パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

再雇用拒否二次訴訟第7回<2>

2011年04月29日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 《再雇用拒否二次訴訟第7回原告意見陳述》<2>
 ◎ 「中国の人に大変申し訳ないことをした」
   ~引揚者の父の言葉が頭を離れたことはありません
原告 近藤 徹

 原告の近藤徹です。私は、1973年、都立新宿高校の英語科教諭になりその後、江戸川高校、深川高校、篠崎高校に勤務し、2009年3月、葛西南高校を最後に、36年間の都立高校教員としての生活に終止符を打ち、退職となりました。
 私は、退職前の2008年11月に教育職員の退職後の継続雇用として前年の2008年度に新たに導入された「非常勤教員」に応募しました。しかし「君が代」斉唱時に起立せず懲戒処分を受けたことを理由に、採用を拒否され「失職」することになりました。

「報告集会」 《撮影:平田 泉》

 <不起立の理由一私の生い立ちから>
 私の父は、かつて日本軍国主義が中国東北部(満州)を支配していたとき、旧制農業学校卒業後、南満州鉄道(満鉄)の社員となり、恰爾浜(ハルビン)周辺の駅に勤務しており、日本の敗戦後帰国したいわゆる引揚者でした。
 父は非常に温厚な人でしたが、「満鉄」で働いていた当時の話をするときには、「中国の人に大変申し訳ないことをした。日本は二度と戦争をしてはいけない。憲法は大切だ。」と熱っぽく語ったものでした。
 私は、小さい頃から、こんな父の話を聞いて育ちました。父は私が高校2年生の時に亡くなりますが、その後もずっと、父の言葉が私の頭を離れたことはありません。
 父が亡くなった頃から、私は、日本の近・現代史、特に昭和史に関心を持つようになりました。そのきっかけは、父の従兄弟である遠山茂樹さん(当時横浜市立大学教授)の「昭和史」(岩波新書)を読んだことでした。
 日本軍国主義がアジアへの侵略戦争の道を歩み、日本の国民と朝鮮・中国人民に多大な犠牲を強いた歴史を改めて学びました。侵略戦争を引き起こした背景には、特高警察等による日本国内での思想弾圧・言論統制があります。そのバックボーンが天皇制であり、そのシンボルが「日の丸・君が代」なのです。
 その歴史を思うと、私は、「君が代」を歌うことはできません。ですから、私は、教員になってからも「君が代」を斉唱したことはありません。
 <10・23通達以前の都立高校の卒業式一私の経験から>
 1999年3月の卒業式までは、卒・入学式での「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱が話題となることはほとんどありませんでした。
 ところが、国旗国歌法成立後の1999年10月、都教委は通達を出し卒・入学式等での「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱の徹底を求め、2000年3月の卒業式では、これを巡って多くの学校の職員会議等で真剣な議論が交わされました。
 当時私が在籍していた深川高校は、中国帰国生徒受け入れ校でした。中国帰国生徒は第2次世界大戦での日本の敗戦後、中国に置き去りにされた日本人の2世、3世やその縁者でした。
 校長は保護者会でも「通達に基づいて卒業式を実施する」と述べ、強硬に「君が代」斉唱の導入を主張しました。しかし、エホバの証人の信徒や中国帰国生徒の一部から君が代斉唱に反対する声が上がりました。
 この声を考慮し、3年生の保護者のPTA理事らが、卒業式で「日の丸・君が代」を強制しないよう校長に申し入れました。生徒会や卒業式実行委員会も、卒業式は生徒の卒業をみんなで祝うために行われるもので、反対の声を押し切ってまで「日の丸・君が代」を強制するべきではないと、3年生の約9割の署名を添えて校長に要請しました。
 校長は、最終的には、卒業式の前日の生徒会執行部との話し合いで、「卒業式は生徒のためにあるので生徒の意見は貴重だ」と「君が代」の斉唱を実施しないことを決断しました。生徒は卒業式後の卒業式実行委員会主催の「卒業を祝う会」にわざわざ校長を招待して、花束を贈呈して、代表が「校長先生、『君が代』を実施しなくてありがとう!」と校長と握手を交わしました。この卒業式のことは決して忘れることはできません。
 2000年4月の入学式では、「君が代」斉唱を実施することになりましたが、「君が代」斉唱の実施に当たっては、司会が「これから国歌斉唱ということで『君が代』を演奏しますが、憲法の内心の自由もありますので、起立する、しない、歌う、歌わないは、皆さんの判断にお任せします。」「内心の自由」を説明しました。
 その翌年、私は、篠崎高校に異動しましたが、2003年10・23通達発出までは、卒業式・入学式のとき、式当日やホームルームなどで「内心の自由」の説明が行われていました。
 <10・23通達後の2004年3月の卒業式>
 しかし2003年10月23日の通達及び実施指針で状況が一変しました。
 10・23通達では、「日の丸」の掲揚・「君が代」斉唱だけでなく、教職員の服装についてまでこと細かに規定し、「教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任に問われる」と処分を振りかざして教職員に「日の丸・君が代」を強制しました。これまで行われていた「内心の自由」の説明は禁止されました。
 卒業式の会場の教職員の席には番号札が貼ってあり、篠崎高校には3名の都教委職員が派遣されて、教職員の席の前と後ろに座り、目を光らせていました。
 司会が「国歌斉唱」と発声しましたが、この時の卒業式では、私を含めて3名の教職員が起立しませんでした。しかし、10・23通達の「実施指針」によれば「厳粛な式典」であるにも拘わらず、会場内でただ一人教頭だけが立ち歩き、起立していない教職員に「お立ち下さい」と3回も声を出しながら教職員席を巡回していました。私は、この卒業式で起立しなかったことで「戒告処分」を受けました。
 <05年3月の篠崎高校の卒業式>
 私は、翌2005年3月の同校卒業式でも起立しなかったことで「減給10分の1・1月」の処分を受けました。
 私は、2005年3月の卒業式を迎える卒業学年(7クラス)の担任の一人で、各クラスの生徒委員で組織する卒業対策委員会の担当教員でした。私たち3学年担任団は、生徒にとって良き思い出となり、保護者・教職員・来賓も含めみんなで卒業を祝える感動的な卒業式を創り上げるため、生徒の意見を最大限取り入れ、生徒が主人公の卒業式にしよう、と話し合いました。そして、卒業対策委員会を10回以上開催し、各クラスの生徒の意見を集約し、式次第にスライド「青春の足跡」上映、「卒業の歌」2曲を入れることを担任団が職員会議に提案し、校長も了承しました。
 ところが、その後、校長は、都教委と相談した結果であるとして、自ら一旦了承した式次第を「認めない」と言い出しました。私たち担任団は、校長に対して、職員会議で一旦了承した案を「認めない」理由を生徒に説明するように要望しました。最初校長は生徒への説明を嫌がっていましたが、ついに、3年登校日の学年集会で理由を説明することになりました。
 校長は「卒業式は色々注目されている。昨年どおりの式次第で実施したい。これは校長の判断である」と説明しましたが、生徒は納得せず、質問が相次ぎました。校長が、生徒の質問の挙手を無視して退席したため、生徒からは「ちゃんと説明して欲しい」と多数の不満の声が起こりました。結局、式次第に卒業対策委員会の提案を入れることはできず、卒業式に、生徒達の提案を実現することはできませんでした。
 卒業式が終了し、校長が退席した後、これに続いて、卒業対策委員会主催の「祝う会」を行い、「スライド上映」「卒業の歌」を実施することを余儀なくされたのです。生徒は立派に「祝う会」を成功させました。特に、「生徒制作のスライド『青春の足跡』上映」「生徒指揮・伴奏での卒業の歌」には会場全体が感動の渦に包まれました。
 教職員・保護者・来賓も生徒が、本来、卒業式の主人公であることを再認識したと思います。「自主・自律」の合言葉で私を含め3年間担任してきた卒業学年担任団は皆誇らしい思いでした
 <退職後の継続雇用(非常勤教員制度)の採用拒否>
 2008年度より発足した非常勤教員制度は、「豊富な教職経験と知識を有する者がこれまで以上に活躍できるよう……教科指導に加えて校務分掌等も担うことができる『新たな非常勤教員』を設ける」ことを趣旨としています。
 非常勤教員制度2年目となる2008年11月、私は、非常勤教員制度の趣旨に則り、2009年度の非常勤教員採用選考に応募しました。しかし、2009年1月、私は葛西南高校校長から「非常勤教員不合格」との結果を伝えられたのでした。これまで、卒・入学式で処分を受けたことがある人は全て「不合格(不採用)」となっていました
 私は、これは卒・入学式で「君が代」斉唱時に起立せず処分を受けた人を「見せしめ」にするもの以外の何ものでもない、と怒りを新たにしました。
 このような公正さを欠いた「選考」が罷り通って良いのでしょうか?その結果、私は、退職後の継続雇用の道を閉ざされ、「失業」しました。まだまだ働く気力と体力を有しているにもかかわらず職を奪われたのです。年金生活者の私は、大学生の子どもを抱えて、年金の全額を子どもの学費と生活費につぎ込んでも不足するので、退職金を切り崩して費用を賄っていました。このような例は私だけではないと思います。これが「見せしめ」でなくて一体何でしようか。
 2005年3月、都立戸山高校卒業対策委員長のNさんの「これ以上先生をいじめないで」という言葉が朝日新聞でも大きく報道されました。生徒達は、教職員を処分することで「日の丸・君が代」強制することに「悲痛の叫び」をあげているのです。Nさんの声は、2005年7月に実施された朝日新聞の世論調査で61%が「教職員の処分に反対」と回答していることからも、決して少数者の声ではありません。
 都教委が一方的に教職員に「君が代」斉唱を強制し、「君が代」を斉唱できないというだけで教職員を処分し、果てはその職を奪っていることこそ、都民の声に反する行為なのではないでしょうか。
 10・23通達とそれに基づく校長の職務命令は違憲・違法であり、非常勤教員採用拒否が違法であることが認められるよう裁判所の公正な判断を期待しています。

コメント    この記事についてブログを書く
« 福島農民が東電前でムシロ旗 | トップ | 福島県教組の声明 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日の丸・君が代関連ニュース」カテゴリの最新記事