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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

同じ題材を扱っていても教科書によって違いがある

2018年11月25日 | こども危機
 ◆ 中学道徳教科書、全部読んでみました (教科書ネット事務局通信)
 ◆ 新しい教科書と聞くと血が騒ぐ
 毎年3月末になって教科書検定結果の報道が始まると血が騒いで仕方ありません。かって家永教科書裁判の支援の一環として当時住んでいた世田谷で1974年から教科書の比較検討をしていた経験から「新しい教科書」と聞くと読んでみずにはいられない気持ちがわき上がるのです。
 当時はただの市民団体に過ぎない「世田谷教科書研究会」でも出版社から見本本を提供していただけて、各メンバーが自宅で心ゆくまで読むことができました。
 それが2001年「新しい歴史教科書をつくる会」が乱入して以来、見本本の扱いは厳しくなってお願いするのは気が引けてきました。こちらのメンバーの高齢化も進んで責任ある検討に自信が持てなくなっていたこともあります。
 そんなわけでここ10年以上は見本本を読もうとすれば市民向けの展示会に行くしかなくなっていました。
 ◆ 文科省の検定結果公開事業 江東区教科書研究センター
 今年も5月29日の文科省による検定公開を待ちかねて、でも何度かの経験から初日は出版社かマスコミと思われる方々でものすごく混んでいて効率よく見ることはできなくなっていたので2日目に行きました。
 そんなには混んでいなくて、ほぼ全国ネットの集会などでお顔をお見かけした方々でした。
 とりあえずすべての教科書の目次と執筆者のページをコピーすることにして(ここだと100枚まで無料なので)棚にある教科書を持ってきてはコピーをしました。
 誰かがしっかり読んでいるらしくてなかなか棚に戻ってこないのもあって、その間は空いている本の中から気になる題材を選んでコピーしました。
 ただコピーする教科書名、学年、ページなどいちいち資料複写申込書に書いて提出しなければならないのはけっこうやっかいでした。最終的にはその申請数と、実際の枚数を確認されます。
 4時半の閉館時間ぎりぎりになっても戻ってこない教科書もあって、ついに「○○教科書お持ちの方、すみませんが目次と執筆者のページだけコピーさせて頂けませんか」とお願いしてお借りするという厚かましさもやってしまいました。
 アンケート用紙には「見本本は複数備えて」「場所も不便、12時~1時は昼休みで退出させられるので昨年使った文科省に戻してください」と書いてきました。
 ◆ 世田谷区烏山図書館
 狛江市の市民向け展示会は6月15日からなので待ちきれず、お隣の世田谷に出かけることにしました。
 4日初日、烏山図書館のロビーの一角に中学校の道徳だけが展示してありました。係の女性がいて名簿への記入を促されました。
 途中ちらと手に取ってみてはすぐに帰って行かれる方が何人かいましたが座り込んで読んでいるのは私一人。メモを取りながらまず日科からひたすら読みました
 午後一に行ったのですが6時までで2冊しか読めませんでした。なにしろ面白くないし、不愉快なくらいですから。
 6日に残りの1冊を読んで、次に教出を読み始めたら「けっこういいじゃないか」と感じました。
 ◆ 狛江市の市民向け展示会 中央公民館、西河原公民館、教育研究所
 ここ何回か市の中心部では市役所ロビーになっていて5時までしか見られないという不便に耐えてきて、やっと今年は中央公民館ロビーで9時半まで見られることになりました。
 9月15日から28日までの期間中公民館が休みの火曜日は教育研究所に、とできる限り通いつめて9日間、なんとか全部の教科書に目を通すことができました
 狛江は小学校も展示してあったので、ついそちらに手を伸ばす人が多く、「今年のメインは中学校の道徳ですよ」と声を掛けて説明させて貰ったり、前もってお願いしてあった人たちが代わる代わるやってきてついおしゃべりしたり、読むのはなかなかはかどりませんでした。
 でも採択が終わって市民アンケート情報公開で見てみると、多くは私達が提供した情報に共感して書いてくださったと思われるもので、日科を推すのは一件もなかったのに胸をなで下ろしました。
 中学生からのもあって「サイズが大きい、字を小さくしてサイズを小さくした方がよい。イラストのサイズも小さくできる。この大きさだとロッカーを圧迫する。」というものでした。
 子どもたちは字もイラストも大きくて見栄えのよいのが好みだとの判断で教科書はだんだん絵本のようになってきているのですが、たった一人とはいえそうではないという意見をわざわざ書いた子がいたのに目を開かれる気がしました。
 採択が終わった後も狛江で採択した学研を中心にもっと丁寧に読んでみたいと全部揃っている教育研究所に通っています。
 その中で同じ題材を扱っていても教科書によって違いがあることが分ってきました。
 例えば「明かりの下の燭台」(大松博文『なせば成る!』)は学研1年、学図3年、あかつき2年、日科3年、で扱われていますが、学研では小見出し「この人によってチームは成り立った」「選手十五人の世話を一手に四年間」「泣いて引き受けたマネージャー役」「その涙を選手たちも知らない」で「東洋の魔女」のマネージャーを務めた鈴木恵美子さんのことを紹介して、最後は「…しかし、あの鈴木恵美子が四年前に『私はバレーをしにきたのだ。マネージャーをしにきたのではない』と泣いて訴えたことなど、みんなつゆほども知らない。ああいう人だと思っている」で終わっています。
 他の3社にはその後に「ここに見る真に誇り高い女性」という小見出しがあって最後は「…そしてぐちを言わないことによって、人に知られなくても、彼女は自分をおとしめず、自分も意識しない誇り高い一人の女性として、自分を育て上げたのである。鈴木恵美子はここに存在している(あかつき)」(学図、日科は下線部分なし)となっています。
 ここまで決めつけられては生徒たちには議論の余地もないのではないでしょうか。
 屋久島の縄文杉についてもあかつき2年、日文2年、光村1年、学研3年で扱っていますが、あかつき、日文が縄文杉への感動物語になっているのに比べて、光村は二代杉・三代杉、学研は倒木更新などにも触れていてこちらの方がよいと思われました。
 読めば読むほどヤメラレナイ、トマラナイ状態です。
 (和田哲子)

教科書ネット21ニュース『事務局通信』(2018年10月10日)


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