日曜日のことです。
兄の初盆のお参りに行って、両家の墓参りをして、両方の実家にも行って
これだけでも目が回りそうなスケジュールでしたけど
これはその前の話です。
毎度のことながら、出かけると言ったら朝早いのはまったく苦ではない夫と
どうせ乗ったら横で寝るんだから何時だっていいやって開き直っている私
今回は3時起き、4時出発でした。
連休の中日だし、雨だし、風だし、道路はガラガラ
途中、沼津、清水SAに寄ったにもかかわらず、実家に着いたのは6時半過ぎ
義姉はもうちゃんと着替えて待っていてくれました。
もちろん私たちは何時に着くなんてことは言ってませんが
私なら、まだ寝てるか、起きたとしてもパジャマ姿だろうな
予定は、ここで自転車を組み立てて旧東海道を走ろうってことでした。
なのに、さっきから雨が降ったりやんだり
目的地は大井川にかかる蓬莱橋
一度も行ったことが無いからどうしても行きたいと夫
私は中3の遠足で行きましたよ
もう49年前の話
川があって山があって橋があってあとはな~んにもないところでした。
でも地図を見ると、なにやらやたらに建造物が
そりゃそうよね、50年近くたって何も変わってないわけがない。
しかたがないから車で行きましょうかってことになったのですが
とりあえず、国道1号線沿いの道の駅”宇津ノ谷峠”まで行ってみて様子を見ようということに
なりました。
道の駅までは実家から約9km地点、もっと遠いと思ってたのに案外近いのね。
朝ご飯がまだだったので、こちらで朝定食を食べて、私がのんびり食べている間に
自転車の組み立てが終わってました。
こういう時は感謝ですね。こういう時は・・
どこまで走れるかわからないけどせっかくここまで来たんだから・・
初、宇津ノ谷峠挑戦です
顔もわからないし、ちびデブは今始まったことではないから思い切って
これでも精一杯思い切ったんだぞ~(笑)
向かって左の道を進みます。
まるでタイムスリップしたような街並みは時代劇のロケに使われたり
旅番組でちょくちょく見かける風景です。
頑張って登りました。
この先には
明治トンネル・・・一人では怖くて通れそうもないです。
昔の人は偉かったなあ 電気が付いてたって怖いのに、
真っ暗な道に提灯のぼんやりした灯りだけでしょう。
この間も時折雨が、それでもまだ走れないほどではなかったので進みました。
峠だからもっとすごい道を想像してたけど、案外楽で拍子抜け
下れば岡部町です。
今は藤枝市岡部町になりましたが、知る人ぞ知る、あの”中山雅史選手”
?な方には”中山ゴン選手”ならわかるでしょうか、彼の故郷です。
奥の黒っぽい建物が実家です。
W杯アメリカ大会の予選の時は盛り上がりましたね
そうです。あの”ドーハの悲劇”の時ですよ。
岡部町は宿場町
旅籠だった『柏屋(かしばや)』が保存されています。
この時点でまだ9時前、見学は9時から、残念でしたけど、帰りに寄れたらと
先に進みましたが・・・
このころから時折激しい雨に襲われ、立ち止まっては雨宿り、少しでも上がると進むを
繰り返してここまで来ました。
道の駅からまだ7kmくらい
突然前が見えないくらい降ってきた
たまたま貸店舗があって軒下に逃げ込むことができたのはラッキーでしたが
しばらく待ったけど雨足が弱まるどころかますます強くなって・・結局ここで断念しました。
いつまでまってもやむ気配がないので、やむをえず、小降りになった時思い切って出発
もうこうなったら少しくらい濡れるのは覚悟です。
とりあえず、濡れたら困るもの、カメラ&携帯、この二つは守らなければとしっかり対処して
あとは野となれ山となれ~
たいした距離じゃない、走れ~~~
行きの山道は避け、長い宇津ノ谷トンネルを走ります。
幸いなことに、割と幅の広い歩道にはしっかりしたガードレールがあるので
トンネル内はかえって安全、雨も避けられますしね。
再び道の駅に着いたころ・・あれええええ なんだかさっきと違う空の色が出てきたわよ。
まだ少しポツポツ来てるけど、しっかり青空が見えてきた
「まったくね、待つってことができないからこういうことになるのよ
私ならもう少し辛抱したけどね」なんて
嫌みたっぷり言ってやったけど、本人も大分悔やんでましたから可哀そうだったかな
自然のことはわかりませんから・・・
どっちにしても実家から走ることができなかったんだから同じこと
次回リベンジということで
ドロドロの自転車を積み込み、着替えもして、やむをえなく車で行くことにしました。
岡部宿、藤枝宿を過ぎれば、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」の手前
”島田宿”です。
こちらもまたいにしえの面影残る街道があり、
こちらの建物は大井川の渡しを管理する事務所のような場所
川の深さによって(水量によって)値段が代わり、一番安いのは肩車ですが
不安定ですよね。
安心して渡るためにはこのような道具を使って、何人かの男衆を頼むしかない
<川を渡るのも金次第>
こんな大変な思いをするくらいなら橋を作ればよかったのに、政治的な思惑があったんでしょうね。
サイトを探したらおもしろい記述が見つかりました。
この本読んでみたくなりました。
こんなページもありました。
いつから歴史ブログになったんだ・・っていうくらい勉強になりましたか?
そして最終目的地のこちら、蓬莱橋に到着しました。
この橋は木造としては世界最長の橋で、897.422mありますが、見た目かなり長い
そこで、歩行困難者の私のためにやさしい夫が、再び自転車を組み立て、
通行料100円を支払い出発
私は全く平気なんですけど、高所恐怖症の夫は、おまけのように付いている橋の欄干にビビっています。
幅2.7mの橋の端は通れないのです。
脚の悪そうな年配の女性が何人か歩いてましたけど、偉いというか、無理しないでというか
ご苦労様です。
49年ぶりの橋は、風景も変わって、空気も変わって、時の長さを感じさせてくれましたが
ここには思い出があります。
ここに遠足と決まった時、兄にカメラを貸してくれるよう依頼してました。
兄はなんでも新しもん好きで、当時発売されたばかりの、Canonのハーフカメラ”Canon Demi”
今思うとよく貸してくれたなって、思うけど
嬉しくて・・
なんと人生最初に撮った写真がここ蓬莱橋なんです。
その兄というのが、今回初盆で仏様になってしまった3番目の兄、私とは7歳違いです。
もちろん、義姉や家族にもこの話はしました。
偶然と言えば偶然ですが、兄が誘ってくれたみたいで、なんだか嬉しくなりました。
<早起きは三文の徳>といいますが、こんなことでこの日は1日が長かった。
1年に何回かこんな日、いいかもしれません。
いつになるかわからないけど、もう一度、今度はしっかりお天気に合わせて
挑戦したいと思います。
走行距離は15.99km ちゃんと走れたら約60km 家から大磯往復くらい
覚悟のいらない距離ですものね。
追加の映像
帰り道、雲が突然切れて、ほんの数秒、夏富士が顔を見せてくれました。
兄の初盆のお参りに行って、両家の墓参りをして、両方の実家にも行って
これだけでも目が回りそうなスケジュールでしたけど
これはその前の話です。
毎度のことながら、出かけると言ったら朝早いのはまったく苦ではない夫と
どうせ乗ったら横で寝るんだから何時だっていいやって開き直っている私
今回は3時起き、4時出発でした。
連休の中日だし、雨だし、風だし、道路はガラガラ
途中、沼津、清水SAに寄ったにもかかわらず、実家に着いたのは6時半過ぎ
義姉はもうちゃんと着替えて待っていてくれました。
もちろん私たちは何時に着くなんてことは言ってませんが
私なら、まだ寝てるか、起きたとしてもパジャマ姿だろうな
予定は、ここで自転車を組み立てて旧東海道を走ろうってことでした。
なのに、さっきから雨が降ったりやんだり
目的地は大井川にかかる蓬莱橋
一度も行ったことが無いからどうしても行きたいと夫
私は中3の遠足で行きましたよ
もう49年前の話
川があって山があって橋があってあとはな~んにもないところでした。
でも地図を見ると、なにやらやたらに建造物が
そりゃそうよね、50年近くたって何も変わってないわけがない。
しかたがないから車で行きましょうかってことになったのですが
とりあえず、国道1号線沿いの道の駅”宇津ノ谷峠”まで行ってみて様子を見ようということに
なりました。
道の駅までは実家から約9km地点、もっと遠いと思ってたのに案外近いのね。
朝ご飯がまだだったので、こちらで朝定食を食べて、私がのんびり食べている間に
自転車の組み立てが終わってました。
こういう時は感謝ですね。こういう時は・・
どこまで走れるかわからないけどせっかくここまで来たんだから・・
初、宇津ノ谷峠挑戦です
顔もわからないし、ちびデブは今始まったことではないから思い切って
これでも精一杯思い切ったんだぞ~(笑)
向かって左の道を進みます。
まるでタイムスリップしたような街並みは時代劇のロケに使われたり
旅番組でちょくちょく見かける風景です。
頑張って登りました。
この先には
明治トンネル・・・一人では怖くて通れそうもないです。
昔の人は偉かったなあ 電気が付いてたって怖いのに、
真っ暗な道に提灯のぼんやりした灯りだけでしょう。
この間も時折雨が、それでもまだ走れないほどではなかったので進みました。
峠だからもっとすごい道を想像してたけど、案外楽で拍子抜け
下れば岡部町です。
今は藤枝市岡部町になりましたが、知る人ぞ知る、あの”中山雅史選手”
?な方には”中山ゴン選手”ならわかるでしょうか、彼の故郷です。
奥の黒っぽい建物が実家です。
W杯アメリカ大会の予選の時は盛り上がりましたね
そうです。あの”ドーハの悲劇”の時ですよ。
岡部町は宿場町
旅籠だった『柏屋(かしばや)』が保存されています。
この時点でまだ9時前、見学は9時から、残念でしたけど、帰りに寄れたらと
先に進みましたが・・・
このころから時折激しい雨に襲われ、立ち止まっては雨宿り、少しでも上がると進むを
繰り返してここまで来ました。
道の駅からまだ7kmくらい
突然前が見えないくらい降ってきた
たまたま貸店舗があって軒下に逃げ込むことができたのはラッキーでしたが
しばらく待ったけど雨足が弱まるどころかますます強くなって・・結局ここで断念しました。
いつまでまってもやむ気配がないので、やむをえず、小降りになった時思い切って出発
もうこうなったら少しくらい濡れるのは覚悟です。
とりあえず、濡れたら困るもの、カメラ&携帯、この二つは守らなければとしっかり対処して
あとは野となれ山となれ~
たいした距離じゃない、走れ~~~
行きの山道は避け、長い宇津ノ谷トンネルを走ります。
幸いなことに、割と幅の広い歩道にはしっかりしたガードレールがあるので
トンネル内はかえって安全、雨も避けられますしね。
再び道の駅に着いたころ・・あれええええ なんだかさっきと違う空の色が出てきたわよ。
まだ少しポツポツ来てるけど、しっかり青空が見えてきた
「まったくね、待つってことができないからこういうことになるのよ
私ならもう少し辛抱したけどね」なんて
嫌みたっぷり言ってやったけど、本人も大分悔やんでましたから可哀そうだったかな
自然のことはわかりませんから・・・
どっちにしても実家から走ることができなかったんだから同じこと
次回リベンジということで
ドロドロの自転車を積み込み、着替えもして、やむをえなく車で行くことにしました。
岡部宿、藤枝宿を過ぎれば、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」の手前
”島田宿”です。
こちらもまたいにしえの面影残る街道があり、
こちらの建物は大井川の渡しを管理する事務所のような場所
川の深さによって(水量によって)値段が代わり、一番安いのは肩車ですが
不安定ですよね。
安心して渡るためにはこのような道具を使って、何人かの男衆を頼むしかない
<川を渡るのも金次第>
こんな大変な思いをするくらいなら橋を作ればよかったのに、政治的な思惑があったんでしょうね。
サイトを探したらおもしろい記述が見つかりました。
この本読んでみたくなりました。
こんなページもありました。
いつから歴史ブログになったんだ・・っていうくらい勉強になりましたか?
そして最終目的地のこちら、蓬莱橋に到着しました。
この橋は木造としては世界最長の橋で、897.422mありますが、見た目かなり長い
そこで、歩行困難者の私のためにやさしい夫が、再び自転車を組み立て、
通行料100円を支払い出発
私は全く平気なんですけど、高所恐怖症の夫は、おまけのように付いている橋の欄干にビビっています。
幅2.7mの橋の端は通れないのです。
脚の悪そうな年配の女性が何人か歩いてましたけど、偉いというか、無理しないでというか
ご苦労様です。
49年ぶりの橋は、風景も変わって、空気も変わって、時の長さを感じさせてくれましたが
ここには思い出があります。
ここに遠足と決まった時、兄にカメラを貸してくれるよう依頼してました。
兄はなんでも新しもん好きで、当時発売されたばかりの、Canonのハーフカメラ”Canon Demi”
今思うとよく貸してくれたなって、思うけど
嬉しくて・・
なんと人生最初に撮った写真がここ蓬莱橋なんです。
その兄というのが、今回初盆で仏様になってしまった3番目の兄、私とは7歳違いです。
もちろん、義姉や家族にもこの話はしました。
偶然と言えば偶然ですが、兄が誘ってくれたみたいで、なんだか嬉しくなりました。
<早起きは三文の徳>といいますが、こんなことでこの日は1日が長かった。
1年に何回かこんな日、いいかもしれません。
いつになるかわからないけど、もう一度、今度はしっかりお天気に合わせて
挑戦したいと思います。
走行距離は15.99km ちゃんと走れたら約60km 家から大磯往復くらい
覚悟のいらない距離ですものね。
追加の映像
帰り道、雲が突然切れて、ほんの数秒、夏富士が顔を見せてくれました。
この時期、お天気だけは気まぐれで。
それでも行った甲斐がありましたね。
お兄さんとの思い出も甦り、
また、来る場所が出来ました。
ですか。
その体力、気力にです。
なんだかんだ言ってもkobaさん夫婦に負けず劣らずの良いご夫婦だな~って思いましたよ。
それに亡きお兄さんとの思い出やご縁のある橋のお話等お天気は今ひとつだったけど
良いお里帰りでしたね。
ところで、あのゴン中山選手のお父さんが有名人で静岡のTVによく出てたと浜松に居た長男が
言ってましたよ。
ずっとバスに乗っていたから往復歩くのは気持ちがよかったわ。
時間が少なくて向こう岸の山の中の公園をすこしだけ散策して戻りましたが
ワンちゃんも元気に歩いていました。
足に自信のない方は半分で引き返していましたが
今なら私もそうかも・・・
今の時期は暑くて大変!!っていつも思い、
さくらえびさんもきっと、なんて母娘で
眺めていることがありますが、
読み進めるうちに、ロードバイクならではの
風景の見え方がわかるような気がしてきました。
車では走り去ってしまうその土地の
空気や景色、歩いてはとてもとてもの
行動力、なかなか魅力がありそうです。
しかも車に積んで走れる!!
若かったら~とまではいきませんが、
魅力満載の乗り物と思い始めています。
ご夫婦で思い出を重ねる幸せ!の乗り物、
健康で長く続けてほしいわ~!!と
改めて応援させていただくわ。
私たちは少し上等な普通の自転車を
車の屋根に乗せて走っていましたが…、
主人はその姿が好きではなかった
ようで、機会があまりなかったのが、
今になっては残念に思えます。
でしたか、途中雨になってしまい
目的地は残念でしたね。
それにしましてもいつもながら
感動します。、
還暦すぎて雨の中疾走する
ご夫婦の姿すごいの一言です。
誰も真似のできない素晴らしい人生
歩んでいらっしゃると思います。
途中から車でいったんですよね。
橋を渡るためにまた自転車組み立てて
くれたんですか?
そうだとしたら、自己中どころか
優しすぎるくらい、
リンクの部分たのしく読ませていただきました。当時も現在とかわらずいろいろな
おもわくが渦まいていたんですね。
それは国道の方で、旧道は初めてでした。
以前から1度走ってみたいと思っていたところだったので
楽しみにしていたのに残念
でも道はなくなりませんから次回また
必ずリベンジしたいと思います。
もっとかっこよかったら大きな写真にするんだけど・・
でもありがとう
観光ツアーに行っても、多分皆さんには
ついていけないと思うのでこれが一番なのよ。
ゴンちゃんのお父さん『中山儀助さん』ね。
昔、実家からサイン色紙もらたんだけど
<ゴン父 中山儀助>って書いてありました。
いつの間にかどこかに行ってしまったけど
しばらく有名人でしたね。
まだお元気だと思いますよ
バスツアーがあるんだ、橋以外何もないから
ビックリしたでしょう?
まだまだ日本にはこんな場所がいっぱいあります。
自転車はありがたかったわ~
若い皆さんのようにかっこ良く走るなんてことは
できませんが、とにかく楽しいです。
以前、江の島の帰りにも、今回よりもっと
どしゃぶりに遭いましたが、開き直ると
これがまた面白くて・・
いつまで乗れるでしょうか。
1日でも長く、健康が第一ですね
後輪に泥除けが付いてませんから
お尻から背中まで水しぶきが上がって
もう下着までぐっしょり
高校時代、部活で雨の中でもやっていた経験から
雨に濡れることはあまり気にならないのです。
寒い時期なら困りますが、特に夏は
後でシャワー浴びればいいんだ、なんて
楽しんでしまってます。
夫ですか?
そうですね、自転車の時はいい人になりますよ(笑)
私も「自転車に乗れないなら用はない」なんて
冷たいことを言うので
もしかしたら、私がもっと優しくなれば
kobaさんご夫婦に近づけるのかもしれませんね