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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

現在のコロナ対策は憲法条違反、憲法25条に依拠する「コロナ対策新法」を!

2021年06月04日 | 平和憲法
  =コロナ対策と25条2項=
 ◆ 怠ってきた公衆衛生増進義務
(週刊新社会)
大阪労働学校・アソシエ講師 鈴田 渉

 昨年に引き続き、コロナ禍での二度目の憲法記念日を迎えた。とくに従来株とは異なる感染力が強く、重症化しやすい英国型変異株に置き換わり、それが猛威をふるい第四波が東京や大阪などに「緊急事能宣言」が発令されるに至っていた。
 その後、北海道、愛知、福岡など大都市圏、広島、岡山など地方の中核都市にも発令された。「まん延防止等予防措置」も全国各地に適用されていった。
 大阪では重症者が確保された病床を超過し(100%超過)中等症病床での治療とドミノ状態で結果、軽症病床、宿泊施設での経過観察が必要な患者も自宅療養ないし、入院先待機といったことに陥る。
 自宅療養者の病状が急変し救急車で搬送するも、受け入れ先が数時間以上も見つからない(大阪では入院搬送先が決定するまでの待機ステーションなる施設を整備した)、
 救急車を呼ぶこともできず「自宅死」が急増する。現在、入院を必要とする人の10人に1人程度しか医療機関につなげられない
 メディアや政府から「医療ひっ迫が深刻で医療崩壊の危機」と連日報道や会見で発表されているが、そんな生易しいものではない。
 広域搬送とはいうものの、周辺の県も満床、移送先など皆無といってよい。そうなると「命の選別(トリアージ)」が現実味を帯びてくる。
 ◆ コロナ禍で見えたいのち、暮らしが軽い政権

 菅政権も発足して8カ月あまり、「コロナ対策」について厳しく責任を問わなくてはならない。
 世の中的には東京五輪の行方やワクチン接種の進行度が注目されているが、これまでにふれた状況を招いた菅政権の度重なる失策、福島第一原発汚染処理水の海洋放出決定など、いのち・くらしの政策軽視、逆に優先度の低い「デジタル社会」関連法成立や五輪開催固執等に血道をあげる、この政治の方向性を検討しなければ全体を見誤ることになる。
 指摘したいのは、「コロナ対策」を単なる医療政策の一つ、それに付随する諸施策と捉える誤りである。
 当初はそういう見立てもやむを得ないとしても、昨年禾から年明りにかけて第三波は感染者数増大、度重なる営業自粛・時間短縮などで事業者の疲弊、労測者の雇用危機など、あらゆる人々に深刻な影響を及ぼす(及ぼす蓋然性が高い)状況はコロナ対策を抜本的に見直す契機と捉えるべきだった。
 しかし、これに従わないこと等に「罰則」を設ける、感染対策として中途半端な「まん延防止等」の制度導入と小手先の対応で済ませた。
 ◆ 憲法に立脚したコロナ対策新法を

 憲法25条2項で国には公衆衛生増進義務が規定されている。菅政権のこれまでの対応に憲法違反ではないかという見解もある。
 この点について「感染症と憲伝」が研究分野である江藤祥平(一橋大)は以下の指摘をしている(東京新聞電子版・5月3日付)。
 「法規制が要請ベースにとどまるのが一番の問題。感染防止に必要なのは何よりも国民の行動変容だ。日本では自粛要請が中心で行動変容が長続きしなかった。感染防止のため、時には強制力のある措置を実施することは国の責務。25条2項は、国に対し公衆衛生の向上と増進の努力義務を課しているのに、これまで法整備を怠ってきたのは義務違反だ」。
 私権制限については「法的仕組みがあり、とるべき措置、とってはいけない措置が明確な方が、権力の限界と個人の自由の範囲がはっきりする。個人もその方が安心できる。侵害されれば裁判所によるチェックの仕組みもある。これが立憲主義の基本だ」。
 事業者補償では「要請に応じて支払われるのは協力金でお礼にすぎない。(中略)罰則を背景にした以上は、財政上の措置を講ずることは必要だ。(中略)体力で劣る中小零細事業者をある程度カバーするのは憲法上の要請だと思う」という。
 筆者はこのような指摘に概ね同意する。ただし、私権制限についてはより厳格かつ慎重さが求められるのではないか。また補償については対象業者を広くとり、金額も事業が継続維持に足りる内容であるべきだ。
 また生活困窮などの個人に対して、収束まで継続的な生活保障臨時給付金の支給など必要ではないか。(社会福祉協議会での貸付事業ではだめだ。国の責任の明確化のため国の事業とする)。その意味では憲法25条に依拠する「コロナ対策新法」が必要と思う。
 ◆ 野党統一で憲法を生かす提起を

 5月3日の憲法集会で、立憲民主党の枝野幸男代表憲法25条を政治にいかす趣旨の発言をした。
 市民と野党共闘の選挙共闘の促進と並行して、コロナ禍で疲弊する国民に光明を照らす「コロナ対策」に関する野党統一政策を立案、提示してもらいたい。
 そのことが野党間の信頼を高め、また政権交代をすればこうなるというリアリティが国民に映し出される。
 同日、日本会議のフロント団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」集会で自民党下村博文政調会長「ピンチをチャンスに」と意欲的発言をした。コロナ禍で苦境にあえぐ状況を改憲の契機、チャンスにしたいということなのだろう。
 詰まるところ、コロナ対策よりも改憲が優先事項ということなのか。憲法をいかすことを体現したコロナ対策か、現状維持・改憲・五輪開催か。秋の任期満了までに必ず行われる総選挙で厳しく問われるべきことである。
『週刊新社会』(2021年6月1日)

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