peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

盛岡市遺跡の学び館開館10周年特別展「もりおか発掘物語」を観る! 2014年11月30日(日)

2014年11月30日 | 遺跡、石器・土器、古墳、

2014年11月30日(日)、盛岡市遺跡の学び館(盛岡市本宮字荒屋13-1・中央公園内)企画展示室で開催中[平成26年10/11(土)~平成27年1/18(日)]の「遺跡の学び館開館10周年特別展・もりおか発掘物語」を観に行ってきました。

この特別展は、下記の「開催にあたって」に記載されているように開館10周年を記念した特別展で、これまでの展示を集大成したものでした。これまで年に1回は観に行っていましたので、目新しいものはありませんでしたが、10年間の総まとめの展示は見応えがありました。

展示は会場右側に掲示された「開催にあたって」の所の「Ⅰ.盛岡の発掘調査の歴史」から順に「Ⅱ.史跡指定と保存整備」、「Ⅲ.発掘された盛岡」の3部構成になっていました。

(上と下)「Ⅰ.盛岡の発掘調査の歴史」「1.戦前の調査研究、2.昭和20~50年代の発掘調査」の所では、菅野義之助氏(1874~1943)と小田島祿郎氏(1881~1953)や板橋源氏(1908~1990)と草間俊一氏(1915~1997)など発掘調査にあたられた人たちが紹介されていました。

(上)川目A遺跡(盛岡市川目第5地割地内)の発掘品

(上)湯沢遺跡(旧都南村第1地割字湯沢地内)昭和52年(1977)発掘品 

(上と下2つ)盛岡市繋遺跡出土深鉢形土器(国指定重要文化財)複製

 

 

 

(上と下)土面(縄文時代晩期)宇登Ⅰ遺跡出土 残存部分:タテ16.5㎝×ヨコ10㎝)

(上)国指定重要文化財 遮光器土偶(縄文時代晩期) 手代森遺跡出土 複製

 

(上)「盛岡市遺跡の学び館開館10周年特別展・もりおか発掘物語」図録(900円)がじっくり読めるように椅子がありました。

http://www.city.morioka.iwate.jp/moriokagaido/rekishi/manabikan/index.html [盛岡市遺跡の学び館]

 


「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町金沢より福井まで」第1日(その5)2014年11月5日(水)

2014年11月25日 | 芭蕉の「奥の細道」を歩く

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クラブツーリズム主催「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町 金沢より福井まで」のバスツアーに妻と一緒に参加しました。第1日目 東京羽田空港・第1ターミナルから小松空港に向かって飛行機で出発です。

小松空港には予定通り8:55時に到着。地元・小松市の「京福バス」で最初の目的地である「妙立寺(みょうりゅうじ)」(金沢市野町1-2-12)に向かいます。バスの中で、講師の大橋洋子先生から、これから見学する妙立寺などについて詳しい説明を聞きました。

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バスは金沢西ICから北陸自動車道に入り、一路「妙立寺」を目指して走ります。いつの間にか高速道路を出て、極楽寺の有料駐車場には9:40時頃到着しました。ここから最初の見学地の妙立寺(金沢市野町1-2-12)に徒歩で移動です(9:45時頃到着)。

 この寺は、金沢城の出城の役割があった加賀藩ゆかりの寺で、芭蕉や「奥の細道」とは関係が無いようでした。攻め入れられた時を想定した仕掛けがなど沢山あって、「忍者寺」とも呼ばれて人気を集めているので特に組み込まれたようです。

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(上)妙立寺(みょうりゅうじ)の裏門を出て、すぐ隣にある願念寺(がんねんじ:金沢市野町一丁目)を見学した後、妙立寺の表門の方に回って、さらに徒歩で移動です。願念寺の表門から約300mほどでしょうか、長遠山・本長寺(金沢市野町一丁目2-8)に着きました。

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本長寺の次は、成学寺(じょうがくじ・金沢市野町一丁目1-18)です。

(下)この日、4番目に訪れたのは、「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風」という芭蕉の句碑があるという成学寺(じょうがくじ)。

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成学寺(じょうがくじ):加賀藩三代藩主前田利常に小将番頭として仕えた人物を弔)うため、未亡人が正保四年(1647)に建立した。本堂は創建した江戸初期の建築様式が見られるという。

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(上と下2つ)成学寺の表門の両侍の「雷神」像と「風神」像。鎌倉時代の作風を色濃く残しているという。

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(上と下)成学寺の境内にある、堀麦水(ほり・ばくすい)が建立した秋日塚。金沢で最も古い芭蕉の句碑とされる。

秋日塚(あきひづか):「おくのほそ道」は、金沢から小松へ向かう途中吟として、「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風」の句を載せる。よく知られているように、この句は実際は金沢に入る直前か直後に詠まれたのだが、一笑の追善句「塚も動け我が泣く声は秋の風」、斎藤一泉の松幻庵で詠んだ「秋涼し手毎(てごと)にむけや瓜茄子(うりなすび)」に続く秋の句とし、金沢への別れの句に用いた。「あかあかと」の芭蕉自画賛が、天理図書館に蔵されている。現在この句碑は秋日塚(あきひづか)と呼ばれ、野町一丁目の成学寺(じょうがくじ)、片町の方から犀川大橋を渡った左川沿い、兼六園の山崎山麓の3か所にある。[以上は、下記の北國新聞社発行、金沢学院大学文学部日本文学科編著「おくのほそ道~芭蕉が歩いた北陸」より]

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http://kimassi.net/teramatijiin/seigakuji.html [成学寺(金沢の寺町寺院群):金沢観光情報<きまっし金沢>]

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「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町金沢より福井まで」第1日(その4)2014年11月5日(水)

2014年11月25日 | 芭蕉の「奥の細道」を歩く

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クラブツーリズム主催「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町 金沢より福井まで」のバスツアーに妻と一緒に参加しました。第1日目 東京羽田空港・第1ターミナルから小松空港に向かって飛行機で出発です。

小松空港には予定通り8:55時に到着。地元・小松市の「京福バス」で最初の目的地である「妙立寺(みょうりゅうじ)」(金沢市野町1-2-12)に向かいます。バスの中で、講師の大橋洋子先生から、これから見学する妙立寺などについて詳しい説明を聞きました。

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バスは金沢西ICから北陸自動車道に入り、一路「妙立寺」を目指して走ります。いつの間にか高速道路を出て、極楽寺の有料駐車場には9:40時頃到着しました。ここから最初の見学地の妙立寺(金沢市野町1-2-12)に徒歩で移動です(9:45時頃到着)。

 この寺は、金沢城の出城の役割があった加賀藩ゆかりの寺で、芭蕉や「奥の細道」とは関係が無いようでした。攻め入れられた時を想定した仕掛けがなど沢山あって、「忍者寺」とも呼ばれて人気を集めているので特に組み込まれたようです。

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(上)この日、3番目に訪れたのは、「春もやゝけしき調ふ月と梅」という芭蕉の句碑があるという本長寺(ほんちょうじ)。

妙立寺(みょうりゅうじ)の裏門を出て、すぐ隣にある願念寺(がんねんじ:金沢市野町一丁目)を見学した後、妙立寺の表門の方に回って、さらに徒歩で移動です。

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(下)願念寺の表門から約300mほどでしょうか、長遠山・本長寺(金沢市野町一丁目2-8)に着きました。

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http://kimassi.net/teramatijiin/hontyouji.html [本長寺(金沢の寺町寺院群):金沢観光情報<きまっし金沢>]

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(上と下)本長寺の境内にあった朱紅色に熟したカラスウリ(烏瓜)の実。一関市内では「キカラスウリ(黄烏瓜)」は良く見かけますが、カラスウリは見たことがありません。

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カラスウリ(烏瓜)ウリ科 カラスウリ属 Trichosanthes cucumeroides

林の縁や人家近くの藪などによく見られるつる性の多年草。茎は細く、巻きひげでいろいろなものに絡み付きながら伸びる。葉は長さも幅も6~10㎝で、縁は3~5つに浅く切れ込む。表面には白くて粗い毛があり、触るとザラザラする。花期は8~9月。白いレースでつくったベールを広げたような花が咲く。花は日が沈んでから開き、夜明け前には萎んでしまう。雌雄別株。雌花は細長い筒状の萼の下に丸い子房の膨らみがある。果実は長さ5~7㎝の球状または楕円形で、葉が枯れる頃に赤く熟す。分布:本州~九州。[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より]

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(上と下2つ)本長寺から次に見学する成学寺に向かって歩いていたら、「落雁」の看板や金箔などを販売している「民芸品・のむらや」、「竹筆の里・生きる」などがありました。

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(上と下)道路の向かい側にも「宝勝寺」「真長寺」などがありました。

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「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町金沢より福井まで」第1日(その3)2014年11月5日(水)

2014年11月24日 | 芭蕉の「奥の細道」を歩く

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クラブツーリズム主催「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町 金沢より福井まで」のバスツアーに妻と一緒に参加しました。第1日目 東京羽田空港・第1ターミナルから小松空港に向かって飛行機で出発です。

小松空港には予定通り8:55時に到着。地元・小松市の「京福バス」で最初の目的地である「妙立寺(みょうりゅうじ)」(金沢市野町1-2-12)に向かいます。バスの中で、講師の大橋洋子先生から、これから見学する妙立寺などについて詳しい説明を聞きました。

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バスは金沢西ICから北陸自動車道に入り、一路「妙立寺」を目指して走ります。いつの間にか高速道路を出て、極楽寺の有料駐車場には9:40時頃到着しました。ここから最初の見学地の妙立寺(金沢市野町1-2-12)に徒歩で移動です(9:45時頃到着)。

 この寺は、金沢城の出城の役割があった加賀藩ゆかりの寺で、芭蕉や「奥の細道」とは関係が無いようでした。攻め入れられた時を想定した仕掛けがなど沢山あって、「忍者寺」とも呼ばれて人気を集めているので特に組み込まれたようです。

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(上)この日、2番目に訪れたのは、小杉家の菩提寺であり、一笑塚芭蕉の句碑があるという願念寺(がんねんじ)。

 妙立寺(みょうりゅうじ)の裏門を出るとすぐ「願念寺」(がんねんじ)の表門でした(金沢市野町一丁目3-82)。

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(上と下)願念寺の表門左側に立つ、小杉一笑への芭蕉の追悼句を刻んだ碑。「塚も動け我が泣く声は秋の風」。小杉家の子孫小杉潔(こすぎ・きよし)氏が、芭蕉の真跡(那谷寺所蔵)を得て昭和42年に建立したものという。

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(上と下)願念寺の境内にある小杉家の墓。

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(上と下)小杉一笑の辞世の句「心から雪うつくしや西の空」を刻んだ一笑塚。昭和31年に、金沢在住で俳諧研究・芭蕉研究者として名高い蔵月明(くらげつ・めい)氏(1880~1968)の筆跡。

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(上)金沢市で購入してきた下記の北國新聞社発行、金沢学院大学文学部日本文学科編著の「おくのほそ道~芭蕉が歩いた北陸」(本体1,600円+税)に詳しく記載されています。

http://kimassi.net/teramatijiin/gannenji.html [願念寺(金沢の寺町寺院群):金沢観光情報<きまっし金沢>]