ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

法句経から。

2011年04月24日 | 毎日、法句経。
*5番

まこと、怨みごころは
いかなるすべをもつとも
怨みを懐(いだ)くその日まで
ひとの世にはやみがたし
うらみなさによりてのみ
うらみはつひに消ゆるべし
こは易(かわ)らざる真理(まこと)

**

人生で人のことを怨む心があれば、どういう手段をもってしても
怨んでいる間は怨みが消えることはない。
怨みが無くなってこそ、ついにうらみは消える。
これは、変わらない真理である。

放射線・放射性物質・放射能

2011年04月24日 | 放射線とレベル7
こんなことが起きる前は、単純に「放射能」と呼び習わしていた。
日常では、「明るい爺問題」で過ごしていたが、3・11以来めっぽう「大きな爺問題」として浮上した。
放射能とは、放射線を出す性質を言い、そのような性質を持っているもののこと。
そして放射性物質から出るのが、放射線。
すべては、この放射線が主人公になった。
原発事故で、放射線被曝が最大の問題点になった。
被曝は放射線の照射を大量に受けると人間の体にさまざまの障害が現れる。
そもそも、1885年に、ドイツのW・C・レントゲンが初めて不思議な放射線を発見し、??でX線と名付けた。
今も病院へ行けば、レントゲン線、X線なのだ。
その後、世界の物理学者は相次いで、いろいろな放射性物質から、放射線が出ることを発見しウランやラジュームなどで、原子物理学はどんどん進化する。天然に存在するラジュームが強烈な放射線を出すことをキューリー夫妻が発見し夫人は、研究材料のラジュームから、大量の被曝をうけて、最後は癌で亡くなった。
ずうっと後になって、日本は広島、長崎に原子爆弾を落とされた。こんなことが放射線の毒性について、生の研究材料になったのは、不幸である。 (爆弾を浴びるのは、被爆。放射線を浴びるのは被曝)

**
放射線には、自然放射線と人工放射線がある。
問題は、人間の作った人工放射線だ。
人為的に作られた放射性物質からの放射線は、医療用のX線発生装置もあるが、原子炉の発電、原子爆弾。
自然放射能は、大昔からある。
ひとつに宇宙線、大地放射線など自然界にあるもので、人間の健康に害を及ぼすことはない。
**
今日24日の朝日新聞の2面に放射線、体にどんな影響があるの?
これも読んでおくと良いよ。
                                つづく


シートベルトは、車乗る時の安全義務。さてシーベルトは?

2011年04月23日 | 放射線とレベル7
22日午前0時をもって福島第一原発の半径20キロメートル圏内は(災害基本法に基づく)「警戒区域」に設定された。
加えて20キロ圏外の、福島県4町村は「計画的避難区域」に、さらに30キロ圏内で「緊急時避難準備区域」が指定された。
これらの区域は、それぞれ放射線量の数値が、被曝線量の程度を目安に線引きされている。
たとえば、原発から3キロ付近では、毎時100マイクロシーベルトを超える地点で年間の被曝線量に換算すると100ミリシーベルトを超えかねない。
健康に影響の出る年間20~100ミリシーベルトを上限に被曝線量で対策を取るように勧告したのは、国際放射線防護委員会(ICRP)2007年だ。
線量当量の単位名がシーベルト、何やら難しいが、線量等量の定義は吸収線量×線量係数×修正係数となっている。
つまり、線量当量は、種類やエネルギーの異なる放射線被曝に対し、それが人体に及ぼすリスク(危険度)を同一尺度で計算し、放射線防護の目的で比較したり、管理したりするために用いられる。その単位がシーベルトだ。

それに単位の接頭語がつくから、どれくらいの量か大きいのか小さいのか迷ってしまう。
ミリ・マイクロ・ナノ・ピコと小さくなり、キロ・メガ・ギガと大きくなる。
500ミリシーベルトも被曝するとリンパ球の減少が起こるとされている。(ICRP)
3月11日以後の、新聞は袋に一杯になった。


法句経から。

2011年04月23日 | 毎日、法句経。
昭和50年代の初めに神田寺の友松円諦師から受けた法句経講座から、一日一句更新します。
縦書きで、ルビが入っている。ルビは()に入れる。

*405番
弱きにも
強きにも
生命(いのち)あるものに
刀杖(つるぎ)を加へず
自らも殺さず
他(ひと)をも殺さしめず
我かかる人を
婆羅門とよばん



法句経というお経には中国に伝わったものとセイロンにダンマパダ(法句経)の名でで伝わったものがあるが、いずれも釈尊の自説で経典の中では最も古いものとされている。
セイロン伝法句経423偈から一句ずつ更新。


「強きをくじき弱きを助け」ではなく、命ある者すべてに武力で殺戮することなく、苦しみに耐えられず自らの命を絶つようなこともなく、自他の命を大切にする人を「婆羅門」(インドで最高位の僧)と呼ぶ。
世界は、今この釈尊の言葉に背いて戦争や紛争が絶えない。自爆テロ、無人機による爆撃、「命」を何と思っているのか。
正義の名のもとに武力で裁く強者と、弱者を統べる独裁者との激突に弱者の多くの命が犠牲になる。
誰の命も失わない平和の希求こそ、釈尊の理想であった。

線香の香り

2011年04月22日 | 放射線とレベル7
朝、仏壇に、香をたむけると、まっすぐに煙が上がる。
しかし、やがて仏間からリビングに香りが到達する。
お香は、煙も香りも感じることが出来る。
しかし、これが放射線だったらどうだろう。
煙も香りも漂わず、目にも見えない、放射線が忍び寄ってくる。
長い間に確実に人体を蝕む不気味な存在。
地図に10キロだ、20キロだと弧を描いてみても、それから先は安全と言うことではない。
******
朝、コーヒーを淹れる。ミルクを垂らすと白い墨流し文様を描いて拡がっていく。
しかし、これがミルクでなく海に垂れ流れて行く高濃度の汚染水だったらどうだろう。
魚介類の食物連鎖で、人間も遅かれ早かれ危険な状態に見舞われる。
水も空気も、線は引けない。
*******
日本人は、非常時になると体を張って立ち向かう。否、立ち向かわされる。
かの大戦に於いて、神風特攻隊が、戦艦に向かって体当たりを決行した。軍神と言われても、成功率は低く悲しいことだった。
今、この原発事故で、現場の作業員の人たちは、やはり命をかけて戦っている。
東電、保安院、官房長官の記者会見も、かっての大本営発表に似ているが、何時までたっても安全への解決の糸口は見つかりそうもない。
*******
つづく



あの時お世話になった大樹が、今。

2011年04月20日 | 歩く、歩く。
突然の大地震で、思わず抱きついた大樹が、八重桜だった。
今が満開だ。有難う。
咲くのが遅い八重桜の並木。
ソメイヨシノは、とっくに葉桜になっている。
地面がぐらぐら揺れているとき、助けてくれた一本が、このなかにある。
005
満開の八重桜。
006
遊歩道の八重桜の並木。
011
見上げれば、柳と八重桜そして雲。
(映像はクリックして、ワイドでご覧ください。)


もう、新緑の季節に。

2011年04月18日 | 日常・身の回り
4月も、半分以上たち緑の芽ぶきで新緑の季節となった。
更新も3、4日出来なかった。
遊歩道の散歩にも、出ないでいたので、もう葉桜か。
駅に向かう街路樹のトウカエデも葉が出そろい、沼に降りる街路樹の花水木も花をつけている。
ここ数日で、季節は移ろいゆくのに、被災地には桜前線北上しても、簡単に瓦礫は片付かず酷なことだ。
今日の朝日新聞の短歌や俳句の投稿欄は、震災関連を詠んだものが大半だ。
どうにも出来ないで、やり切れない思いのまま、月日が経ち季節が過ぎてゆく。ああ!


夜桜と、見上げてごら~ん、月と星。

2011年04月14日 | 日常・身の回り
夕食終えて、夜桜見物。
風流でも何でもない、5分ほど表に出ただけ。
玄関を出て三軒先のお宅に二本ある桜の木。
門灯と街灯に照らされて、ライトアップ、満開過ぎてはらはらと花びらの舞う吹雪。
見上げると、中天に十二日の上弦の月、まわりに瞬く星の数。
今夜は晴天で日本中、同じ月と星が見られたことだ。
たかだか、五分の夜桜に、月と星。
誰も出てない住宅街の通りで夜風に吹かれて、門扉ガチャンと家に入り「あんた、何してんの!」で冷めた茶をすする。
(テレビ消して、少しは被災地の人たちのこと思わんか!)
テレビは、緊急地震速報のためにある。今日も何回地震情報出たことか。
枕元に、携帯電話を置いて寝るのが、あれからの習慣。
ヴ~ヴ~と鳴り振動する。開くと緊急地震速報。
今夜は鳴りませんように。