▼ 元教え子らが証言!「強制は怖い」
~君が代解雇裁判~
「君が代解雇裁判」控訴審の口頭弁論が東京高裁で開かれ、原告側証人の教員と元生徒3人への尋問が行われました。都教委のやっている日の丸君が代の強制は、教職員だけでなく、子どもたちの心も深く傷つけていることが証言で明らかになりました。
「報告集会」 《撮影:平田 泉》
12月16日、東京高裁(宗宮英俊裁判長)で、「君が代解雇裁判」(平成19年〈ネ〉第3938号)の控訴審第5回口頭弁論が開かれました。95枚の傍聴券に対し、139人の希望者がいたため、パソコンによる抽選となりました。
卒業式の君が代不起立で、再雇用職員合格を取り消された都立高校の元教職員10名が東京都に対して地位確認などを求めて提訴したこの裁判は、07年6月に東京地裁が「職務命令が直ちに原告らの歴史観・世界観を否定するものとは言えない」として原告敗訴の判決を言い渡しました。原告らは控訴し、東京高裁で審理が続いています。
この日は、控訴人(原告)側証人3名(教員1名、元生徒2名)に対する証人尋問が行われました。元生徒は、卒業式等で日の丸を壇上に掲揚し、君が代斉唱を起立して歌うことなどを教職員に義務づけた03年10月23日の「10.23通達」以後、卒業式がどのように変わったか、それぞれ証言しました。教員は、10.23通達発出時の都高等学校教職員組合(以下、都高教)の役員として、都教委と直接交渉した経過などについて証言しました。
▼ 元教え子のMさん「先生との出会いは、私の一生の宝もの」
最初に、原告の1人である元教員のKさん(以下、K先生)の教え子だったMさんに対する証人尋問が行われました。控訴人代理人による主尋問は、日の丸・君が代に対するMさんの考え方と、10.23通達以前の卒業式の様子と、3年間担任だったK先生に対する思いなどについての質問でした。
03年3月、都立工芸高校を卒業したMさんは、02年の卒業式にも在校生代表として出席し、送辞を読んだそうです。2回とも君が代斉唱のとき不起立だった理由について、Mさんは「祖父母から戦争体験を聞いていました。両親も戦争の話をしてくれました。絵本や映画などで戦争の悲惨さを知り、日の丸・君が代が戦争で果たした役割に抵抗がありました」と答えました。
小学校や中学校のときはみんなに合わせて起立をしていたが、高校に入り、学校活動を通して自分で考えて行動しなければならないということが身につき、「それが行動に出た」と述べ、「他人の前でストレートに出すことへの不安はなかったか」という質問に対しては、「工芸高校ではそれぞれが違った考えや行動をするのはむしろ誇らしいこと。私の行動に対し、みんなが尊重してくれた」と答えました。
ホームルームでK先生が戦争体験を話してくれ、家族がバラバラになった悲しい経験をしたことを知ったそうです。日の丸・君が代について良いイメージを描けないことや、国歌斉唱のとき立てないと思う、といったことなどをK先生から聞いてどう思ったか、という質問に対し、「K先生はそういう体験があるんだと思った」と答えました。
K先生の話を聞き、クラスでその問題について話し合ったことはなく、それぞれの価値観や、(日の丸・君が代について)どう見ているかということに寛容であり、みんなで意見をまとめ、1つの行動をとることは思いつかない、と答えました。自分で考えて行動をすることが大事であり、K先生はそのことを身をもって行動で示した、との認識を示しました。
「K先生はどのような先生だったか」という質問に対し、Mさんは、「課題(へのレポート)を出すと、しかめっ面をしながら、やり直してこいと言われました。私が『どうしてですか』と詰め寄ると、先生は上から頭ごなしではなく、優しく慰めてくれるのでもなく、対等に真正面からぶつかってくれました。私にとってK先生は父親的存在でした」と答えました。
技術面でも優れた先生であり、「私の師匠でした」と述べ、生徒と対等に向き合い、生徒の可能性を引き出す指導をしてくれたK先生はクラスの人気者で、愛称で呼ばれていたと語りました。Mさんは「親しみのある良い先生だった」と敬意をこめて述懐し、「いろいろ大変なクラスだったが、あきらめず、最後まで一緒にいてくれたことが私たちクラスの財産となった」と感謝の気持ちを伝えました。
最後に、訴えたいとこととして、Mさんは次のように述べました。
「工芸高校は課題も多く、ふつうの学校に比べると大変な学校です。生徒たちを見捨てないで指導してくれた先生方を誇りに思う。すごく、すごく、愛おしく思っています。出会ってよかった。一生の宝もの。工芸高校の自由な雰囲気と自主性を守ってきた先生方と先輩たち。私たち一人ひとりの違いを認めてくれた。日本中に誇れる学校だと思っています」
被控訴人(被告)代理人による反対尋問は、君が代斉唱のとき、不起立の生徒がどれぐらいいたか、とか、前から何列目に座っていて、どの程度の人たちが見えたか、とか、K先生の不起立を知ったのはいつか、といった尋問を執拗に繰り返していました。瑣末で中身のない質問に対し、傍聴席からしばしば失笑がもれていました。
また、卒業式のときの服装や雰囲気について、「楽しいという感じなのか。それとも、新たな門出に向かって身が引き締まるといった感じなのか」と尋ね、Mさんが、「服装は自由だが、全体的に自分たちの集大成としての卒業式であり、締めを感じた」と答えると、時間になったのか、質問を終えました。
▼ 元教え子のSさん「後輩たちにも先生の授業を受けさせてください」
次に、04年3月、都立工芸高校を卒業したSさんに対する証人尋問がありました。SさんはK先生のクラスではありませんでしたが、教科を通し、K先生の指導を受けました。主尋問では、10.23通達以後の卒業式の様子や、10.23通達以後、Sさん自身が日の丸・君が代に対してどのような思いを抱くようになったか、K先生はどのような先生だったか、などについての質問がありました。
2年生のとき在校生として卒業式に出席したSさんは、君が代斉唱のとき普通に立って歌っていたそうです。10.23通達以後の卒業式について感想を問われ、Sさんは、立って歌っているか監視され、「暗く、緊張した」とそのときの思いを語りました。
卒業式の朝、担任の先生が、「お願いだから立って歌ってくださいと言った」と述べ、その時の印象を問われ、Sさんは「おかしいと思った」と答えました。なぜですか、という質問に対し、Sさんは「絶対、立って歌わないといけないという圧力があったのではないかと思ったから」と答えました。
先生が生徒に対し、「立って歌ってください」と言うのは、先生の本心ではなく圧力があって言っていると思ったと述べ、「君が代は内心の自由。内心の自由が強制を受けた。思想の自由が強制に変わった。強制なら怖いと思った」と語りました。Sさん自身の日の丸・君が代に対する認識は、「ただ式で歌う歌、という認識」と答えました。
Sさんは、04年の卒業式のとき、君が代斉唱で起立せず歌わなかったそうです。その理由を問われ、Sさんは、「内心の自由の説明もなく、先生から立つように言われた。内心の自由があるのか。強制になってしまう。強制に従うことはできない」と答えました。K先生の再雇用が取り消されたことについて、「すごく残念。立って歌わなかったから教師を辞めるのは納得がいかない」と答えました。
裁判所に伝えたいことはなにか、と問われ、Sさんは、「K先生に、3年間、課題を通して日々の考え方や相手を思いやる心を学びました。素晴らしい先生です。君が代を歌わないと(学校を)辞めなければいけないのは納得がいきません。後輩たちにK先生の授業を受けさせてあげてください」と訴えました。
反対尋問は、Sさんの陳述書に沿って行われました。被控訴人代理人は、卒業式のとき生徒のなかで立っている人と座っている人が半分ずつぐらい、とあるが、なぜそれがわかったのか、一番後ろの席に座っていたというが、前の人が立っていたら全体を見ることはできないのではないか、といった、瑣末で意味不明の質問をしていました。
さらに、外から圧力をかけて国歌斉唱をするなど、卒業式が大きく変わったと陳述書に書いてあるが、具体的にどんなふうに変わったのか、という質問に対し、Sさんは次のように答えました。
「私の前の卒業式は、卒業する生徒を祝う雰囲気があった。国歌斉唱を強制する、監視が入る、祝いの席だけでなく歌うか歌わないか監視されて卒業する自分たちになった。なぜ、私たちの卒業式から監視されるような卒業式なのか。卒業式の雰囲気が変わった」
▼ Tさん「日の丸・君が代は、学校現場を委縮させている」
最後に、10.23通達が出された時の都高教の役員として、都教委と直接交渉したTさんに対する証人尋問がありました。都立高校の社会科の教員を35年やっているというTさんは、思想・良心の自由に関わる問題については教職員だけでなく、保護者や生徒に内心の自由を保障しなければならないことから、この問題に組合が全体的に取り組んだことなどを証言しました。
都教委の10.23通達について、Tさんは、「きわめて強権的。細かいところまで命令するのか。この2点について強く感じた」と答えました。10.23通達は校長に対する職務命令であり、一部の政治的な圧力によるものであるとの認識を示しました。これまで職務命令で行事をやったことはなく、処分は脅しではないかという現場の声があることを伝えました。
再雇用制度については、定年後の雇用の保証であり、10.23通達の前は、希望者はほぼ全員合格しているそうです。ちなみに、10.23通達の前は、1,300人の希望者に対し、不合格は2名だったそうです。
裁判所に伝えたいこととして、Tさんは次の3点を挙げました。
1点目は、原告10名の方は長年、良心に基づいて教育実践を行ってきた方々であり、思想・良心の自由に関わることを奪われることは教育者として耐えがたいこと。
2点目は、定年後の生活の保障が奪われる状況が今も続いており、異常であること。
3点目は、日の丸・君が代は学校現場を委縮させていること。
職員会議での採決の禁止など、現場にやるせない気持ちが広がっており、現職の校長からも、悪い影響があると批判の声が挙がっている。学校現場や教職員がみんな暗くなるのは、施策の失敗。
周年行事で生徒にインタビューした。国歌斉唱を立って歌わないと先生が処分されるから、(本当は立ちたくないけど)立って歌うと答えた生徒がいた。生徒にそんな思いをさせてまで都教委は卒業式を行おうとしている。やめさせてほしい。
10.23通達以後の教職員の再雇用の状況について問われ、Tさんは、「職務命令違反の人は誰ひとりとして嘱託に採用されていない」と答えました。
反対尋問は、前の2人に対する反対尋問同様、まったく要領を得ず、職務命令を出す校長と、職務命令を受ける側の教職員の立場の違いを十分理解してないような質問を繰り返しました。宗宮裁判長もたまりかねて、「もういいです」と注意を与えていました。
※ 教員1名、元生徒2名筆者の感想
元生徒2名の証言を聞きながら思ったのは、都教委による10.23通達は、教職員だけでなく、生徒たちにも甚大な精神的負担をもたらしているということでした。内心の自由が強制されるのは「怖いこと」だとして、それまで起立していた生徒が不起立をすることに対し、都教委はどのような説得力ある答えを用意しているのでしょうか。
都教委のやっていることは、教職員だけでなく、子どもたちの心も深く傷つけていることが、今回の証言で明らかとなりました。卒業生を祝うための卒業式が、監視が入ったことで「暗く、緊張した時間に変わった」と卒業生自身が感じていることを、都教委は真摯に受け止め、子どもたちの心に負担を強いる卒業式が果たして教育といえるのか、いま一度、自らに問いかける必要があると思いました。
印象に残ったのは、宗宮英俊裁判長が3名の証人のお話を、身を乗り出すようにしながら聞いていたことでした。「K先生の授業を後輩たちにも受けさせてあげてください」という卒業生の切実な訴えが、裁判官のみなさんの心に届くことを強く願っています。
『JANJAN』 2008/12/19
http://www.news.janjan.jp/living/0812/0812183723/1.php
~君が代解雇裁判~
ひらのゆきこ
「君が代解雇裁判」控訴審の口頭弁論が東京高裁で開かれ、原告側証人の教員と元生徒3人への尋問が行われました。都教委のやっている日の丸君が代の強制は、教職員だけでなく、子どもたちの心も深く傷つけていることが証言で明らかになりました。
「報告集会」 《撮影:平田 泉》
12月16日、東京高裁(宗宮英俊裁判長)で、「君が代解雇裁判」(平成19年〈ネ〉第3938号)の控訴審第5回口頭弁論が開かれました。95枚の傍聴券に対し、139人の希望者がいたため、パソコンによる抽選となりました。
卒業式の君が代不起立で、再雇用職員合格を取り消された都立高校の元教職員10名が東京都に対して地位確認などを求めて提訴したこの裁判は、07年6月に東京地裁が「職務命令が直ちに原告らの歴史観・世界観を否定するものとは言えない」として原告敗訴の判決を言い渡しました。原告らは控訴し、東京高裁で審理が続いています。
この日は、控訴人(原告)側証人3名(教員1名、元生徒2名)に対する証人尋問が行われました。元生徒は、卒業式等で日の丸を壇上に掲揚し、君が代斉唱を起立して歌うことなどを教職員に義務づけた03年10月23日の「10.23通達」以後、卒業式がどのように変わったか、それぞれ証言しました。教員は、10.23通達発出時の都高等学校教職員組合(以下、都高教)の役員として、都教委と直接交渉した経過などについて証言しました。
▼ 元教え子のMさん「先生との出会いは、私の一生の宝もの」
最初に、原告の1人である元教員のKさん(以下、K先生)の教え子だったMさんに対する証人尋問が行われました。控訴人代理人による主尋問は、日の丸・君が代に対するMさんの考え方と、10.23通達以前の卒業式の様子と、3年間担任だったK先生に対する思いなどについての質問でした。
03年3月、都立工芸高校を卒業したMさんは、02年の卒業式にも在校生代表として出席し、送辞を読んだそうです。2回とも君が代斉唱のとき不起立だった理由について、Mさんは「祖父母から戦争体験を聞いていました。両親も戦争の話をしてくれました。絵本や映画などで戦争の悲惨さを知り、日の丸・君が代が戦争で果たした役割に抵抗がありました」と答えました。
小学校や中学校のときはみんなに合わせて起立をしていたが、高校に入り、学校活動を通して自分で考えて行動しなければならないということが身につき、「それが行動に出た」と述べ、「他人の前でストレートに出すことへの不安はなかったか」という質問に対しては、「工芸高校ではそれぞれが違った考えや行動をするのはむしろ誇らしいこと。私の行動に対し、みんなが尊重してくれた」と答えました。
ホームルームでK先生が戦争体験を話してくれ、家族がバラバラになった悲しい経験をしたことを知ったそうです。日の丸・君が代について良いイメージを描けないことや、国歌斉唱のとき立てないと思う、といったことなどをK先生から聞いてどう思ったか、という質問に対し、「K先生はそういう体験があるんだと思った」と答えました。
K先生の話を聞き、クラスでその問題について話し合ったことはなく、それぞれの価値観や、(日の丸・君が代について)どう見ているかということに寛容であり、みんなで意見をまとめ、1つの行動をとることは思いつかない、と答えました。自分で考えて行動をすることが大事であり、K先生はそのことを身をもって行動で示した、との認識を示しました。
「K先生はどのような先生だったか」という質問に対し、Mさんは、「課題(へのレポート)を出すと、しかめっ面をしながら、やり直してこいと言われました。私が『どうしてですか』と詰め寄ると、先生は上から頭ごなしではなく、優しく慰めてくれるのでもなく、対等に真正面からぶつかってくれました。私にとってK先生は父親的存在でした」と答えました。
技術面でも優れた先生であり、「私の師匠でした」と述べ、生徒と対等に向き合い、生徒の可能性を引き出す指導をしてくれたK先生はクラスの人気者で、愛称で呼ばれていたと語りました。Mさんは「親しみのある良い先生だった」と敬意をこめて述懐し、「いろいろ大変なクラスだったが、あきらめず、最後まで一緒にいてくれたことが私たちクラスの財産となった」と感謝の気持ちを伝えました。
最後に、訴えたいとこととして、Mさんは次のように述べました。
「工芸高校は課題も多く、ふつうの学校に比べると大変な学校です。生徒たちを見捨てないで指導してくれた先生方を誇りに思う。すごく、すごく、愛おしく思っています。出会ってよかった。一生の宝もの。工芸高校の自由な雰囲気と自主性を守ってきた先生方と先輩たち。私たち一人ひとりの違いを認めてくれた。日本中に誇れる学校だと思っています」
被控訴人(被告)代理人による反対尋問は、君が代斉唱のとき、不起立の生徒がどれぐらいいたか、とか、前から何列目に座っていて、どの程度の人たちが見えたか、とか、K先生の不起立を知ったのはいつか、といった尋問を執拗に繰り返していました。瑣末で中身のない質問に対し、傍聴席からしばしば失笑がもれていました。
また、卒業式のときの服装や雰囲気について、「楽しいという感じなのか。それとも、新たな門出に向かって身が引き締まるといった感じなのか」と尋ね、Mさんが、「服装は自由だが、全体的に自分たちの集大成としての卒業式であり、締めを感じた」と答えると、時間になったのか、質問を終えました。
▼ 元教え子のSさん「後輩たちにも先生の授業を受けさせてください」
次に、04年3月、都立工芸高校を卒業したSさんに対する証人尋問がありました。SさんはK先生のクラスではありませんでしたが、教科を通し、K先生の指導を受けました。主尋問では、10.23通達以後の卒業式の様子や、10.23通達以後、Sさん自身が日の丸・君が代に対してどのような思いを抱くようになったか、K先生はどのような先生だったか、などについての質問がありました。
2年生のとき在校生として卒業式に出席したSさんは、君が代斉唱のとき普通に立って歌っていたそうです。10.23通達以後の卒業式について感想を問われ、Sさんは、立って歌っているか監視され、「暗く、緊張した」とそのときの思いを語りました。
卒業式の朝、担任の先生が、「お願いだから立って歌ってくださいと言った」と述べ、その時の印象を問われ、Sさんは「おかしいと思った」と答えました。なぜですか、という質問に対し、Sさんは「絶対、立って歌わないといけないという圧力があったのではないかと思ったから」と答えました。
先生が生徒に対し、「立って歌ってください」と言うのは、先生の本心ではなく圧力があって言っていると思ったと述べ、「君が代は内心の自由。内心の自由が強制を受けた。思想の自由が強制に変わった。強制なら怖いと思った」と語りました。Sさん自身の日の丸・君が代に対する認識は、「ただ式で歌う歌、という認識」と答えました。
Sさんは、04年の卒業式のとき、君が代斉唱で起立せず歌わなかったそうです。その理由を問われ、Sさんは、「内心の自由の説明もなく、先生から立つように言われた。内心の自由があるのか。強制になってしまう。強制に従うことはできない」と答えました。K先生の再雇用が取り消されたことについて、「すごく残念。立って歌わなかったから教師を辞めるのは納得がいかない」と答えました。
裁判所に伝えたいことはなにか、と問われ、Sさんは、「K先生に、3年間、課題を通して日々の考え方や相手を思いやる心を学びました。素晴らしい先生です。君が代を歌わないと(学校を)辞めなければいけないのは納得がいきません。後輩たちにK先生の授業を受けさせてあげてください」と訴えました。
反対尋問は、Sさんの陳述書に沿って行われました。被控訴人代理人は、卒業式のとき生徒のなかで立っている人と座っている人が半分ずつぐらい、とあるが、なぜそれがわかったのか、一番後ろの席に座っていたというが、前の人が立っていたら全体を見ることはできないのではないか、といった、瑣末で意味不明の質問をしていました。
さらに、外から圧力をかけて国歌斉唱をするなど、卒業式が大きく変わったと陳述書に書いてあるが、具体的にどんなふうに変わったのか、という質問に対し、Sさんは次のように答えました。
「私の前の卒業式は、卒業する生徒を祝う雰囲気があった。国歌斉唱を強制する、監視が入る、祝いの席だけでなく歌うか歌わないか監視されて卒業する自分たちになった。なぜ、私たちの卒業式から監視されるような卒業式なのか。卒業式の雰囲気が変わった」
▼ Tさん「日の丸・君が代は、学校現場を委縮させている」
最後に、10.23通達が出された時の都高教の役員として、都教委と直接交渉したTさんに対する証人尋問がありました。都立高校の社会科の教員を35年やっているというTさんは、思想・良心の自由に関わる問題については教職員だけでなく、保護者や生徒に内心の自由を保障しなければならないことから、この問題に組合が全体的に取り組んだことなどを証言しました。
都教委の10.23通達について、Tさんは、「きわめて強権的。細かいところまで命令するのか。この2点について強く感じた」と答えました。10.23通達は校長に対する職務命令であり、一部の政治的な圧力によるものであるとの認識を示しました。これまで職務命令で行事をやったことはなく、処分は脅しではないかという現場の声があることを伝えました。
再雇用制度については、定年後の雇用の保証であり、10.23通達の前は、希望者はほぼ全員合格しているそうです。ちなみに、10.23通達の前は、1,300人の希望者に対し、不合格は2名だったそうです。
裁判所に伝えたいこととして、Tさんは次の3点を挙げました。
1点目は、原告10名の方は長年、良心に基づいて教育実践を行ってきた方々であり、思想・良心の自由に関わることを奪われることは教育者として耐えがたいこと。
2点目は、定年後の生活の保障が奪われる状況が今も続いており、異常であること。
3点目は、日の丸・君が代は学校現場を委縮させていること。
職員会議での採決の禁止など、現場にやるせない気持ちが広がっており、現職の校長からも、悪い影響があると批判の声が挙がっている。学校現場や教職員がみんな暗くなるのは、施策の失敗。
周年行事で生徒にインタビューした。国歌斉唱を立って歌わないと先生が処分されるから、(本当は立ちたくないけど)立って歌うと答えた生徒がいた。生徒にそんな思いをさせてまで都教委は卒業式を行おうとしている。やめさせてほしい。
10.23通達以後の教職員の再雇用の状況について問われ、Tさんは、「職務命令違反の人は誰ひとりとして嘱託に採用されていない」と答えました。
反対尋問は、前の2人に対する反対尋問同様、まったく要領を得ず、職務命令を出す校長と、職務命令を受ける側の教職員の立場の違いを十分理解してないような質問を繰り返しました。宗宮裁判長もたまりかねて、「もういいです」と注意を与えていました。
※ 教員1名、元生徒2名筆者の感想
元生徒2名の証言を聞きながら思ったのは、都教委による10.23通達は、教職員だけでなく、生徒たちにも甚大な精神的負担をもたらしているということでした。内心の自由が強制されるのは「怖いこと」だとして、それまで起立していた生徒が不起立をすることに対し、都教委はどのような説得力ある答えを用意しているのでしょうか。
都教委のやっていることは、教職員だけでなく、子どもたちの心も深く傷つけていることが、今回の証言で明らかとなりました。卒業生を祝うための卒業式が、監視が入ったことで「暗く、緊張した時間に変わった」と卒業生自身が感じていることを、都教委は真摯に受け止め、子どもたちの心に負担を強いる卒業式が果たして教育といえるのか、いま一度、自らに問いかける必要があると思いました。
印象に残ったのは、宗宮英俊裁判長が3名の証人のお話を、身を乗り出すようにしながら聞いていたことでした。「K先生の授業を後輩たちにも受けさせてあげてください」という卒業生の切実な訴えが、裁判官のみなさんの心に届くことを強く願っています。
『JANJAN』 2008/12/19
http://www.news.janjan.jp/living/0812/0812183723/1.php
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