしさを見る、『クンねずみ』。
いくぶん重いが、屠殺される豚の運命をリアルに描いてて考えさせられる、『フランドン農学校の豚』。
森を愛していた男の思いが、後世へとつながっていく姿が感動的な、『虔十公園林』。
ノスタルジックな祭りの描写と、山男とのふしぎな交流の様が印象的な、『祭りの晩』。
物語として単純におもしろいし、何より主人公のラストの行動に美しい心情と、近しい人への愛情を見る思いがして、切なくも考えさせられる、『グスコーブドリの伝記』、など。

宮沢賢治の優しさと、優しさとはまた異なる皮肉さも見つけることができ、楽しく読み進めることができる。
この作品も、また印象的な一品であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの宮沢賢治作品感想
 『新編 銀河鉄道の夜』
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『新編 銀河鉄道の夜』 宮沢賢治

2011-07-14 20:43:22 | 小説(児童文学)

貧しく孤独な少年ジョバンニが、親友カムパネルラと銀河鉄道に乗って美しく悲しい夜空の旅をする、永遠の未完成の傑作である表題作や、「よだかの星」「オツベルと象」「セロ弾きのゴーシュ」など、イーハトーヴォの切なく多彩な世界に、「北守将軍と三人兄弟の医者」「饑餓陣営」「ビジテリアン大祭」を加えた14編を収録。賢治童話の豊饒な味わいをあますところなく披露する。
出版社:新潮社(新潮文庫)




十五年ぶりくらいにこの文庫を読み返したけれど、細かいところはきれいさっぱり忘れていた。
だからいろいろな点で驚いているのだけど、特に驚いたのは、『銀河鉄道の夜』である。
この作品、こんなにもきれいで、切なく、さびしげな話だったのかと、いまさらになって知らされたからだ。


『銀河鉄道の夜』で強く心に残ったのは、風景描写である。
そこで描かれる銀河の河床の風景の、何て繊細で、詩的で、はかなげであることか。
燐光の三角標や、銀色のすすき、輝いている河床、透き通った河原の小石、真っ赤に燃えるさそりの火など、本当に美しく、幻想的で、イマジネーションにあふれており、読んでいるだけでもドキドキしてしまう。
そこで描き出された世界は静謐で、読み手である僕の胸に、しんしんとしみこんでくるかのよう。
そしてその静かな世界は、後半になって徐々に立ち上がる、死の予感と深くリンクしていて、忘れがたい。

しかし読み返して思ったのだけど、ジョバンニはカムパネルラのことが本当に好きなんだろうな(BL的な意味ではない)、と気づかされる。
ジョバンニは父親のことで周りからからかわれたとき、その一群の中にカムパネルラがいたことにショックを受けた。また、カンパネルラが女の子と親しく話していることに嫉妬もしている。
ジョバンニにとっては、そんな生っぽい感情を抱きたくなるほど、カムパネルラは大事な友だちということなのだろう。
だがそれはカムパネルラだって同じなのだろう、という気もする。
そうでなければ、彼は最後のときに、ジョバンニと一緒に銀河鉄道には乗り合わせまい。

ちょっと飛躍しすぎかもしれないが、その友情はジョバンニに一つの変化を与えているように思うのだ。
後半、ジョバンニはさそりの火の逸話に共感を示し、以下のように述べている
「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

そしてその言葉は、言うまでもなく、ザネリを助けたカムパネルラとも重なっている。
僕は思うのだけど、ジョバンニはそんな考えを、それと知らないうちにカムパネルラから受け取っていたのかもしれない、という気がするのだ。
根拠は明示できないけれど、カムパネルラの存在が、上述のセリフのような感情をジョバンニに呼び起こしたように感じてしまう。そう考えると、とっても美しい話だなとは思わないですかね。
あるいは、元々似たような考えを持つ二人だったから、互いに引き寄せられたってだけかもしれないけれど。

だがそんなカムパネルラとジョバンニの物語は、悲しい最後を迎えることとなる。
そのラストは切なく、しんみりした気分にさせられる。
だがその読後の悲しみが、この作品の美しさとはかなげな雰囲気を、より一層高めているのだろう。
その余韻がすばらしく、『銀河鉄道の夜』は心に残る一品となりえている、と僕は思う。


表題作以外もおもしろい作品が多い。

「なまこももしできますならお許しを願いとう存じます」が優しくて、すてきな、『双子の星』。
心根が優しいのになかなか報われない、よだかに訪れたラストの救いが美しい、『よだかの星』。
子どもたちのトマトに抱いた幻想が踏みにじられる過程が悲しい、『黄いろのトマト』。
「せだけ高くてばかあなひのき」ってセリフが妙にツボった、『ひのきとひなげし』。
筋運びはドラマチックでおもしろく、ラストに見せたさびしそうな象の姿がせつない、『オツベルと象』。
かわいそうなかま猫の姿に、哀れみを覚える、『猫の事務所』。
単純に物語としておもしろく、ラストのかっこうに対して言ったセリフに、主人公の優しさと後悔と悲しさを見る思いがして、深く余韻を残す、『セロ弾きのゴーシュ』。
ユーモラスな前半と、生産体操って何だよ、ってつっこみたくなる後半がそれぞれ楽しい、『飢餓陣営』。
つっこみどころはあれ、菜食主義者の主張をわかりやすく語ってくれて読ませる、『ビジテリアン大祭』、
など。

宮沢賢治という作家の優しさを感じさせる作品が多い。ともあれ良質の作品集であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『一房の葡萄』

2009-12-19 10:11:20 | 小説(児童文学)

有島武郎の童話はここに収められた8篇がすべてである。男手一つで愛児を育てあげる苦労を味わいつつ、すでに学齢期に達した3人の子供に、精神の糧を与えたいという父性愛的願望から書かれたものである。
「おぼれかけた兄妹」「碁石を飲んだ八っちゃん」「ぼくの帽子のお話」「かたわ者」「火事とポチ」「真夏の夢」「燕と王子」を収録。
出版社:角川書店(角川文庫)



本作には8篇の童話が収められているが、その半分は微妙な作品である。
短篇集である以上、ある程度は仕方ないが、それらの作品を読んだ後に感じることは少ない。どうもピンと来ないのだ。

しかし残りの半分の作品は、それなりに読み応えがある。
その理由は心理描写が丁寧だから、というのが大きい。

たとえば、『一房の葡萄』は、絵の具を盗む際の心理描写や、先生の追憶の文章に見るべきものがある。
『碁石を飲んだ八っちゃん』の喧嘩をしなければ良かったな、と思うところや、水を持っていくところの言葉にはリアリティが感じられる。
それに『火事とポチ』の火事に際しての不安な描写はさすがである。

それらの子どもたちの描き方は愛情があり、そしてそれゆえに丁寧だ。


これらの物語の中で、個人的にもっとも印象に残ったのは、主人公である子どもたちの後ろめたさである。
いくつかの童話の主人公たちは、自分たちの犯した罪におびえて悔やんだりしている場合が多い。

そこからは、おびえる必要はない、罪を悔やみ過ちを認めればいいのだから、という作者の父性愛に満ちたメッセージを見出すこともできなくはない。
だがどちらかと言うと、そこからは作者個人の弱さが仄見えてくるように思うのだ。
うがちすぎな意見かもしれないが、作者は童話を書くことで、自分の心を安らかにしたかったのかもしれない。


そのような罪悪感が、もっとも伝わってくる作品は『おぼれかけた兄妹』だろう。
この話が本作品集の中ではいちばん良かった。

『おぼれかけた兄妹』からは兄の弱さと後ろめたさがはっきりと感じられる。
状況的には、兄だけを責めるのは酷なのだが、酷だよ、というだけでは、兄も妹も納得することができない。そんな心情が感じられる。
そのあたりの微妙な心が個人的には、特に良いと思った。


小品で地味であり、ゆえに味わい自体は淡白だが、なかなか滋味深い作品でもあると僕は思う。
人に薦める気はないが、悪くない童話集である。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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『新美南吉童話集』 新美南吉

2009-02-20 21:06:45 | 小説(児童文学)

いたずら好きの小ぎつね“ごん”と兵十の心の交流を描いた「ごん狐」、ある日、背中の殻のなかに悲しみがいっぱいに詰まっていることに気づいてしまった「でんでんむしのかなしみ」など、子どもから大人まで愉しめる全20話を収録した、胸がいっぱいになる名作アンソロジー。
出版社:角川春樹事務所(ハルキ文庫)


むかしの作品ということもあってか、いくつかの作品は非常に童話らしい仕上がりとなっている。そしてそれゆえに極めて愛らしい。

たとえば「手袋を買いに」という作品。これは冒頭からやられてしまった。
「あっ」と叫んで眼を抑えながら母さん狐のところへころげて来ました。「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴早く早く」と言いました。(略)雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。

もうこのシーン、むちゃくちゃ、かわいくないでしょうか。
それでもがんばって、これは子どもが無垢だと思い込んでいた時代の産物なんだぞとか、動物の子供って時点でかわいさを狙って書いてるに決まってるだろとか、そもそも俺、ガキ嫌いじゃんとか、いろいろ自分に言い聞かせて読んだのだが、やはり子狐は愛らしい。
「お手々が冷たい、お手々がちんちんする」って、言われちゃ仕様がないだろう。読んでいて思わずにこにこしてしまう。
そんな自分が、心の底から気持ち悪いと思うのだけど。

「こぞうさんのおきょう」や「一年生とひよめ」も非常にかわいらしい作品だ。
特に、谷川俊太郎も誉めている「こぞうさんのおきょう」が、本作中ではもっとも好きである。
うさぎが教えた歌を小僧が読むところも、檀家の主人がおまんじゅうをくれるところも、ラストの見事な一文も含めて、何て嫌味のかけらも、わざとらしさもない、すてきな物語をつくることだろうか。
読んでいて心がほこほこし、自然と笑みがこぼれてくるからたまらない。
そんなかわいらしい世界観をつくり出しているということは、本当にすごいことだ。

だが、むかしの作品ゆえに、説教臭さが鼻につく作品が見られることは否定できない。
「でんでんむしのかなしみ」のように品よくひかえめに、深いことを語るのならそれでも全然よく、すなおにすばらしいと思える。
だが、「牛をつないだ椿の木」や「疣」のように、語りすぎちゃうとかえって引いてしまう部分もある。
特に「疣」は解説では誉めているけれど、あの一文はない方が、僕としてはむちゃくちゃ魅力的に見えるのだが、どうなのだろう。

だが「疣」の悲しみに関する一文は、新美南吉の作品のキーワードになっていることは確かだろう。
「ごん狐」もそうだが(有名すぎるので、あえて触れない)、「狐」なども読んでいて非常に悲しくなってくる。
そこからは、裏切られることは悲しいことだが、人を裏切らないくらいの強い愛情が悲しみを生むこともあるのだ、という事実を感じることができる。その雰囲気に僕は強く胸を打たれた。
それらの作品からは、新美南吉の優しさが感じられるようだ。

何か散漫な感想になってしまったが、素朴さと、悲しさと、愛らしさを兼ね備えた、優れた童話が多い。
使い古された言葉だが、まさに童心に帰った気分になることができる、すてきな作品集だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『飛ぶ教室』 ケストナー

2008-09-11 20:18:44 | 小説(児童文学)

孤独なジョニー、弱虫のウーリ、読書家ゼバスティアン、正義感の強いマルティン、いつも腹をすかせている腕っぷしの強いマティアス。同じ寄宿舎で生活する5人の少年が友情を育み、信頼を学び、大人たちに見守られながら成長していく感動的な物語。
ドイツの国民作家ケストナーの代表作。
丘沢静也 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)


この小説の美点はいくつかあるが、その一つにキャラクターの魅力が上げられるだろう。

たとえば主人公たちの少年たちなどは実に生き生きと描かれている。
ボクサーを目指すマティアスの男気とウーリに対する友情の描写は心に残るし、臆病なウーリが後ろめたさや恥ずかしさを感じるところもなかなか優れた描き方だと思う。幾分ベタだが、マルティンが涙を流す親思いのシーンも麗しいし、エーガーラントの敵のくせして誠実なところも個人的には印象に残った。

それに子どもだけじゃなく、大人たちもすばらしいキャラクターが多い。
特に正義さんこと、ベーク先生の造形はすばらしく個人的にはツボだった。彼こそ、カッコいい大人と言うにふさわしいキャラクターだろう。
少年たちが規則を破ったときに話す過去の話や、マルティンに20マルクを渡して、
「クリスマスイブに旅費をプレゼントするんだよ。返してもらおうなんて思っちゃいない。そのほうが、うんとすてきじゃないか」
という言葉には、もう「粋!」と叫びたくなるほどのカッコよさがあった。
こういう大人になれたら最高だろうな、と素直に思えてくる。

またマルティンに対するセリフに限らず、ほかにもカッコいいセリフが多く、それもこの小説の美点になっている。

「教師には、(略) 自分を変えていく能力をなくしちゃダメなんだ。(略)ぼくらを成長させようと思うんだったら、教師のほうだって成長してもらわなくちゃ」
というセリフには、教師に限らず身につまされるものがあるし、生徒から笑われる校長の
「しかしなんと言っても私は、サンタとおなじく、子どもたちのことが好きなのだ」
というセリフには温かさが感じられる。それにジョニーの
「すごく幸せってわけじゃない。幸せだなんて言ったら、ウソになる。けどさ、すごく不幸でもないんだから」
という言葉には何とも言えない前向きな雰囲気が漂っていて美しい。

ともかくも作者が持っている他者に対する優しさが感じられるすばらしい作品だ。
読み終えた後には胸にほんのりとした温かさと、ポジティブな感情を呼び起こしてくれる。さわやかな一品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『穴 HOLES』 ルイス・サッカー

2008-03-10 20:15:49 | 小説(児童文学)

無実の罪で少年たちの矯正キャンプに放り込まれたスタンリー。かちんこちんの焼ける大地に一日一つ、でっかい穴を掘らされる。人格形成のためとはいうが、本当はそうではないらしい。ある日とうとう決死の脱出。友情とプライドをかけ、どことも知れない「約束の地」を目ざして、穴の向こうへ踏み出した。
アメリカの作家ルイス・サッカーの全米図書賞を受賞したベストセラー作品。
幸田敦子 訳
出版社:講談社(講談社文庫)


ふしぎな味わいの小説だ。
矯正キャンプに送り込まれた少年が穴を掘るというストーリーだが、そこに主人公の先祖の話など、おもしろいエピソードがいろいろと挿入されている。
玉ねぎ売りのサムとキャサリンの話や、ひいひいじいさんとマダム・ゼローニの話などは実にユニークで楽しい。
個人的にはマジックリアリズムっぽいなと思ったが、どうだろう。もっともマジックリアリズムの定義自体がよくわかっていないけれど。

物語が構成が巧妙な点もこの作品の特徴だ。いくつかのユニークなエピソードが先できっちり合わさっていく姿は読み応えがある。
多分これは伏線なんだろうな、と思いながら読んだが、それでもそれがどう噛み合うかを想像するだけでも充分におもしろかった。

またキャラ造形が良かったのもこの作品の美点だろう。
特に主人公スタンリーとゼロの友情が個人的には良かった。ゼロに最初文字を教えることをためらいながらも、それを教える過程や、ゼロを追って、ビッグ・サムを目指すところなどはスタンリーの成長譚の様相を呈していて心地よい。
またスタンリーやゼロ以外のキャラもそれぞれ立っていたのが楽しめる要因になった、と思う。

残念ながらそこまで大絶賛される作品とまでは思わなかったけれど、娯楽としては申し分ない作品だ。個人的には充分ありである。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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