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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

高島伸欣さんの新年のメッセージ:"ゆでガエル"になりかかっている者への警鐘

2015年01月04日 | 平和憲法
 ◆ 気になることーーサザンについて

 皆さま   高嶋伸欣です
 新年おめでとうございます。

 1.昨日の「紅白歌合戦」でのサザンの出演場面について多くの方が積極的な評価を次々と表明されていることに、私もほぼ同感なです。ただその一方で、そうした評価が強まれば強まる程、現在のNHK内部ではあの番組、特にあの場面の担当者たちに対する有形無形の締め付けが強まりはしないか、ということが気がかりになっています。
 2.安倍首相の人脈で送り込まれた会長や経営委員たちによってNHKの内部では、相当に厳しい状況になっているという情報があちこちで伝えられています。
 3.そうした内部の歪んだ状況に今回の担当者たちが翻弄されないようにするためにも、外部から肯定的、積極的に評価する声をNHKに寄せたり、新聞などの番組評の欄への投書をするなどして、視聴者からの評価が高いことを証明することが必要ではないかと思います。
 4.その場合に、東京のNHK本局に直接意見を伝えるだけでなく地元のNHKに伝えると、その地方局から東京のNHKに取り継がれる過程で、地方局内にもそうした視聴者の高い評価の存在が知れ渡ることになって、地方局の人たちにとっても励みの材料になる可能性があります。
 地方局の電話番号は、各地の新聞の番組欄に掲載されていると思います。
 5.皆さんそれぞれの思い、感想を寄せられてはいかがでしょうか。

 6.なお、わたしはミュージシャンがあのように極めて社会性のある歌詞を歌ったことに、1983年秋、西欧に蔓延した「オランダ病」を連想しました。
 7 「オランダ病」、それは欧米のマスコミがこの時に西欧各国に一気に広がった反核・平和運動が各地で数十万人規模のものになった状況を説明する時に考案した表現です。
 発端は、米国がソ連に中距離ミサイルSS20増強の動きがあるという名目で新たにパーシングⅡ、中距離巡航ミサイルを西欧諸国に配備すると決定したことでした。これに対して、このミサイルの射程距離がモスクワに届くものであったことからソ連(当時)が激しく反発し、ソ連側もミサイル配備を増強すると表明したため、一気に軍事的緊張が高まりかけたのです。
 8.当時、西欧ではすでに1970年代の西ドイツのブラント政権によって、敗戦後にポーランド領に編入された旧ドイツの5分の1に当たる領土の領有権の主張を放棄し、それがポーランド領であることを認めて東側と平和条約を結び、東西間の緊張関係解消を優先するという対決政策放棄が実行されていました。これによって、ヨーロッパから戦争の危機は消えたと、言われていました。ブラントのノーベル平和賞受賞は当然と言われました。
 そこへ、米国が突如、それまでと同様に不確かな情報を口実に軍需産業のための軍拡政策とも思われるミサイル配備を強行しようとしたのです。西欧各国で一斉に配備反対の運動が起きたのも当然の成り行きでした。
 9.この動きは、イギリスから始まり、大陸の国々にも広がって「熱い秋」が西欧中のものとなります。10月22日(土)には各国で200万人が抗議集会に参加。西ドイツでは約30万人による「人間の鎖」が108kmに及んだのでした。
 その反対運動で特に熱心だったのがオランダの人々でした。オランダには48基のミサイル配備が予定されていました。それに対し、国会が反対をいち早く決議し、10月29日にはハーグで60万人が参加した集会とデモが実施されたとのことです。しかもその集会には、ベアトリックス女王の妹、イレーネ王女も参加して、演説をしたのです。
 こうした、西欧各国の反対運動の急速な広がりの様子と最後の盛り上がりがオランダだったことを勘案して、マスコミが「オランダ病」と表現したのだとされています。「病」というのはプラスイメージではないので、米国政府か同政府よりのメディアによる命名かもしれませんが。
 10.経過説明が長くなりましたが、肝心なのは「なぜオランダが最初に反対の声を上げたか?」です。(この話題は、ブラントの功績に続けて授業で扱っていました。この問に高校生も大学生も興味津々でした。皆さんはいかがですか?)
 11.答えは以下の通りです
 オランダは、海面下の領土が広いことやチュウーリップの栽培、畜産などで知れれていますが、実は海運業、それも第三国間の海運による収益が経済の大きな柱になっている国です。そしてその海運を動かしているのが商社です。その商社と海運業の船会社にとっては、国際状況として平和であることが不可欠の条件です。軍事的な緊張や対立があっては貿易や海運はたちまち行き詰まります。そのために、オランダは国際的な緊張の高まりには極めて敏感で、折角ブラントによって欧州では事実上の冷戦終結が実現したのをぶち壊されたくない、として声を大にして上げたという訳です。
 12.というオランダの立場と、サザンなどのミュージシャン、特にロックの演奏家たちとは共通するところがある、のではないでしょうか。社会の自由度がじわじわと狭められていく気配に敏感になって当然と、思えます。
 戦前の思想統制は、無政府主義者から自由主義者へと少しずつ枠を広げていき、多くの人が気づいた時には、ほとんど自由がなくなっていたのですから、サザンの今回の行動は私たち”ゆでガエル”になりかかっている者への警鐘でもあるように思えます。
 13.このあたりの意味を受け止めながら、上記のNHKや番組評欄に寄せる感想・意見では表現に一定の配慮が必要な気もしますが、それぞれに工夫してみてはいかがでしょうか。
 14.なおついでに、上記のオランダ東インド会社日本支社に当たる出島のオランダ商館によって実行された商行為の一例を、私の授業で扱ったものから紹介いたします。
 それは、有田焼の柿右衛門の赤絵に関する話題です。概略は次の通りです。
 15、授業では、世界の商社の先駆けと言えば、オランダ東インド会社だ説明します。その日本への出先が長崎の出島にあったオランダ商館で、さしずめはオランダ東インド会社(本社はジャワ島のバタビア)の日本支社に当たるわけだと切り出します。
 その東アジアでの主要商品だったのが中国・景徳鎮の磁器でした。ところが、中国で明と清の政権争いが続き、政府直営だった景徳鎮の窯業の地域も混乱に巻き込まれ、長期に生産停止となります。主力商品の入手ができなくなり、会社は困り果てます。
 そこで代わりの産地の育成に取り掛かります。数か所の磁器産地に試作品を作らせ、最終的に選ばれたのが日本の有田(伊万里)でした。けれども技術水準が不足とされて、有田の職人が出島に呼ばれ、そこに会社が連れてきていた景徳鎮の職人から技術指導を受けて輸出に耐える磁器を作れるようになります
 そのようにして国際レベルの商品となった有田焼(伊万里の磁器)が、オランダ東インド会社のマークVOCを付けて江戸時代に世界へ出島から輸出されたのでした。
 16.有田の柿右衛門の赤絵もこの技術指導で実現できたことになります。その事実をNHKTV「歴史ドキュメント」シリーズ『景徳鎮は伊万里でつくれ―ーオランダ東インド会社の秘策』(1987年1月17日放送)で明らかにしています。
 同番組では、初代柿右衛門が残した巻物(記録)に、技術指導料として支払った金額が記されていることも明らかにしています(番組の内容はNHK出版協会『NHK歴史ドキュメント6』(1987年)に収録)。
 17.私の授業では、オランダ東インド会社の総合商社としての行動の様子を読み取る事例として、この話題を使っていました。
 その意味では、皆さん、いかがでしょうか。

 18.その一方では、最近の道徳教育の教科化との関連で、旧来の「柿右衛門の赤絵美談」が、上記の歴史的事実を伏せたまま現在の道徳教育副教材に載っていて、やがては道徳科の教科書にも載るのではないかという、危惧を持つようになっています。最近の小中学校の道徳教材について状況をご存じの方に、この点についての情報を頂ければ幸いです。
 *サザンの話からいろいろと話題を広げてしまい、長くなりましたが、何か参考にして頂ければと、思っています。
   (柿右衛門についても最近の研究で別の見方が提起されているようでしたら、どなたかご教示下さい)
   *以上、文責は高嶋です。 転載・拡散は自由です。

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