私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

フリードリヒ・フーケー『水妖記(ウンディーネ)』

2015-10-14 21:37:00 | 小説(海外作家)
 
湖のような青い瞳、輝くブロンド。子供をなくした老漁夫のもとにどこからか現われた美少女ウンディーネは、実は魂のない水の精であった。人間の世界にすみ、人間の男と愛によって結ばれて、魂を得たいとねがったのだ。――ヨーロッパに古くから伝わる民間伝承に材をとった、ドイツロマン派の妖しくも幻想的な愛の物語。
柴田治三郎 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)




古典的ロマン小説である。
古典であるゆえの不満は否応なくあるのだけど、展開もスピーディで、物語としておもしろい作品であった。
悲恋物語として悪くない作品である。


ともかく目を引くのは物語の捌き方だ。

150ページにも満たない作品だけど、その中には
騎士がふしぎな女と出会う。恋に落ち、結婚する。しかしいくつかの困難に出会う。
といった多くのエピソードがつぎ込まれている。

フルトブラントの心がウンディーネから離れるきっかけがえらい雑な扱いだな、と思ったり、ご都合主義が目立つ点(たとえばベルタルダと漁師が親子だというところ)が難だし、ベルタルダがいくらなんでも悪役扱いしすぎという気もする。
だけど、読み手を飽きさせず、物語に引っ張りこむ力はすばらしい。


しかし悲恋物語とは言え、ウンディーネもかわいそうだ。

水の精霊であるゆえ、フルトブラントはどうしても彼女を恐れてしまう。
しかもそれは必ずしもウンディーネの側に罪があるとも思えないところがつらい。
ベルタルダともウンディーネは仲良くしたいと思っているけれど、結果的にはベルタルダに踏みにじられたようなもの点と言うところも哀れだ。

加えて最後はフルトブラントを殺さねばならない宿命を背負うこととなる。惨い話である。


そんな悲惨さと、物語としてのおもしろさが、本作を古典として今日まで残す一要素になったのだろう。
物足りなさはあるが、古典らしい味わいのある一品である。

評価:★★(満点は★★★★★)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

J・D・サリンジャー『ナインストーリーズ』

2015-09-21 10:12:43 | 小説(海外作家)
 
サリンジャーが遺した最高の9つの物語。35年ぶりの新訳。
出版社:ヴィレッジブックス




野崎孝訳で読んで以来の再読だが、こんなにも繊細で傷つきやすい人物たちが登場する物語だったのだな、と改めて知らされ驚いている。
そしてここまで濃密に戦争の陰が落ちている作品とも思いもしなかった。

個人的には、『コネチカットのアンクル・ウィギリー』『笑い男』『ディンギーで』『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』が好きだ。
だが一個一個簡単に感想を記していこう。



・『バナナフィッシュ日和』

シーモアが戦争でPTSDになっているのはまちがいない。
義母は異常なシーモアの行動を不安視しているけれど、妻のミュリエルはシーモアのことを楽観視して気にも留めていない。
だがそれが悲劇なのだろう。

シーモアはずいぶん神経質な印象を受ける男だ。
会話自体もどこかぎこちなく、こだわりが強い気がする。それでも幼い子供と仲良くなるだけの常識はある。
それだけを見るなら精神疾患には程遠い。
しかし彼は自殺を選んだ。表層に見える以上に、彼の中には苦しさはあったのかもしれない。

バナナフィッシュが何かは結局わからない。
メタファーかもしれないいし、死に向かうにあたっての彼なりのトリガーかもしれない。
ともあれ、何がきっかけで人が壊れるかはわからない。そんな危い傷を見る思いがする。



・『コネチカットのアンクル・ウィギリー』

エロイーズはどうやら深い傷を負っているらしい。
夫との関係はうまくいかないし、娘は空想癖を持っていて、エロイーズをいらだたせるばかりだ。そして戦死した昔の男ウォルトのことをどこか引きずっているらしい。

それは人間的に感性の乏しい夫に対するいらだちであり、そうではなかったウォルトを懐かしむ気持ちと、恋人の無残な死に方に対するショックが強いからだろう。
彼女の中では、まだウォルトの死に対する折り合いがついていない。

最後の方の「気の毒なひねひね叔父さん」と口走る姿があまりに悲しい。
その言葉からはエロイーズの苦しみがあふれ出てきているようだ。
それだけに読んでいるだけでも切ない作品であった。



・『エスキモーとの戦争前夜』

セリーナの兄フランクリンは戦争に行けなかったことに負い目があるように見える。
ジニーの姉を嫌なやつって言っているのは、彼女が結婚相手に海軍の兵士を選んだことに対する嫉妬であり、コンプレックスなのかもしれない。

とは言え、フランクリン自体は親切な男だ。ちょっと空気が読めないけど。
そういう辺り、結局のところ不器用なんだと思う。
そんな彼の姿が悲しく、おかしく、切ない作品だった。



・『笑い男』

「笑い男」の話に対して、チーフは自分を仮託して語っている部分もあるのだろう。
何かしらの醜さをもっていて、それゆえに忌み嫌われる男。ユダヤ人のメタファーだという説があるのもうなずける設定である。

チーフの彼女は何かしらの理由で彼をふった。
泣いていたことからして彼女としても彼を嫌ってのことではないかもしれないし、彼としても不本意なのだろう。

恋人との別れを反映した、ラストの笑い男の話はただただ悲痛だ。
それだけにチーフの苦痛がうかがえて苦い印象を残している。



・『ディンギーで』

非常にわかりやすい話なだけに、すっと心に響いてくる。
ちょっとした言葉で傷つきがちなライオネルは、実に繊細な子供だ。
臭いと言われて、家出をするほど傷つきやすい彼は、女中たちが、父親のことをユダ公と言っていたことに傷つき、心を閉ざしてしまう。

彼自身、その言葉の意味はわかっていない。
しかしそこに込められた悪意に気づくだけのナイーブな感性を持った子だ。
それだけにつらいのだろう。

だが意味がわからないことはある意味では、救いかもしれない。
ライオネルが傷ついたのは、あくまで一対一の人間関係によるものでしかないから。
ユダ公という言葉にふくまれる、社会全体のユダヤ人に対する悪意について、まだ知らないですんでいるのだから。

母親のライオネルに対する態度は非常に深い愛に満ちていて、それも大きな救いになっている。
暗い内容の割に読後感の美しい作品だ。



・『エズメに――愛と悲惨をこめて』

Dデイの影響で「私」も機能万全といかず、心に何かしらの傷を負ったのだろう。
少なくとも文字の意味を追えなくなっている程度には、心に影響を与えている。
しかし昔のつかの間の交流をふと思い出したとき、傷つく以前のなつかしい感情がよみがえってくる。
そこから機能万全だった頃の自分を恋い求める感情もよみがえってくる様が一つの救いとなっている。



・『可憐なる口もと 緑なる君が瞳』

結局アーサーののろけになっているような気がするが、それが皮肉だ。
銀髪の男としては、相手の自殺さえ心配していたのに、それをこんな形で裏切られるんじゃたまったものじゃないだろう。
ある意味、互いの独り相撲で終わった話と見えるかもしれない。



・『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』

ユーモラスな作品で、まずはそこがおもしろい。
彼としてはいろいろ上手くいかない時間があって、ニューヨークでの生活や、義父との生活でなじめない部分があったのだろう。
その中で好きな絵で生活手段を求めるも、それも不本意なことの連続。
そんな中で、芸術の才能を持つ生徒が現れ、興奮するが、それだってうまくいかない。

しかし一つの奇跡を目撃したことで、人生に襲いかかる運命を甘受する、尼僧のような感情が湧き立って来る。
そしてその形態も人生の一つの形なのかもしれないと感じる次第だ。



・『テディ』

哲学的な話である。
テディはいわゆる神童に属するが、彼の理窟は少々特殊だ。

人はとかく論理や感情で物事を捉えがちだけど、彼はそういう方法を否定しているように見える。
彼としては「リンゴ食いたちの集団」とはちがって、論理ではなく、物事をあるがままに見ようとする姿勢を貫いているのだ。
だから感情的な見方や、自分の存在にもあまり価値を置いていない。
それに対する正しさはともかく、ある種の思想の表明としては興味深い事案だ。

だがそれゆえに、多くの場合、周りの気持ちを無視してしまうような気がする。
ラストの悲鳴はそれを端的に表している気がした。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』

2015-09-12 22:13:25 | 小説(海外作家)
 
キューバの老漁夫サンチャゴは、長い不漁にもめげず、小舟に乗り、たった一人で出漁する。残りわずかな餌に想像を絶する巨大なカジキマグロがかかった。4日にわたる死闘ののち老人は勝ったが、帰途サメに襲われ、舟にくくりつけた獲物はみるみる食いちぎられてゆく……。徹底した外面描写を用い、大魚を相手に雄々しく闘う老人の姿を通して自然の厳粛さと人間の勇気を謳う名作。
福田恆存 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)



久しぶりに読み返したけれど、非常にすばらしい作品だった。
老人の運命に対する悲壮さが、しんしんと胸に突き刺さってくるあたりがまず見事。
そんな彼の姿が忘れがたい余韻を為しており、短いながらも、抜群に読み応えのある一品である。


不漁が続く漁師のサンチャゴ。そんなある日、一人で海に出た彼は巨大なカジキマグロを引き当てる。そういう話だ。

その魚を釣り上げるまでが、とてつもない困難の連続で痛ましい。
引き上げようにもでかすぎて、引けないし、手の皮はすりむけるなど、翻弄されることもしきり。

そんな状況に対して、「あの子がいてくれたらなあ」と親しくしている少年のことを思い出して、やや弱気な気持ちにだってなったりもする。
何しろ、彼が魚をひっかけたのは、大海のど真ん中なのだ。
誰も仲間もついていない、たった一人の状況の中で、自分一人で釣り上げられるかもわからないカジキマグロと対峙する。。。
その状況はあまりに孤独で過酷としか言いようがない。


だがそれでもサンチャゴは、その獲物を必ず殺してやる、と誓って、カジキマグロに挑む。
くじけそうになる場合でも、敵に打ち勝とうと、己に言い聞かせるサンチャゴの姿は、幾分悲壮でさえある。

そんな敵とも言うべきカジキマグロに対して、老人は長いこと戦っていくうちに、親近感とも敬意ともつかない感情が芽生えてくる様がおもしろい。
「あの堂々としたふるまい、あの威厳、あいつを食う値打ちのある人間なんて、ひとりだっているものか」とまで感じているのだ。
その少年マンガのような思いの熱さは胸に響いてならない。


そうして長い戦いを繰り広げ、意識ももうろうとなり、気を失いかけながらも、サンチャゴはカジキマグロを釣り上げる。
長い闘争の果ての勝利と言っていいだろう。

しかしその戦いも、サメの襲撃によって台無しになってしまう。
サメが襲って来た時、老人には、それが勝ち目のない戦いだということはわかっていた。
それでも、彼は戦わざるをえなかった。
そんな老人の姿はどこか悲惨で、哀れで、虚しくて、悲劇的に見える。

自然はあまりに残酷としか言いようがない。
自分が釣り上げたカジキマグロをそんなわけで、傷つけられ、何も彼に残らないことが決定的になってしまう。
サンチャゴに襲うのはただただ諦念だけだ。
そしてそこには幾ばくかの絶望もあるだろう。

それでも必死に戦ったサンチャゴの姿は崇高さに満ちてもいるのだ。
絶望的な状況下にあっても、人間には何か譲れざる強さというものがあるのかもしれない。その様がしんしんと胸に響く作品である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかのアーネスト・ヘミングウェイ作品感想
 『日はまた昇る』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』

2015-08-28 21:50:24 | 小説(海外作家)
 
一九三〇年代、アメリカ中西部の広大な農地は厳しい日照りと砂嵐に見舞われた。作物は甚大な被害を受け、折からの大恐慌に疲弊していた多くの農民たちが、土地を失い貧しい流浪の民となった。オクラホマの小作農ジョード一家もまた、新天地カリフォルニアをめざし改造トラックに家財をつめこんで旅の途につく―苛烈な運命を逞しく生きぬく人びとの姿を描き米文学史上に力強く輝く、ノーベル賞作家の代表作、完全新訳版。
黒原敏行 訳
出版社:早川書房(ハヤカワepi文庫)




『怒りの葡萄』は社会的な問題意識に貫かれた作品である。

描かれる状況はただただ惨いものである。
そんな惨い、自然災害や、取り巻く社会的なシステムによって災難を被る庶民の生活をつぶさに描いていて、何かと考えさせられる一品だった。

そしてここで描かれている労働者の過酷な状況は、現在でも通じる面がある。
その点を鑑みても、普遍的な価値を持つ作品であると感じる次第である。



小説は主としてジョード一家を中心に描かれている。

ジョード一家の状況は悲惨だ。
砂嵐などの自然災害で、まともな収穫も期待できず、小作農家として土地を追われる。そして仕事があるとの噂を聴きつけ、カリフォルニアへと向かう。

彼らは新しい土地での希望を語るけれど、当然ながら、そんな状況など夢幻にすぎない。
祖父は土地を棄てなければいけないことに悲しみ、そのせいもあってか死んでしまうし、着いた土地ではオーキーと差別的に言われ、区別されている。
賃金は安く設定され、金がほしいのなら、それで我慢しろと足下を見られる始末。

差別も甚だしく、反抗しようものなら警察からはアカのレッテルを貼られ暴力的に排除されてしまう。
仕事についたとしても、仕事は期間工ですぐに仕事にあぶれてしまうし、少ない仕事を皆で奪い合う状況にもなってしまう。
そしてシーズンが終われば仕事はなくなり、自然災害が降り注ぐ。

これほど悲しい状況はなかろう。
そこにあるのは紛れもない、過酷過ぎる現実だ。
どこか現在のワーキングプアと通じる面があり、気が滅入る思いがする。


そんな中で庶民にできることは連帯することくらいだろうか。
苛酷な労働条件に対して、ノーを突きつけたり、差別による暴力的な排除に対しては、自分たちで自治組織を組み立て、立ち向かおうとする。

その姿は共産主義的だが、非常に重要な示唆に富んでいよう。

実際そんな苛酷な条件を提示する側だって負い目はあるのだ。

母ちゃんを揶揄した会社が経営する店の男が恥じ入ったように、高い賃金で雇ってもいいと思う経営者がいるように、どんなときでも、助けてやりたいという優しさを持つ人間はいる。


しかし状況を見る限り、それですべてが解決するわけでもない。
連帯だけでは、食事を得る、という現実的な課題を克服することは難しいのかもしれない。
作品からは、そんな理不尽に対する怒りが強く感じられる。

最後はある意味、悲惨な状況で、母ちゃんたちも将来に対する不安はあるだろう。
しかし世界に対する怒りがある以上、彼らはそこからやり直すしかないのかもしれない。

ともあれ告発の力が如実に感じる一品である。何とも力強い小説であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』

2015-08-26 21:56:41 | 小説(海外作家)
 
舞台はロンドンのサロンと阿片窟。美貌の青年モデル、ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享楽するが、彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ、いつしか醜い姿に変り果て、慚愧と焦燥に耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す……。快楽主義を実践し、堕落と悪行の末に破滅する美青年とその画像との二重生活が奏でる耽美と異端の一大交響楽
福田恆存 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)  




幾分冗長な作品かなというのが率直な感想だ。

解説に触れられている冒頭の文章に象徴されるけれど、美に関する表現が、ちょっともったりしていることなどが原因なのだろう。
耽美と言えば言葉はいいけど、まどろっこしい。

しかし物語そのものは緊張感が感じられ惹きつけられる。



美青年のドリアン・グレイは周囲の人間を魅力する美貌を持ち合せており、画家のバジルなどは彼に対して、同性愛的な崇拝心さえ持っている。だがヘンリー卿の影響もあり、退廃の道へと入っていく。

ヘンリーは実際魅力的な男だ。
皮肉屋だけど、機知に富んでいて、発言のいちいちは鋭い。
若いドリアンが影響を受けるのもむべなるかなだ。
少なくともモラリストのバジルの言葉などより、よっぽど心に響く。

そうして「不和とはやむをえず他人と同調することだ。大切なのは自分の生活だ」といった価値観のヘンリーの影響下、どんどんエゴの道を歩むこととなる。


その第一歩がシビル・ヴェインの自殺だ。
実際、ドリアンが彼女に幻滅し、彼女を棄てるときの言葉はあまりに思いやりがない。
傷つける意図にあふれていて、心底きつい。

そうしてシビルは自殺し、ドリアンもショックを受けるが、薄情と思えるほど冷めてもいる。
そしてすぐに次の喜びを見つけて、そちらの世界に入っていったりもする。

彼はそのとき、もっと人のことを思いやる気持ちを学べば良かったのかもしれない。
だがそれもしなかったし、できなかった。
それは彼自身罰を受けることもなく、肖像画にすべての醜さを預けて、自分は美しいままでいたことも影響しているのだろう。
要はスポイルされてしまったのだ。


もちろん悪徳の世界に入っていくことに苦悩や罪悪感はある。
だが彼は自己愛のせいか、自分を正当化する言葉を重ねていくばかりだ。
彼自身、これは正しいことではないという自覚はあるのだけど。。。

そして殺人まで犯して、転落の一途をたどっていく。
そんなドリアンの姿と心理描写が、さながら倒叙タイプの犯罪小説のようで、緊迫感があった。
ともあれきわめて読み応えのある一作である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルベール・カミュ『異邦人』

2015-06-13 09:40:28 | 小説(海外作家)
 
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。
窪田啓作 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




異邦人、というタイトルからして、カミュは人間世界の埒外にいる人間を表現したかったのではないか、と思う。
実際主人公のムルソーは、通常の人間の価値観から見たら、ずれた人間だ。
人殺しだってしているし、共感能力は幾分乏しい。

しかし共感能力が乏しいと言っても、サイコパスというほどでもないし、人並みに欲望もあれば、恐怖に対して怯える気持ちも持っている。
そういう意味、あくまでムルソーは人なのだ。
だが彼は、大多数の人間から理解されない行動基準を持っているために、世界から排除されることとなる。

そういう風に考えると、この作品は、コモンセンスや常識が、社会の枠組みに属しえない個人を圧殺する作品である、とも個人的には感じられた。
しかしコモンセンスなどの大きなものに頼らない分、彼はむちゃくちゃ強い人間であるとも同時に感じられてならなかった。

と先に結論に書いてしまったが、もう少し作品をふり返ってみよう。



ムルソーは基本的に乾いた感性の人間だ。
ママンが死んだときでも、決して悲しまず、まるで他人の死のようにふるまっている。

レエモンの犬がいなくなったときも、応対はずいぶん冷たく、マリイが結婚について尋ねたときも、「おそらく君を愛してはいないだろう」と平気で答えている。

彼の言動はすべて薄情に見えかねない。
というよりも他者への関心が低く、受け身で、執着心がないのだろう。
だから愛憎に関する感情が理解できないのだ。


だが彼に人間らしい感情がないわけでもない。

養老院の風景を見て、「ママンを理解した」と感じる程度の共感能力は(それが正しい共感かはともかく)あるし、「ママンを愛していた」ともふり返っている。
「健康な人は誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ」という気持ちも(言ってはダメだが)、養老院のことを考えると理解できないわけではない。

加えて検事に憎まれていると感じて、泣きたい気持ちにもなっている。
死刑が間近に感じられるときはおびえを感じている。

しかしながら、そんなささやかな彼の感情は理解されることなく、「自己を示す権利」すらなく、死刑に追いやられていく。
社会は、社会の枠からはずれた彼をあくまで圧殺する。


だけどそんな彼は、自分をもっとも引き受けている人間だと思うのだ。
彼は確かに人から理解されず、おそらく人々に憎まれながら死んでいく。

しかしだからと言って、社会が生み出した、神や信仰やシステムが要求するお約束に逃げることはないのだ。
彼はあくまで、そこにある絶対的な死をしっかり認識し、それを引き受けて死んでいく。

彼は、コモンセンスの観点から見れば、社会からははずれた人間だろう。
しかし、それに頼ろうとしない彼は、頼らないゆえにもっとも強い人間でもあるのだと思う。
確かに世界は彼を圧殺するが、彼の魂は決して圧殺されえない。

そんなムルソーの強さに、深い感銘を覚える作品であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかのアルベール・カミュ作品感想
 『カリギュラ』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アレクサンドル・プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』

2015-04-24 22:37:13 | 小説(海外作家)
 
工兵士官ゲルマンは、ペテルブルグの賭場で自分のひき当てたカルタの女王が、にたりと薄笑いしたと幻覚して錯乱する……。幻想と現実の微妙な交錯をえがいた『スペードの女王』について、ドストイェーフスキイは「幻想的芸術の絶頂」だといって絶賛した。あわせて『その一発』『吹雪』など短篇5篇からなる『ベールキン物語』を収める。
神西清 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)




訳者の作品が青空文庫にあるほどだから当然だが、なかなか古風な文体である。
しかしそれが古典的な作風の物語とマッチしていて、興味を引いた。


まずは表題作の『スペードの女王』。
これはいい意味で、古典的な内容の作品だ。言ってしまえば、これはもう因縁話なのである。

伯爵夫人が賭けに勝つための方法を知っていると聞いたゲルマンは、自分の我欲のために、不幸なリザヴェータの心を弄び、伯爵夫人の死の原因にもなった。
ゲルマンの行動ははっきり言って思いやりがない。
そんな彼に最後訪れる呪いのような展開は、まさに勧善懲悪、因果応報ってやつである。

それははっきり言ってベタで、古典的な流れである。
だがそれでもお話としては、そこそこおもしろかった。不満はあるが、これはこれでありである。



『ベールキン物語』の中では、『その一発』がおもしろかった。

侮辱を受けたために、凝った方法で復讐をしようとするシルヴィオ。
その復讐のためなら、勇気が足りないように見えても辞さないらしい。
しかしそれでいて、狼狽した姿だけ見て満足するあたり。どこか悪人でもない、人間臭さもある気がした。


『駅長』は実にひどい話である。
若い士官は確かに娘を大事に扱ったかもしれない。
だけど、父親に対する態度はあまりにもひどすぎる。娘をさらった上、尋ねてきた父親を追い出すなんて、人でなしと言ってもいい。
だけどこの手のことは当時、いろいろあったのかもしれない。
ラストは個人的に、幸福感には程遠い、そこはかとない絶望を感じた。

評価:★★(満点は★★★★★)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘルマン・ヘッセ『メルヒェン』

2015-03-27 21:08:46 | 小説(海外作家)
 
誰からも愛される子に、という母の祈りが叶えられ、少年は人々の愛に包まれて育ったが……愛されることの幸福と不幸を深く掘り下げた『アウグスツス』は、「幸いなるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり」という聖書のことばが感動的に結晶した童話である。おとなの心に純朴な子供の魂を呼び起し、清らかな感動へと誘う、もっともヘッセらしい珠玉の創作童話8編を収録。
高橋義孝 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




メルヒェンというタイトル通り、どこか寓話を思わせる作品群である。
『デミアン』や『シッダルタ』といったヘッセの作品群同様、内面への探求を感じさせるストーリーが多かった。
『車輪の下』好きの僕としては、苦手な路線である。
だが一篇一篇はそれなりに悪くない。



個人的に一番好きなのは、『アウグスツス』だ。

内容としては、放蕩息子の帰還という言葉がしっくりくる。
母は息子のことを思って、誰からも愛されるようにという願いをかけたのだけど、それが結果的には彼をスポイルさせる結果になってしまう。
だがアウグスツスが享受する他者の愛は、所詮与えられた環境がもたらした結果でしかないのだ。
それらの愛は、彼の本当の魅力ゆえに受けるものではない。

だから人から愛されるという恩寵を奪われたとき、初めて彼はこの世と向き合えたのだろうと思う。そして虚心に世界を眺められたのだ。

その流れが非常に胸に沁みた。
何ともキリスト教らしい愛の話である。



そのほかの作品も心に残る。

『別な星の奇妙なたより』
冒頭の地震による破滅のイメージは震災のことを思い出して悲しい。
しかし残された者は悲惨な中でも、あくまで死者を弔おうとしている。
それでも世の中には、そんな弔いを踏みにじるような理不尽もある。戦争などはその絶望の極致だろう。
作者の語り口からは、世界を覆う理不尽を厳しく見つめているように感じられた


『ファルドゥム』
因果応報的な説教話になりそうな展開だけど、そうならないところがおもしろい。
この話で重要なのは山になった男だろう。
彼は要するに引きこもりなのだが、それが高じて山になることを選択してしまう。
しかしそれによって、年を取ってからは孤独になっているように見える。
重要なのは、人間の間で生きていくことなのかもな、と思ったりした。


『アヤメ』
僕から見て、イリスはアンゼルムの過去の象徴に見える。
イリスはアンゼルムの求めに対して、とりあえず距離を取ったが、心のどこかで、そんなアンゼルムの感情を何とはなく察していたのではないか、と思った。
どこか失われた時代に対する哀惜に満ちた作品にも見え、何かと心に残った。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかのヘルマン・ヘッセ作品感想
 『シッダルタ』
 『車輪の下』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パトリック・モディアノ『ある青春』

2015-03-11 20:25:04 | 小説(海外作家)
 
はたちになろうとしていた、あの頃…兵役あがりのルイと歌手志望のオディールは、パリのサン・ラザール駅で出会い、恋に落ちた。そして十代最後の日々を、ふたりは、夢を追いながらも「大人の事情」に転がされていった―。パリから遠く離れて、いまや山荘で幸せな家庭を築くふたりの過去には、はたして何があったのか?ゴンクール賞に輝いた『暗いブティック通り』につづく、受賞後第一作。醇乎たるパッションが胸を打ち、香り立つフェティシズムが読者の記憶をもよびさます、新ノーベル文学賞作家による青春小説!モーシェ・ミズラヒ監督による同名映画の原作。
野村圭介 訳
出版社:白水社(白水uブックス)




実に淡々としたタッチの物語だ。
その淡々としたタッチのために、情感が立ちあがっているのが印象的。
しかしあまりに淡々としているために、今ひとつ頭に沁み込みにくいように感じた。個人の感性の違いかもしれないけれど。


本書では、山荘をたたもうとしている夫婦の若い時代の物語を描かれている。
一見何の変哲もない、幸せそうなカップル、そんな二人の過去に何があったのかをゆっくりと語り上げている。

ルイは兵営の後、職探しのため人を頼り、オディールは歌手の夢をかなえるため、苦労をしている。
彼ら二人を導くのは、ベリューヌ、ブロシエ、ブジャルディの知り合った中年の男たちだ。
彼らに導かれるように若者たちは出会い、恋をし、新しい人生を生きようとする。

しかしそんな中年の男たちにも若い時代があり、過去がある。
彼らにあるのは、ルイやオディールたちの知らない、青春期の蹉跌ではなかろうか。
そんな過去に引きずられて、死を選び、責め続けられる人もいる。


だがルイが彼らと決定的に違うのは、ラストで、とある行動を起こしている点かもしれない。
誰かからの庇護を離れた、ルイやオディールの行動は、人生を選択した上でのものだ。
そこにこそ青春期の終りがあるのかもしれない。
漠とした印象だが、そんなことを思った。

評価:★★(満点は★★★★★)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レフ・トルストイ『戦争と平和』

2015-01-29 20:47:14 | 小説(海外作家)

一八〇五年夏、ペテルブルグ。上流社会のパーティに外国帰りの奇妙な青年ピエールが現れる。モスクワでは伯爵家の少女ナターシャが名の日の祝いに平和を満喫。一方従軍するアンドレイ、ニコライらに戦火は迫り―対ナポレオン戦争を描いて世界文学史に輝く不滅の名作。
藤沼貴 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)




岩波文庫バージョンで計6冊と、さすがに長大な作品である。
しかし一度読んでみて良かったなと素直に思えた。

訳文はこなれているし、ところどころに差しはさまれるコラムや、各巻末にある年表のおかげで、筋が追えなくなったり、わからなくなったりすることも少ない。
何より物語として単純におもしろいのである。

だから少々の不満はあっても(エピローグの締め方、さすがに長すぎるストーリー)、退屈で投げ出すことはなかった。
最後までおもしろく読める作品である。



この作品にはたくさんの人物が登場するが、どの人物もキャラが立っていておもしろい。
とは言え、主要キャラはピエールとアンドレイの二人だろう。


主人公的立ち位置のピエールは、基本的に善人である。
そしてそれゆえに深く考えず、周りに流されるきらいがある。
若いときには無軌道なことをしたが、それだって悪友に流されたからのように見えるし、結婚だって周囲の期待にこたえようとして不幸な選択をしたところもある。

だが善人だからフリーメーソンになって社会の変革を夢見るし、ナポレオンを殺す運命にあると思いこみ、実際に行動している。
しかし何がしたいのか、わからないところもあり、ボロジノでは見学者よろしく戦場視察しているし、ナポレオンを暗殺するはずがフランス軍将校を助け、知らない少女を救出したりする。

基本的に波乱万丈の割に、右往左往しているような人だ。
そしてそれが素直で善人で理想化肌の彼らしいと思え、好ましく見えるのである。


一方のアンドレイは幾分屈折した男だ。
俗っぽい世間を嫌う彼は英雄を夢見るものの、アウステルリッツで命を落としかけて、人生の無意味を悟る。

その後は、人生の希望と絶望と失望を行ったり来たりしている感じだ。
ピエールと違い、やや考えすぎるところが彼の虚無的な性向に拍車をかけているのかもしれない。この性格もおもしろく読んだ。


それ以外の人物もおもしろい。

ナターシャの子供じみていて、遠距離恋愛で心が折れかけて、アナトールみたいな男に口説かれてなびいてしまうところなんか、現代にもいそうでおもしろい。
マリアは暴君の父のせいで卑屈になっていて、哀れさを誘う。
ソーニャもニコライに惹かれながら、自分の立場上、結婚できないで苦しむところなどは目を引いた。

そして各人がしどろもどろと人生を生きる中で、ナポレオンが到来するのである。



ナポレオン戦争のシーンは臨場感に富んでいて大変楽しく読めた。

現場の指揮系統が混乱する様、
砲弾が飛び交っている命の危険が迫る中でも、どこか暢気さを感じさせる会話、
やくざ者の群れのように略奪をくり返す兵隊たち、
甘い見通しで作戦を立てる将校や、敵が迫っているのに派閥争いをくり返す身内同士、
ペーチャのように血気盛んで、英雄的行為に憧れ、死を急ぐ者、など、

現実の戦争でありそうなことばかりで生々しいのがすばらしい。
これもすべてトルストイが実際に戦場を経験しているからだろう。
見てきたものだからこそ、書ける説得力がある。



そうして運命の急転する中で、ピエールやアンドレイのたどりついたのは、ずばり愛だ。
絶望と希望と失望をくり返してきたアンドレイは、自分の死を前に、全人的な隣人愛を感じている。キリスト教的な感慨と言えよう。

また同じくピエールも死の間近まで接近した結果、頭でっかちな考えではなく、プラトン・カタラーエフのように虚心に、あるがままに世界を眺めることを知るようになる。
そしてその中で、汎神論めいた神の存在を意識するようになる。

「生がすべてなのだ。生が神なのだ。すべてが移り、動く。そして、その運動が神なのだ。そして、生あるうちは、神を自覚する喜びがある。生を愛すべきだ、神を愛すべきだ。この生を苦悩のなかで、罪なき苦悩のなかっで愛することが、何よりも難しく、何よりも幸せなことなのだ」

とピエールは独白しているが、そういうことなのだろう。
僕がイメージするトルストイらしい結論だ。



いろいろ書いたが、ともあれ読み終えた後には、深い感慨に浸ることができる作品ということはまちがいない。
ともあれ、世界を代表する大作。一読に足るとつくづく思う次第だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかのレフ・トルストイ作品感想
 『アンナ・カレーニナ』
 『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アリス・マンロー『イラクサ』

2014-10-12 22:49:39 | 小説(海外作家)

旅仕事の父に伴われてやってきた少年と、ある町の少女との特別な絆。三十年後に再会した二人が背負う人生の苦さと思い出の甘やかさ(「イラクサ」)。長篇小説のようなずっしりした読後感の残る九つの短篇。チェーホフ、ウェルティらと並び賞される作家の最高傑作。コモンウェルス賞受賞、NYタイムズ「今年の10冊」選出作。
小竹由美子 訳
出版社:新潮社(新潮クレストブックス)




2013年度のノーベル文学賞作家の短編集である。

トータルで見れば、あまり好みの作風ではない。
だが、人生の機微を丁寧に描いているという印象を受けた。
特に、近しい人との間に生じる、ちょっとした齟齬を描くのが巧妙だと感じる。



個人的に一番好きなのは、『恋占い』だ。

この作品を途中までで読んだだけなら、ひどい結末しか予想できない。

人からは好かれず、あまり幸運な人生を送っているとは思えない中年の独身女ジョアンナ。彼女が手紙を通してグータラ男に恋するが、それは彼女が嫌っている少女たちの仕組んだいたずらだった。。。

うん、どう考えてもこの後に待っているのは悲運としか思えない。

しかし運命というのはわからない。
しっかり者のジョアンナと、グータラなケン・ブードロー。二人は意外と相性が良かったのだろう。
人間の間に時として生じる、運命の不思議なつながりを考えさせられる一品だ。



その他の感想も羅列してみる。


『浮橋』

ジニーは病気が良好に向かっていることで、いままでの苦しみが否定された気分になったのかもしれない。
だがラストに至り、周囲から偏見なく受け入れられていることに気づくこととなる。
そのとき彼女も少しは解放された気分になったのかもしれない。
そんなことを感じ、少し爽やかな余韻を覚えた。


『なぐさめ』

宗教にとかく批判的かつ攻撃的なルイスに、ニナはうんざりしたこともあるのだろう。
だからエドがキスしたとき、ニナは素直に受け入れたのだ。踏み外すつもりはなくとも、その中に安らぎを見出していたはずだ。
それでも、夫婦の絆がこわれるわけでもない。
そういった人と人との関係の描き方が非常にゆるやかでしんと胸に響いた。


『ポスト・アンド・ビーム』

自分の親代わりとして接してくれたポリーにいらだつローナ。
その要因は、ポリーの空気の読めなさにもあるし、彼女が夫をいらだたせていると感じることにも由来するのだろう。
時が経ってしまった以上、ポリーとローナの関係は変わらざるをえない。
だが人は他者が思う以上に変わることができるのかもしれない。
その予感に希望のようなものを見出すことができた。


『記憶に残っていること』

夫との間に生じる微妙な違和感。メリエルが医師に「連れて行って」と言ったのは、そのせいが大きいのだと思う。
だが二人は、そこから深いところへは進まなかった。それは明確な相手の拒絶があったことが大きい。
メリエルがそのことを忘れていたことは、ある意味、自分の心を守るための無意識の知恵だったのかもしれない。
ともあれ、人間の心の動きがしんと響く作品だ。


『クマが山を越えてきた』

過去には不倫もしてきた男。そこにあるのは紛れもない不実な男の姿だ。
しかし妻が認知症となり、施設に入れたところ、別の男と親しくなってしまう。
自分は平気で不倫していたのに、そういう場面に戸惑う姿があまりに滑稽で皮肉だ。
しかし夫婦の間には紛れもない愛情もあるのは疑いえない。
特にラストの場面には、二人だけの絆も見えるように感じた。

評価:★★(満点は★★★★★)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アレクサンドル・デュマ・フィス『椿姫』

2014-09-19 21:30:43 | 小説(海外作家)

椿の花を愛するゆえに“椿姫”と呼ばれる、貴婦人のように上品な、美貌の娼婦マルグリット・ゴーティエ。パリの社交界で、奔放な日々を送っていた彼女は、純情多感な青年アルマンによって、真実の愛に目覚め、純粋でひたむきな恋の悦びを知るが、彼を真に愛する道は別れることだと悟ってもとの生活に戻る……。ヴェルディ作曲の歌劇としても知られる恋愛小説、不朽の傑作である。
新庄嘉章 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




19世紀の作品ということもあるかもしれないが、物語の構造は古典的で、最初の方など説教臭さが鼻につく。
しかし読み物としてはなかなか楽しい作品だった。

それが『椿姫』に関する率直な感想である。



パリでマルグリットという高級娼婦が死に、遺産が競売にかけられる。そのうちの品を買った男に、アルマンという男が訪ねてくる。
アルマンはマルグリットとの思い出を語り始める。
マルグリットに出会い、心惹かれたアルマンは熱情的に恋をし、相手に翻弄されながらも、互いに愛し始めるに至る。
だがとあることをきっかけに、マルグリットは昔の男の元に戻ってしまう。それを知ったアルマンは当てつけのように別の女と関係を持つ。
しかしそんなマグリットの行動にはわけがあった。
そういう話である。

最後の方の展開などは、古典的であるゆえ、予想がつき、意外性はない。
しかしぐいぐいと先へ先へと読ませる力がある。その点はすばらしい。


マルグリットは華やかな人生を送ってきた女だ。
娼婦であり、伯爵や公爵といったパトロンにも恵まれ、病気がちではあるけれど、いい生活をしている。

そのためか、アルマンと出会ったころは高慢に見える態度も取っていた。
アルマンはいいように、そんなマルグリットに翻弄されている感はあるが、やがて二人は相愛の仲となっていく。

だからこそ、マルグリットは、アルマンとその家族のため自ら身を引いたのだろう。
そうして孤独に死んでいくマルグリットの姿はどこかさびしい。



しかしこうやって読んでみると、マルグリットの態度はどこか演歌っぽいよな、という風に見えてくるのだ。
好きな男のことを思って身を引く。男に都合がいい女という言い方もできるが、それがどこか演歌の中の女性のように見えてしまう。

舞台はパリの華やかな社交界だ。
それだけに、そう感じられたことに新鮮な思いを抱いた。
結局のところ、男の理想で描く女の像とは、洋の東西を問わず変わらないのだろうか、とも思えて興味深い。


ともあれ、なかなか読みごたえのある作品だった。
古典としての良さを堪能できる一品。そう感じる次第である。

評価:★★★(満点は★★★★★)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スタンダール『パルムの僧院』

2014-08-26 22:01:56 | 小説(海外作家)


イタリアの大貴族デル・ドンゴ家の次男ファブリスは”幸福の追求”に生命を賭ける情熱的な青年である。ナポレオンを崇敬してウァルテルローの戦場に駆けつけ、恋のために殺人を犯して投獄され、獄中で牢獄の長官の娘クレリア・コンチと激しい恋におちる……。小公国の専制君主制度とその裏に展開される政治的陰謀を克明に描き、痛烈な諷刺的批判を加えるリアリズム文学の傑作である。
大岡昇平 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




「パルムの僧院」は以前読んで挫折した作品だ。
それもひとえにファブリスの行動についていけなかったのと、ジーナとモスカ伯爵が繰り広げる政治劇がピンとこなかったからだろう。

今回再読してみたが、前回感じた不満は幾分払拭された気がする。
だが全体的にピンとこないことに変わりなかった。
『赤と黒』のときも感じたが、僕とスタンダールはどうも肌が合わない気がする。

しかし19世紀の小説らしい主人公の造形は何かと心に残った。


主人公のファブリスはよく言えば情熱的な人物だ。
基本的に直情的なところがあり、最初の方などはずいぶん世間知らずだ。
ナポレオンを追いかけてワーテルローまで向かうところもそうだし、いいように金をだまし取られるところを見ても、その思いを強くする。

ともかく見るからに危い。
実際その後、ナポレオンの軍に向かったことが原因で捕まるし、その後は女がらみで殺しを行ない、やはり捕まることとなる。


しかしそんな危うさと情熱を併せ持つゆえに何となく女受けはいいような気がする。
ワーテルローだったら、酒保の女は親切にしてくれたし、その後もいろんな女が彼にかまってくれる。

だが一番彼を愛したのは、まちがいなく叔母のジーナだろう。
彼女はファブリスが捕まったとき、モスカ伯爵などを使い、必死に政治活動を行ない、釈放までこぎつけている(政治的な駆け引きはなかなかおもしろい)。

しかしそうやってファブリスのために行動するジーナだが、ファブリスの心は徐々にクレリア・コンチへと傾いていく。
こういったところは、ファブリスらしいと言えばらしい。


そしてそんなファブリスが、僕にはどうにも合わないのである。
嫌いではないし、理解できないわけではない。
ただ心には響かないのだ。

物語としては起伏があっておもしろいのだが、おかげで一歩引いたところから見てしまったきらいはある。

だがその19世紀らしい主人公の行動は、共感したしないにかかわらず、忘れがたいものがあった。
好き嫌いはあるが、個性ある作品と言えよう。

評価:★★(満点は★★★★★)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シュテファン・ツワイク『ジョゼフ・フーシェ ―ある政治的人間の肖像』

2014-06-29 20:19:21 | 小説(海外作家)

「サン=クルーの風見」。フーシェにつけられた仇名である。フランス革命期にはもっとも徹底した教会破壊者にして急進的共産主義者。王制復古に際してはキリスト教を信ずることのきわめて篤い反動的な警務大臣。フーシェは、その辣腕をふるって、裏切り、変節を重ね、陰謀をめぐらし、この大変動期をたくみに泳ぎきる。
高橋禎二、秋山英夫 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)




フランス史は詳しくないので、ジョゼフ・フーシェがどんな人物かは知らない。
だがツワイクの描くフーシェを読んでいると、とても尊敬できる人物ではないな、というのが率直に思ったところだ。

それは副題にある通り、あまりに政治的人間であるからだろう。
彼は政治的信条の欠片もない、権力に恋々としている政治屋なのだ。
能力がある人なのはまちがいないが、あまり友人にはしたくないタイプである。

だがそういった人物ゆえに、読み物としてはおもしろい。


ジョゼフ・フーシェはフランス革命前の時代、僧院の教師としてキャリアをスタートさせる。そしてやがて、政治家として議会に登場する。

政治家としての彼には、政治信条に対して、一本筋の通ったものは見られない。
穏健な革命派だったのが、力で反対勢力を弾圧する急進派になるし、再び穏健派になったと思いきや、上司を裏切りナポレオンに尻尾を振る始末。かと思えばそのナポレオンを裏切り、また王党派に与するなど、ころころと彼のイデオロギーは変転していく。
どう見たって節操がないとしか言いようがない。

しかしそんな節操のなさにも関わらず、いつまでも政治の世界の中を泳ぎきるだから、才能があることはまちがいない。


彼は基本的に待ちの人である。
議員になったばかりのころは、下手に意見も言わず、状況を見極めて、自分の行動を決している。そして時代の流れを読み取り、その流れに乗っかる以上のことをしない。

そしてそのためなら、同僚や上司を裏切ることも辞さないのだ。
リヨンの虐殺のときは同僚を、ナポレオンのクーデターのときには自分を救ってくれたバラ―を裏切っている。

そして一旦、自分がピンチに陥れば、ロベスピエールやナポレオンのような最高権力者とも対峙し、根回しを行なうなどして排除している。

この才能は目を見張るほかない。
そしてその才能ゆえに、いつまでも権力の中心近くにいることができたのだろう。

そのようにフーシェが生き延びることができたのは、特に情報の扱いに優れていたからだと思う。
警察大臣として、裏情報を入手し、うまく使いこなしている様はさすがだ。
そして彼自身、権力への渇望が強かったことも、政治の世界に生き延びることができた要因なのであろう。


だがフーシェがそんな人物であるからこそ、最後は転落を迎えたのだと思うのだ。
僕から見ると、フーシェの末路は自業自得としか見えない。
必然と言えば必然であろうし、自分が招き寄せたものと見える。

彼自身、自分の人生にどれほど納得できていたかはわからない。
だが何となく、傍目には人間の無常についていくらか考えてしまう。

ともあれ特異な人物の評伝として、非常に楽しい一冊だと思った次第だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュール・シュペルヴィエル『ひとさらい』

2014-06-22 18:09:41 | 小説(海外作家)

貧しい親に捨てられたり放置されたりしている子供たちをさらうことで自らの「家族」を築き、威厳ある父親となったビグア大佐。だが、とある少女を新たに迎えて以来、彼の「親心」は、それとは別の感情とせめぎ合うようになり…。心優しい誘拐犯の悲哀がにじむ物語。待望の新訳!
永田千奈 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)




奇妙な滑稽さと、ふしぎな哀切さを感じる作品だ。
もちろんそれは、不幸な子どもをさらって疑似家族をつくろうとするビグア大佐の存在に負うところが大きい。


ビグア大佐という人は、僕にはよくわからない。
彼が子供をさらってくるのは、子供がほしいという思いがあるからだ。そのために不幸な子に目をつけ、それをさらってきている。

だがそこに温かい家庭があるように、僕には見えない。

確かにビグア大佐夫婦の仲は悪くないし、子供との関係も悪くない。
だがそれでもそう感じるのは、彼の行動にゆがんだところが見えるからだろう。
だからだろうか、慈善とはちがう愛情を子供たちに注いでいるけれど、その愛も、簡単に醒めかねないつくりものめいた感情に見えるのである。
やや辛辣にすぎるだろうか。


ともあれそんな疑似家族に対する愛情は、マルセルという少女の登場でゆらぐこととなる。

マルセルは少女期から大人へ向かう過程にいる女性だ。
そのせいで、ビグア大佐はいままでの子供たちと同じように接することもできず、恋心を抱く羽目になる。
しかし彼はその感情をひたすらに押し殺し、あくまで父親としての態度で通そうとする。

その姿がどこか滑稽でもあり、哀切さを見る思いがするのだ。
まさしく中年男の滑稽さだろう。


さてそんなマルセルは、同居する若者と関係を持ったことから、妊娠してしまう。
大佐は落胆するが、マルセルの子を手にすることに、孫を持つときのような希望を見出すのだが……。

大佐はどれだけ子供をさらっても、本当にほしいものは手にできていなかったのではないか、と読み終えた後には感じる。

「そもそも、何もかもが、私から遠ざかっていく。たとえ、この世の子供たちを手あたりしだいにさらってきたところで、私には地獄のような孤独が待っているのだ」
そんな言葉が出てくるが、まさにそういう状況なのだろう。

どれだけ子供を攫ってきても、それは所詮借り物でしかないのだ。


だからラストシーンに至ったときには、ただただ悲しい気持ちになるほかなかった。
解説によると、大佐はあの後助かったらしいが、何も知らない初読時は、そのも苦みあふれる展開に、切ない気分にさせられたことが忘れられない。

ともあれ、中年男の悲哀と、人間そのものの悲しさをも見るような作品であった。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかのジュール・シュペルヴィエル作品感想
 『海に住む少女』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする