大月東中学校 美登里の日々

われら励みて人たらむ
われら学びて知るを得む
知るは即ち愛深き
行いをもて証とす
東中学 いや栄えあれ

明けましておめでとうございます。

2015年01月01日 14時00分33秒 | つれづれ

明けましておめでとうございます。
本日も「校舎内外異状なし」。

※3年生へのお年玉
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がんばれ,受験生! 


校舎内外異状なし

2014年12月29日 11時27分15秒 | つれづれ

12月29日(月),冬季休業中(冬休み)。
休業日は,生徒にとっては,授業の無い日で,登校しなくてもよい。
しかし,先生たちは,長期休業中といえども,土日と祝日法に定める休日以外は出勤しなければならない。
ただし,12月29日~1月3日までは例外で,カレンダー上は黒い普通日なのだが,「年末年始の休日」として,勤務しなくてもよい日とされている。
そんなわけで,今日は学校に誰もいない。
無人の校舎と周辺をぐるっと一巡したが,特に異状個所は見つからない。
学校日誌に「校舎内外異状なし」と記して帰ることとする。

※おまけ
12月25日(金)に各学年主任から出された「学年たより」を貼り付けておきます。
それぞれの先生が,自分の学年生徒にどんな「想い」を抱いているか,読み比べてみてください。

1年学年だより 『
2年学年だより 『上昇気流
3年学苑だより 『まほろば


あたりまえを大切に。簡単なことを確実に。

2014年12月21日 23時06分40秒 | つれづれ

21日(日),BSで軍師官兵衛最終回を見逃してはならないと思い,ちょっと早めにテレビのスイッチを入れた。
ほとんどテレビはNHKしか見ないので,映し出されてきたのは,地上波のNHKの番組だった。
ネプチューンの原田泰造が出ていて,これはまたバラエティーの類かと思い,チャンネルを変えようとしたら,何やらバドミントンをしている中学生について語っているではないか。
職業柄,中学生と聞くと俄然興味がわき,けっきょくそのまま見続けることとなった。
番組で取り上げていたのは,中学1年生で全日本中学バドミントンシングルスを制した奈良岡功大。彼は,何と中学1年生でバドミントンの全日本総合選手権に出場し社会人を倒し1勝を挙げている。
番組のタイトルは,「めざせ!2020年のオリンピアン「バドミントン驚異の中学生×日本のエース」。
6年後の東京オリンピックでメダルを期待される若きアスリートに焦点を当てた番組だ。
奈良岡功大は『巨人の星』(原作:梶原一騎 作画:川崎のぼる),あるいは『親子鷹』(作者:子母沢寛)のように,5歳から父親が指導するバドミントンクラブに所属し,親子で世界一を夢見て練習を積み重ねてきた。
しかし,中1で全中を制した驕りのためか,練習に以前のようなひたむきさ,がむしゃらさが無くなったと父親は嘆く。
そこで,番組では父親のそんな意をくみ取って,全日本7連覇を目指す田児賢一(NTT東日本:25歳)との対決をセットする。
田児は奈良岡を評して,「中1で全中を制するなんて,僕らの時代ではありえない領域」と評価し,侮れないライバルとして認める。
また奈良岡は田児を「いつかは乗り越えなければならない相手」と,リスペクトしつつ対抗心を燃やす。
対戦の結果は,2対1で,田児の勝利に終わる。
田児が,1セットを落としたとはいえ,余裕綽々であったのは,映像を見て感じとれる。
完膚なきまでに打ちのめした方が良いのでは,とも思ったが,そこまですると立ち上がれなくなるのではと「大人の判断」をしたのだろう。
試合の前後に,田児は,奈良岡にこうアドバイスする。
「今の自分に満足するな。もっと上を目指せ」
「あたりまえを大切にしろ」
「簡単なことを確実にしろ」
「技術にだけ頼るな」
これらを聞いて,一流の人たちは,みな同じことを言うんだな,と改めて思う。
「当たり前が一番難しい 当たり前を積み重ねると特別になる」と。
ここも読んでほしい。

※おまけ
学校では,いろいろな教育活動を通じて,君たちに力をつけたり,君たちの力を見つける。
しかし,つけた力,見つけた力も,自分で磨かなければ本当に身につかないし,伸びていかない。
「玉磨かざれば光なし」とは,古来からのことわざ。
ちょっと人より秀でたからといって自分の力にうぬぼれていると,そこで終わってしまう。
世界は君たちの想像以上に広く,君たち以上の才能を持つ人は数多くいる。
君たちはまだ中学生。発展途上人だ。慢心することなく,あたりまえを積み重ね,簡単なことを確実にしていこう。
そうすれば,小手先の技術では得ることができない,「特別」なことをきっと手にすることができるはずだ。
がんばろう。


星空に魅せられて。

2014年12月13日 23時38分37秒 | つれづれ

いつものように4時30分ごろに目が覚める。体内時計は正確だ。どんなに早く寝ても,あるいは夜更かしをしても,この時間にちゃんと目が覚める。
しかし,目が覚めるのと,起きて活動できるかどうかは,また別の話。夏なら外はすでに明るく,涼しくて気持ち良いのだが,今は冬。日の出は遅く,そして寒い。
犬を飼っていたころは,どんなに暗くて寒くても5時前にはクンクン鳴いて散歩をせがまれるので,起きなくてはならなかったのだが,その犬も3年前に18年目の誕生日を前にして亡くなってしまった。
雨の日も風の日も,雪の冬も暑さの夏も,1年365日,1日も欠かすことなく,1回30分以上の散歩につき合わされた。おかげで,スリムで風邪をひかない丈夫な体を手に入れることができた。
今でも健康の維持・増進のために,散歩を続けているのだが,犬がいない今は,起きるのにいささかの「勇気」がいる。
そんな時,「自分自身のため」だけという理由で何かに取り組むと,だんだんモチベーション低くなり,継続することが難しいものだと痛感させられる。「誰かのため」に役立っているという感覚,あるいは使命感・責任感というものが無いと,続けることはかなり難しい。たかが,散歩ですらそう思うのだから,大人が「働く」ことはもちろんのこと,子どもたちが学校で「勉強する」ことにもこれはあてはまるだろう。
そんなことを思いながら,あと少し,もう少しと,怠けようとする弱い心と格闘の末,一大決心をして暖かな布団と決別する。
ダウンを着込み,帽子を被り,手袋をつけて家を出る。見上げると満天の星。西側の半分がかけた下弦の月が中空に輝き,天頂にはしし座。昨夜の雨が嘘のように晴れ渡っている。ただ,始末が悪いのは,路面がところどころ凍っていること。
それでも,星の輝きに誘われて,空を見上げたままで歩き出す。すると,流れ星が一つ,また一つ。月があるのに,これだけはっきり見えるのだから,月が出ていなければ,かなりの数を見ることができるだろう。
しし座を中心に放射線状に星が流れている。「しし座流星群か?」とも思ったが,しし座は確か11月だったはず。そういえば,1年生の学年通信に森先生が流星群のことを書いていたことを思い出した。
今週は三者懇談のために授業が半日となり,生徒の活動も少なくて学年通信に書くネタが見つからず,苦し紛れに書いたのだろう。今日は土曜日だが,ちょうど学校に用事もあることだし,そのついでに読み直すことにしよう。
などと,思いながら空を見上げながら歩いていると,人工衛星もいくつか見ることができた。北から南へ,あるいはその逆の軌道のものが多い。「極軌道」だから,GPSや気象衛星の類だろう。
地球をはるか離れた宇宙空間をたった一つ(一人)で黙々と周回する。様々な部品からなる機械に過ぎないのだけれど,そのひたむきな姿を見ているとなぜか応援したくなる。自らの意志で飛んでいるわけではないが,飛ぶことによって自分でない「誰かのため」に役立っている。そんな有用感が,機械に飛ぶ意思を与えているような気がしてくる。
とりかかりは自分のため。でもそれだけでは弱く,誰かのためが加わるとちょっと強くなる。ひたむきにやる。誰かの役に立つ。誰かが感謝する。ひたむきな姿を見て,誰かが心を動かされ,応援する。自己有用感,自尊感情を持つと同時に,使命感・責任感が芽生える。もっと人のためにできることはないかと質の向上と量の拡大を図る。さらに感謝,応援,そして充実,発展のスパイラルができる。自己の能力が伸長し,みんなにも喜ばれ,社会がほんの少し豊かになる。
などと考えていたら家にもどり着いた。頭はすっきり,体も芯から暖かい。
朝食をとり,学校に行き,1年の学年だより『誇り』19号を読む。流星群は「ふたご座」であることが判明。しかも,極大日は明日14日(日),もっとも流れる時間帯は21時ごろとある。
「心にゆとりを持って夜空を眺めてみませんか?」と森先生はよびかける。
よびかけに応えて,みなさんも星空を見てましょう。
きっと,みなさんも,星空に魅了されて,あんなこと,こんなこと,そんなこと,いろいろなことを考えてしまうと思います。

※おまけ
森先生は理科の先生。ネタが無く,苦し紛れに流星群の話を書いたなどと失礼なことを言ってしまったが,「天体」は理科の学習分野の一つ。おそらく,みなさんに理科的事象に興味・関心を持ってもらいたくて書いたのだろうと思う。いや,きっとそうだ。
いずれにしろ,冬は絶好の星空観望の季節。土日の夜明け前の凍える時間帯,車をちょっと走らせて人工の光のない小高い場所に子どもを連れて行き,零れ落ちてきそうな満天の星空を見せるのも,いい思い出になると思う。言葉はいらいない。凍える子どもの手をぎゅっと握りしめてやると,ぎゅっと握り返してくれる。お互いの心が温まる。そんな気がします。
ただし,凍結路面にはご注意を。

 


『学力向上の集い』に参加してきました。

2014年10月30日 18時28分59秒 | つれづれ

22日(水)夜,大月市民会館で,雨天にも関わらず南北都留地区の小中学校からたくさんの保護者と教師が集まり,『学力向上の集い』(山梨県教育委員会主催)が行われ,本校からも,PTA会長をはじめとする役員の皆さんと校長・教頭が学校を代表して参加しました。
会では,「子供の意欲的な学習習慣を育む家庭教育」と題して,講師としてお招きした山梨大学教職大学院客員教授の中澤勇三先生と,大月市教育相談員の奈良一功先生のお二人にそれぞれに講義していただいたあと,座談会形式で「学力向上」に向けての課題や解決の手立てについて参加者との意見交換が行われました。
講義や意見交換の中で,「なるほど」と気づかされたり,「やっぱりそうだよね」と確認できたりと,たくさんのことを学ぶことができました。それを全部紹介できればいいのですが,3つに絞ってお話ししたいと思います。

その1 「新しい学力観」
グローバル化,情報化が急速に進む現代社会では,それに対応していくために,常に新しい知識と技術が必要とされます。そのため,かつてのように教科内容の理解(知識のつめ込み)だけでなく,それを活用する力(思考力・判断力・表現力)をつけ,課題を解決したり,新しいものを創り出したりする能力が求められています。
また,解決しなければならない課題が大きくなると一人だけの力では足りなくなります。そこで,集団で取り組んでいくために必要なコミュニケーション能力も必要となってきます。
そして何よりも大事なのは「関心・意欲・態度」です。すべてのものが学びの対象となります。関心を持ったら,そこに「なぜ」「どうして」と疑問を持ち,人に聞いたり自分で調べたりして解決を図っていこうとする気持ちがなければ学びそのものが成立しません。
表題の「新しい学力」とは,これまでの「知識・理解」とともに,「活用する力」,「関心・意欲・態度」を軸に,そこから派生する「コミュニケーション能力」,「課題解決力」といった,客観的な数値で表すことが難しい力も含めたものをいいます。
「学力」の定義が変われば,当然教え方も変わってきます。これまでのように教師が黒板を背にして教卓の前で一方的に説明する一斉授業や,たくさんの問題をこなすドリル学習では,「活用する力」はつきませんし,「関心・意欲・態度」の育成も図れません。もちろん,学習内容によっては,一斉学習やドリル学習も行いますが,身近にあるものを教材化して学びへの意欲を喚起したり,考えたことを文や絵にまとめさせて表現力を高めたり,グループ学習など協働的な作業を取り入れてコミュニケーション能力とともに多面的・多角的なものの見方・考え方を育てるなど,「新しい学力」向上のための取り組みをしています。
次回,授業参観の際には,以上の観点でご覧いただき,忌憚のないご意見を承りたいと思います。

その2 子どもとの関わり
学習に限らず,何をするにしても環境を整えることは大事です。ここでいう環境とは,子どもに部屋を与えたり,学習塾へ通わせたりという,物理的・経済的なものではありません。ちょっと気をつければ誰にでもできる,しかしとても難しい環境づくりです。
それは,子どもの心の安定を図ってやることです。
まず第1に話を聞いてやること。
中学生は思春期の真っ只中。小学生の時と比べると格段に口数は少なくなるし,こちらから話しかけても「別に」とか,「うん」とかのそっけない返事。だからと言って,何も話したくないわけではなく,心の中では葛藤の嵐が吹き荒れていて,誰かに話を聞いてもらいたいと思っています。そんな時,不愛想な返事しかもらえないからといって話しかけることをやめたり,子どもから話しかけてきたときに,忙しさにかまけてつい「今は忙しいから後にして」とか,「そんなくだらないことを」と頭ごなしに否定していると,ますます子どもは話しかけてこなくなります。
子どもがいつでも話しかけてこられるよう,たとえ返事はなくても「おはよう」という挨拶を言い続けることや,子どものどんな話しかけに対しておうむ返しでもいいから相づちをうってやり聞く姿勢を見せてやることが必要です。
話したいときに話せるような環境を作ってやると,揺らいでいる心は安定します。
次に,褒めてやること。
これくらいのことはできて当たり前だ,と思っていると褒める機会を失ってしまいます。子どもたちはできなくて当たり前という考えが必要です。できないから学習するのです。できないからできるようになるために努力をしているのです。
また,兄弟や同級生と比べることは,もっともしてはいけないことです。一人ひとりの顔が違うように,性格や能力も一人ひとり違います。そして,何かができるようになるスピードも違ってきます。違いこそが,その子の個性だという考え方も必要です。
そして,どんな些細なことでもできるようになったら褒めてやる。たとえ親が望むような結果がでなくても,そこまでできるようになったこと,そのために努力したことを褒めてやりましょう。そして,その時に,そのことによってうれしい気持ちになったことを伝えることも大事だと思います。
褒められることにより,自分自身を肯定的に受け止めるようになり(自己肯定感),感謝されることにより,誰かの役に立っていることを実感すると(自己有用感),もっと認められたい,もっと誰かのために役立ちたいと気持ちになり,向上心を持ち粘り強く努力し続けられるようになります。
最後に一番大事なこと,それは,時々,子どもを「ぎゅっ」と抱きしめてやること。それだけで子どもの心は安定します。大人だって好きな人,好かれたい人に「ぎゅっ」と抱きしめられると,心が落ち着きますよね。まして子どもは,自分を生み,育ててくれたお父さんやお母さんから抱きしめられると,その肌の温もりから愛されていることを心から感じ,安心するはずです。
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その3 家庭学習
文部科学省が毎年4月に全国の中学校3年生と小学校6年生を対象にして行う全国学力学習状況調査。今年の正答率の全国平均は64.4%。最も正答率が高かったのは福井県で70.0%,以下,秋田県,富山県,石川県と日本海側の県が上位を占めています。
教職に携わっている私が言うと,言い訳がましく聞こえるかもしれませんが,学習成績の良し悪しは,教師の教え方だけによって決まるものではありません。それぞれの地域の経済的・社会的・文化的な違い,特に子どもを取り巻く様々な「環境」が複雑に絡み合って,結果(差)として現れてきます。
そのような違いが見えないふりをして,「秋田に学べ」とばかりに,教育技術ばかりが注目されることに大きな疑問を感じつつも,そこには確かに学力を向上させるために効果的だと思える手法がたくさんあるのも事実です。
その一つが,家庭学習の習慣化です。家庭学習というと,「宿題」を思い浮かべる人も多いと思いますが,授業内容の補充や定着をめざして強制的に出されることの多い「宿題」ではなく,内容も量も子どもまかせの「自主学習」を秋田ではすすめています。
しかし,「自主」だからと言って,何もかも子どもまかせにしていては,子どもは何をどのくらいしていいのかわかず,途方に暮れてしまいます。そんな子どもには,授業中にとったノートやメモを,別のノートに書き写すことをすすめています。単純な作業ですが,書くことによって授業中の記憶が蘇り,整理されていきます。「エビングハウスの記憶理論」によれば,その日のうちに復習したことは,数日たって復習するのに比べ,はるかに短時間で終わり,記憶の保持率も高くなるということです。そして,これを数回繰り返すと,定着し,記憶の引き出しにしまわれることとなります。
ただし,その効果はすぐに表れるものではありません。先にも書いたように,何回も繰り返してこそ知識は身につき,生活経験の中で生かされてこその真価を発揮します。
つまり,言い古されたことわざの通り,「継続こそ力なり」なのです。
子どもたちが3日坊主で終わるか,それとも続けられるかは,一重に私たち教師や保護者の皆さんの声掛け一つにかかっています。「褒める」ということを肝に銘じておきましょう。
「自主学習」については,校長先生も10月30日(木)に発行された学校だより『みどりが崎』第10号で,他の例をいくつか紹介しています。ぜひお読みください。
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以上,先週の『学力向上の集い』で講師の話や会場からの意見を聞いて,学んだこと,気づいたこと,考えたことをまとめてみました。

冒頭にも書いた通り,知識や技術は,衣類と同じように,たんすの引き出しにしまっておくだけは何の価値もありません。衣類は使ってこそ,それも目的や状況に応じて上手に着こなしてこそ真価を発揮します。
知識もまた然り。生活の様々な場面に役立ててこそ,意味があります。
このことについて,また別の機会に新たな項を立てて述べたいと思います。