2011年6月11日(土)、公益財団法人・岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、2011年4月下旬から奥州市前沢区古城字水上西地内の中畑城跡で進めてきた発掘調査の現地説明会が行われましたので、埋蔵文化財などが大好きな妻と共に参加しました。
朝から雨降りでしたが、説明会が始まる頃には晴れて蒸し暑くなりました。泥んこの現場を用意して行ったゴム長靴を履いて歩きまわりました。
(上と下)この発掘調査は、古城地区で進められている「県営経営体育成基盤整備事業」実施に伴う緊急発掘調査で、周りはどこまでも見渡せるような平らな田畑が続いている所でした。
(下)発掘現場である北側外堀の内側にある「二の郭」の北東角には民家が建っていました。
(上と下)県埋文センター職員による案内説明は、「中畑城跡」の東側から始められました。
この標柱が立ててある所は「主郭」があった所で、ビニールハウスや林檎や野菜の畑がありました。
(上と下)中畑城跡の南側道路と「主郭」の間に細長い水田がありますが、これは主郭の周りにつくられていた「内堀」の跡だそうです。
(下)この細長い水田は、内堀の面影をとどめています。(北側から見ています。)
(下)「主郭」の北側端で、樹木と石碑がある辺りが少し高くなっています。背後は「内堀」だった所だそうですが、埋められて現在は「二の郭」と一体になっています。民家のビニールハウスなどが建てられていました。
(上)掘り上げた土を積み上げた山が見えますが、「外堀跡」の北側です。
(上)「主郭」の西側の「内堀跡」で、細長い水田が内堀の面影をとどめています。見学者一行が立っている道は「二の郭」跡で、その外側には旧「明後沢川」が流れていて、外堀とつながっていたとのこと。
(上)「内堀」跡。右の方に曲がって「主郭」を取り巻いていたとのこと。見学者一行が立っている所は「二の郭」跡。(下)説明の職員が立っている所が埋められた「内堀」跡。溝が現存。
(上)畑になっている「二の郭」跡とそれを取り巻く「外堀」跡。発掘調査の結果「障子堀(しょうじぼり)」であることがわかった。
「障子掘」というのは、城の防御を高める仕切りを伴う堀で、関東地方以西ではかなり多く見られるが、東北では宮城県(仙台方面)や山形県(米沢方面)で見られる程度で、岩手県内では同じ柏(樫)山一族の館山遺跡で堀2列分が出ているのみとのこと。
http://www.iwanichi.co.jp/tankoh/item_24211.html [障子掘で城防御 奥州・中畑城跡から検出(岩手日日:2011/06/02]
http://www.hb.pei.jp/shiro/mutsu/nakahata-jyo/ [陸奥・中畑城(城郭放浪記)]
http://www.echna.ne.jp/~imaibun/ [(財)岩手県文化振興事業団 埋蔵文化財センター/ いわて・遺跡めぐり]