Luna's “Tomorrow is another day”

生活情報、人間、生きること…。新聞記事から気になる情報をスクラップ!

NHK番組改編訴訟 勝訴でも戒めの契機に

2008年06月17日 | スクラップ
(2008年6月14日朝刊)




 従軍慰安婦を扱った番組をめぐり、放送前に政治的圧力で改編され「期待権」が侵害されたとして、取材協力した「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」(東京)がNHKと制作会社二社に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷は「番組内容への期待や信頼は、原則として法的保護の対象とならない」とする初めての判断を示した。

 報道機関の表現の自由を重視する内容だ。NHKの主張が認められ、二審東京高裁判決を破棄し、原告の逆転敗訴が確定した。

 この訴訟が注目されたのは、「期待権」だけではない。むしろ番組改編に政治家が介入し圧力をかけたかどうかが問われていたからだ。

 NHKは二〇〇一年一月、教育テレビの特集番組「戦争をどう裁くか―問われる戦時性暴力」で、原告などが主催した「女性国際戦犯法廷」を取り上げたものの、昭和天皇の戦争責任を指摘した判決などは削除した。

 判決は「期待権」が認められるのは「事前説明と違う番組内容となった場合は、放送事業者や制作業者に不法行為責任が認められる余地がある」とあくまで限定的にとらえている。

 その上で「どのような放送をするかは表現の自由の保障の下、放送事業者の自律的判断に委ねられている」とした。

 「期待権」が拡大されると、特に政治家らに対する批判報道が難しくなるのは、想像に難くない。そういう意味では妥当な判決といっていいのではないか。

 東京高裁判決は「NHKが国会議員らの意図を忖度して当たり障りのない番組内容にした。改編の経緯からみれば、憲法で保障された編集権を乱用し、自ら放棄したものに等しい」とNHKの姿勢を厳しく批判していた。

 報道の自由は民主主義の根幹だ。それだけに、政治家への過度の配慮から自己規制したといわれたのは報道の自由に疑念を抱かせるものだった。

 最高裁は政治家の介入の有無に言及しなかった。法的な争点でなかったにしても物足りない。

 NHKは最高裁で「勝訴」したが、自らの姿勢に何ら問題はなかったとはいえまい。

 「NHKと政治」は新しい問題ではない。NHK予算は国会の承認が必要だからだ。NHKは二〇〇六年、自主・自律の堅持を掲げた「新放送ガイドライン」を作成し、「国会承認を得る業務に当たっても、この基本的な立場は揺るがない」と宣言した。放送メディアとして当然であり、その姿勢を堅持していく責務がある。

 とはいえ、気になる点がある。

 NHKと民放でつくる第三者機関「放送と人権等権利に関する委員会」が今回の訴訟の東京高裁判決のニュースで「公平、公正を欠き放送倫理違反があった」とする見解を出しているからだ。

 公共放送として国民の知る権利に応え、報道への信頼を確かなものにするためにも、NHKは報道・編集の自律性に疑いを差し挟まれるようなことがいささかもあってはならない。



沖縄タイムス
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クラスター・オスロ・プロセ... | トップ | NHK番組改編  「政治介入... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

スクラップ」カテゴリの最新記事