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再雇用拒否撤回2次訴訟第6回陳述<1>

2011年02月24日 | 日の丸・君が代関連ニュース
《再雇用拒否撤回2次訴訟第6回(2011/2/21)陳述》<1>
 ◎ 通達→命令→処分の一連の仕組みが「不当な支配」
原告ら訴訟代理人 弁護士柿沼真利


《撮影:平田 泉》

 今回提出した、準備書面(7)に関連にして、原告ら代理人柿沼より、意見陳述させて頂きます。
 準備書面(7)のテーマは、たった一つ、本件被告が作り上げた「10.23通達→校長による個別の職務命令→教職員らの処分→処分を理由とする採用拒否」という一連の「仕組み」の実現それ自体や,当該仕組みの核心部分に当たる10.23通達の発出行為,及び,当該仕組みの総仕上げに当たる本件採用拒否行為などが,旧教育基本法10条1項に規定される教育に対する「不当な支配」に当たり違法である、と言うことです。
 なお、教育基本法は、2008(平成18)年12月に改正され、旧教基法10条の教育に対する不当な支配の禁止に関する条項は、新法の16条1項になりましたが、両者は趣旨などに変更はなく、旧教基法10条と同じ解釈が妥当します。
 この点、本件の事案の分析においては、10.23通達それ自体や、各校長の職務命令それ自体などを、個別にバラバラに分解して、教育に対する不当な支配に該当するか否かを検討するのは妥当ではありません。これらは、有機的な一連の仕組みとしてその目的を達しているのであり、これらの一連の仕組みの実現それ自体、そして、その核心部分としての10.23通達などについて、教育に対する不当な支配性を評価すべきです。
 次に、旧教基法10条によって、禁止される教育に対する不当な支配の基準について、述べます。
 そもそも、旧教基法第10条が、教育に対する不当な支配を禁止したのは、主に2つの趣旨があります。
 それは、学校教育の現場において、教師による生徒一人一人の個性に応じた人格的な接触による、創造的で弾力的な教育を実現すること、そして公権力によって、教育に対する介入が行われ、学校教育が生徒らの思想統制などに悪用されることを阻止し、教育の自主性を確保することです。
 これらは、かつての大日本帝国憲法下の学校教育が、「国家に対する忠誠心を持たせることを目的とした国民の義務としての教育」、「国家による国民に対する支配権能としての教育」であったことを反省し、日本国憲法によって、教育の理念が、「国民一人一人の、自由な人格形成、自己実現のための教育」、そして「国家権力によって侵害されない基本的人権としての教育」に改められたことを反映するものです。
 このような、2つの趣旨から、旧教基法10条によって禁止される教育に対する不当な支配の判断について、以下の3つの基準が導き出されます。
 まず,地方の教育行政機関が教育の内容・方法について遵守すべき基準を設定する場合にも,当該基準は,最低限,大綱的基準としての性格を維持するものでなければならず、これを逸脱した場合、教育に対する不当な支配に該当し違法となるというものです。
 次に,地方の教育行政機関が設定した基準が,教師による創造的かつ弾力的な教育の余地を残さないものである場合には,既に述べた大綱的基準からの逸脱性を総合的に判断するまでもなく,当該基準は旧教育基本法10条の「不当な支配」に該当し,違法なものとなるというもの。
 そして,地方の教育行政機関が設定した基準が、教師に対して、一方的な一定の理論ないし観念を生徒に教え込むことを事実上強制するものである場合も、教育に対する不当な支配に該当し、違法となるというものです。
 この点、被告は、上記基準のうち、大綱的基準に関し、答弁書にて、「地方の教育委員会がその権限の行使として発出する通達ないし職務命令に関する限り,大綱的基準に止まるべきものと解することはできない」旨主張しています。そして、その根拠として、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下,「地教行法」)23条5号の教育委員会の権限などを挙げています。
 しかし、地教行法23条の権限は、条文上「事務」についてのみ,認められているに過ぎません。決して同条が,教育委員会に,教育内容の決定自体について具体的に介入する権限を認めているわけではありません。
 むしろ、地教行法25条を見れば、被告が主張する23条5号の教育委員会の権限は、法令によって規制を受ける存在なのであって、教育分野の憲法たる旧教基法10条によって規制を受けるべき権限なのです。
 このようなことからすれば、旧教基法10条によって規制を受けるべき権限を根拠に、その旧教基法10条の規制の内容を緩和しようとする、被告の上記主張は失当と言わざるを得ません。
 この点、地方の教育委員会については、地方自治や、地方特有の教育の実践という観点から、国による教育内容決定の場合よりも、具体的な基準を出すことが必要となる場合もあるのかもしれません。そういう意味では、国による教育内容決定の場合に比較して、大綱的基準に「一定の幅」を持たせることも可能かも知れません。
 しかし、旧教基法10条の核心は、既に述べた、現場の教師による生徒一人一人の個性に応じた創造的で、弾力的な教育の実現、と公権力による教育を通じた思想統制を排除し、教育の自主性の確保にあります。この核心部分を侵害することを防止するためにも、大綱的基準いう枠組み自体は、地方教育委員会にも妥当します。
 では、本件の一連の仕組みやその中核である10.23通達などについて、これの基準を当てはめます。
 まず、大綱的基準についてですが、10.23通達は、その実施指針において、入学式・卒業式における国旗掲揚、国歌斉唱について、会場の設営、国旗の掲揚方法、国歌斉唱の方法、式次第の記載方法などについて、極めて事細かに細目的に指示しています。これは、明らかに大綱的基準を逸脱したものと言わざるを得ません。
 次に、創造的で弾力的な教育の余地ですが、前述のように、10.23通達は、過度に細目まで規定しています。特に、会場設営については、それまで都立学校で行われてきた、いわゆるフロア形式の会場設営も禁止しています。フロア形式の式典は、フロアで卒業生と在校生・保護者が対面となって卒業生が別れの言葉などを述べることによって,卒業生が,在校生,親,教師などから温かく見守られ祝福されていることの実感をより持つことができ,生徒自身の成就感,充足感,連帯感,感動を生み出すことができた、まさしく学校現場での創造的な教育実践だったのです。
 また、特別支援学校においては,体の不自由の子ども達の場合、壇上に上ることが困難であることから、フロア形式によって、自力で移動し校長から卒業証書を受け取ることができるという弾力的な工夫でした。
 しかし、10.23通達は、このような、学校現場における創造的な教育実践生徒の事情に応じた弾力的な工夫を一切否定し、教師らから、創造的で弾力的な教育を行う余地を奪いました
 よって、10.23通達は、教師による創造的かつ弾力的な教育の余地を残さないものであるという点でも、旧教基法10条の教育に対する不当な支配に該当し、違法となります。
 さらに、10.23通達及び一連に仕組みは、教師に、国旗国歌に対しては、自分の内心と切り離して有無を言わずに、とにかく敬意を表示するべきであるという一方的な観念を、生徒達に教え込むことを強制するものです
 これは、被告が、10.23通達発令まで行われていた、生徒に対する内心の自由の説明を禁止したこと、生徒の不起立を教師の指導不足と位置づけこれにより実質的な処分をしたこと、また、生徒たちが自由に国旗国歌問題について議論することすら抑圧したことから明かです。
 この点、被告は、国旗国歌法が,日の丸を国旗と,君が代を国歌と定めていることを挙げ,国旗「日の丸」、国歌「君が代」を尊重する態度を育てるべく児童・生徒に指導することは、一方的な観念の教え込みには当たらない旨主張しています。
 しかし、これは、被告の行っている強制の実態を矮小化し、議論をすり替えたものと言わざるを得ません。
 学習指導要領にある国旗国歌の指導も、憲法や、教育分野の憲法たる教育基本法によって認められる範囲で行われなければなりません
 そもそも、国旗「日の丸」、国歌「君が代」それ自体、あるいは、これらを教育現場においてどのように取り扱って行くかについては、多様な考え方、意見があります。
 国旗国歌法の制定過程においても、起立するか否か、歌うか否かの自由が認められること、国旗国歌に対する敬意の表示を強制しないことが確認され、かつ、これを前提に、同法に国民の尊重義務が規定されなかったのです。
 このような、事実からすれば、本件のように、学校の教育現場において、各人の内心の有り様と切り離して、国旗・国歌に対し、有無を言わさず敬意を表示しなければならないとし、しかも、それは被告の教育委員会が一方的に定めた極めて画一的な方式によらねばならないとすれば、それは、国旗「日の丸」・国旗「君が代」に関して数多くある考え方、意見の中で、一方的な観念を教え込むことに他なりません。
 よって、被告が行っている有無を言わせない国旗国歌に対する敬意の表示の強制を、一般的な国旗国歌の指導の問題にすり替えようとする被告の論法は失当です
 以上のように、被告による一連の仕組み、そして、その中核たる10.23通達などは、既に述べた3つの基準について、いずれにおいても、教育に対する「不当な支配」に該当し、違法になります。
 当裁判所には、以上のこと考察いただき、東京都立学校に、「生徒一人一人の自由な人格形成、自己実現のための教育」、「公権力によって侵害されない基本的人権としての教育」を取り戻すための公正な判決を求めます。
 以上

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