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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

権力がデッチ上げた「板橋高校卒業式」刑事弾圧<4>

2011年09月26日 | 板橋高校卒業式
 〔初めに有罪ありき〕
 ◎ 権力がデッチ上げた「板橋高校卒業式」刑事弾圧 <4>
藤田先生を応援する会・金子潔


「アオサギ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 〈最高裁判決の批判〉
 2011年5月、一連の「10.23通達」関連裁判に対する最高裁の「期日指定」の連絡が次々と始まると、藤田裁判の「判決期日」も7月7日に指定された。明らかに、最高裁は、藤田裁判を「日の丸・君が代」裁判の一環としてとらえ、期日を組み入れたのだ。
 7月7日、猛暑の中の最高裁判決。大勢の人が傍聴のために駆けつけたが、席はたったの47名。多くの人が入れなかった。藤田さんは代理人らと最高裁正門から入場したが、バーの中に入れさせろとの強い要求は拒否された。判決言い渡しはほんの数十秒。傍聴席からは、抗議の声が上がった。
 「最高裁判決」は、空疎で酷薄な内容である。最高裁とは、憲法に違反したか否かを判断する所だ、と居直って、具体的な事実判断について口を閉ざし、他方で、憲法判断としてはすべて「合憲」「合憲」と言い繕う。藤田判決はその典型だ。
 「判決」は、一方的に、「主催者に無断で,着席していた保護者らに対して大声で呼び掛け」「これを制止した教頭に対して怒号」「退場を求めた校長に怒鳴り声」「粗野な言動でその場を喧噪状態に陥れた」と決めつける。「大声」「怒鳴り声」「粗野」「喧騒状態」、どれも、主観的なもので、事実に基づかず、嫌悪感むき出しの言い方だ。「喧騒状態」というが、生徒入場前の会場に保護者が三々五々集まって来る場がどういうものか裁判官は考えようともしない。勝手に頭の中で「喧騒状態」だと決めつけて刑事罰を課すなど、とんでもないことだ。裁判所に、人の所作を「粗野」か「洗練」されたものか判断する権限など、与えられてはいない。「来賓」として参加した者に一方的に退去を命じたから声を荒立てて抗議した、それだけだ。何が悪いのか。このような判決こそ「粗野」そのものである。
 「判決」は「憲法判断」についていう。「憲法21条1項も,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するもの」「その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない。」「本件行為は,…静穏な雰囲気の中で執り行われるべき卒業式の円滑な遂行に看過し得ない支障を生じさせた」。しかし、憲法は、「表現の自由」を「公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認」してよいなど、どこにも定めてはいない。どころか、裁判官など公務員に、憲法尊重擁護義務を課している。藤田さんが「他人の権利を不当に害した」というが、他人とは誰で、何の権利を害したか、一切触れない。控訴審判決が下地のようだが、最高裁は卒業式が校長の権利などという暴論に与したくないのか、口をつぐむ。
 今回の事件の本質は、教育行政の介入によって生徒、保護者、教職員の権利が侵害されたことであり、藤田さんが「他人の権利」を侵害したなどという科白は、そっくりそのままお返ししなければならない。最高裁判決も認めたとおり、「被告人は,…午前9時45分頃,体育館から退場」していたのであり、「卒業式の円滑な遂行に看過し得ない支障を生じさせた」など、「教頭が、空中を飛んだ」以上に、荒唐無稽の言いがかりである。
 今回、「日の丸・君が代」裁判判決で唯一まともな反対意見を表明した宮川裁判官は、「補足意見」しか述べなかった。「会場内を一時喧噪状態に陥れ,本件卒業式の開式も遅れた」から「威力業務妨害罪」は成立する、という。冗談じゃない。「卒業式の開式遅れ」とは、判決でも「予定より約2分遅れ」としたように、2分間、それも本当の理由はTBSの撮影のため学校側が生徒待機場所を遠ざけたからである。2分間の開式遅れの都立高校を全部調べ上げ「威力業務妨害罪」として立件すべきだ。何人の校長が被告人にされるか、興味津々である。
 〈「日の丸・君が代」に対する異論に「刑事罰」を課す〉
 藤田裁判の判決は、解雇裁判など相次ぐ十数件の「日の丸・君が代」最高裁判決の只中で行われた。判決内容に明らかなように、最高裁は、卒業式における「日の丸・君が代」強制を、「卒業式の円滑な進行」が必要という表現で、全面的に擁護し、強制にゴーサインを出した。そのためには、教職員に対する懲戒処分も、高齢者の雇用義務の放棄も、再雇用職員に対する首切りも、すべて許される、そして、藤田さんのケースのように、卒業式前の保護者待機の場であっても「日の丸・君が代」に異論をいう者には、あえて「刑事罰」を課す、ことを「宣言」したに等しい。
 一連の「日の丸・君が代」最高裁判決は、戦後司法の歴史にとっても、大きな画期をなすものであり、最高裁自ら「憲法理念を認めない」ことから、公然と「憲法改悪」への旗振り役を務める姿勢を鮮明にした、ともいえる。今年は、新しい学習指導要領に基づく中学校の教科書採択の年だが、藤沢市、東大阪市、横浜市、武蔵村山市、大田区など相次いで育鵬社の教科書を採択するところが広がり始めた。極めて危険な動きである。大阪の橋下知事は、今秋にも「大阪府「君が代」処分・免職条例」を成立させようとしている。最高裁の号砲は社会に大きな反響音を響かせている。
 〈藤田裁判は何を「獲得」したのか〉
 最後に、このような深刻な状況に立ち向かうためにも、私たちは、藤田裁判で何を獲得したのか、確認しておく必要がある。
 一審判決の後、記者会見で、藤田さんは、「これは、実質、無罪判決である」と語った。その意味を、いま、改めて問いたい。「懲役8カ月」が「罰金20万円」にされたが、弁護団の尽力、「応援する会」をはじめとする支援の動きが大きな力になった。「有罪」という許しがたい判決だが、せめても「罰金」刑に「させた」ともいえる。私たちの力がもっと大きかったら、「無罪」にさせることも可能であった。
 私たちは、裁判に負けたからといって、くじけてはいられない。力不足を戒めて、あらたな状況に立ち向かう出発点としたい。今後とも、藤田さんを支援していく決意を込めて。
 (完)

『藤田先生を応援する会通信』(2011/8/23 第49最終号)

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