第57回読書感想文コンクールで県特選を受賞した,井上真夢さんの感想文を掲載する。
タイトルからは何の本を読んだかわかりにくいが,読み進んでいくと「あっ,あれかな?」と気づくはず。
文末に本の紹介を載せるので,最後までしっかりと読んで下さいね。
「清らかに,慎み深く,とつとつと」
大月東中学校3年 井上真夢
数学はどこか素っ気なく,無愛想だ。わたしは数学が特別嫌い,という訳ではない。しかし,話しかけても反応は薄く,とっつきづらい奴だ,といつも思う。それに比べると,国語はなんてフレンドリーなんだろうと思えてくる。例え,知らない漢字だろうと,初めて読む文章だったとしても,なんとなくのイメージは頭に浮かび上がる。だが,数字は「数字」でしかない。私の頭の中では,「3」という数字は「3」であり,永遠に「3」でしかないのだ。そんな数字たちが唐突に並び,難題を出してくる。それだけではない。今度は,XやY,AやBなどの記号が登場してくる。そうすると,いよいよ「数字」までもが遠のいていく。掴みかけたと思ったのは錯覚で,やっぱり最初から,そっぽを向かれていたのか,という気分になる。
この「博士の愛した数式」を読んで,数学が突然好きになったとか,ましてや特になったなどということは決してない。ただ,この本に登場する,白紙の数学の世界に引き込まれた。博士は,ルート記号を
「どんな数字でもいやがらず自分の中にかくまってやる,実に寛大な記号だ。」
と言った。その一言で,私の中のルートが一変した。書きづらく,やっかいな奴だ。そう見えたルートは,表面的なものでしかなかった。ルートは,とても温かく,優しさの塊のような記号だと,博士は私に教えてくれた。
そんな博士の記憶は80分しかもたない。記憶力を失った博士にとって,主人公の「私は常に新しい家政婦。博士は「初対面」の主人公に,靴のサイズや誕生日,電話番号などの数字に関する質問をする。博士にとっては数学こそが博士の言葉なのだ。主人公の電話番号に対し,博士はこう言った。
「5761455だって?素晴らしいじゃないか。一億までの間に存在する素数の個数に等しいとは。」
ただの電話番号だと思っていたものが,博士の手にかかれば,意味を持つ。なぜだか感動した。数字たちが,息をし出したように思えて。
博士はどんな数字にでも「意味」を与える。私は,数字に「命」を宿すようにも思った。少なくとも,私の中でただの数字だったものが,意味を持ち,息をした。
博士に聞いてみたいと思った。私の誕生日,電話番号,名前の字画,靴のサイズ,郵便番号。それらの数字たちには,いったいどんな意味が隠されているのだろう?考えてみると,ワクワクして仕方がないのだ。
博士の数字に対する愛は美しい。彼は,相手を慈しみ,無償で尽くし,敬いの心を忘れず,時に愛撫し,時にひざまづきながら,常にそのそばから離れようとしなかった。とても正統的な愛し方。博士は,新たな法則などを見つけた場合「発明」とは言わない。なぜなら「神の手帳にだけに記されている真理を一行ずつ,書き写すようなものだ」から。しかし,「その手帳がどこにあって,いつ開かれているのか,誰にもわからない。」だから「発明」するのではない,「見つける」のだ。美しさを求める博士の,数学者らしくない,その考えが美しいと私は思った。そして,それは数学に限ることでないと思う。テレビや新聞やインターネットで得る様々な情報。その中には,悲惨な事故や事件,また見ていて不安になる情報がたくさんある。私たちは,そういった美しさとは正反対の事柄にばかりとらわれてしまいがちだ。それは,せわしく生きているからだと思う。美しさは,心に余裕がなければ見つけることができない。例え,虹が目の前にあっても,そのことに気づく余裕がなければそのまま歩き続けてしまう。ほんの少し,ほんの少しだけ顔を上げれば,幸せな気持ちになれるのだ。目の前の美しい出来事に気づくことなく,せっせと歩いていく。そんな私たちは,日常のたくさんの「美しさ」を見落としている。きっと,もう少しゆっくりと生きていけば良いものだと思う。そして,博士のように,こちらから愛し,向き合えば見つけることができるのだ。そうすれば,この世界も「美しい」と思うことができるだろう。
おまけ****************
読み進むうちに,「あっ,あの映画だな!」と気づいた人も多いと思う。しかし,映画を観て感想を書いても,読書感想文にはならない。読書感想文が読書感想文であるためには,まず「本」を読まなくてはならない。
真夢さんが読んだ本は,この映画の原作となった小説。題名は映画と同じく「博士の愛した数式」。芥川賞作家小川洋子が,2003年に著した作品だ。
あらすじは,ネットで検索すればすぐに出てくるので割愛するが,映画とは登場人物もストーリーも若干違うということだけは知っておこう。この意味においても,同じ題名の映画を観ても「読書感想文」を書くことはできない。
さて,季節は秋。秋の頭にはたくさんの○○がつく。スポーツの秋,芸術の秋,食欲の秋,そして読書の秋。次回は,話の流れとして読書について書いてみよう。
タイトルからは何の本を読んだかわかりにくいが,読み進んでいくと「あっ,あれかな?」と気づくはず。
文末に本の紹介を載せるので,最後までしっかりと読んで下さいね。
「清らかに,慎み深く,とつとつと」
大月東中学校3年 井上真夢
数学はどこか素っ気なく,無愛想だ。わたしは数学が特別嫌い,という訳ではない。しかし,話しかけても反応は薄く,とっつきづらい奴だ,といつも思う。それに比べると,国語はなんてフレンドリーなんだろうと思えてくる。例え,知らない漢字だろうと,初めて読む文章だったとしても,なんとなくのイメージは頭に浮かび上がる。だが,数字は「数字」でしかない。私の頭の中では,「3」という数字は「3」であり,永遠に「3」でしかないのだ。そんな数字たちが唐突に並び,難題を出してくる。それだけではない。今度は,XやY,AやBなどの記号が登場してくる。そうすると,いよいよ「数字」までもが遠のいていく。掴みかけたと思ったのは錯覚で,やっぱり最初から,そっぽを向かれていたのか,という気分になる。
この「博士の愛した数式」を読んで,数学が突然好きになったとか,ましてや特になったなどということは決してない。ただ,この本に登場する,白紙の数学の世界に引き込まれた。博士は,ルート記号を
「どんな数字でもいやがらず自分の中にかくまってやる,実に寛大な記号だ。」
と言った。その一言で,私の中のルートが一変した。書きづらく,やっかいな奴だ。そう見えたルートは,表面的なものでしかなかった。ルートは,とても温かく,優しさの塊のような記号だと,博士は私に教えてくれた。
そんな博士の記憶は80分しかもたない。記憶力を失った博士にとって,主人公の「私は常に新しい家政婦。博士は「初対面」の主人公に,靴のサイズや誕生日,電話番号などの数字に関する質問をする。博士にとっては数学こそが博士の言葉なのだ。主人公の電話番号に対し,博士はこう言った。
「5761455だって?素晴らしいじゃないか。一億までの間に存在する素数の個数に等しいとは。」
ただの電話番号だと思っていたものが,博士の手にかかれば,意味を持つ。なぜだか感動した。数字たちが,息をし出したように思えて。
博士はどんな数字にでも「意味」を与える。私は,数字に「命」を宿すようにも思った。少なくとも,私の中でただの数字だったものが,意味を持ち,息をした。
博士に聞いてみたいと思った。私の誕生日,電話番号,名前の字画,靴のサイズ,郵便番号。それらの数字たちには,いったいどんな意味が隠されているのだろう?考えてみると,ワクワクして仕方がないのだ。
博士の数字に対する愛は美しい。彼は,相手を慈しみ,無償で尽くし,敬いの心を忘れず,時に愛撫し,時にひざまづきながら,常にそのそばから離れようとしなかった。とても正統的な愛し方。博士は,新たな法則などを見つけた場合「発明」とは言わない。なぜなら「神の手帳にだけに記されている真理を一行ずつ,書き写すようなものだ」から。しかし,「その手帳がどこにあって,いつ開かれているのか,誰にもわからない。」だから「発明」するのではない,「見つける」のだ。美しさを求める博士の,数学者らしくない,その考えが美しいと私は思った。そして,それは数学に限ることでないと思う。テレビや新聞やインターネットで得る様々な情報。その中には,悲惨な事故や事件,また見ていて不安になる情報がたくさんある。私たちは,そういった美しさとは正反対の事柄にばかりとらわれてしまいがちだ。それは,せわしく生きているからだと思う。美しさは,心に余裕がなければ見つけることができない。例え,虹が目の前にあっても,そのことに気づく余裕がなければそのまま歩き続けてしまう。ほんの少し,ほんの少しだけ顔を上げれば,幸せな気持ちになれるのだ。目の前の美しい出来事に気づくことなく,せっせと歩いていく。そんな私たちは,日常のたくさんの「美しさ」を見落としている。きっと,もう少しゆっくりと生きていけば良いものだと思う。そして,博士のように,こちらから愛し,向き合えば見つけることができるのだ。そうすれば,この世界も「美しい」と思うことができるだろう。
おまけ****************
読み進むうちに,「あっ,あの映画だな!」と気づいた人も多いと思う。しかし,映画を観て感想を書いても,読書感想文にはならない。読書感想文が読書感想文であるためには,まず「本」を読まなくてはならない。
真夢さんが読んだ本は,この映画の原作となった小説。題名は映画と同じく「博士の愛した数式」。芥川賞作家小川洋子が,2003年に著した作品だ。
あらすじは,ネットで検索すればすぐに出てくるので割愛するが,映画とは登場人物もストーリーも若干違うということだけは知っておこう。この意味においても,同じ題名の映画を観ても「読書感想文」を書くことはできない。
さて,季節は秋。秋の頭にはたくさんの○○がつく。スポーツの秋,芸術の秋,食欲の秋,そして読書の秋。次回は,話の流れとして読書について書いてみよう。