大月東中学校 美登里の日々

われら励みて人たらむ
われら学びて知るを得む
知るは即ち愛深き
行いをもて証とす
東中学 いや栄えあれ

読書感想文「千波から学んだこと」

2010年10月21日 09時19分51秒 | 学校生活
 前回の田村さんに続いて,今回は2年1組の佐藤さんの感想文。こちらも読書感想文北都留地区コンクールに入選した作品だ。原作を読んでいないとわからない部分もあるが,これをきっかけにして文末で紹介した原作を手にしてくれれば良しとしたい。


「千波から学んだこと」      大月東中 2年 佐藤有香

 「なにかを失ったら,かならずなにかをえるもんなんじゃて。今度のことでうちら家族は,離れを失ったけど,それ以上にお金では買えないもんをいっぱいもろうた」
 この台詞は,「明日につづくリズム」という本に書いてあった。場面は,千波と恵が千波の家で火事をおこしてしまい,恵が責任を感じている時の千波の一言だ。
 自分の家が燃えてしまったのに,恵をかばっていたのでびっくりした。
 私は,千波は優しくてとてもポジティブだと思う。その上,大地と千波と恵で海へ泳ぎに行くのだから,またびっくりした。
 もしも自分だったら,
 「恵が家でしたせいで,離れも燃えちゃったし,お母さんだってススと黒こげで真っ黒になったんだよ!! 海だってやっぱり行きたくない!」
 とまで,大げさだが言ってしまうと思う。それに,もう友だちだってやめるし,口だってきかないし,今まで集めていたグッズだって全て捨ててしまいそうだ。
 だが,そこまで千波が広い心で接してあげられる,というのは「恵と仲良くしたい」からだと思う。保育園の頃,千波がプールで溺れたとき,一番に見つけて先生に知らせたのは,他の誰でもない恵だ。それに,ポルノグラフィティが好き,という点も一緒だった。そんな運命に導かれて出会った2人だからこそ,広い心で許してあげられたのではないだろうか。だが,千波のように広い心は,学年が一つ下というだけの私には到底できないだろう。
 私がそう考えるのは,自分の家の一部を燃やして,母親まで黒こげになっても,友だちでいれるか,と問われたら「無理」と言ってしまうからだ。
 だが,逆に言えばそこまで許し合える友だちは,私にはいないのかもしれない。「友だち」と呼べる人はいたとしても,「親友」と呼べる人は,そうはいない。
 私は,友だちと仲たがいをしてしまっても,自分から謝ろうとか,積極的に話しかけようとは思えない。だから,うらやましかった。純粋で,言うときは自分の意見をはっきりと言う千波の性格が。いつまでも,くよくよして,根に持ってしまう私とは大違いだ。
 千波は,島を出て行くことへの不安。
 見知らぬ土地でやっていくのには,少し早すぎる年頃だ。
 親への経済的な不安。
 千波は,私立の高校を受験するのだが,父親の仕事の給料は下がったままで,お世辞にも裕福とは言えない。
 千波自身への不安。
 「自分が何者なのかよくわかりません。からっぽの自分と向き合うのがこわい」
 と,ポジティブな千波らしからぬ事をファンレターに綴っていた。
 色々な不安を抱えつつも千波がくじけてしまわないのは,大好きな歌手の歌や,大好きな友だち,大好きな家族に支えられているからだと思った。
 この本のタイトルでもある,「明日につづくリズム」とは,明日へと前向きに進んでいく千波の奏でる足音ではないか。
 私も,後ろ向きにな考え方はやめて,少しずつでいいから,前に進んでいきたい。そして,私にとっての「明日につづくリズム」を奏でていきたい。私に,前へ進む勇気をくれた千波,ありがとう。

『明日につづくリズム』 八束澄子 著 ( ポプラ社 (2009/8/4) )

 同じ文を読むにしても,100人いれば100通りの読み方があり,100通りの感じ方がある。佐藤さんは,千波と恵の友情を切り口にして感想文を書いた。そして,15歳の思春期のまっただ中で揺れ動く千波が,ポルノグラフィティの歌や,家族をはじめとするたくさんの人たちに支えられていることに気づき,前へ進む姿に感動し勇気をもらう。
 さて,君だったらこの本をどう読み取るだろうか。図書館で本を手にして読み,自分の感じ方と佐藤さんの感じ方を比べてみよう。本を読むことの奥深さと楽しさがきっとわかるだろう。

後期学級役員の紹介

2010年10月19日 15時56分06秒 | 学校生活
 19日(火)の学校集会で,後期学級役員の任命書が校長先生より渡された。
 新たに任命されたのは,以下の18名。

  1年1組 拓海 遥菜
    2組 椋  奈那
    3組 堅也 美羽
  2年1組  裕輝 実奈
    2組 凌也 真夢
    3組 太尭 愛理
  3年1組 隼人 優美香
    2組 純史 采紀
    3組 智也 秀美

 今日から正式に後期学級役員としての活動が始まる。
 前期の学級委員が学園祭を目標に育ててきたクラスを,卒業式に向けて実らせていくのが君たちの仕事だ。
 有終の美が飾れるよう,頑張っていこう。

熊への注意

2010年10月19日 14時00分36秒 | お知らせ
 新聞やテレビには熊の目撃情報や,熊に襲われた事件が載っていますが,今年はいつもより熊の目撃や,熊に襲われる事件が多いそうです。
 市内でも何件か熊の目撃情報がありましたので,この「熊への注意文書」を作らせていただきました。学校でも指導いたしますが,ご家庭においても話題にしていただき,生徒への注意をお願いいたします。

1 熊に会わない努力をする
 熊が先に人間に気がつけば,多くの場合,熊の方からその場を離れて行きます。熊に会わないために,人間の方が「熊よけ」などをつけて,自分の存在を熊に知らせることが大切です。

2 熊に会った時のことをイメージして歩く
 この地域にはツキノワグマが生息しています。どこで出会ってもふしぎではありません。もしここで熊が出てきたらどうしようか,というイメージを頭にえがきながら行動していると,本当に熊に会った時に冷静な判断がくだせます。

3 それでも熊に出会ってしまったら
 ①熊との間に距離があり,熊があなたに気がついていない場合は,すぐにその場から離れること。
 ②出会い頭にぱったりと出会ってしまっても,多くの場合,熊は人を攻撃せずに逃げていくようです。しかし,熊が立ち止まっていたら,あわてて後ろを向いて逃げ出したりせずに,熊に向き合ったままゆっくり後退していくのが有効なようです。決して急激な動作をしてはいけません。熊の攻撃の引き金になります。 (かばんなどの持ち物をその場に置いて後退していくと,熊はカバンに関心を示して時間 をかせげることもあるそうです)

4 熊が攻撃してぎたら(このようなことがないように注意するわけですが,最悪の状態になった場合です)
腹ばいになって熊の攻撃を防ぎます。
 ①両手を首すじの後ろでしっかり組んで,首への攻撃を防ぎます。
 ②両ひじで顔面の横側を保護します。
 ③登下校中ならば,背中は通学かばんで保護されます。
多くの場合,ツキノワグマの攻撃は最初の一撃で終わり,その後人間から離れていくようです。

11月の授業参観のお知らせ

2010年10月19日 13時40分27秒 | お知らせ
 11月の授業参観についてお知らせします。お忙しいとは思いますが,本校の教育活動や学校運営について知るよい機会ですので,ぜひとも御来校下さい。

1 日時   平成22年11月2日(火)5校時  13:35~14:25
2 場所   各教室,体育館
3 授業   後日,各学年だより,HPで御連絡します。
4 その他
        授業参観終了後,14:35~14:55,体育館において3年生の合唱発表を予定しています。
        3年生の合唱は,11月5日(金)に市音楽発表会で発表される曲目です。
        お時間がありましたら,多学年の保護者の皆様にもお聞きいただきたいと思います。

 ※上履きを御持参下さい。
 ※車の出入りや,駐車には御注意下さい。

読書感想文「いのち」

2010年10月19日 13時16分17秒 | 学校生活
 読書感想文北都留地区コンクールに入選し,県の審査を受けている3年3組の田村さんの読書感想文が学級通信に掲載されたので,転載します。

「いのち」      大月東中学校3年 田村

 私がこの世界に人として生まれてきたことに何の意味があるんだろう。何をするためなんだろう。今、十五歳の私として存在している意味は何?最近よく思うこと。この本を読んで更に深く考えるようになった。
 葉っぱのフレディは、私が幼稚園のときにおじいちゃんに買ってもらった本。初めに読んだときは意味も深く考えず、ああ冬になればフレディは死んでしまうのか、と感じたと思う。しかし今改めて読んでみると、昔とは違った感じ方をすることができた。
 春、フレディは葉っぱとしてこの世に生まれる。たくさんの時を過ごし、この世界は希望にあふれていると知る。春夏秋冬と葉っぱとしての一生を過ごしたフレディ。親友のダニエルやたくさんの友達に出会い、葉っぱに生まれて良かった、と思えた一生は素晴らしいものだと思う。
 もし私の一生を四季に例えるならば、きっと今は春だろう。命が輝き、夢にきらめく時だろう。冬は想像するだけで怖い。っしかし必ず冬は訪れる。フレディにもやってくる冬。
 引っ越し、ここからいなくなる、すなわち死ぬときが来た。死ぬのが怖いよ、という叫びが心にささる。私も死ぬことが怖い。きっと何歳になってもおばあちゃんになっても怖い。けれどダニエルは、死ぬことを変化だといった。春が夏になる、私が子どもから大人になる、それと同じように、人が生まれて死んでいくことも1つの変化なのだと。
 私は、死ぬということはそこで、私という存在がこの世界から消えることだと思っていた。私がいなくなった瞬間、私が生きてきた証も私の周りの世界も終わってしまうことだと思っていた。たった一つこの世界に生まれた命が生きて、たった一つこの世界から消えていくことに何の意味があるのだろうと思っていた。死ぬことは終わりで、それが変化であり、自然なこととは全く思えなかった。でも本当に、死ぬことが変化であるならば、私がいなくなった後も変わっていくこと、変えていけるものがあるということだ。そして忘れてはいけないのが、死ぬことで変えられるものよりも、生きることで変えられるものの方がたくさんあり、大切だということだ。
 私は今、水泳に真剣に打ち込んでいて、速くなろうとしている。速く泳ぐことになんの意味もないのかもしれない。それでも私は毎日練習に打ち込む。私が頑張って強くなったって世界はないも変わらないし、平和にだってならない。けれど私の体は強くなるし、私の人生も充実したものになるだろう。そして自分自身や応援してくれる人の人生の中に笑顔が少しでも増えるかもしれない。そんな小さな変化だけど、私が生きることで変えられるものの一つだと思う。
 フレディが死ぬことは、栄養となり、新たな命を作る力になる。けれどフレディが生きたことには、それよりももっともっとたくさんの力があって、とってもとっても大切で尊いものだということを大切にしなければいけないと思う。
 人として生まれて生きることの意味はやはり分からない。死ぬことは変化なのだと、そういわれてもやはり怖い。
 けれど分かった大切なこと。それは、人生は感謝と希望に満ちているということ。春は、命が生まれることに感謝する。夏は照りつける日差しに感謝し、成長していく命を尊ぶ。秋は美しい紅葉に感謝し、冬は春への希望をもつ。春は春に、夏は夏に、太陽に月に、全てのものに感謝する。明日への希望をもつ。フレディのように。生まれたことに感謝をし、生きていることに希望をもち、死ぬときにはありがとうを言う。生きることの意味なんて知らないけど、こんな気持ちで生きることができたら、やがてくる終わりのときも、優しい気持ちで迎えられるだろうと思う。
 命って本当に大切で、生まれてから死ぬまでずっと一緒にあるもので、それでいてよく分からないもの。だけどやっぱりできることは一生懸命生きること。私は毎日、明日は何をしようかと心を躍らせ、今日出会ったもの全てにありがとうを言い、感謝しながら生きる。そして最後の日には、私は私に生まれてきて良かった、と言いたい。

★担任のコメント
 中学生らしく精一杯人生を生きる意味について、ありったけの力で表現していますね。死生観にまで触れています。そんな中で自分らしい答えを見つけていますね。私たちも、これからの人生、生かされていることに感謝しながら、希望をもって1日1日を充実させて過ごしたいですね。