『田中龍作ジャーナル』
▼ 【第一報】「生活できない」福島農民が東電に請求書
損害賠償請求書を手渡しに東電を訪れた福島県の農民。大きなボトルには牛乳が入っている
(26日、東京電力別館。写真:筆者撮影)
東電福島原発の爆発事故による放射の影響で、酪農、野菜やコメの栽培ができなくなった福島県の農家が26日、東京電力本店を訪れ「損害賠償請求書」を手渡した。
対応した東京電力「福島原発・被災者支援対策本部」の橘田昌哉部長は「会社に持ち帰ってお答します」「原子力損害賠償制度に基づき…」を繰り返した。
農民からは「社長を出せ」「内部留保を吐き出せ」などと怒号があがった。
本店前では福島からバス3台を連ねて来た農民150人がホウレン草、キャベツ、乳牛を持ち込み抗議の声をあげた。
(つづく)
▼ 「怒りしかない」 福島農民が東電前でムシロ旗
東京電力福島原発の爆発事故で被害に遭った福島県の農民150人が野菜や牛乳を東電本店前に持ち込んだ。「東電は俺げの田んぼ汚した 許さねえ」などと書いたムシロ旗を林立させ抗議した。
昼休みのサラリーマンやOLが行き交うビジネス街に怒号が響いた。「原発事故は人災だ」「東電が安全管理を怠ったために我々は塗炭の苦しみに追いやられた」……。キャベツを手にした女性たちの顔は怒りからだろうか、青白く頬がこわばっている。
20~30キロ圏内の葛尾村で酪農に従事していた佐久間るり子さんは、現在福島市の避難所で暮らす。2日に1度、乳牛にエサを与えに葛尾村に帰る。
牛に食べさせるのは栄養のないエサが中心だ。栄養に富んだエサだと乳がたまるからだ。乳がたまると発熱して死ぬ。売れないので搾ることはできない。
「牛が日に日に衰弱しているのが分かる。生かすことも殺すこともできない」。佐久間さんは涙をぬぐいながら語る。
「東電と政府には何と言いたいか?」と尋ねると「早いうちに被害が発生しないようにしていてほしかった。事故がなかったら普通に酪農ができていた」。彼女は唇を震わせた。
「怒りしかないよ」と声を荒げたのは南相馬市で稲作を営んでいた木幡信雄さん(66歳)だ。現在は山形県鶴岡市の雇用促進住宅に住む。
「いつもの年だったら来週頃から田植えが始まっていた」。木幡さんは悔しくてたまらなさそうだった。
千葉県の元酪農家が乳牛を連れて応援に駆け付けた。「仲間が困っているのに黙っているわけにはいかねえ」。
今回の原発事故により“農業を続けて行けなくなった”と自らの命を絶った人もいる。須賀川市の樽川美津代さん(61歳)は夫・久志さん(64歳)の遺影を抱いて抗議行動に参加した。夫の久志さんは、事故後まもなく先行きを悲観して首つり自殺した。
「原発はすぐにでも止めてほしい」。美津代さんは声をつまらせた。
政府や御用学者がいくら「ただちに人体に影響があるものではない」と強弁しても、汚染された土壌での農業は難しい。
ひとたび事故を起こせば周辺地域の人々の生活を根底から破壊するのが原発だ。
電力業界、財界、政界、マスコミは40年間に渡って「エネルギー供給のため」「エコでクリーン」とプロパガンダを繰り広げてきた。今回の事故をきっかけに、本当に必要なのかを考え直さねばならない。
◇
田中龍作の取材活動は読者の皆様によって支えられています。
『田中龍作ジャーナル』(2011/4/26)
http://tanakaryusaku.seesaa.net/
▼ 【第一報】「生活できない」福島農民が東電に請求書
損害賠償請求書を手渡しに東電を訪れた福島県の農民。大きなボトルには牛乳が入っている
(26日、東京電力別館。写真:筆者撮影)
東電福島原発の爆発事故による放射の影響で、酪農、野菜やコメの栽培ができなくなった福島県の農家が26日、東京電力本店を訪れ「損害賠償請求書」を手渡した。
対応した東京電力「福島原発・被災者支援対策本部」の橘田昌哉部長は「会社に持ち帰ってお答します」「原子力損害賠償制度に基づき…」を繰り返した。
農民からは「社長を出せ」「内部留保を吐き出せ」などと怒号があがった。
本店前では福島からバス3台を連ねて来た農民150人がホウレン草、キャベツ、乳牛を持ち込み抗議の声をあげた。
(つづく)
▼ 「怒りしかない」 福島農民が東電前でムシロ旗
東京電力福島原発の爆発事故で被害に遭った福島県の農民150人が野菜や牛乳を東電本店前に持ち込んだ。「東電は俺げの田んぼ汚した 許さねえ」などと書いたムシロ旗を林立させ抗議した。
昼休みのサラリーマンやOLが行き交うビジネス街に怒号が響いた。「原発事故は人災だ」「東電が安全管理を怠ったために我々は塗炭の苦しみに追いやられた」……。キャベツを手にした女性たちの顔は怒りからだろうか、青白く頬がこわばっている。
20~30キロ圏内の葛尾村で酪農に従事していた佐久間るり子さんは、現在福島市の避難所で暮らす。2日に1度、乳牛にエサを与えに葛尾村に帰る。
牛に食べさせるのは栄養のないエサが中心だ。栄養に富んだエサだと乳がたまるからだ。乳がたまると発熱して死ぬ。売れないので搾ることはできない。
「牛が日に日に衰弱しているのが分かる。生かすことも殺すこともできない」。佐久間さんは涙をぬぐいながら語る。
「東電と政府には何と言いたいか?」と尋ねると「早いうちに被害が発生しないようにしていてほしかった。事故がなかったら普通に酪農ができていた」。彼女は唇を震わせた。
「怒りしかないよ」と声を荒げたのは南相馬市で稲作を営んでいた木幡信雄さん(66歳)だ。現在は山形県鶴岡市の雇用促進住宅に住む。
「いつもの年だったら来週頃から田植えが始まっていた」。木幡さんは悔しくてたまらなさそうだった。
千葉県の元酪農家が乳牛を連れて応援に駆け付けた。「仲間が困っているのに黙っているわけにはいかねえ」。
今回の原発事故により“農業を続けて行けなくなった”と自らの命を絶った人もいる。須賀川市の樽川美津代さん(61歳)は夫・久志さん(64歳)の遺影を抱いて抗議行動に参加した。夫の久志さんは、事故後まもなく先行きを悲観して首つり自殺した。
「原発はすぐにでも止めてほしい」。美津代さんは声をつまらせた。
政府や御用学者がいくら「ただちに人体に影響があるものではない」と強弁しても、汚染された土壌での農業は難しい。
ひとたび事故を起こせば周辺地域の人々の生活を根底から破壊するのが原発だ。
電力業界、財界、政界、マスコミは40年間に渡って「エネルギー供給のため」「エコでクリーン」とプロパガンダを繰り広げてきた。今回の事故をきっかけに、本当に必要なのかを考え直さねばならない。
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『田中龍作ジャーナル』(2011/4/26)
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