横浜港に停泊中の大型豪華客船しかり、武漢からの帰国者しかり
ご本人たちにしたら<私たちが一体何をしたっていうの?>と自問自答している方もいらっしゃるのでは
と、思います。
普通に入院生活だってうんざりなのに、健康で隔離されている
これはもう、相当のストレスと苦痛を伴うと思います。
よほど強靭な精神の持ち主じゃないととても耐えられないのではと
テレビの映像を見てはため息が出るのです。
”感染隔離”といえば、経験者なんですよ。
小学6年生の時です。
学校給食から赤痢菌が出たということで全校児童に検査が行われ
相当数の児童が菌保有者と認定されたのです。
私もその中の一人でした。
体に何の変化もなく、いわゆる健康保菌者ということでしたが
突然市立病院に隔離されたのです。
もう60年ほど前の話ですのでうろ覚えの部分が多いけど
一部屋に7,8人くらいだったでしょうか
幼い1年生から6年生まで、ランダムに同室となり入院生活が始まりました。
夜になると、低学年の子供たちがひとり、ふたりと泣き出します。
それはそうでしょう、生まれて初めて親元を離れた子もいたはず、
今でも思い出すのは、その子たちが不憫でならないと感じたことです。
もしかしたら高学年でも泣きたい子はいたかもしれません。
でも、低学年の子たちの前で泣くわけにはいかないと思っていたかもしれません。
どのくらいの期間入院していたかは覚えていませんが
全員体に異変はありませんから、不自由この上ない生活はストレスがたまるだけだったのでしょう
細かいことは全く覚えていませんが、病院が駿府城址の中にあったことで
周りはお堀があり、ある日、そのお堀の向こう側で手を振る親の姿がありました。
家の親はそれどころではなかったから来ることはなかったけど
それは大変だったようです。
前にも書きましたが、実家は100年以上続いた豆腐屋です。
硬く言えば食品製造業です。
末っ子娘が保菌者になってしまったおかげで、保健所が入り営業停止になり
心労から当時生まれたばかりの姪に母乳を飲ませていた義姉は母乳が止まってしまい
乳腺炎にかかり手術、留守の間に大変なことが起きていたのです。
私のせいじゃないよ、と思いつつ申し訳なかったと子供心に傷ついたものです。
今思うと幸いだったのは、退院後初登校した時、同級生から奇異の目で見られることもなく
いじめなどが全くなかったことです。
学校側の対応がよかったのかもしれませんね。
コロナウイルスで感染もしてないのに中国から帰国したというだけでいじめに遭ったという
ニュースを聞きました。
なんて嫌な時代なんでしょう。
たった今、臨時ニュースでクルーズ船から新たに41名の感染者が出たとありました。
大変なことですね。
感染しただけでも辛いのに、それに伴って社会から白い目で見られることなど
あってはならないことです。
1日も早く終息の日が来ますよう願うことしかできませんが、
隔離されている方々にもエールを送りたいと思います。
話は変わって、手根管の報告です。
昨夜もしびれは出ませんでした。
それでもまだ予断を許さない状況であることは確かです。
ご本人たちにしたら<私たちが一体何をしたっていうの?>と自問自答している方もいらっしゃるのでは
と、思います。
普通に入院生活だってうんざりなのに、健康で隔離されている
これはもう、相当のストレスと苦痛を伴うと思います。
よほど強靭な精神の持ち主じゃないととても耐えられないのではと
テレビの映像を見てはため息が出るのです。
”感染隔離”といえば、経験者なんですよ。
小学6年生の時です。
学校給食から赤痢菌が出たということで全校児童に検査が行われ
相当数の児童が菌保有者と認定されたのです。
私もその中の一人でした。
体に何の変化もなく、いわゆる健康保菌者ということでしたが
突然市立病院に隔離されたのです。
もう60年ほど前の話ですのでうろ覚えの部分が多いけど
一部屋に7,8人くらいだったでしょうか
幼い1年生から6年生まで、ランダムに同室となり入院生活が始まりました。
夜になると、低学年の子供たちがひとり、ふたりと泣き出します。
それはそうでしょう、生まれて初めて親元を離れた子もいたはず、
今でも思い出すのは、その子たちが不憫でならないと感じたことです。
もしかしたら高学年でも泣きたい子はいたかもしれません。
でも、低学年の子たちの前で泣くわけにはいかないと思っていたかもしれません。
どのくらいの期間入院していたかは覚えていませんが
全員体に異変はありませんから、不自由この上ない生活はストレスがたまるだけだったのでしょう
細かいことは全く覚えていませんが、病院が駿府城址の中にあったことで
周りはお堀があり、ある日、そのお堀の向こう側で手を振る親の姿がありました。
家の親はそれどころではなかったから来ることはなかったけど
それは大変だったようです。
前にも書きましたが、実家は100年以上続いた豆腐屋です。
硬く言えば食品製造業です。
末っ子娘が保菌者になってしまったおかげで、保健所が入り営業停止になり
心労から当時生まれたばかりの姪に母乳を飲ませていた義姉は母乳が止まってしまい
乳腺炎にかかり手術、留守の間に大変なことが起きていたのです。
私のせいじゃないよ、と思いつつ申し訳なかったと子供心に傷ついたものです。
今思うと幸いだったのは、退院後初登校した時、同級生から奇異の目で見られることもなく
いじめなどが全くなかったことです。
学校側の対応がよかったのかもしれませんね。
コロナウイルスで感染もしてないのに中国から帰国したというだけでいじめに遭ったという
ニュースを聞きました。
なんて嫌な時代なんでしょう。
たった今、臨時ニュースでクルーズ船から新たに41名の感染者が出たとありました。
大変なことですね。
感染しただけでも辛いのに、それに伴って社会から白い目で見られることなど
あってはならないことです。
1日も早く終息の日が来ますよう願うことしかできませんが、
隔離されている方々にもエールを送りたいと思います。
話は変わって、手根管の報告です。
昨夜もしびれは出ませんでした。
それでもまだ予断を許さない状況であることは確かです。