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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

処分理由?

2005年08月23日 | 増田の部屋
「右翼保護者・マスコミ・都教委一体となった平和学習介入事件」で、処分理由と目されているのが、「盧武鉉大統領への手紙」だ。少々長いが、その全文をご紹介しよう。

「3・1ノ・ムヒョン演説」を読んで、大統領宛の手紙を書こうという、生徒に自分で考えさせ表現させる実践的な授業で、先生自身が書いた手紙も示したものだ。先生自身の平和へかける思いと、教育への熱意が伝わってくる真摯な手紙である。


<ノ・ムヒョン大統領様>
                       東京都都千代田区立九段中学校教諭
                                   増田都子

 私は、上記の中学校で社会科(地理・歴史・政治・経済)を教えている教員です。4月からは3年生(15歳)の生徒を教えていますが、3月半ば、この生徒たちが2年生の時に近現代史、第一次世界大戦から第二次世界大戦における植民地支配と侵略戦争の時代を教えました。貴国においても知られているとは思いますが、現在の日本の教育においては、近現代史に多くの時間を割くことはできず、植民地支配と侵略戦争に対する教科書の記述も非常に曖昧なものが多くなっています。ご存知の通り、民族差別・女性差別・人権蹂躙の極致ともう言うべき日本軍性奴隷(いわゆる「従軍慰安婦」)についても、2年前の歴史教科書にはありましたが、現在の生徒達の歴史教科書からは消えている事実があります。しかし、私は、できる限り事実を呈示する努力をし、生徒達に考える時間を与えてきたつもりでおります。
 私は、貴大統領が本年3月1日に行われた演説に大きな感銘を受けました。それで、同封の「紙上討論Ⅴ」のNO.15~16に載せました貴大統領の「3・1演説」を読ませ、生徒たちに「ノ・ムヒョン大統領への手紙」あるいは「ノ・ムヒョン大統領の3・1演説を読んで」というテーマを与えて、意見をまとめさせました。時間不足のため、考えを深めていくことがまだまだできず、貴国の方々の感情を害してしまいそうな意見もあるやに思われますが、率直な、現代の日本の中学生の意見として送らせていただくことにしました。貴大統領には、とても御多忙で、お目を通していただくわけにはいかないだろうとは思いますが・・・
 さて、私は一昨年の夏に初めて貴国に観光旅行に行きました。日本と貴国の間に横たわる過去の不幸な関係を思い、少し後ろめたい思いがあり、なかなか思い切れなかったのですが、行って良かったと思いました。人々が皆親切で暖かく接してくださったからです。生えている草花も、日本海側にある私の故郷のものとほとんど同じで、何となしに懐かしさや既視感を覚え、私の遠い御先祖は貴半島から渡来した人々かもしれないと思いました。
 それで、また、本年の3月28日から31日まで、貴国に行ってきました。独立記念館の見学と38度線のJSA・板門店の見学が目的でした。実は独島(竹島)問題があるため、日本人とわかって敵意を剥き出しにされたらどうしようか、と心配もしたのですが、それは全くの杞憂で、貴国の方々は、やっぱり、どこでもとても親切で、安心致しました。
 独立記念館の見学では、やはり、いろいろ考えさせられました。特に第3展示館は、その名もズバリ『日帝侵略館』です。「古代から我が国の文化を伝授してきた日本は、19世紀中頃から西欧の文物を取り入れて帝国主義化しながら武力を先立たせ我が国を侵略した・・・この展示館では、日帝の韓国侵略過程と植民地統治期間中、我が民族に加えた過酷な弾圧と各種の過酷な経済収奪、そして民族を根こそぎ無くそうとした民族抹殺の悪巧みと、それに関連する資料が展示されている」・・・日本人としては見学しながら心が痛くなりますが、しかし、韓国を訪れる日本人は、全て、一度はここに来るべきだと思います。情けないことではありますが、04年10月26日の我が東京都議会文教委員会において、古賀俊昭という都議会議員(自民党)は言っています。「(我が国の)侵略戦争云々というのは、私は、全く当たらないと思います。じゃ、日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたいというふうに思います。(カッコ内は増田)」(文教委員会議事録)などと、国際的には恥を晒すことでしかない歴史認識を得々として嬉々として披露しているのが我が日本国の首都の議会なのです。横山洋吉教育長以下、東京都教育委員会は、これに対し何の反論もしませんでした。というより、大いに共鳴しているのでしょう。侵略の正当化教科書として歴史偽造で有名な扶桑社の歴史教科書を「生徒たちに我が国に対する愛国心を持たせる一番良い教科書」などと公言して恥じない人たちですから。古賀都議その他の歴史偽造主義者達が「日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたい」なら、「一度」韓国独立記念館や南京大虐殺記念館に行ってみたらいいのです。「具体」例が、「聞いて」みるまでもなく眼前に展開しています。「歴史を反省しない国」と他国の人から言われることは屈辱ではありますが、残念ながら「そんなことはありません」と言い切れぬ現実があり・・・
 「拷問体験の場」「日帝による愛国志士の拷問場面」など本当にリアルで、貴国の先生に引率されて見学していた小学生の一団は顔をしかめ、おびえていました。こうした「日帝による侵略」の歴史事実について学習して成長したアジアの人達と、中学生時代に扶桑社の歴史偽造教科書で育った『愛国心ある』日本人達とが、本当に『グローバル社会』『国際化社会』の中で、共により良い未来を創っていけるものなのか、共に有意義な交際ができていくようになるものなのか、常識で分かりそうなものなのですけど・・・
 ところで、一つ疑問に感じたことを述べさせていただきます。「日帝侵略館 展示趣旨」として「ここに展示されている内容は、文献の考証と関係者の証言など、歴史的な真実に立脚して制作されました。過去の不幸な歴史の加害者を許すことはできますが、決して忘れてはならないことです。日帝の独占期の歴史を展示することは、過去の苦痛と、その対象を記憶しようというのではなく、共に発展的な未来をめざそうという意思の表れなのです」とありました。この写真をご参照ください。(略)
 後段にあります「過去の苦痛と、その対象を記憶しようというのではなく」のところが、少し分かりにくいのです。これをそのまま日本語でとりますと、この展示は「過去の苦痛と、その対象を記憶しようというのではな」い、ということになり、「展示」の「趣旨」や前段に書かれている「決して忘れてはならないこと」という趣旨を没却してしまうことになるのではないでしょうか。ここは『「過去の苦痛と、その対象を記憶しようと」することによって』恨みをかきたてようというのではなく、これを教訓として学び、このような加害と被害の関係を二度と繰り返すことなく「共に発展的な未来をめざそうという意思の表れなのです」となるべきところなのではないか、と思います。
 英語の「to learn lessonns」のところが日本語として訳出されていないため、日本語としてはスッと意味が通じなくなっているのではないでしょうか。ハングルは全く分かりませんので、ハングルでは、そういう趣旨が書かれているかと思うのですが、日本人のために、ここの日本語訳文は、もう少し考えていただいたほうが良いのではないかと思います。
 それから、ツアー・ガイドの韓国人女性は、日本語がたいへんお上手で明るい方でしたが、私と友人が「他のツアー客と別行動を取って独立記念館に行きたいのでソウル駅からの行き方を教えてください」と頼んだ時「車で一度行っただけだから行き方は知りません」ということでした。それで、ホテルのフロントの若いボーイさんに行き方を教えてもらおうとしたのですが、彼も、よく知りませんでした。でも、彼はたいへん親切で「タクシーの運転手さん宛」「駅の切符売場の人宛」「駅を降りてからのタクシーの運転手さん宛」とハングルで何枚もメモを書いてくれました。「これを出して聞いてください」と。それで、私と友人は、そのメモをそれぞれの場所で見せて、やっと独立記念館に行きつくことができたのです。たぶん、通常、日本から貴国へのツアー客の中には、独立記念館へ行こうという日本人はめったにいないのでしょう。しかし、中には私たちのような者もいるかもしれませんので、もう少し、貴国の観光関係で働いている方々には「独立記念館への行き方」を周知していただいた方がいいのではないかと思われます。
 以上、御気分を害されるようなことも書いてしまったかもしれませんが、貴大統領には、ご健康にすごされ、今後ますますご活躍されますよう、お祈り致します。日本の国民(生徒たちも含めまして)は、いろいろ意見が違いましても、両国の間に「真の和解」が成し遂げられ「共に発展的な未来」を築いていける日が早く訪れることを心から願う点では一致していると思います。私は日本人なのですが、右翼的な考え方の日本人から「反日偏向教師」などと攻撃されたりしています。しかし、いかに自国には都合の悪いことであっても、歴史事実を、しっかりと子どもたちに教えるというのは教師の当り前の責務ですから、怯むつもりはありません。一教員にすぎない私ですが、歴史事実を生徒達にきちんと教える中で、貴国の方々と「共に発展的な未来」を築いていけるよう、微力ながらも努力していきたいと考えております。

                            2005年 4月19日


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