さて松山を離れて
瀬戸内海で3番目に大きな島、周防大島(すおうおおしま)へ行くことにしました(3/29月)
三津浜港からの出港です
このフェリーは車をバックで入れるんです。
ちょっと緊張するね
1時間くらいで周防大島の伊保田港に到着し
まず向かった先が「陸奥記念館」です。
1921年(大正10年)に完成した戦艦陸奥は昭和18年にここ周防大島の伊保田沖で謎の大爆発を起こしたのです。
ちょうど昼食時間のころで船員も警泊中1471名の内、死者1121人 生存者たったの350名
戦わずしてこの周防大島沖合で謎の死を遂げたのです。
原因は解りません。
煙草の不始末、スパイ、魚雷など当時は憶測しましたが証拠となるものも見当たらなかったそうです
昭和22年に引き揚げを試みましたが、当時世界最高と言われた陸奥は大きすぎて作業困難で中止となり
昭和45年生存者の熱意が実り8年がかりの作業の末、船体の75%が引き揚げられたそうです。、
遺骨・遺品・主砲などが見つかりましたが、残りはまだ海底に沈んだままだそうです
個人を特定する写真は撮影禁止ですが
たくさんの海軍の方の顔写真が出てましたが
どなたも若い方ばかりです。20代ばかりです。
大正生まれの若き青年ばかりです。
出身地も出てましたがあらゆる地方の方々です。
実に勿体ない。「お国のため」」という名目で何も解らぬまま海の底だったんですね。
宇和島・鹿児島の知覧・そして沖縄 旅先で戦争記念館によく行きますが
なんだろう? いつも怒りが込み上がります。
誰に?
戦争に?
当時の幹部に?
米中が妙な方向に行かなければよいのだが・・・