2024年7月21日
◆ 最高裁上告棄却を受けて
奥野泰孝(「君が代」不起立被処分者)
◎ 7月5日に届いた上告棄却の通知。
裁判長裁判官 安浪亮介 裁判官 深山卓也 岡 正晶 堺 徹 宮川美津子
裁判官全員一致の意見で,次のとおり決定。
第1 主文
1 本件上告を棄却する。
2 本件を上告審として受理しない。
3 上告費用及び申立費用は上告人兼申立人の負担とする。
第2 理由
1 上告について
民事事件について最高裁判所に上告をすることが許されるのは民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ,本件上告の理由は,違憲をいうが,その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであつて,明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。
2 上告受理中立てについて
本件中立ての理由によれば,本件は,民訴法318条1項により受理すベきものとは認められない。
担当は第一小法廷。この第一小法廷は7月11日に旧統一教会の「教団に賠償を一切求めない」とした念書は無効として東京高裁に差し戻しを求める判決を出した。メンバーは一緒だが、裁判長は堺徹。私の方の審理はいい加減にされたのかな、と思ってしまう。
弁護士から聞いた話によると、
●今回の決定書に書かれた理由はいつもの定型文言なので、実際に最高裁が何を考えて棄却したのか、受理しなかったのかは分からない。
●原判決の論理がそれ自体完結していれば判断の遺脱があっても理由不備にはあたらないとするのが最高裁の判例。
●今回の上告理由は、憲法26条違反(教育の自由)がメインだったが、(定型文言ですが)決定書によると、その実質は、憲法違反ではなく、事実誤認や単なる法令違反をいうものだから、上告理由に該当しないというのが最高裁の判断。
●上告審として受理するかどうかは、最高裁に裁量があるので、客観的には重要な法律問題を含む事件として最高裁内部で審議の対象になりながら、不受理となることもある。
「関心領域」という映画を見た。アウシュビッツ収容所に隣接して所長の邸宅があり、その家族が壁の向こうの悲惨な状況に無関心で平気で子育てし贅沢に暮らしている。そういう様子が描かれていた。
知っていて何もしないより、知らないで何もしない方がどちらかというとマシ(罪はない)と思っていたが、「知っていて何もしていないが何かする機会を待っている」というのが前の2 ケースよりいいと今は思う。
私が、原発のこと、沖縄の基地の事などで加害者側に居ることは分かっていても、それをやめないことの自己弁護になるのだろうが、何もしないのではなく、何かできないか機会を待つ、待命状態なのだと思う。
「君が代」強制の醜さ・酷さを知っているか知らないか知らないでおこうとするか、で見ると分かりやすい。
知っていて何もしない同僚は私に「奥野さん、早く大人になりなさいよ」と忠告してくれた。
何もできないことを苦しんでいる人は「自分は不起立できないが、奥野さんには感謝している。応援します」のように言ってくれた。
大阪府を退職する頃周りは「知らないから、(反対も)何もしない」という人が多くなっていたと感じる。
学校の管理職は、考えないようにしている。府教委は人権侵害だと気づかせないように裁判をしている。
裁判所は、原告の訴えを知ろうとしないで判決を書いた、と私には見える。学校の実態が裁判官に伝わっていなかった。例えば、・・・
2013年の処分理由に受付業務が終わって式場に入ったのは職務命令違反とする府の主張が裁判で通った。教員はできるだけ生徒たちのそばに居て支援するという支援学校の常識が通らなかった。
2015 年の不起立では、障がいで起立できない生徒の介助教員は一緒に座っているべきという当たり前のことが、なぜか裁判所で理解されなかった。その生徒とのコミュニケーションには顔の表情やボディランゲージ・ボディタッチが必要であり、また不安になるとてんかん発作が起きる可能性が高かったと説明し、原告の着席は合理的配慮と言えるのではないかという訴えたが、「原告はもともと不起立をしてきた者でこの生徒の担当でなくても立たなかった」のだから「合理的配慮だ」という理由は考慮しなくていい、という立場を裁判所は取った。これは「何もしないために知らないフリをする」というやつだろうか。
私が養護学校に転勤した時、その現場では常識で、私が知らなかったことがいくつもあった(障がい児教育の現場は、学校教育の課題がよく見える現場だと思う)。
給食の摂食指導の時、教員が生徒の口に入れる前にその料理の温度、味、硬さを知っていないといけないこと、返事や反応が分からない生徒の介助で常にどう介助するのか声掛けしてから動くこと、生徒が遅くてもできることに教員は手を出さず待つこと、当たり前のことなのに、自分の教育観というものを反省させられた。
大阪高裁の本人尋問の最後に裁判官が質問した。府教委の主張がおかしいということを確かめるより、府教委の代理人のように質問していた。
「あなたは式典の中での国歌斉唱時に起立しなかったことを理由に処分を受けた経験がありますよね」
一応答えたが、私は「(前の処分のことは)この件には関係ないことですよね」と言った。
すると「裁判所の方で起案に必要だと思って聞いていますから、質問には答えてください。」と言われ、質問が続けられた。
「例えば養護の先生とかに相談をしましたか」「養護の先生とかにはお尋ねにならなかったんですよね。」と聞いてきました。
この件は養護教員に尋ねる必要のないことだと思っていたのでしていないです。と答えた。裁判官は、「だからそういう意味で、していなかったという話なんですね」と言い、なぜ必要ないと私が考えたのか、その理由を聞かないまま、尋問は終わった。
裁判官の思考の誤りを明解に暴く反論ができていたら、と今後悔する。
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