私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

司馬遼太郎『夏草の賦』

2014-05-12 20:51:56 | 小説(歴史小説)


英雄豪傑が各地に輩出し、互いに覇をきそいあった戦国の世、四国土佐の片田舎に野望に燃えた若者がいた。その名は長曽我部元親。わずか一郡の領主でしかなかった彼が、武力調略ないまぜて土佐一国を制するや、近隣諸国へなだれ込んだ。四国を征服し、あわよくば京へ…。が、そこでは織田信長が隆盛の時を迎えんとしていた。
出版社:文藝春秋(文春文庫)




名は知られているものの、長宗我部元親について、僕が知っていることはだいぶ少ない。

これは名古屋生まれで東北在住という、僕の出身の問題もあるが、やはり辺境の英雄はどうしても軽視されやすいという事実もあるのではないか。
歴史に詳しい人や、四国以外の一般の人も多分、僕と似たようなものと思う。

そのように人物を知らない分、本書を楽しく読むことができた。
そういう意味、価値あり一冊と言える。


司馬は元親を決して魅力的には書いていない。
気難しく悩みまくりで、それでいて典型的なマキアベリストでもある。
そういった性質は彼の臆病さから来ているという。それゆえに後ろ暗い手段も辞さない。

元親も初陣こそ、彼なりの才気を見せているが、本質的には謀略をもって事に当たることが性質にもあっているらしい。
戦国という時代を考えれば、それは美点かもしれない。
しかしその中には湿った腹黒さとでも形容したくなるような暗さがある。

後半は精彩をなくし、意固地の頑固者になっていくという点を見ても、あまり友だちにはしたくないタイプだ。
元親の妻の菜々は弟の弥九郎の方が男として好みだったと言うが、むべなるかなと思う。


人間的な魅力で言うなら、断トツで信親の方が抜きんでいている。
小説内の彼はとにかくすてきな男である。戸次川の戦いで家臣が共に死のうとしたのも納得の好人物だ。
しかし元親にはそんな爽やかさはない。そのためちょっと乗りきれなかった部分があるのは否定しない。


とは言え、元親が大きな仕事をしたことはまちがいない。
しかしそれも大きな勢力を前に屈しなくてはいけなくなる。

彼は田舎者で限界があり、器量も天下人の前では存外に小さい。元親自身もそのことを痛切に感じずにはいられなくなる。
それを目にした時点で、元親の心は折れていたのだろう。
それでも何とか気力を保てたのは、信親の存在が大きいと思う。

秀吉に屈したのも土佐一国を信親のために残したかったからだ。
実際信親に口出しする彼は、世の鬱陶しい父親を見るようだ。息子からすればうざいだろうが、少なくとも愛は見える。


しかしそんな息子も戦で亡くしてしまう。
それからの転落っぷりは見ていても悲しいくらいだ。

人は心が折れてしまった瞬間から、精彩を失くしていく生き物なのかもしれない。
その姿には哀切さが漂っていて、深く胸に響いたのである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



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 『国盗り物語』
 『坂の上の雲』
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井上靖『敦煌』

2014-02-12 21:54:11 | 小説(歴史小説)

官吏任用試験に失敗した趙行徳は、開封の町で、全裸の西夏の女が売りに出されているのを救ってやった。その時彼女は趙に一枚の小さな布切れを与えたが、そこに記された異様な形の文字は彼の運命を変えることになる…。西夏との戦いによって敦煌が滅びる時に洞窟に隠された万巻の経典が、二十世紀になってはじめて陽の目を見たという史実をもとに描く壮大な歴史ロマン。
出版社:新潮社(新潮文庫)




『敦煌』を読んで感じたのは、運命の変転というものだ。
人もそうだし、文字や文書、国でさえも、歴史の荒波の中では成すすべもなく飲み込まれてしまうのかもしれない。
そんなことを読んでいて感じた。

そんな運命の流れは、中国の歴史を背景にしていて、文章も硬質なためか、大層雄大に感じられた。


舞台は中国の西域だ。
正直、西夏も西夏文字のことも知らなかったので、こんな歴史もあったのだな、と知れて、それだけでもわくわくできる。知らない世界に触れられるのはなかなか楽しい。

その中で、宋の官吏を目指して失敗した行徳は西夏文字に触れたことで、西域を目指すこととなる。
解説にもある通り、ここらあたりは強引な流れと感じるし、ほかにも強引と感じるストーリー展開はあった。

しかし運命に導かれるまま流されていく行徳の姿は、歴史の流れにそのままどっぷりつかっているように見える。それが物語の世界観とマッチしているようにも感じた。
これはなかなかいいキャラクターではないだろうか。


この行徳に限らず、目を引くキャラクターは何人かいる。
特に朱王礼の血気盛んで義理に厚いところなどは好感が持てるし、尉遅光の盗賊然としたどこか不遜な姿も非常にキャラクターが立っていておもしろい。

そうした魅力的なキャラクターに導かれ、物語は紡がれていく。


そしてそこから見えてくるのは、歴史の大きな流れとも言えるのかもしれない。

人の運命の変転も、大きな流れの前では、抵抗すべくもなくくりこまれていっているように見えるのだ。
その描写の中に、この作品の大きさを見る思いがする。

本書は決して長い作品ではない。
しかしそこにある世界の大きさにはただただ感服するばかりであった。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかの井上靖作品感想
 『しろばんば』
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『華岡青洲の妻』 有吉佐和子

2012-02-23 20:42:26 | 小説(歴史小説)

世界最初の全身麻酔による乳癌手術に成功し、漢方から蘭医学への過渡期に新時代を開いた紀州の外科医華岡青洲。その不朽の業績の陰には、麻酔剤「通仙散」を完成させるために進んで自らを人体実験に捧げた妻と母とがあった――美談の裏にくりひろげられる、青洲の愛を争う二人の女の激越な葛藤を、封建社会における「家」と女とのつながりの中で浮彫りにした女流文学賞受賞の力作。
出版社:新潮社(新潮文庫)




嫁と姑ってやつはどうしてぶつかるのだろうな、と男としては思う。
男でしかも独身だから、僕としてはまったくわからないのだけど、嫁姑問題はむかしから延々とくり返されてきたし、未来においてもその本質は変わらないのだろう。

本作はそんな嫁姑間における互いの心理を、つぶさに描いていて非常に読み応えがある。むしろ読み応えがありすぎてこわいくらいだった。
僕には理解できない世界だけど、理解できないからこそおもしろい。そういう作品である。


華岡青洲の母にして、加恵の姑である於継は華岡家を背負っている部分がある。
実際彼女自身、自分が華岡家を支えているという自負が強いのだろう。
その自負は加恵を嫁に迎えようと、相手の家に乗り込んでくる点からもわかる。

それゆえか、家を背負って立つはずの息子の雲平(青洲)に対する愛着は相当に強い。
自分の子供だからという点もあるが、息子を独り占めしたがっているかのようにふるまっていて、読んでいる分にはおもしろい。
愛情や期待感の裏返しでもあるのだろうな、と読んでいて感じる。


だがその結果、於継は息子の妻である加恵に対して、冷たい態度をとるようになるのだ。
あれほど嫁を大事にしていたのに、急に態度を変えるところなどは、理解に苦しむだけに、非常におもしろい。

でも、態度を豹変される加恵としては、たまったものじゃないのだろう。
家の中では、埒外に置かれ、家族の中にいても疎外される。彼女の孤独は、察するに余りある。

それが原因となり、加恵に被害妄想気味の憎しみが生まれることになる。そしてやがては、麻酔薬をめぐる心理的な争いになってくるのだ。
その過程と、物事が発展していくあたりは、読んでいてぞくぞくしてしまう。
何て気の強いやつらだよ、と、こっちとしては思うのだが、二人の鬼気迫るような心情の昂ぶりは、表面上は静かなだけに、少しばかり恐ろしい。

だがこわいのは女だけでなく、それを知りながら、自分の医学の追及のため、「知らんふりを通して」、二人に薬を飲ませた青洲もそうだ。
嫁、姑、夫。それぞれの男女の心理の駆け引きが、静かである分、変な迫力がある。


近しい人間同士の、微妙で激しく、互いの自尊心を賭けた、水面下の心理的戦いを、丁寧に描いていてすばらしい。
短いながらも、読み応えのある、本作はそんな一級の作品であった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『坂の上の雲』 司馬遼太郎

2012-01-29 21:33:05 | 小説(歴史小説)

明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せき切って先進国に追いつこうとしていた。この時期を生きた四国松山出身の三人の男達――日露戦争においてコサック騎兵を破った秋山好古、日本海海戦の参謀秋山真之兄弟と文学の世界に巨大な足跡を残した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く長篇小説全八冊。
出版社:文藝春秋(文春文庫)




全八冊、トータルで見れば3000ページ超と非常に長い作品だ。だがこの長さも納得と読み終えた後に思う。
それは、本作が日露戦争に至るまでの日本の姿と、日露戦争の状況を、総合的、複合的視点から描き上げようと努めているからだ。
その結果、雄大な物語になっており、圧巻である。


戦争を複合的に捉えているということもあって、この作品には多くの人物が登場する。

日本騎兵の父と呼ばれた、秋山好古。
日本海海戦時の参謀でバルチック艦隊を破る戦術を創案した、秋山真之。
短歌と俳句の道筋に新しい道筋をつけた、正岡子規、
といった主人公陣を始めとして多士済々。

ロシアとの開戦を回避するために行動した、伊藤博文。
ちょっと尊大な雰囲気もある外務大臣の、小村寿太郎。
大リストラを敢行し、日本海軍の礎を築いた、山本権兵衛。
その上司で愚の如し態度を取りながら部下が働きやすい環境を整えた、西郷従道。
日露戦争の大将で西郷同様の態度で部下をまとめ上げた、大山巌。
日露戦争の総参謀長で精力的に行動する、児玉源太郎。
詩才はあるけれど、愚直で、戦争が下手で、しかしなぜか劇的な生き方を背負ってしまう性質の、乃木希典。
無口だが、日本海海戦で的確な判断を下す、東郷平八郎、など。

印象に残る人物がたくさんいて、どれも一読忘れがたい。
第三軍の参謀長で、どう見ても悪玉に割り振られた伊地知幸介でさえ、非常にインパクトがあり印象的だ。

そんな中で個人的に目を引いたのが、明石元二郎、だ。
日露戦争のときヨーロッパに渡り、諜報活動をくりひろげた明石だが、その話が刺激的である。
明石が行なったことは早い話、反ロシア政府団体に金を渡しただけだけど、それが地味にロシアを苦しめていくという展開は、読んでいるだけで、ちょっとワクワクしてしまう。
歴史においてはいろんな役割の人物がいるけれど、こういうユニークな役割の人物がいると知れただけでも非常に新鮮である。


また日露戦争の相手国であるロシアの人物たちも、日本ほどではないにしろ、司馬は紹介している。

日本人を「猿」とののしる、皇帝ニコライ二世、
日本との戦争を避けようとして遠ざけられた、ちょっと皮肉っぽい雰囲気のある、ウィッテ、
傲慢な態度を取り続けるバルチック艦隊を率いた、ロジェストウェンスキー、
官僚的側面のある、クロパトキン、など。
それぞれがどういう考えの元で動いていたのかも知らされる。

そして同時に、日露戦争に至るまでや、その最中に、いかに多くの人間が関わり、動いていたのか、ということを改めて気づかされるのだ。


また軍隊が戦場でどのように戦い、動いていたのかも、複合的に描いている点がすばらしい。

これだけの人物を描ききり、多くの事象、軍隊の動き、政治的駆け引き、人々の思惑など、あらゆる要素を積み重ね、日露戦争の全体像を描こうとした司馬の筆力に、僕は読んでいてただただ圧倒されるばかりだった。

もちろん最新の研究成果からすれば、司馬の見方にはいくばくかの誤りがあることとは思う。
しかしそれでも連載当時の資料をフルに駆使して、これだけ大きな絵を描きあげたことに感服するほかない。


だがそうした大きな絵を通して見ると、日露戦争がいかに薄氷の勝利だったか、ということを思い知らされる。

解説には日本の覚悟がロシアを上回っていたことなどを理由に、「日本は勝つべくして勝ち、ロシアは負けるべくして負けた」と書くけれど、やっぱり運の要素が本当に強かった、と思うのだ。
特に黒溝台会戦や奉天会戦などは、相当量は運の要素が強いように僕には見える。

確かにロシアには粘りがなく、結果的に日本の粘りが、勝利を引き寄せたと見えなくはない。
けれど、僕にはロシアの司令官の態度などがたまたま運良く積み重なった結果だとしか見えないのである。
それは本当に偶然の産物によるものが大きい。

そして日本軍が、そういった運も含め、日露戦争をきちんと総括できず、その後の時代を進んだということは、一つの教訓とも言えるのだろう。
そういった教訓を読み手に考えさせる面も含め、本作は本当に大きな絵と言えるのかもしれない。


司馬の作品では、個人的に言うと、『国盗り物語』や『燃えよ剣』『峠』『花神』『竜馬がゆく』など、ドラマツルギーを感じさせる作品の方が好きだ。
けれど、この作品の雄大さは、そんな好みを抜きにしても賞賛するほかにないくらいに、高いレベルにある。

『坂の上の雲』は司馬の代表作と見なされることが多いが、それも納得の非常にスケールの大きな作品である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの司馬遼太郎作品感想
 『国盗り物語』
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『安土往還記』 辻邦生

2011-12-12 20:45:38 | 小説(歴史小説)

争乱渦巻く戦国時代、宣教師を送りとどけるために渡来した外国の船員を語り手とし、争乱のさ中にあって、純粋にこの世の道理を求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする“尾張の大殿(シニョーレ)”織田信長の心と行動を描く。ゆたかな想像力と抑制のきいたストイックな文体で信長一代の栄華を鮮やかに定着させ、生の高貴さを追究した長編。
出版社:新潮社(新潮文庫)




戦国時代を描いた作品は小説に限らず、映画、テレビ、マンガ、雑学本など多くあるわけで、その中でも織田信長を取り上げたものはかなりのウェイトを占める。
本書もある意味ではその系譜に乗っかる作品なのだろう。

だが本書は、信長そのものを直接描くのではなく、ヨーロッパ人の船員の目を通して描いている。
他者の目を通して、一人の人間の内面をあぶりだすという手法は、歴史小説でありながら、純文学の香気も漂っていて、なかなか心地よい。


そこで描かれる信長は、かなり魅力的だ。
好奇心旺盛で、柔軟な思考を持ち、大胆な行動力をも兼ね備えている信長は、「理にかなった」ことのみを追い求め、「事が成る」ことに重点を置く人物でもある。
そしてそのためなら、苛酷なほどの意志の力をもって、ことに当たる人物でもあるのだ。

だがそれは裏を返せば、行動の非情さにもつながってくるのだろう。
長島の一向門徒を虐殺したのは、そんな信長の非情さと苛酷さとを体現しているとも言える。
理にかなったことを極端に求め、意志の力で行動しようとするがゆえに、徹底的に物事を成し遂げようとする。その峻厳さには目を見張るばかりだ。

しかしながら、行動が苛酷であるにもかかわらず、信長本人には気品すら感じられる。
それは彼が、いろんな意味で、人よりも高い位置にいる人物だからかもしれない。


実際、信長は孤独な、というか孤高という言葉が適切な人でもある。
それは、信長が自らに戒律を課す傾向にあり、同時にそれを他人にも求める人だからだろう。
家臣たちの多くからは、そんな信長の考えは理解されず、徹底的に畏怖されるばかりなのだ。

言うなれば、信長はニーチェ風に言うならば、超人なのだ。
『ツァラトゥストラ』を思わせる綱渡りの比喩があったが、意志の力をもって、人間の極限に向かって進む彼の姿に、多くの凡人はついていくことができない。


だからこそ、宣教師たちといるとき、信長は安らぎを感じられたのだ。
それは彼らが家臣たちと違い、ありのままの信長と接したということもある。
だがそれ以上に宣教師たちに共感を持ったのが大きい。

宣教師たちは意志の力で、日本までやって来て布教活動を始めた。
そんな宣教師たちに、信長は意志の力で行動する自分と同じものを見たのかもしれない、と語り手は述べている。

荒木村重をはじめ、多くの武将は信長の真意をほとんど理解できなかった。信長はそんな自分の意志を、自分に従っている者たちに理解してほしかったと、語り手は推察している。
けれど、多くの場合彼の思いは届かなかった。それは信長が、あまりに偉大すぎるがゆえだろう。
だからこそ、共感という感情を向けた宣教師たちを大切にしているのだ。


だが共感という感情を持ったのは、何も信長だけではないのだ。
たぶん信長が宣教師たちに向けた以上の共感を、この語り手は信長に向けている。
そもそもこの語り手の文章は、あまりにも信長に好意的でもあるのだ。

もちろんここに描かれた、信長の孤独も、信長の意志の力も、宣教師たちに好意的だった理由も、語り手の主観とは言え、あながちまちがったものとは思わない。
だが信長の心情を可能な限り推し測り、彼の行動を弁護し、彼のすばらしさを控えめながらもしっかりと主張し、多くの推察をここまでほどこせたのは、語り手の信長に対する強い共感がなければ、成し遂げられなかったものなのだろう。

もうそれはほとんど恋と言ってもいいくらいの強さがある。
そしてそれゆえに、本書の信長はここまで気高く、美しい存在となっているのだろう。


信長の事跡を楽しめるという点で歴史小説的なおもしろみはあるし、テクストの構成には純文学的な企みがあって、いろいろな楽しみ方ができる。
非常に高いレベルにある作品と思った次第だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『新選組 幕末の青嵐』 木内昇

2011-09-14 20:16:06 | 小説(歴史小説)

身分をのりこえたい、剣を極めたい、世間から認められたい―京都警護という名目のもとに結成された新選組だが、思いはそれぞれ異なっていた。土方歳三、近藤勇、沖田聡司、永倉新八、斎藤一…。ひとりひとりの人物にスポットをあてることによって、隊の全体像を鮮やかに描き出す。迷ったり、悩んだり、特別ではないふつうの若者たちがそこにいる。切なくもさわやかな新選組小説の最高傑作。
出版社:集英社(集英社文庫)




基本的には目新しさのない小説だと思う。

僕の新選組に関する知識は、司馬遼太郎の『燃えよ剣』と『新選組血風録』、大河ドラマの『新選組!』、歴史雑学本や新選組関連のマンガで得た程度のものでしかない。
それと比較しても、オーソドックスなつくりと思う。

時系列通りに事件を扱っているため、展開に驚きはないし、キャラクターの造形も、いままで先人が積み重ねてきたキャラクターを借りてきているという印象を抱く。

しかし、にもかかわらず、本作は大変おもしろい作品であった。
それはこの作品が丁寧に人物の姿を描いているからだろう。


先述した通り、登場人物の基本的な性格は、これまでの小説などと似通っている部分は多い。
そういう点、本作はあまり冒険をしてはいない。

しかし人物の描写力は非常に優れており、人間に対する観察力や洞察力も卓越している。
おかげでどの人物もリアリティにあふれており、生き生きとした存在感を発することになる。


優しさの示し方が不器用で、あくまで近藤を支えるため、鬼の副長として徹するところが印象的な、土方。
感情の浮き沈みは少なく淡々としているけれど、情が深いところすてきな、永倉。
学を追い求める姿は一途で、人はいいけれど、それがゆえにやがて新選組内で孤立する様が切ない、山南。
飄々として、子どものようだけど、意外にするどいところがおもしろい、沖田。
怜悧だが、御陵衛士の場面で見せた人間臭いところが心に残る、斎藤。
直情的なところが痛々しい、藤堂。
虚勢を張る姿が、あまりに危うい、芹沢。 
個人的には、過小評価されすぎていて残念だが、出世して無邪気に喜ぶところや、不器用なくらいにまっすぐなところが忘れがたい、近藤。
など、どの人物も魅力的に描かれている。


彼らの魅力やそれぞれの欠点は、読んでいてもたいへん心地よく、各人なりにいろいろ考えていることが伝わり、読んでいてもおもしろい。
特に彼ら自身がいろいろな悩みを抱えている点が良い。
彼らはいまとなっては歴史上の人物だけど、そんな彼らだって、理想を追い求める、当たり前の若者だったのだな、と気づかされる。
そこからはまるで、青春小説のような味わいすら感じられる

話そのものには目新しさはなく、いくぶん新選組の歴史ダイジェスト版って感じはするし、キャラクター造形も借り物の印象もする。
しかしそのキャラクター描写に関しては、一級のものがある。
新選組ファンも、そうでない人も、楽しめる一品だろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『樅ノ木は残った』 山本周五郎

2011-05-19 21:12:53 | 小説(歴史小説)

仙台藩主・伊達綱宗、幕府から不作法の儀により逼塞を申しつけられる。明くる夜、藩士四名が「上意討ち」を口にする者たちによって斬殺される。いわゆる「伊達騒動」の始まりである。その背後に存在する幕府老中・酒井雅楽頭と仙台藩主一族・伊達兵部とのあいだの六十二万石分与の密約。この密約にこめられた幕府の意図を見抜いた宿老・原田甲斐は、ただひとり、いかに闘い抜いたのか。
出版社:新潮社(新潮文庫)




伊達騒動に関して、僕はそんなにくわしく知っているわけでない。
けれど、原田甲斐が悪人と呼ばれているくらいは知っているし、史実の原田甲斐は実際、専横が目立っていたという内容のことを、どこかで読んだこともある。

『樅ノ木は残った』は、その原田甲斐=悪人説をくつがえす作品として有名なわけだが、確かに小説だけ読んでいると、原田甲斐が深謀遠慮の人に見えるからふしぎなものだ。
逆に言えば、史実は小説家の手により、いかようにも料理できるという好例であるのかもしれない。
小説の力を見るような思いだ。


伊達騒動とは、伊達家三代当主である綱宗が幕命により隠居、その跡を継いだ幼い当主の後見人たちと、それに反発する家臣たちとの対立から起こるお家騒動である。
小説内では、このお家騒動を引き起こした張本人が伊達兵部で、彼が幕府と通じていたこと、そして幕府(酒井雅楽頭)が兵部を通じて、伊達家取り潰しを計画していることが語られていく。

原田甲斐は兵部派と周囲からは見なされている。
確かに表面だけを見ると、彼の行動は兵部の顔色を意識した不正に満ちた行動ばかりだ。

だが作者はそんな原田甲斐を、悪評を恐れず、兵部の懐に入り込み、幕府に取り潰しの口実を与えないようにしようと、悪役を自ら引き受けた男として描きあげている。
正直、その描き方は好意的すぎる気もするけど、それもありかな、と見えてくる。


あるいはそう感じさせるのは、原田甲斐のキャラクターが丁寧に描かれていることも大きいのかもしれない。

小説内の原田甲斐は結構複雑な造詣の人物だ。
彼は人当たりは良いけれど、他人に対して完全に心を開いているわけではない。そういう性格ゆえか、我が子に対しても愛情を感じることができない。

基本的に彼は孤独が好きな人物なのだと思う。
実際、甲斐は家格も要らず、山の中で暮らしたい、と考えているような人だ。
「おれは間違って生れた」とf伊達家家臣である自分の境遇に対して、述懐している場面があるが、それが甲斐の本音なのかもしれない。

しかし甲斐は侍で、責任感もある男だ。だからこそお家のために自ら悪人となることも引き受ける。
あるいは彼のように孤独が好きな人物だからこそ、それは成し遂げられる仕事なのかもしれない。


それでも、そんな甲斐でさえ、自らが引き受けた役目はつらい仕事なのである。
どんな人間でも、親しい人間に不幸があれば悲しいし、人間は独りだと悟ってみても、独りであることに打ちのめされる瞬間だってある。
孤独が好きで心を完全に開けなくても、原田甲斐は結局は優しく、思いやりある男なのだ。つらい気持ちにさいなまれるのは当然だろう。
そんな甲斐の心情が、あまりに悲しく、読んでいても苦しい。

ラストに至り、彼は史実通り死んでしまう(ただしその死の状況は史実とは異なる)。
だがそのような悲劇的な最期を迎えても、甲斐は最後まで藩を思って行動し、藩の危機を救ってみせる。
そのシーンを読んでいると、侍ってやつは本当にままならないものだな、と思ってしまう。

彼の思いは果たされたけれど、それは現代人の僕から見ると、とっても悲しい勝利だ。
しかしその悲しい勝利ですら、甲斐にとっては大いなる救いだったのだろう。

そしてその事実が、悲しいラストを迎えるこの小説において、読者にとっても、大きな救いとなりえているのである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『のぼうの城』 和田竜

2011-04-20 19:58:29 | 小説(歴史小説)


戦国期、天下統一を目前に控えた豊臣秀吉は関東の雄・北条家に大軍を投じた。そのなかに支城、武州・忍城があった。周囲を湖で取り囲まれた「浮城」の異名を持つ難攻不落の城である。秀吉方約二万の大軍を指揮した石田三成の軍勢に対して、その数、僅か五百。城代・成田長親は、領民たちに木偶の坊から取った「のぼう様」などと呼ばれても泰然としている御仁。武・智・仁で統率する、従来の武将とはおよそ異なるが、なぜか領民の人心を掌握していた。従来の武将とは異なる新しい英傑像を提示した四十万部突破、本屋大賞二位の戦国エンターテインメント小説!
出版社:小学館(小学館文庫)




サクサクと読み進めることのできる作品だ。

特に難しいことが書いているわけでもなく、文章は平易で、何よりテンポがとってもいい。
この展開の速さは、元々が脚本だったということも大きいのかもしれない。
帯で杏が「ハリウッド映画の爽快感!」って書いているけれど、あながちまちがってないな、って思う。


物語そのものも大変おもしろい。

城にこもって戦うと決意するあたりの、侍たちの昂揚感や百姓たちの変化は、とっても熱くて、読んでいるこっちまで気分がたかぶってくる。
戦闘シーンもアクションもののような迫力があり、読んでいる間ワクワクすることができた。


だがそれ以上に、本作の一番の美点はキャラクターにあるのじゃないだろうか。
実際、どの人物も個性があって、おもしろい。

三成や大谷吉継はこれまでのイメージを脱し切れていなくて、ちょっと物足りないけれど、生真面目で美学を持って臨む三成や、仁義に篤い吉継の姿をしっかり描いており清々しい。

忍城のメンツもおもしろいのが多い。
豪胆なタイプの丹波や和泉、少年のような無邪気さも兼ね備えた靭負、こましゃくれた感じのちどりなど、少しテンプレっぽくはあるが、楽しく、アクの強いやつらばかりで、どれもが愛らしい。

だけど一番の魅力はのぼう様、こと成田長親だろうか。
この人は本当に何を考えているのか、わからないのだが、その見ようによっては、深謀遠慮にも愚者にも見えるところは、キャラ造詣としてはなかなかおもしろいと感じる。
それぞれの武将陣に自由にやらせたことで結果的にうまくいく、ってところは、ちょっと毛利敬親っぽい。
こういう深いような、とらえどころのないキャラクターって嫌いじゃない。


後にはほとんど何も残らないのだが、読んでいる間はとにかくワクワクすることができる。
まさしく、エンタテイメントと呼ぶにふさわしい一品だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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『始祖鳥記』 飯嶋和一

2011-02-07 20:22:27 | 小説(歴史小説)

空前の災厄続きに、人心が絶望に打ちひしがれた暗黒の江戸天明期、大空を飛ぶことに己のすべてを賭けた男がいた。その“鳥人”幸吉の生きざまに人々は奮い立ち、腐りきった公儀の悪政に敢然と立ち向かった―。ただ自らを貫くために空を飛び、飛ぶために生きた稀代の天才の一生を、綿密な考証をもとに鮮烈に描いた、これまた稀代の歴史巨編である。数多くの新聞・雑誌で紹介され、最大級の評価と賛辞を集めた傑作中の傑作の文庫化。
出版社:小学館(小学館文庫)




『始祖鳥記』を初めて知ったのは、2001年版の「このミステリーがすごい」である。
そのときは歴史小説なのにミステリなんだ、と変に感心したことを覚えている。
しかしながら本作はミステリというよりも、やっぱり純粋な歴史小説という方が正確なのだろう。

では、なぜそんな作品が「このミス」で5位という上位に食い込めたのだろうか。
これは妄想なのだが、それは単純に本作が物語としておもしろく、投票者が地味なこの作品を、多くの人に読んでもらいたいと思ったからにほかならないのではないか、という気がするのだ。

そして、『始祖鳥記』は人にそう思わせるだけの力ある作品なのである。


背表紙にも書いてあるが、本作は江戸天明期に、空を飛ぶことに情熱を賭けた男の話である。

であるにもかかわらず、物語の第一章が終わった時点で、主人公の幸吉は捕まってしまい、第二章では幸吉とは別の人間の物語がスタートしてしまう。
おいおい、これ、一体どう展開していくんだよ、と読んでいて不安になったが、そこから物語が飛躍的におもしろくなるから驚いてしまう。


元々幸吉が空を飛ぼうとしたのは、ただ単に自分が空を飛びたいと願ったからにほかならない。
第三章でしっかり理由が説明されるのだが、幸吉は一つ所に腰を据え、停滞したように生きていくことができないタイプの人間なのだ。彼は広い世界に出て、自由でありたいと願っている。
空を飛ぶのは、幸吉個人の、自由に対する願望が結実したものと言える。

しかし周りはそう解釈してくれない。
個人的な動機から始まった空を飛ぶという行為を、人々は不正をくり返すお上への反権力的な行為とみなし、賞賛を送るのだ。
そして幸吉自身が考えている以上に、ことは大事に発展していく。


しかしその勘違いが、物語をさらに大きな場所へと運んでいってくれるから、すばらしい。

幸吉がお上の不正を糾弾するために空を飛んだと勘違いした人たちは日本全国にいる。
それらのうち、岡山とは無縁の行徳や、太平洋上の船乗りたちは、その幸吉の行為に勇気を得るのだ。

彼らは幸吉の行動を見て、お上に服従しているだけではダメだと考える。
そして自由競争を取り締まる幕府と御用商人たちに一矢報いようと試みる。

その展開が非常に熱く、心震えてしまう。これぞまさしくケミストリーだろう。
彼らは高い理想の元、腐りきった幕府とお抱え商人を出し抜こうと知恵を出し、危険を顧みず、挑戦し続けていく。
そんな男たちの姿に軽く感動してしまう。


だがどれほど周りを巻き込もうと、幸吉自身が飛ぶのは、あくまで自分のためでしかない。

彼は捕縛された後、海に出て、駿府で商売を始め、成功者になる。
それなのに、彼の中では空に対する願望は消えないままだ。彼は成功したにもかかわらず、停滞したように生きることをどこかで恐れている。
これはもはや幸吉自身の業である。

そして彼は再び、岡山のときのように、空を目指すことになる。あくまで自分個人のため、己の業に従うかのように。
そんな幸吉の姿に人間の不可思議な執念を見る思いがする。


幸吉と幸吉に影響された者たち。彼らのベクトルは異なるかもしれない。
しかしそこにあるのは、あくまで自分の思うこと、目指すものに対して正直であろうとしていることだと見える。
その熱い思いと、チャレンジ精神、人間の業のようなものとが、非常に印象的である。


飯嶋和一という作家は言っては悪いが、非常に地味だと思うし、直木賞を取る可能性はゼロなので(何と言ってもノミネートすら蹴った人だ)、これ以上メジャーになれないかもしれない。
だがもっと広く読まれてしかるべき、それだけの作品を描きうる作家だ、と本作を読んで思った次第だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『蒼穹の昴』 浅田次郎

2010-05-17 20:40:15 | 小説(歴史小説)


汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう―中国清朝末期、貧しき糞拾いの少年・春児は、占い師の予言を通じ、科挙の試験を受ける幼なじみの兄貴分・文秀に従って都へ上った。都で袂を分かち、それぞれの志を胸に歩み始めた二人を待ち受ける宿命の覇道。万人の魂をうつべストセラー大作。
出版社:講談社(講談社文庫)



とことんおもしろい作品である。
一応西太后の時代のことは、以前読んだ『西太后 大清帝国最後の光芒』で、ざっくりとではあるけれど知っていた。
だけど、そういった当時の時代背景を知らなくても、充分に楽しめる作品ではないかと思う。

それは劇的な時代を扱っていることが大きいだろうし、登場人物のキャラが存分に立っている点も大きいだろう。


西太后の時代は内憂外患の言葉がぴったりはまるほど、混沌とした時代だ。
日本で言えば幕末みたいなもので、列強の侵略が迫る中、保守派と改革派が反発しあい、足の引っ張り合いや対立など、波乱万丈なまでにいろんなできごとが起こる。

それだけでも読み物としては楽しいのだが、そういった外部の事件を受け、多くの人間たちの思惑が交錯する点が、物語をさらにおもしろくしている。
予言を信じて上の地位へと登りつめようとする貧民の子の春児や、親から冷遇されながらも科挙を一位で突破した文秀など、主人公たちの生き様は、なりあがりそのものであり、それだけでもワクワクしながら読み進めることができる。
それに宮廷を舞台にしていることもあり、政治的な駆け引きなどは、じりじりした雰囲気さえ感じられる。


そしてそれらのエピソードを支える上で、キャラクターの魅力は欠かせない。

本書には、実在、非実在と多数の人物が登場するが、その多くが読んでいて、応援したくなったり、反発したくなったりするほど、人間臭い手応えにあふれている。

そして本作の上手いところは、それらのキャラの性格を、エピソードと絡めて描いているところだろう。
たとえば、楊喜が文秀を尋ねてきたとき、文秀は詩で返答をしている。それは最高にかっこいいシーンなのだが、同時に文秀の若さゆえの生意気さと知性が伝わってくるようだ。
少年のころの乾隆帝が地球が丸いことを悟るところなどは、彼の聡明なところを示すところなどはドキドキする。
西太后が岩山で乾隆帝と話すシーンには、激しいだけではない弱い彼女の姿が仄見えて、非常におもしろい。
李鴻章の仕事っぷりを見ていると、いかにも彼が有能であることがわかるし、男気もあって、一本筋を通す政治家としての姿勢もうかがえて非常に興味深い。

そのほかにも、エピソードを交えて、登場人物たちがどんな性格でどんな魅力を備えているかを、力強く語っている。
その語り口には圧倒される他ない。


と基本的には大満足だが、あえて欠点をあげるなら、物語の視点が分散してしまったために、物語に一本筋の通ったものが見出せなかったことだろうか。
そのためいくらか散漫な印象を受けたことは否定できない。

しかしこれだけ壮大な物語を、キャラクターの性格も書き分けて、きっちり描き上げた手腕は本当にすばらしいとしか言いようがない。
心震えるほどの際立った娯楽大作である。すばらしい一品だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『剣客商売一 剣客商売』 池波正太郎

2009-12-23 20:04:05 | 小説(歴史小説)

勝ち残り生き残るたびに、人の恨みを背負わねばならぬ。それが剣客の宿命なのだ――剣術ひとすじに生きる白髪頭の粋な小男・秋山小兵衛と浅黒く巌のように逞しい息子・大治郎の名コンビが、剣に命を賭けて、江戸の悪事を叩き斬る――
田沼意次の権勢はなやかなりし江戸中期を舞台に剣客父子の縦横の活躍を描く、吉川英治文学賞受賞の好評シリーズ第一作。全7編収録。
出版社:新潮社(新潮文庫)



『剣客商売』は池波正太郎の代表作の一つであり、今でも人気のあるシリーズだ。
僕は初めてこの作品を読むのだが、ざっくり読んだ感じ、人気のある理由は、キャラクターの魅力によるところが大きいのではないか、と思った。

もちろん最大の魅力あるキャラクターは、主人公である小兵衛である。

解説にもあるが、小兵衛は本当に食えないじいさんだ。
小柄な体型をしていて、どこか飄々とした雰囲気さえ感じられるし、若い女おはるを女房にしているということもあり、ちょっぴりエロい。ぱっと読んだ感じだと、のほほんとした、ただの好々爺である。
それが剣を持つと、雰囲気ががらりと変わる。発する気迫はすさまじく、小柄という体型を生かして敏捷に動き、相手を斬って捨てるあたりなどはしびれてしまう。
行動力も旺盛で、頼まれれば、事件に首をつっこみ、物事を解決していくあたりも、なかなかカッコいい。

それでいて、人間臭さも感じさせるから、すてきだ。
特に『まゆ墨の金ちゃん』の小兵衛はかなり良い。
大治郎が狙われているという話を聞き、小兵衛は息子である大治郎を突き放すような態度をとる。それなのに、やっぱり心配になって、影からこっそり見守るところなどは、ちょっと笑ってしまう。
大治郎が敵をやっつけるのを見て、小躍りせんばかりに喜ぶところもおもしろい。
そういう場面を読むと、何て、かわいいじいさんなんだ、と思ってしまう。本当にすばらしいキャラ造形だ。


それ以外にもいいキャラクターは多い。
くそマジメな堅物だけど、父同様に恐ろしく強い大治郎もいい味を出しているし、男装の麗人とも言うべき、三冬も印象的だ。

この巻の最後の章で、大治郎と三冬の二人が出会うところなんかは良かった。
ああ、この人は読者が何を期待しているのか、ちゃんとわかっているんだな、と感心してしまう。基本的にサービス精神が旺盛な人なのだろう。


ストーリーだけを見れば、結構ご都合主義な部分はあると思う。
だが謎を適度に散りばめ、悪事の真相を後半で暴いていき、最終的に、チャンバラを持ってくるあたりには、カタルシスを得ることができる。
これは本当に楽しいエンタテイメントだ。

魅力あふれるキャラクター、楽しめるストーリー展開は本当に見事。
『剣客商売』は本当に楽しいシリーズである。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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『国盗り物語』 司馬遼太郎

2009-08-31 21:48:17 | 小説(歴史小説)


世は戦国の初頭。松波庄九郎は妙覚寺で「智恵第一の法蓮房」と呼ばれたが、発心して還俗した。京の油商奈良屋の莫大な身代を乗っ取り、精力的かつ緻密な踏査によって、美濃ノ国を“国盗り”の拠点と定めた!戦国の革命児斎藤道三が、一介の牢人から美濃国守土岐頼芸の腹心として寵遇されるまでの若き日の策謀と活躍を、独自の史観と人間洞察によって描いた壮大な歴史物語の緒編。
出版社:新潮社(新潮文庫)



十代のころは、『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』など、好んで司馬作品を読んだものだけど、最近は特に理由もないまま、いつの間にかまったく読まなくなってしまった。
今回、多分十年弱ぶりくらいに、司馬に触れてみたのだけど、やっぱりこの作家の小説はおもしろいな、と若いころに思ったのと、同じ感想を抱いてしまう。
歴史ロマンを感じさせるプロットラインにはわくわくさせられるし、しょっちゅう余談が入るほどの豊富な歴史考証は知的好奇心を刺激される。

だが司馬作品をここまでおもしろいと感じることができるのは、歴史上の人物をいきいきと描写しているという点が大であろう。
司馬の長編を読むと、大体の場合、僕は登場人物に好きになる。
そういう感情を読み手に思わせることこそ、司馬作品の最大の特質ではないか、と僕は思うのだ。


本作の主人公は前半と後半で分かれている。
前半の主人公は美濃の蝮、斉藤道三だ。

この道三が結構おもしろい。
道三という人は探究心が恐ろしく旺盛で、神仏に頼らず、むしろ神仏よりも自分の方が上だと感じている節すらある。野心のために、数多くの計算高い謀略を駆使し、それに対する迷いがない。精神的にかなり図太い男だ。
はっきり言えば、彼は悪党なのだろう。だけど、その迷いのなさが、読んでいて非常に小気味よく感じられる。

道三は手始めに油屋を手に入れ、そこから美濃の国盗りの地盤を得るため行動していく(史実は違うが)。
他人の感情をいちいち計算に入れて、行動する道三は本当に食えない男だ。しかも行動力は旺盛で、本当に精力的。心の底から敵に回したくない人物だと幾度も思ってしまう。

そんな風に、丁寧に道三像が描かれているだけに、彼の栄光と転落の様には、終始心を惹きつけられっぱなしだった。
晩年の攻めに徹しきれなくなった姿や、最後の合戦を前にする悲壮な心情も含めて、道三という男は本当に魅力的に描きつくされている。


そんな道三を描いた前半部だけでも、物語としては十二分におもしろいのだが、本作は後半になって、さらにおもしろさが増してくる。これには本当に驚いてしまった。

後半は一応、文庫の表記を見る限り、織田信長の方がメインの主人公なのだろう。
だが信長よりも、もう一人の主人公、明智光秀の方に、作者が肩入れしていることは明らかだ。

光秀という人はエリート意識の強い、神経質なインテリで、懐古趣味が強く、不器用な側面がある。
そして恐ろしくくそマジメな人物でもある。

旅先で彼は行きずり女と寝るシーンがあるのだが、そこで自分の姓名をしっかり名乗り、子ができたときは俺を頼れ、といちいち律儀に念を押してから女を抱いている。
それは光秀の性格をよく表しているだろう。あまりに几帳面で、僕はちょっと笑ってしまった。
ときどきエリート臭が鼻につく人だが、こういう部分を読むと、なかなか愛すべきキャラだなと思ってしまう。
元々戦国武将の中でも明智光秀は好きな方だったが、さらに光秀を好きになった感じだ。

そんな神経質で懐古趣味の強い光秀は、信長に仕えることになる。
だが、信長のように、ときに恐ろしく残忍で、果断な行動を好み、既成の権威を否定しがちな人物と、光秀とでは性格が合うはずなどないのである。
実際の歴史的な事情はともかく、この作品を読む限り、謀反を起こす光秀の感情も非常に理解できる。
そして光秀の心理描写が細緻であるがゆえに、物語を臨場感もって楽しめるのだ。


戦国期は、小説に限らず、テレビなどでも描きつくされた感のある分野だ。
だがそのやりつくされ、誰もが知っている物語でも、人物を鮮やかに描出することで、終始読み手の興味をひきつけることができる。
そしてその点こそ司馬遼太郎という作家の上手さであり、おもしろさの重要な要因なのだろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)
コメント (2)
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