夏目友人帳
アニメ 全13話
この作品がいいものだとは知っていた。子供も一押しのアニメであった。でも見てなかった。一つの理由は長いこと。
これは13話だが、続、参、肆・・と続いていき、一気に見るのが好きな自分には荷が重かった。でもまぁ最初のシリーズだけでもと見始めた。評判にたがわないいい作品だった。
妖怪が見える少年・夏目貴志は、ある日祖母の遺品の中から「友人帳」を見つける。「友人帳」とは、彼の祖母・レイコが妖怪をいじめ負かした結果、奪った名を集めた契約書だった。
以来、名を取り戻そうとする妖怪達から狙われるようになってしまった夏目は、とあるきっかけで自称用心棒となった妖怪、ニャンコ先生(斑;まだら)と共に、妖怪達に名を返す日々を送り始める・・。※あらすじはウィキより(改)
見始めた理由は、人気作品でいつも借りられていたDVDが、さすがに初期作品については簡単にレンタルできるようになってきたことと、もう一つは「情」だった。子供夫妻が、「切ない、情のある作品」とつぶやいたのを聞いて、プリンセス・トヨトミの「情」つながりの気持ちもあった。実際見ても、どことなくもの悲しい、切なく、悲しみを知っている人の優しさに溢れた作品だった。
まだ全話見たわけではないのでこれからの展開で変わるのかも知れないが、たぶんこの印象が続くんだろうなと思う。ある意味「日本製アニメらしいアニメ」と言うことかな。蛍の杜と同じ作者と言うこと。美しい物語と言ってもいいかもしれない。
実は私、友人にこういうモノが見える人がいる。
大学時代など、夜集まってわいわい言っている時、開け放された外を見て、「あっちを見ちゃダメだ」と大声で叫んだことがある。
一斉に振り向いて見ても誰にも何も見えない。何?と訊いても、あれが見えないのか、見ちゃダメだと言うばかり。
その木の下に物の怪が立っているらしい。しかし私には見ることも気配を感じることも出来ない。
まんざら彼が嘘を言っているのではないことは、こんなことでもわかった。
彼が、『ここにはよく立っている』と言う踏切では、なぜか事故がよく起こる。見通しがよく、こんなところで事故るわけ無いという場所でも起こるのは、彼の言う物の怪のせいだとしたらリーズナブルだ。
私には見えないが、どんな店が出来ても必ずすぐつぶれるって土地があるよね。そんなところって物の怪の通り道とか集まりやすいところなんじゃないかしらとも感じてしまう。まぁ見えない自分に言葉はただの「無責任」なんだけどね。
その彼、私たちは友人と思っていたし、仲良しとも感じていた。しかし彼はそう思っていたのだろうか。見えない私たちと自分の間に溝を感じていて孤独だったのではないだろうか。私はむしろ見たいといい、彼が羨ましかったが、その言葉を彼はどう聞いていたのだろうか。
わからないものはわからないのがいい。知らない方が幸せ。みんなが見えないモノなら見えないのが一番いいのではないだろうか。
人と違うことを個性だとかユニークだとかいう若者、特に中高生たちの言葉を聞くが、それはただ親離れの時期がそういう反抗的行動に出るだけと感じている。本当に他人と違っていたら幸せと感じるだろうか。そう思いながら見たこのアニメは、ほんの少し私にも彼の心情がわかるようで少し心が痛い。
彼の一つ一つの表情が、悲しいような、悟ったような、諦めたような表情に見えるのだ。