シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

生神女進堂祭

2006-12-03 22:12:08 | 正教会及び宗教全般
カトリックでは聖マリアの奉献(11月21日)。
本当は明日だけど釧路教会では日曜日に繰り上げてお祝いした。
このへんの記述は聖書にはなくて、ヤコブ原福音書と聖伝と呼ばれる伝承に基づいている。
3歳になったマリヤは、イオアキムとアンナによって神殿に捧げられる。
「授かった子供は神に捧げる」という約束を果たすためだった。
2歳のとき、イオアキムが「請願を果たすため、この子を主の神殿に連れて行こう」と言うと、アンナは「父さん母さんを恋しがらないように、もう一年待ちましょう」と答えた。
というか、自分が手放したくないよねえ。
やっとやっと、授かった自分の子供なんだもの。
アブラハムとイサアクの話なんかもそうだけど、いや何つーか、この人たち神様への信頼厚杉。
うちはケコン10年にして小梨だけど、やっとこ子供が出来てそれ捧げれって言われたら、ハイ喜んで~!ってわけには到底いかんと思うから…
さて3歳になって、マリヤは神殿に行き、大喜びで神殿にとどまったので両親は驚きまた神を讃美しながら帰っていった。
寂しくもあったよね、たぶん。きっと。
断ちがたい思いを断ち切って、神のために。
神への契約の供え物として。
この祭日は、普通おにゃのこが入ってはいけない至聖所にはいれたとか将来のマリヤご自身が生ける神の神殿となったとか、そういうもっと他のことを思い起こすためにあるんだと思うんだけど、今回はちょっとイオアキムとアンナな視点でということで。