長岡京市観光協会のブログ

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長岡京市の民話・柳谷の観音様

2015年06月20日 | 民話






桓武天皇は794年に都を長岡京から平安京(今の京都)に移しました。

当時、有名な清水寺が東山に建てられました。清水寺を造った延鎮は、

お寺の本尊として十一面観音像を祀りたいと思っていました。

毎晩祈り、やがで観音様のイメージを描く事ができました。

ところが、ある夜、えんちんは夢をみました。夢の中で、「もし、

西山を訪れたら、思いを叶えましょう。」と言う声を聞きました。

その時、暗闇を照らす光を見ました。その光は西山の方向を指して

いました。翌朝、えんちんは西山へ向かって旅立ちました。何時間も

歩いてから人里離れた森の中を彷徨いました。突然、柳の木の林から

光が差しました。光は柳の木を取り巻いて流れる小川の岩の所を

照らしているのです。その岩の上には十一面千手観音像が立って

おられるのでした。えんちんは像を拝んで、小さなお堂を建てました。

この仏さんは、柳谷観音と呼ばれました。「かんのん」は慈愛の神様の

ことで、「やなぎだに」は柳の木の茂る谷を意味し、当地の地名です。

数年後、延鎮は清水寺の観音様を彫るために京都へ戻って行きました。

現在、お党にご本尊として祀られている観音様は、今から、約850年前に

造られたものです。近年行われた修理で、像内から文書が発見されました。

その文書によりますと、1210年に近隣の村人達の寄付によって、修理が

なされたということです。(長岡京市の昔話より)


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