パソコンのマニュアルの難しさ。泉下の山本夏彦、木下是雄は...。
1990年ごろでしょうか、『理科系の作文技術』が知られてきた頃、木下是雄さんの研究室に、日本のパソコンメーカーに勤めているアメリカ人が訪ねて来ました。その人の役職は、日本語のマニュアルを英語に訳すことでした。ところが、日本語の文章がどうしても英語にならないので、悩みに悩んで、木下さんのところに相談に来たのでした。この経験は木下さんにとっても大きなことで、日本のマニュアルの書き方において重大な問題があることに気がつきました。内輪の専門家どうしでは分かるものの、しろうとには分からないことがあまりに多かったのです。そのアメリカ人が「英語の訳せない」と言ったことの、本当の意味は、「どの言葉にも訳せるような普遍性がない」ということです。
私なども、ワープロ、パソコン時代から、分からないことだらけでしたが、分からないと自分の方に責任のいくらかがあるという気持ちが先立って、なぜ分かりにくいかの追求をしないきらいがありました。しかし、常識に還ってつぎのような文を見てください。
サーバーへの接続は失敗しました。 アカウント : 'pop12.odn.ne.jp', サーバー : 'smtp02.odn.ne.jp', プロトコル : SMTP, ポート : 587, セキュリティ (SSL): なし, ソケット エラー : 10060, エラー番号 : 0x800CCC0E
電子メイルの送信に失敗すると以上のような記述が現われますが、皆目検討がつきません。英語では、jargonと言うのでしょうか、専門家どうしならつーかーかもしれませんが、素人には、最初の「サーバー」という意味からして分かりません。私にも分かるのは、「中継基地」のようなものだ、というだけで、どう対策を講じたらいいのか、なんら行動に指針にはなりません。
じつは、木下さんのところに米国人が訪れたころ、ある評論家が電気製品のマニュアルの分かりにくさを俎上に挙げていました。
この正月私はファクスを買いかえた。それまでのはナショナルのパナソニック、これは旧式だから使いこなせた。今度のはキャノンのキャノファックス、新式で要りもしない機能が山ほどついていて、うっかりその一つにさわると送信も受信もできなくなる。さわっても全く音がしないから原因が分からなくて夜ふけに一再ならず往生した。
著者は山本夏彦(1915-2002)。新潮文庫『オーイどこ行くの』所収のエッセイです。上の引用に以下の部分が続きます。
以前の電話は同僚にかかったものなら、おーいと呼べば相手はかけよるから受話器をわたせばよかったが、今は保留と書いたボタンを押せば相手の机上の電話につながる。かけよらなくてすむのは便利だが、この保留の意味が分からない。分からないからうっかり押さないでおーいと呼んで受話器を置くとその電話は切れてしまう。保留という言葉がメーカーだけに分かって第三者に分からないからこのことがある。
「保留」という言葉は、漢字自体は簡単ですが、少し考えると何を意味するのか分からない。「メーカーだけに分かって」いても、第三者には通じないということをマニュアルを書いた人は考えたのでしょうか。
このエッセイは、以上の経験を枕に、毎日新聞が「日本のマニュアル大賞」を新設したことを紹介するために書かれたものでした。その後、四半世紀、日本のマニュアルは分かりやすくなったでしょうか。2000年ごろには、主催が毎日新聞から、テクニカルライターの団体に移ったようで、今も同趣旨のコンテストが行われています。私の見るところ、エアコンや、窓、掃除機など住宅用の機器のマニュアルは、著しいとはいえないまでも、だいぶよくなっているようです。しかし、肝心の電子機器については25年間、進歩があったとは思えません。
今、思うのですが、インタネットの技術を用いれば、たとえば、「サーバー」という語をクリックすれば、その説明、定義が現われ、クリックを繰り返しているうちに、はたと納得する時が訪れるように仕組むことなど容易にできるのではないかと思います。じっさい、VOAのニュースサイトなど、記事中のどの単語をクリックしても1~2秒くらいで、ウエブスター辞典の定義が現われます。ただ、定義する際、より日常的な概念で定義するように心がけてもらいたいと思います。定義のぐるぐる回りは困ります。
やろうと思えばできると思うのですが、改善のないのは、市場原理の限界でしょうか。パソコン、インタネットの類は買わずに済ますわけには行かないのですから。ブラウザー、サーチエンジンにいたっては寡占状態が続いています。
木下さんや山本さんの影響は、はたして、微小にすぎたものだったようです。ただ、じつは、山本さんが木下さんの『理科系の作文技術』を発見したという事実は注目に値します。『完本 文語文』という本のなかで、扱っているのを最近になって知りました。しかも、山本さんが社主を務める雑誌『室内』の新入社員には、自腹で『理科系の作文技術』を配っていたそうです。たった一人の反応といえども、この共感には問題の客観性を強く裏付ける力あります。25年前のこの反響を少しでも今に響かせたく思い、ここに紹介するしだいです。