私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

赤坂真理『東京プリズン』

2014-10-03 21:42:39 | 小説(国内女性作家)

日本の学校になじめずアメリカの高校に留学したマリ。だが今度は文化の違いに悩まされ、落ちこぼれる。そんなマリに、進級をかけたディベートが課される。それは日本人を代表して「天皇の戦争責任」について弁明するというものだった。16歳の少女がたった一人で挑んだ現代の「東京裁判」を描き、今なお続く日本の「戦後」に迫る、毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞受賞作!
出版社:河出書房新社(河出文庫)




紛れもない意欲作だ。

東京裁判を探求することで、日本の戦後史を概括しているのだが、その過程で戦後史と少女の個人史とがメタフォリカルに結びついていく。
その大きな物語構造が心に届く作品であった。



舞台は1980年、アメリカに留学に来た少女マリが、単位のために東京裁判のディベートを行なうこととなる。議題は「天皇に戦争責任はあるか」。ほとんど知識を持ち合わせていなかったマリはその問題について調べることとなる。

そうするうち、マリはいくつかの問題に出くわす。
狩りで撃ち殺したヘラジカの話や、母親との関係など、それらの過去の追憶を、幻想と夢などを駆使して描き上げている。

正直ファンタジカル風味の描写は、少しぐちゃぐちゃしていてわかりにくい。
だがその様は、さながら時代を探るシャーマンのようにさえ読め、独特の雰囲気があった。それが少しおもしろい。


ぱっと見、そんなマリの日常風景は東京裁判と無関係そうに見える。
しかし、たとえばヘラジカをハントする部分などは、戦争で罪を犯した兵士のメタファーにも思えるし、マリを導くヘラジカの幻想は、後々の天皇のイメージとゆるやかに結びつく。
また東京裁判の通訳をしていた母のことを知ろうともしなかったことは、近現代史をほとんど学んで来なかった日本人に対する暗喩とも見えるし、母に見捨てられたと思っているマリの心は、天皇に見捨てられたと嘆く英霊のイメージと重なっていく。

そういったメタファーのつながりは見事だった。



しかしながらもっとも圧巻だったのはまちがいなく、最終章のディベートの場面だろう。

敵であるアメリカをなぜ日本人は愛するのか。
なぜ日本は執拗にパールハーバーのことを責め続けられるのだろうか。
そして天皇に戦争責任はあるか。
日本において天皇とはどういう存在なのか。
そういったことを探り続けていく。

理屈上、天皇に罪があることはまちがいない。たとえ天皇が周囲に利用されていたとしてもだ。
それはわかっているのだが、その推論を、英語を交えて読むと、非常におもしろい。

そしてゲティスバーグでリンカーンが、「人民」という新しい「神話」を構築したように、戦争の後で、東京裁判の形を通して、日本に「神話」が構築されていったのだろう。
かくして戦後日本は、男から女になったように、アメリカを受け入れていく。

上手くきれいにまとめて書けないが、戦前から戦後にかけての日本の姿が、システム的な欠陥等を指摘しながら、丁寧にあぶり出されていっている。
その怒涛のような流れがすばらしく、食い入るように読み進められた。


そしてラストのTENNOUの言葉に、この作品なりの新たな神話が構築されたように見えた。一言で言えば悔恨と慈愛としての天皇像といったところだろうか。
その姿を垣間見ることで、日本人は戦争責任と戦後を総括することとなるのかもしれない。



ともあれ大層な野心作である。
その物語の静かだが、力強さに圧倒されるばかりであった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

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