大月東中学校 美登里の日々

われら励みて人たらむ
われら学びて知るを得む
知るは即ち愛深き
行いをもて証とす
東中学 いや栄えあれ

繰り替え休業日の部活

2010年04月27日 09時17分44秒 | 学校生活
 今日は代休2日目。4月23日(金)から2泊3日で3年生が修学旅行だったため,1,2年生もそれにあわせて土日に登校し,授業をした。そのため,昨日,今日は繰り替え休業日となった。
 さすがに,昨日は修学旅行から帰ってきた次の日だったために,部活は無しのようだったが,今日は朝から元気な声や音が校舎内外から聞こえてくる。
 グランドでは,野球部の1年生が先輩の指導を受けながら応援練習をしている。よく見るとこの先輩,2年生の大介君だ。ついこの間まで指導を受ける側だったのに,なんとなくたのもしそうに見えるから不思議だ。立場が変われば,人が変わる。まさしくそのとおりだ。
 校舎の2,3階からは吹奏楽部の音出しが,体育館からはボールの弾む音が聞こえてくる。その他にも,テニス部,卓球部,陸上部が活動し,午後からはサッカー部が加わる。
 来月月1日(土)は市内選手権。野球部,サッカー部,テニス部,バレー部が今年度初めての公式試合にのぞむ。年度始めの行事がたて続き,満足に練習時間が確保できなかったが,それはどこの校もみな同じ。長い冬の成果が試される。1本でも多くの優勝旗を持ち帰って欲しい。

今日は学校創立記念日

2010年04月25日 16時44分31秒 | 学校生活
 今日は学校創立記念日。普通日であれば休業日となり,学校へは登校しなくてもよい日となるのだが,あいにく今年は日曜日。学校創立記念日は「国民の祝日」ではないので,振替休日とはならず,生徒たちは1日損(?)をしたことになる。
 ところで,学校創立記念日とはいったい何だろう。何を根拠に4月25日と定められたのだろうか。現在の義務教育を小学校6年間,中学校3年間の9年間とする学校教育制度が始まったのは,昭和22年(1947)4月1日から。大月東中学校も他の多くの学校と同じようにこの日からスタートした。ということは,新制度の始まりの日が創立記念日ではないことだけは確かのようだ。
 真相を解明するため,職員室の耐火金庫から「学校沿革誌」を引っ張り出し,調べることにした。

 まず,記念すべき昭和22年(1947)の項を全文転載する。

昭和22年度
 1.生徒数 341名(1年193名 2年104名 3年44名)
 2.授業総日数 238名
 3.職員  学校長  藤本一夫
        教諭 飯島三俊 塚本きよ 高杉直樹 吉野昊
            坪内勇遠 奈良明子 前田昭祐 村田信廣
            三橋修子 井上花枝 中込隆造 金田貞
            雨宮初子
 4.教育関係者 大月町長 小林茂義
           学校後援会長 山田幸善
 5.年度内主要行事
   4月 1日 学制改革により大月東中学校として新発足し大月東小学校に併設さる
   4月19日 賑岡村浅利,仝強瀬両学区より約70名の生徒入学し,学級数7学級,生徒355名,職員13名の学校となる
   5月 3日 新憲法実施記念式を小学校と合同して挙行
   5月14日 新制中学校後援会の設立について町有志と協議設立
   6月 5日 山梨県教育民生部長(米国軍政官)の視察
   6月20日 大月町小中学校職員と役場吏員との合同懇談会
  10月 5日 後援会より六三制完遂の一助として運動用具の贈呈を受く
  10月11日 小学校と合同して運動会を開催す
   2月19日 学校経営研究会開催
   3月11日 新校舎起工式
   3月24日 第1回卒業並終業式を挙行 卒業生44名

 創立当初は,大月・浅利・強瀬を学区としていたことがわかるが,4月25日の記事はない。
 「学校記念日」の文字が初めて現れるのは,昭和31年(1956)の記事から。その後,飛び飛びながらも昭和38年(1963)まで「創立記念式」として名称を替えて行われていたことがわかる。しかし,その日はいずれも4月18日となっている。
 4月18日を記念日とした根拠はと,昭和31年の記事をよく見ると,欄外に鉛筆書きで「校旗を樹立校歌を制定した日」とある。
 いつ,誰が書いたのかは知らないが,それ以前の記事を探ると,確かに昭和27年(1952)の4月18日に「校旗樹立式並校歌発表会」が行われていた。
 ちなみに,制定されたのは前年度のことで,昭和27年3月15日に校歌が,20日に校旗が制定されている。
 さて,4月25日を探して,さらにページをめくっていく。
 あった。
 昭和41年(1966)年4月25日 学校創立記念日。
 次に,その日を根拠とした日を探して,ページをめくりかえす。さかのぼること2年前,昭和39年(1964)の4月25日に校舎落成式及び祝賀会を挙行している。
 つまり,本校の学校創立記念日は,現在使用しているコンクリート3階建て校舎が建造されたのを祝う会を開催した日をその日としていたことがわかった。

 私たちが生活する大月東中校舎。平成の大改修により外壁の塗り替え,アルミサッシ,床のリノリウム張り等がなされたが,築後46年が経つ。老朽化が進み,雨漏りや排水溝のつまり,トイレの漏水等が絶えない。当然のこと,耐震の基準もクリアできていない。隣町の猿橋中学校の近代的校舎と比べると見劣りするところばかりである。
 しかし,やせ我慢をするわけでないが,ボロは着てても心は錦。教育は中身が大事。そして,人間も中身が大事。先輩たちの汗と涙の染みついた校舎を大切に使い,東中生であることを誇りに思えるような生活をしていこう。
 何はともあれ,創立後63年間で13,125人を輩出した大月東中学校の歴史に敬意と,46年間の風雪に耐え,我々を見守ってくれたこの校舎に感謝の意を表す日としよう。

はじめまして

2010年04月24日 22時36分00秒 | 学校生活
 私たちが生活する大月東中学校は,山中湖を水源とする桂川と笹子峠を水源とする笹子川が合流する地点の河岸段丘上に建っています。岬のように突き出しているその地形から「美登里が崎」という地名がつけられ,校歌の1番にも歌われるとともに,同音異義語としてスクールカラーを「緑」としています。
 3年ぶりに,東中公式HPを更新したのを機会に,東中生の生活の様子や様々なお知らせを公開するために本ブログを立ち上げました。そのタイトルを決めるにあたり,わが東中生が演じる学園ドラマの舞台であるこの地の名称をとり,「大月東中学校 美登里の日々」としました。
 なお,サブタイトルは本校校歌の3番の歌詞からの引用です。「知行合一」を説いた王陽明の陽明学の学説にもとづくものでしょうか,なかなか含蓄のある言葉です。
 それでは本日より始めることにしましょう。最低1週間に1回のペースで更新するつもりです。よろしくおつき合いください。
 なお,ブログから入られた人たちは,是非とも公式HPもご覧になってください。学校の概要や,生活の様子のスナップ写真なども掲載されています。