京都縦貫道の工事に伴い、多くの遺跡群から
出土品が発掘されました。
まずは、現在の調子付近にあった硲遺跡のご紹介です。
硲遺跡は弥生時代中期から後期(紀元前1世紀~1世紀)を
中心とした集落遺跡です。
小泉川左岸の扇状地から段丘状に広がった集落です。
10数棟の竪穴式住居、土杭、溝などが確認されています。
見つかった土杭の中から、銅鐸土製品や舌型土製品が
見つかっています。
また、石剣や石鏃なども出土しています。
(石剣・石鏃)
近くには三川合流地点があり、川を利用した交易もあったと
考えられます。
近くに集落もできて、一大集落へと発展していった
ことが伺えます。
また、調子八角の「八角」は近辺から風招が出土しており、
八角堂があったのではないかと考えられています。
風招とは屋根飾りで、寺院の堂塔の屋根の四隅を飾る
風鐸から下がる、風受けの飾り板です。
(風招)
調子馬ノ池公園に説明板がありますので、
詳しくはそちらをご覧ください。
出土品が発掘されました。
まずは、現在の調子付近にあった硲遺跡のご紹介です。
硲遺跡は弥生時代中期から後期(紀元前1世紀~1世紀)を
中心とした集落遺跡です。
小泉川左岸の扇状地から段丘状に広がった集落です。
10数棟の竪穴式住居、土杭、溝などが確認されています。
見つかった土杭の中から、銅鐸土製品や舌型土製品が
見つかっています。
また、石剣や石鏃なども出土しています。
(石剣・石鏃)
近くには三川合流地点があり、川を利用した交易もあったと
考えられます。
近くに集落もできて、一大集落へと発展していった
ことが伺えます。
また、調子八角の「八角」は近辺から風招が出土しており、
八角堂があったのではないかと考えられています。
風招とは屋根飾りで、寺院の堂塔の屋根の四隅を飾る
風鐸から下がる、風受けの飾り板です。
(風招)
調子馬ノ池公園に説明板がありますので、
詳しくはそちらをご覧ください。