桓武天皇は794年に都を長岡京から平安京(今の京都)に移しました。
当時、有名な清水寺が東山に建てられました。清水寺を造った延鎮は、
お寺の本尊として十一面観音像を祀りたいと思っていました。
毎晩祈り、やがで観音様のイメージを描く事ができました。
ところが、ある夜、えんちんは夢をみました。夢の中で、「もし、
西山を訪れたら、思いを叶えましょう。」と言う声を聞きました。
その時、暗闇を照らす光を見ました。その光は西山の方向を指して
いました。翌朝、えんちんは西山へ向かって旅立ちました。何時間も
歩いてから人里離れた森の中を彷徨いました。突然、柳の木の林から
光が差しました。光は柳の木を取り巻いて流れる小川の岩の所を
照らしているのです。その岩の上には十一面千手観音像が立って
おられるのでした。えんちんは像を拝んで、小さなお堂を建てました。
この仏さんは、柳谷観音と呼ばれました。「かんのん」は慈愛の神様の
ことで、「やなぎだに」は柳の木の茂る谷を意味し、当地の地名です。
数年後、延鎮は清水寺の観音様を彫るために京都へ戻って行きました。
現在、お党にご本尊として祀られている観音様は、今から、約850年前に
造られたものです。近年行われた修理で、像内から文書が発見されました。
その文書によりますと、1210年に近隣の村人達の寄付によって、修理が
なされたということです。(長岡京市の昔話より)