私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

ちくま文庫『芥川龍之介全集』全小説評価

2018-10-31 20:52:18 | 小説(国内男性作家)
ちくま文庫の『芥川龍之介全集』収録のすべての小説を読み終わったので、評価を記す。
やや辛めに点数をつけたかな。
★3つ以上が満足できるレベルである。

最高傑作は技術的には『歯車』。
ただ今の心情的には重すぎるので『トロッコ』にしておく。

★★★★★(満点は★★★★★)

芋粥
偸盗
地獄変
疑惑
トロッコ

歯車
或阿呆の一生

★★★★(満点は★★★★★)

手巾
煙管
戯作三昧
蜘蛛の糸
枯野抄
蜜柑
沼地

藪の中
お富の貞操
おぎん
お時儀
あばばばば
点鬼簿
玄鶴山房
河童

★★★(満点は★★★★★)
ひょっとこ
羅生門
野呂松人形
煙草と悪魔

尾形了斎覚え書
忠義
二つの手紙
或日の大石内蔵助
黄粱夢
西郷隆盛
開化の殺人
奉教人の死
るしへる
邪宗門
あの頃の自分の事
開化の良人
きりしとほろ上人伝

魔術

鼠小僧次郎吉
舞踏会
黒衣聖母
或敵打の話
老いたる素戔嗚尊
南京の基督
杜子春
捨児

秋山図
奇怪な再会
妙な話
好色
俊寛
将軍
神神の微笑
報恩記
仙人(5巻収録)
一夕話
三つの宝
猿蟹合戦
二人小町
おしの

子供の病気
一塊の土
糸女覚え書
三右衛門の罪
文章
少年
桃太郎
尼提
春の夜

彼第二
蜃気楼
誘惑
たね子の憂鬱
古千屋
三つの窓

★★(満点は★★★★★)
仙人(1巻収録)
孤独地獄


MENSURA ZOILI
さまよえる猶太人
片恋
英雄の器
首が落ちた話
袈裟と盛遠
毛利先生
犬と笛
じゅりあの・吉助
妖婆

素戔嗚尊
お律と子等と
山鴫
アグニの神
奇遇
往生絵巻


六の宮の姫君
保吉の手帳から
伝吉の敵打ち
或恋愛小説
寒さ
文放古
十円札
大導寺信輔の半生
馬の脚

温泉だより
死後
湖南の扇
年末の一日
カルメン
悠々荘
浅草公園

手紙
闇中問答


★(満点は★★★★★)
老年
青年と死
酒虫
道祖問答

世之助の話
女体
路上
尾生の信
魚河岸
百合
不思議な島
金将軍
第四の夫から
早春
海のほとり
三つのなぜ


コメント (4)
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『日本文学100年の名作 第1巻 夢見る部屋』

2015-12-10 21:18:48 | 小説(国内男性作家)
 
第一次世界大戦が勃発し、関東大震災が発生――。激動の10年間に何が書かれていたのか。
池内紀・川本三郎・松田哲夫 編
出版社:新潮社(新潮文庫)




100年間の名作短編を選別して収録したアンソロジーである。
こういった企画は、いろんな作家を知ることができるので、非常にありがたい。
以下、各作品の感想を列記する。



荒畑寒村『父親』

昔の吉祥寺の風景が描かれていておもしろい。
今でもそれはずいぶんな賑わいだけど、昔は相当辺鄙な田舎だったようだ。
父親の愛情が伝わって来るような小品。



森鷗外『寒山拾得』

寒山拾得が普賢と文殊の生まれ変わりと聞いて、男はあっさり信じたけれど、その印象は実際の寒山拾得を見てのものではない。
人はとかく人の評価を鵜呑みするばかりで、当人たちを見ずに判断を下すものであるらしい。
ラストの作者の一文は皮肉が利いていておもしろかった。



佐藤春夫『指紋』

奇妙な話である。
はっきり言って、映像で指紋を見分けられるなんて、しかも寸分狂いなく記憶しているなんてありえないことなのだけど、もっともらしい大ボラで見せて行く様は楽しかった。



谷崎潤一郎『小さな王国』

教室という狭いサークルで人心掌握をなしえていく沼倉。貝島のような大人でさえ、生活の困窮があったとはいえ、屈していく。
そこにある危険性が怖ろしい一作である。



宮地嘉六『ある職工の手記』

実に波乱万丈なストーリー。
だが何より、父に対する屈折した感情に心惹かれた。
継母に気を遣うあまり、愛情がありながら、息子に冷たくなってしまう父、それを軽蔑して見ている息子。その心は心当たりがあるだけに、印象的。
しかしそうは言っても、彼にとって実の親は愛しく、どんなときでも真っ先に思い浮かべるのが、父という点はいじましい。
でもどうしても素直になれず、父に対して素っ気ない態度を取るところなどは、思春期に至る少年の心理を的確に表現していて心に残った。
プロレタリア文学という思想性もあって、敬遠されるかもしれないが、一片の小説としてもすてきな作品だった。



芥川龍之介『妙な話』

オチをきっちりつけてくる辺りが憎い。
もちろん赤帽を心理的な罪悪感から生じたものと見ることはできるが、そういった理窟をつけるのは野暮なのだろう。
ふしぎな話と思って、この話を読むとふしぎな話らしい心地よさが感じられる。



内田百『件』

いかにも幻想的な作品。
自分の意図しない状況に追い込まれ、意図しない形で期待され、敵視される。
その中で、おろおろするほかない主人公が、どこか物悲しく滑稽でよい。
しかしどんな状況でも人は図太くあれるのかもしれない、という気もする。
死のうと思わない限り、人はそう簡単に死なないものだな、という変なおおらかさを感じた。



稲垣足穂『黄漠奇聞』

伝奇的な内容でおもしろい。
神の都に近づこうと、最高に美しい都を築き上げたのに、そんな好調すぎる自分に、疑いを抱き、狂気に陥る王の姿にぞくぞくする。
月に向かって戦いを挑むという無謀な行動に出た挙句、狂気に完璧にとっ捕まってしまった感じが出ていて、その幻想性に心惹かれた。



江戸川乱歩『二銭銅貨』

やっぱりおもしろい作品だ。
特に最後でよもやのどんでん返しを持ってくる辺りは惹かれる。
もちろんそれ以前の暗号についても、推理小説らしい趣向に富んでいて、純粋に楽しめる作品だった。

評価:★★★(満点は★★★★★)



収録作家のその他の作品感想
・芥川龍之介
 『河童・或阿呆の一生』
 『蜘蛛の糸・杜子春』
 『戯作三昧・一塊の土』
 『奉教人の死』
 『羅生門・鼻』

・内田百
 『冥途・旅順入城式』

・谷崎潤一郎
 『少将滋幹の母』
 『蓼喰う虫』

・森鷗外
 『阿部一族・舞姫』
 『山椒大夫・高瀬舟』
 『舞姫・うたかたの記』
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冲方丁『光圀伝』

2015-12-04 20:51:35 | 小説(国内男性作家)
 
なぜ「あの男」を殺めることになったのか。老齢の水戸光圀は己の生涯を書き綴る。「試練」に耐えた幼少期、血気盛んな”傾寄者”だった青年期を経て、光圀の中に学問や詩歌への情熱の灯がともり――。
出版社:KADOKAWA




同作者の『天地明察』でも感じたことなのだけど、『光圀伝』でも、後半は、歴史的な記述に重きを置きすぎて、たるんでしまったきらいはある。これは冲方丁の癖なのだろうか。

しかし徳川光圀という男の生きざまを過不足なく描いていて、深く心をゆさぶられる一品だった。まさに大作と言っていいだろう。



次男でありながら、水戸の世子として生を受けた光國。
しかし彼はなぜ長男ではなく、次男の自分が世継ぎと見なされているか理解できず苦しむことになる。
そのために子供のころは兄と張り合ったりするが、包容力のある兄のために対抗意識はなくなっていく。
看病の場面の兄弟の姿は優しくて、胸に響いてならない。光國が心を開くのもわかるというものだ。

しかしおかげで、自分がなぜ世子なのか、という負い目が、よけいに立ち上がることにもなるというのが、不幸というほかない。


しかしバイタリティのある彼のこと、そんな負い目に縛られているばかりでなく、詩で天下を取るという気概を持ち、型にはまらない行動力でもって、友人やライバルと競い合いながら、生きている。
独耕斎と張り合うところなどはどこか微笑ましい。

基本的にそう微笑ましく感じるのは、どのキャラクターも個性的という点も大きい。
天真爛漫な泰姫なんかはかわいらしいくらいである。
やはりそこは人気作家の冲方丁、読ませる力はさすがである。


さて負い目を抱えて生きる光國はやがて、世子を交換するという自身の負い目を解消する義の手段を考えついて、それを実行するに至る。
そして歴史書の編纂事業という難事業にも励んでいくのだ。

そこには、次々失われていく親しい者たちの生きざまを、形にとどめたいという気持ちもあるのかもしれない。光國の思いと哀切さがうかがえるようだった。


ラストの見せ場である紋大夫刺殺の場面は、はっとさせられた。
調べた範囲、光圀が彼を刺殺したのには諸説あるらしいけれど、よもやここで大政奉還を持って来るとは思わなかった。その構成力に、むむとうなってしまう。

ともあれ存分に楽しめる作品だった。
本当に力作と呼ぶに足る一品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの冲方丁作品感想
 『天地明察』
 『マルドゥック・スクランブル』
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小島信夫『アメリカン・スクール』

2015-12-03 20:50:49 | 小説(国内男性作家)
 
アメリカン・スクールの見学に訪れた日本人英語教師たちの不条理で滑稽な体験を通して、終戦後の日米関係を鋭利に諷刺する、芥川賞受賞の表題作のほか、若き兵士の揺れ動く心情を鮮烈に抉り取った文壇デビュー作「小銃」や、ユーモアと不安が共存する執拗なドタバタ劇「汽車の中」など全八編を収録。一見無造作な文体から底知れぬ闇を感じさせる、特異な魅力を放つ鬼才の初期作品集。
出版社:新潮社(新潮文庫)




喜劇的なおかしみがありながら、どこか哀しみを感じさせる作品が多く、その点が魅力的な短編集である。



中でも表題作『アメリカン・スクール』が一番おもしろかった。

特に、敗戦後の日本の状況を暗喩的に描きだしているあたりがすばらしい。
アメリカに馬鹿にされてはいけないと、やたら気張った態度を取る山田とか、外国人を恐れて卑屈に目立たないように振る舞う伊佐など、人間模様も様々。

特に山田の個性が目立つ。
軍人気質丸出しでありながら、敗戦国民としての変な従順さもあり、アメリカに負けてなるものかというプライドもほの見える。
通訳の場面には、アメリカに対する反発と卑屈さが如実に表れている。
卑屈に物事を考えすぎて、ひがみが前面に出ているように見えて愕然とするほかない。
そしてそういう人間は、当時いくらかいたのだろう。

そこには人間の未熟さのようなものも見出せる気がして、滑稽さと哀切と皮肉が感じられた。



『馬』はシュールすぎて、意味がわからない。

文章自体はさくさく読み進められてつまづくところはないし、面白いのに、最後まで読み終えたときには結局何を言いたいのかさっぱりわからないのだ。
それゆえに妙に心に残ってしまう作品と言うのが第一の印象である。

主人公の「僕」は妻から一切の相談もないまま、勝手に家を建てられ、彼の感知しないうちにその建築も進んでいく。
妻の決定に夫がふりまわされていくという構図には、小島作品特有の滑稽味があって愉快だ。

だが後半になるにつれて、お話はまったくもって意味のわからない方向に進んでいく。
最初、それは「僕」の精神病のせいかとも思ったが、必ずしもそう断言できない気もして、落ちつかない気持ちにさせられるのだ。それがもどかしい。

しかしそのわからなさこそが、この作品と魅力とも同時に感じさせるのである。
上手く言えないが、ともかくもふしぎな作品だった。



そのほかの作品も喜劇的な味わいがある。

『汽車の中』
まさにドタバタ喜劇。
戦後の混乱期は暗いイメージだが、描きようによってはこんな明るさも出てくるらしい。


『燕京大学部隊』
最初こそ、どこか喜劇的なおかしさもあるのだが、後半になって、妙な切なさが立ちあがって来る。娼婦を抱くときの姿はどこか哀切さえ感じられて忘れがたい。


『微笑』
微笑の写真だけあれば、それは慈愛あふれる父のように見えよう。
しかし実際の彼は小児麻痺の息子の不具を許せずいらだち、暴力的に振る舞う父親でしかない。要するところ未熟なのだ。
そんな生々しい心情がリアルにえがかれていて、突き刺さるような気がした。


『鬼』
自分をエンマに住むよう追いやったHに対する面当て行為を、主人公はしているらしい。
だが「忍耐」の世界の中で、必死にやり過ごしている姿は、いかにも小市民的で、何か滑稽じみていた。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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吉田修一『春、バーニーズで』

2015-10-15 21:37:45 | 小説(国内男性作家)
 
妻と幼い息子を連れた筒井は、むかし一緒に暮らしていたその人と、偶然バーニーズで再会する。懐かしいその人は、まだ学生らしき若い男の服を選んでいた。日常のふとしたときに流れ出す、選ばなかったもうひとつの時間。デビュー作「最後の息子」の主人公のその後が、精緻な文章で綴られる連作短篇集。
出版社:文藝春秋(文春文庫)




5作品中、4作品、具体的には『春、バーニーズで』『パパが電車をおりるころ』『夫婦の悪戯』『パーキングエリア』は同系列の話である。
できるならば筒井と瞳と文樹の内容で一本通してほしかったのだが、まあ仕方あるまい。

『最後の息子』を読んだことはないが、知らなくても、すっと物語に入りこめるのがよかった。
事情は複雑だけど、普通の家族の風景を描いていて、しかも読ませる力があって、忘れがたい。


『春、バーニーズで』は昔のゲイの愛人と再会する話だ。
そこには過去をなつかしむ気持ちはあっても、もっとニュートラルなものだ。
一人の親となって、歳は取ったけれど、血の繋がっていない息子のために、もっと複雑な現実を見せようとするラストシーンなどは、父の自覚と過去をふわりとなつかしむ気持ちとが見えて温かい気持ちになれる。


『パパが電車をおりるころ』は意識の流れのようで、おもしろい。
しかしその中にあって考えるのは、血の繋がっていない息子のことであり、妻のことってあたりに、筒井のパーソナリティを見るようだ。


とは言え、『夫婦の悪戯』を読んでいると、たとえ仲良くすごす夫婦であっても、時として危機的事態に陥ることもあることを知らされる。
それは相手に知られたくない秘密が露わになるときだろう。
どんなに憧れの夫婦と見られても、そこにあるのは、壊そうと思えば簡単に壊れる関係性でしかないのかもしれない。


『パーキング』はそんな筒井の疲れが現れたものと言えるだろうか。
言うなればぼんやりとした不安ってところだと思う。
今の現実が取り返しのつかないものではないか、という不安が彼にそんな行動を取らせたのではないだろうか。

とは言え、現実的にはいつまでも逃げるわけにはいかない。
そんな中で妻の温かさは沁みることだろう。
そこには彼女なりの、血の繋がっていない息子の父親になってくれている事に対する負い目、とかいろいろな思いもあるのだろう。
しかし思いやることで夫婦は繋がっていられるのかもしれない。そう思った次第である。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかの吉田修一作品感想
 『悪人』
 『横道世之介』
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羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』

2015-08-27 21:46:13 | 小説(国内男性作家)

「早う死にたか」毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、ともに暮らす孫の健斗は、ある計画を思いつく。日々の筋トレ、転職活動。肉体も生活も再構築中の青年の心は、衰えゆく生の隣で次第に変化して……。閉塞感の中に可笑しみ漂う、新しい家族小説の誕生!
出版社:文藝春秋




又吉直樹の受賞で、陰に隠れがちな羽田圭介。
若干かわいそうだな、とも思うのだが、正直な話、『火花』と比べると、幾分入りこむことができなかった。

それは主人公の健斗の造形(鈍さ)が馴染めなかったからである。



主人公の健斗は求職中の若者で、実家で母と祖父と暮らしている。祖父は体の不調を聞えよがしに訴えては、「早う迎えにきてほしか」と言うような老人だ。
愚痴っぽいと言えばそうだけど、世間的にはよくある光景だ。

しかし、そうやって死を願う言葉を吐くけれど、本気で死を願っているかは疑わしい。
もう十分長生きしたと思う反面、こういう老人たちは簡単に生を手放せないのも事実である。
そういう意味、この小説の祖父は平凡な老人なのだろう。


しかし主人公の健斗は、その言葉を真に受けて、祖父に安楽な死をもたらそうと考えるようになる。
正直この設定には、何でだよ、と思ってしまった。祖父の話なんて、話半分に聞いておけば(聞いてほしい、かまってほしいだけだから)いいのに、なぜそんな方向に考えるのかわからず、どうも入りこむことができなかった。
正直なところ、つくりものめいて見える。その点は残念と言うほかない。


しかしながら、介護を巡る描写は丁寧にリアルに描かれていて、好感は持てる。

硬いものは食べないと言って、ほうれん草を食べないくせに、それより硬いお菓子を食べるところ。
甘えられる息子には、徹底的に弱い立場を利用して、甘えるところ。
など、いかにもありそうで、情景が迫って来るよう。
その描写はさすがだ。

性欲や食欲をあらわにするところといい、ずるく、しかし生に自分の欲求にしがみつき、生きている祖父。
そこに見えるのは、老人の業というほかにない。


そんな彼の姿は、若者の健斗と対象になっていておもしろい。
やたらオナニーする場面が目立つが、それも生のはちきれんばかりの威力と言えるのかもしれない。

必ずしも彼の状況は明るいものではなく、職もなく、彼女との関係だって見るからに危い。
彼らの世代が、未来に明るいものを描くのは難しかろう。
それは先の短い老人とはどこか対をなしているようだ。

しかしそんな中でもあがく姿を老人の中に見たことから、彼は一歩を踏み始めることができるのかもしれない。
そんなことを漠然と感じた次第である。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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又吉直樹『火花』

2015-08-25 21:54:36 | 小説(国内男性作家)
 
笑いとは何か、人間とは何かを描ききったデビュー小説
売れない芸人徳永は、師として仰ぐべき先輩神谷に出会った。そのお笑い哲学に心酔しつつ別の道を歩む徳永。二人の運命は。
出版社:文藝春秋




話題先行の感のある又吉直樹の『火花』。
そういうこともあってか、さして期待せずに読んだのだが、想像していた以上におもしろい作品だったので、うれしい驚きでいっぱいである。

内容としては若手お笑い芸人の徳永と、彼の慕う先輩芸人神谷との相棒ものと、いかにもお笑い芸人が書いたような作品だ
。しかし中身は普遍的な青春物となっていて、しんしんと胸を打ってならなかった。



まずは目を引くのは、徳永と神谷の会話である。
二人ともお笑い芸人としてやっているだけあり、日常の会話の中でさえ、ボケとツッコミをまじえようとしてくる。
最初の居酒屋の会話といい、そのほかの笑いといい、にやにやしながら、読み進められるのが良い。
芸人だからと言えば、それまでだけど、作家としても、この笑いのセンスは小説世界を形作る上で、大いなる美点となっている。


物語自体もすばらしいものだ。

徳永は、自分の型のお笑いを持っている神谷を師匠と呼び、親しくしている。
確かに神谷の笑いは結構おもしろいな、と読んでいても思うのだけど、彼のパーソナリティもあってか、幾分の危うさもある。

たとえば太鼓を持っている男に対して、音楽を要求する場面や、笑いをちゃんと理解していない赤ん坊に対して、あくまで自分のスタイルの笑いを披露する場面など、普通に考えても常軌を逸していると感じる面はある。
神谷を慕う徳永さえ彼に危険性を感じ、狂気めいた神谷に恐れを抱く場面だってある。
そのせいか、神谷のことをきつく叱る場面もある。

実際問題、徳永は笑いに限らず、真樹との関係や、金遣いや、問題のある人間なのだ。

だが徳永は神谷に対する親近感は持ち続けている。
恐怖や批判、批評、不満などを抱えていても、神谷という男を慕う気持ちは消えない。
この関係がしんしんと胸に響いてならない。


そしてそうあたたかく思えたのは、徳永という男の優しさに負うところも大きいのだろう。
真樹さんを久しぶりに見かけて、幸せを願うところや、スパークスの解散ライブで相方やファンに対して放った言葉(この小説一番の感動シーンだ)などには、彼の愛情の深さや心の清らかさが見えて、感動してしまう。


そんな徳永たちの日々にも終わりは訪れる。
芸人としてやっていきたいと思っても、売れなくなって辞めざるをえないし、徳永と神谷の関係も変わってしまう。
そこには青春の蹉跌だってあろう。

しかし絶望もなく、静かな気持ちで本を置くことができるのは、やはり徳永の優しい視点によるところが大きいように思えてならない。



ともあれ、心に届く一冊である。
この先、著者にこれ以上の作品が書けるか、この世界とは違う作品が書けるかはわからない。
だけど、できれば又吉直樹にはまだまだ小説にチャレンジし続けてほしい。
そうすなおに思える一冊であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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志賀直哉『小僧の神様・城の崎にて』

2015-07-31 21:22:24 | 小説(国内男性作家)
 
円熟期の作品から厳選された短編集。交通事故の予後療養に赴いた折の実際の出来事を清澄な目で凝視した「城の崎にて」等18編。
出版社:新潮社(新潮文庫)




志賀直哉の短編をまとめて読むのは初めてだ。

通しで読んだ限りでは、全体的に静かなトーンの話が多いように感じた。
良くも悪くも淡白である。
しかしそれゆえに味があるようにも感じられる。


たとえば、『城の崎にて』。

電車にはねられるという、一歩間違えれば死にそうになった主人公。
だが、それを何のてらいもなく、一行で片づけているのだから、ある意味すごい。
しかし死に瀕したからこそ、見えてくる景色がある。

主人公がそこで見たのは、三つの死の形態だ。
一つは死の平安、一つは死に際してそれでもあがかざるを得ない生存の欲求の真理、一つは偶然により訪れる不意の死の風景である。

主人公は死についてをあるがまま甘受しようと考えている。
もちろん生きるためにあがく姿勢はあるらしいが、あくまで死に近しい感情は残っている。
そこにあるのは、死に対するある種の諦念だ。

その諦めが、作中ににじみ出ていて心に残る。
静かに描出されているだけに、こうも滋味深い作品となっているかもしれない、と感じる次第である。



個人的には、『流行感冒』が好み。

この小説の主人はやや潔癖すぎるきらいはある。
けれどそれを差し引いても、女中の石も気が利かないところはある。
そしてそれゆえに、女中は嘘をつき、主人は彼女に不信感を抱くことになるのだ。

しかし石だって、誤解さえとければ決して捨てたものではないのである。
みんなが流行感冒にかかっている中、献身的に働く姿はすばらしく、石を見直すのも当然だろう。
そんな主従の心の触れる瞬間が心に残る。
人と人との誤解や不和というものについて考えさせられる次第だ。



ほかにも良い作品は多い。

『佐々木の場合』

言うなれば恋に破れる物語だろうか。
佐々木と富のどちらが悪いわけでもない。ただ価値観がすれ違っただけだ。
それだけに人生の難しさを見る思いがする



『赤西蠣太』

赤西蠣太はまちがいなく善良な男だ。
表層的な面しか見ないものには、彼の不器量で不器用な点を笑うのだが、彼の善良さをちゃんと理解してくれる人はいる。
それだけに、彼の恋がこのような形で報われないのは、あまりに悲しい。
しかし武士としての責務に忠実な彼は、そのような選択肢しかなかったのだろう。
そしてそんな彼だからこそ、ほかの人も彼に好意を持ったのかもしれない。
世の中はまことに、ままならないものだと思う。



『小僧の神様』

Aの心に引っかかっているのは偽善なのだろう。それが幾分のやましさを与えている。
しかし仙吉にとっては、その行為は深く心に残る、ありがたい行為なのだ。その様が忘れがたかった。



『真鶴』

これは成長の話では、とぼんやり思った。
恋に恋する気持ちを感じたのだけど、その恋も叶わず、夢想も見事に果たされない。
そこには(大人の通過儀礼のような)諦観があるのではないか。
そしてその現実を知ったとき、子供じみた感情で手にした水兵帽も、他者への憐みとなって、現れたのではないかと感じる。



『雨蛙』

せきと賛次郎には結局埋めがたい認識や興味のギャップがあるのだろう。
それが貞操の軽薄さとも結びついているのかもしれない。
たいそう残酷な話だが、賛次郎のそれでもせきをいとおしむ気持ちに救われる思いがした。

評価:★★★(満点は★★★★★)



そのほかの志賀直哉作品感想
 『暗夜行路』
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朝井リョウ『何者』

2015-07-31 21:21:47 | 小説(国内男性作家)
 
就職活動を目前に控えた拓人は、同居人・光太郎の引退ライブに足を運んだ。光太郎と別れた瑞月も来ると知っていたから――。瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいるとわかり、理香と同棲中の隆良を交えた5人は就活対策として集まるようになる。だが、SNSや面接で発する言葉の奥に見え隠れする、本音や自意識が、彼らの関係を次第に変えて……。直木賞受賞作。
出版社:新潮社(新潮文庫)




『何者』は自分の身に重ねていろいろと考えさせられる作品だった。

自分を否定されるような就職活動のつらさや、批評家ぶって当事者に決してなろうとしない卑怯な部分などは、自分の過去や現在を見るようで、心に突き刺さって来る。
それだけに心をゆさぶられる作品でもあるのだ。



物語は就職活動を始めようとしている大学生の男女五人を中心にして語られる。
就職のためバンドをやめたり、留学から帰ってきたり、就活を忌避したりとそれぞれのスタイルは様々だ。
しかしそれぞれが、就活の現実に向かい合うことにもなっている。

そこで描かれる就活の風景は、十数年前の自分を思い出すようでつらい。

面接のために、自分をいかに見せるか苦心して、自分を偽っていくことの違和感。
面接に落ち続けることで自分を否定されているような苦しみ。
落される理由がわからないことで煩悶とする感情、などなど。

自分も一度は経験したことなので、当時のことをまざまざと思い出してしまう。
僕らのときも氷河期と言われたが、就活の苦しみは昔もいまもさして変わってないのだろう。


だが僕らのときと違って、今の子たちはSNSで情報のやり取りをしている。
だがそれが自己顕示の場と化している面もなくはない。

そしてそれを用い、就活のために、肩書きを多用して自分を大きく見せたりしている、らしい。
めったに使わないツールなので、へえ、と素直に感心する。



主人公の拓人はそんな周囲の人間を醒めた目で見ている男だ。
うがった見方をして人をすなおに誉めない。
しかし視点は鋭いところもあり、観察者として優秀なのだろう。

しかし観察者に徹しているからこそ、見えていない部分もある。

拓人は、本当に伝えたいことは一四〇文字のツイートに埋もれてゆく、という書いている。
それは確かに卓見だろう。
だが、サワ先輩が言う通り、選ばれなかった言葉の方がよっぽどその人を表している、という拓人が決して気付かなかった真理もまた的を射ているのだ。

そして拓人がサワ先輩が言っていたことに気付かなかったのは、結局のところ、拓人が観察者に徹して、斜に構えてしまっているからでもあるのかもしれない。


そのことが露わになる後半は寒気すら覚えた。

瑞月も言うように、大人になると誰も過程を見てくれる人はいない。
だからこそ人は格好悪くてもあがく必要だってあるのかもしれない。
しかし拓人はあがくことをせず、斜に構えて、真剣な行為をサムいと言って、冷笑している。

いや確かにサムいことはサムいのだ。
でもその冷笑は、当事者のように真剣に事に向き合っていない証左でもあるのだろう。


そしてその事実は、批評家めいた目線で見ていた(つまりは拓人と同じ見方をしていた)読み手である自分にも返って来るのである。

このあたりの見せ方はすばらしかった。

それでなくても、こんなブログなんかを立ち上げて、感想を書いている身。
読んでいて、いろいろ考えさせられてしまう。

ともあれ読み手の心を深くゆさぶって忘れがたい作品である。
朝井リョウの才能をまざまざと見せつける一品だった。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの朝井リョウ作品感想
 『桐島、部活やめるってよ』
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武者小路実篤『愛と死』

2015-07-31 21:00:31 | 小説(国内男性作家)
 
友人野々村の妹夏子は、逆立ちと宙がえりが得意な、活発で、美しい容貌の持主。小説家の村岡は、野々村の誕生会の余興の席で窮地を救ってもらって以来、彼女に強く惹かれ、二人は彼の洋行後に結婚を誓う仲となった。ところが、村岡が無事洋行を終えて帰国する船中に届いたのは、あろうことか、夏子急死の報せであった……。至純で崇高な愛の感情を謳う、不朽の恋愛小説である。
出版社:新潮社(新潮文庫)




武者小路実篤は『友情』しか読んだことはないが、個人的には大して感銘を受けなかったと記憶している。
そういう風にふり返ると、本書も概ね似たような感想になった。
読み終わった後に、さして心に響いてこないのだ。

そう感じたのは結局のところ、物語の都合のためにヒロインを殺したように見えたからかもしれない。
著者の意図はともかく、そのお涙頂戴に見えかねないプロットが鼻をついたのである。

要するところ、個人的な好みに合わないということかもしれない。


とは言え、本書に良い面がないわけでもないのだ。
特に村岡と夏子の恋愛の過程は麗しいし、微笑ましい。

村岡は人前で逆立ちをしたり、バク転をしたりする活発な夏子に興味を持ち惹かれていく。
そこから二人の仲が親密になっていく様は見ていてほんわかしてくる。
互いに話を重ねて、やがてぞんざいな口調でも言い合える関係になっていくところなどはすばらしい。

しかし二人の仲はヨーロッパ旅行により断絶されることとなる。
それでも手紙を頻繁にやり取りして、愛をはぐくむ様は純愛小説らしい。
幾分甘いし、あまりに善人的な雰囲気は漂うけれど、心に残ることは確かだ。


そしてそう感じただけに、恋人の死という形で物語が終息してしまったことが残念でならない。

人が死ねば悲しいわけで、それが純愛であるほど、衝撃は大きいに決まっている。
そんなわかりきった形で終息するのは、確かに物語としては着地は美しくて、もやもやしてならない。はっきり言って惜しい。

とは言え、いろいろ目を引くポイントも多く、ほんわか温かい作品に感じたことは確か。
好みに合う人もいるのだろう、とも同時に思う作品でもある。

評価:★★(満点は★★★★★)
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牧野信一『ゼーロン・淡雪』

2015-06-02 21:31:02 | 小説(国内男性作家)
 
故郷小田原の風土に古代ギリシアやヨーロッパ中世のイメージを重ね合わせ、夢と現実を交錯させた牧野信一の幻想的作品群。表題作の他に「鬼涙村」「天狗洞食客記」等の短篇8篇と「文学的自叙伝」等のエッセイ3篇を収める。
出版社:岩波書店(岩波文庫)




牧野信一のことは、よく知らないのだけど、かなりユーモラスな作家だな、と感じた。
スラップスティックって感じの話が散見され、読んでいるとニヤニヤする。そこが良いのだ。


たとえば表題作で、本作中の白眉でもある、『ゼーロン』。

内容は駄馬との珍道中といったところか。
その内容にふさわしく、思った以上にくだらない話で笑ってしまう。言うことを聞かない駄馬なだけに、困った展開ばかりが、主人公を襲っておもしろい。

彼も彼なりに、なだめすかす言葉を馬にかけたり、歌なんぞを歌って励ましてみるけれど、まさに馬耳東風で、右往左往するばかり。
加えて卑屈な自虐もあって、他人から隠れようと、おろおろするところなども笑ってしまう。

最後は超展開って感じで、不思議な恍惚感を得られるところも印象的。
ともあれ、そのユニークさが変に心に残る一品だった。



そのほかの作品も作家の個性が出ている。

『鬼の門』

カリカチュア的な味わいがおもしろい作品。
ファンタジーの世界にのめり込んで、その遊戯めいた行動にはまるうちに、どこまで事実か、妄想かの区別がほとんどわからなくなってくる。その過程で生まれる混乱がユーモラスだった。



『泉岳寺附近』

守吉が本当に小憎らしい。
芝居好きとは言うけれど、人を煽るような口調には本当にいらってさせられる。
そんな相手に、自分のマネを(無意識とは言え)されたら腹も立つだろう。自分のことを自分自身嫌っているみたいだからなおさらだ。

しかし大人が惨めなドラマだよな、と読んでいて思った。
子供相手に賭け将棋して、むきになる酒のみのダメな大人が主人公だからよけいに、そう思えてならなかった。


『天狗洞食客記』

横柄で笑いも忘れたような男が、その不遜な態度のため、武道の師匠に弟子として認められていく。その過程はほとんどコメディだ。
ラストに至って、主人公には嘆きも笑いも戻って来るが、それは困惑なのだろう、と読んでいて感じた。いわく笑うしかないっていう状態である。
そしてその展開もまたコメディなんだな、とつくづく思うのだ。



『淡雪』

叙事的な文体で淡々と一家の運命の変転を描いていて読ませる。
さながら長篇小説のような味わいだ。

実際登場人物たちの状況はどんどんと変貌していくわけだが、全篇を通して見られるのは、人と人との衝突だろう。
後ろのエッセイを見る限り、私小説に近いようだ。だからこそ、淡々としているわりに妙に生々しい。
これだけの豊かな素材な分、正直腰を据えて書いてほしかったと思う次第だ。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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夏目漱石『彼岸過迄』

2015-05-01 23:28:42 | 小説(国内男性作家)
 
いくつかの短篇を連ねることで一篇の長篇を構成するという漱石年来の方法を具体化した作品。中心をなすのは須永と千代子の物語だが、ライヴァルの高木に対する須永の嫉妬の情念を漱石は比類ない深さにまで掘り下げることに成功している。
出版社:岩波書店(岩波文庫)




本書はいくつかの短篇を重ねた末、一長篇を構成しようという意図のもとに描かれた作品だ。
だが個々のエピソードはあまりにばらばらにすぎて、構成の均一さには欠けている。
前半と後半はどう見てもトーンは違うし、ユーモラスなところさえある前半と、深刻な後半では、書きたい方向性もそれぞれ違うように見える。

しかしさすがは漱石、それぞれ楽しめる内容になっていて、収まりは悪くても読ませるのだ。



本書や新潮文庫のあらすじを見る限り、『彼岸過迄』でもっとも評価が高いのは、後半にある『須永の話』であろう。
実際、この章が全部の章の中でもっとも読み応えがある。

須永と千代子は従兄妹同士。須永の母は須永と千代子をくっつけようと躍起になっているのだが、須永は千代子とあまりに近しく接してきたため、千代子を女として見ることが難しい。
しかし千代子のそばに婚約者候補の高木が現れて、、、という話だ。
基本的に筋書きだけ見ればメロドラマ的である。

にも関わらず、この章が読み応えたっぷりなのは、須永の心理描写が綿密だからだ。


基本的に須永はめんどくさい男だ。
考えすぎるところがあって、少しひねているし、小理屈をつけすぎる。
その理窟ずくめの頭で、千代子の見合の噂を聞いても、嫉妬しないことを自分自身に確認しているし、仮に俺と結婚しても不幸になると、卑屈に頭でっかちに考えている。

だが目の前に現実の恋のライバルが現れ、須永は初めて明確に嫉妬する。
にもかかわらず、須永は何かアクションを取るわけではない。
ここでも彼らしくいちいち理由をつけて、千代子から離れていくのだ。
そのときの自分に対する言い訳は、卑屈で自尊心を保つための言い訳にも見えて、痛ましくさえある。


そしてそんな須永の態度を千代子はなじることとなるのだ。
このクライマックスはぞくりとした。

須永を卑怯だ、と言った千代子は彼女なりに、恐らく須永本人さえ気付かなかった、須永の心を深く看破しているのだと思う。
そこにあるのは、人の痛みや体面を考慮することよりも、自分の心を守ることに恋々としている、須永のエゴなのではないのだろうか。
「貴方の態度が」あるいは心が「侮辱を与えている」という言葉は、双方にとって痛い言葉だったろう。
それだけに痛切に響くラストとなりえている。



そのほかの章も、その章なりのおもしろさはある。
主人公にして、狂言回しの敬太郎を中心に語られる章は、彼が「平凡を忌む浪漫趣味の青年」ということもあってか、どこかふわふわしがちな話が多い気がする。

『風呂の後』の森本とのエピソードなどは、森本がダメダメなだけに、ユーモラスでおかしい。
その後も就職を斡旋してもらうために、探偵まがいのことをするところなどは、あまりにへんてこな方向に転がっていくので、興味を惹かれた。
田口や松本といった、ちょっと風変わりな大人たちもいいキャラをしていて、それもまた関心をもって読み進めるけん引力となっている。

また最後の章で、須永が頭でっかちな境地から「考えずに観る」ことを学んだことに、読んでいてほっとさせられた。
それは彼にもたらされた救いであろう。


いろいろ書いたが、ともあれ、なかなかおもしろい作品だった。
構成の美しさには欠けるが、漱石のすばらしさの一端が垣間見える作品と思う次第である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかの夏目漱石作品感想
 『草枕』
 『こころ』
 『坊っちゃん』
 『門』
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佐藤賢一『王妃の離婚』

2015-03-12 20:15:35 | 小説(国内男性作家)
 
1498年フランス。時の王ルイ12世が王妃ジャンヌに対して起こした離婚訴訟は、王の思惑通りに進むかと思われた。が、零落した中年弁護士フランソワは裁判のあまりの不正に憤り、ついに窮地の王妃の弁護に立ち上がる。かつてパリ大学法学部にその人ありと謳われた青春を取り戻すために。正義と誇りと、そして愛のために。手に汗握る中世版法廷サスペンス。第121回直木賞受賞の傑作西洋歴史小説。
出版社:集英社(集英社文庫)




日本の小説で、近代以前の西洋を舞台にした娯楽小説は存外少ない。
それは結局のところ、日本人が世界史に疎く、前提となる知識に乏しく、親しく接してこなかったという点に尽きよう。

佐藤賢一の小説を読むのは初めてだが、そんな前提知識の不足など問題ないほどに、おもしろい小説だった。
物語として純粋におもしろく、わかりやすく時代背景が整理されていて無理がない。
一級の歴史小説と感じる次第だ。


舞台は1498年フランス。
この時期の西洋はそんなに知らないが、選ばれている素材は、離婚裁判ということもあって、日本人の僕でも入りやすい。

何より人物が日本人向けに改変されているせいか、どれも魅力的である。

王妃ジャンヌの離婚裁判の傍聴に訪れた弁護士のフランソワは、過去に大恋愛をしたこともある、幾分屈折した男だ。
ルイ十一世に追われた過去のため、その娘のジャンヌを憎んでもいるが、卑劣な裁判の手順に対して怒りを覚える程度に、正義感にあふれた人物でもある。
それでいて、過去の女を引きずる程度に(まあ仕方ないが)女々しさもあっておもしろい。
その人間的な魅力がたまらない。


そんなフランソワは紆余曲折の果て、復讐心を持って見ていたジャンヌの弁護士を引き受けることとなる。
この展開が熱い。
信念をもって進んでいるのが伝わるし、それは昔の女が自分のために用意してくれた舞台にも見えて、深く心が揺さぶられるのだ。

そして裁判での彼の活躍も、見せ場たっぷりだった。
言葉巧みにジャンヌに有利になるよう裁判を運んでいく姿には、読んでいて興奮してしまう。
胸が透く思いだ。

そして裁判を通して、ジャンヌに対し、人と人との関係を結んでいく部分も胸に響いた。


そのほかのキャラもすてきである。
ジャンヌは懐の深さをかんじさせるところがかっこいいし、それでいて女としての弱さを感じさせるところも心に残る。
そのほかにも優柔不断なルイ十二世、フランソワの恋人のベリンダなど、輝いている人物が多く、心奪われる。

一級の娯楽小説とよぶに足るすばらしい作品であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)
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小野正嗣『九年前の祈り』

2015-02-26 20:34:08 | 小説(国内男性作家)
 
三十五歳になるシングルマザーのさなえは、幼い息子の希敏をつれてこの海辺の小さな集落に戻ってきた。何かのスイッチが入ると引きちぎられたミミズのようにのたうちまわり大騒ぎする息子を持て余しながら、さなえが懐かしく思い出したのは、九年前の「みっちゃん姉」の言葉だった。表題作「九年前の祈り」他、四作を収録。
出版社:講談社




表題作の『九年前の祈り』は、個人的にあまり合わない作品だった。
それは結局、主人公であるさなえの感情に寄り添えなかったのが大きいのかもしれない。

しかし人間の描写は丁寧で、技巧的な側面が光る作品だった。


さなえは外国人の夫と結婚して、希敏という子を授かる。
しかし希敏は自閉症(アスペルガー?)気味なところがあり、ちょっとの環境の変化に動揺し、錯乱すると、激しく泣きわめくような子どもだ。

さなえはその状態を「引きちぎられたミミズ」と形容しているが、表現としてはおもしろい。
さなえ自身、天使のような容貌の希敏をかわいいと認めているが、現実の希敏は手のかかる子供で、彼の心さえ読むことができず、いらだちを感じている。


それでなくとも、さなえの家族は鬱陶しいのである。
やたらに口を出したがる母に、空気の読めない父など、近くにいたら、イラってしそうな人たちばかり。

そういう環境にあって、コミュニケーションのとれない息子に不愉快になり、距離を置きたいと思い、虐待気味な行動になって現れる。
そんなさなえに、共感はできないし、賛同もしない。
しかし気持ちが、まったくもって理解できないわけでもない。

もちろんさなえも希敏に対し、どこか罪悪感めいた気持を持っているようにも見える。
しかしだからと言って、さなえが寛容さをもてるわけでもない。


そんな中で、癒しとなっているのは、みっちゃん姉の言葉だろう。

「子供っちゅうもんは泣くもんじゃ」という、むかし言われた記憶が少しだけさなえを解放してくれている。
そしてその言葉を背負い、さなえも希敏と接するしかないのだ。
そう彼女も母親。母である以上、そこから逃れるわけにもいかない。
息子の手を放してはいけないし、手を放すわけにもいかないのである。

とは言えこの物語に、明確な救いがあるわけではない。
しかし少なくとも、さなえは希敏との関係を少し見つめなおすことができたのではないか、と思う。その予感だけが、幾ばくかの明るさを感じさせるのである。



そのほかの作品は、お互いにゆるやかなつながりを見いだせておもしろい。

個人的には『お見舞い』が好きだ。
昔は輝いていた兄貴代わりの男の転落や、暴力で抑えつけようとする兄など、田舎特有の閉鎖的な環境ゆえとも思える暗い要素が目を引いた。
そして落ちてしまった男を、突き離せない主人公の心情がリアルで、何かと心に残った。

評価:★★(満点は★★★★★)
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五木寛之『蒼ざめた馬を見よ』

2014-12-25 20:28:42 | 小説(国内男性作家)

ソ連の老作家が書いた痛烈な体制批判の小説。その入手を命じられた元新聞記者・鷹野は、本人に会い原稿を運び出すことに成功する。出版された作品は、全世界でベストセラーとなり、ソ連は窮地に立った。ところが、その裏には驚くべき陰謀が…。直木賞受賞の表題作など全5篇を収めた、初期の代表的傑作集。
出版社:文藝春秋(文春文庫)




五木寛之の直木賞受賞作である。
1967年発表の作品だが、なるほど当時の世界情勢と密接にかかわった内容の作品が多く、その辺りが興味深かった。


たとえば表題作の『蒼ざめた馬を見よ』。

これは冷戦期でなければ、成立しない小説だな、と読んでいて思った。
実際の両陣営で、この手の陰謀じみた行為が行なわれていたかは知らないが、当時はリアリティを持って読まれていたことだろう。
ちょっとつくりすぎの気もするが、サスペンスタッチで、物語としてはおもしろい。

どこか衝動的な鷹野のキャラクターはいかにも危く、手駒としていいように使われる宿命だったのだろう。
それが時代の危機意識と微妙にマッチしているようにも思えた。



そのほかの作品もおもしろく、時代の雰囲気をよく感じさせてくれる。
以下簡単に感想を記す。


『赤い広場の女』
人は過去を背負っているわけでその中にはトラウマとなっていることだってある。
朝見のように、過去は過去と切り離すのが強い生き方だ。しかしそうできない人もいる。
そしてそうすることが必ずしも正しいとも思えない。そんなことを読んでいて感じた。


『夜の斧』
生き残るためもあり、昔に契約したスパイ行為に加担する羽目になる、一般市民の男。
大きな国家的陰謀に巻き込まれていくこと自体、シベリア抑留というものの、傷と言えるのかもしれない。
物語的には中途半端だが、サスペンスタッチで楽しかった。


『天使の墓場』
この小説の中で描かれた隠ぺい工作は、どう見ても極めて危く、いやいやそんな工作じゃあボロが出ちゃうよ、と違う意味でハラハラしてしまった。
それはともかく、組織が巨大であればあるほど、個人の声は圧殺されてしまうという物語のテーマは忘れがたい。
特にラストシーンは、無力な人間の存在を感じて、少し切なくなった。

評価:★★★(満点は★★★★★)
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