シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

合唱とあてくし(後編)

2006-06-21 16:57:11 | 音楽(主に合唱)
前編を書いてから、いったい誰の演奏会だったんだろう?と気になってぐぐったりしてみたが、誰だかわからない。
なんか気さくそうな外国人のオサーンだったのしか覚えておらん。
オサーンよ、すまぬ。きっと名のある方であろうに…

で、申し込み用紙はあったけど、事前になんか、手続きがいるのかと思って入会希望のお手紙を出した。
しばらくしてから電話をしたら(たぶん声からするとI田さんだと思う)オーディションのようなものはありませんので練習初日にいらしていただければいいですよ~と明るく言われてホッとした。
いや実際、入ってみたらホッとしてなんぞいられなかったわけだが。

だって。

恐かったんだもん、マエストロ郡司。

私が入った頃はもうそれほどでもなかったようで、昔はこんなもんじゃなかった、と古参のかたによく言われたが、いや、これで優しくなったほうって、昔はどんだけ凄かったんだってのヒィー(((゜Д゜)))ガタガタ
私はひっぱたかれたことはないけど、指揮棒とか楽譜でひっぱたかれたり(ひっぱたいたはずみで指揮棒が折れて「折れたじゃないかぁっ!!」と怒り倍増だったこともあった。いやオマイがひっぱたいたから折れたんであって…休憩後、セロテープでぐるぐる巻きになった指揮棒は団員の笑いを誘っていたようだが私にはそんな余裕はとてもなかった)本番近いのに、本番出るな(・∀・)カエレ!!と言われたりするから、一瞬たりとも気が抜けなかった。
特に指揮の方を見ないとテッテ的に怒った。だから、曲や詞を覚えていようがいまいが必死で指揮者を見た。
出来てないフレーズを一人一人チェックされる順番がジワジワ迫ってくるともう口から心臓が出そうだった。
あまりにおびえた顔をしていたためか、私は順番を飛ばされることが多かったが、だからといって恐怖が減ったわけではなかった。
それでも口のあけ方や姿勢、表現方法などいろいろためになるなーと思ってビクつきながらも練習に通った。
マニフィカト
バッハ・コレギウム・ジャパン, ペーション(ミア), 野々下由香里, 太刀川昭, テュルク(ゲルト), 浦野智行, クーナウ, 鈴木雅明, ゼレンカ, バッハ
キングインターナショナル

このアイテムの詳細を見る

初めてステージにのったのは、バッハ「マニフィカート」モーツァルト「レクイエム(ドゥリュース版)」1994年12月12日。
当初バッハはマエストロ郡司が振って、レクイエムはウーヴェ・グロノスタイの予定だったが体調不良で来日不可ということで結局マエストロが両方振った。
そのことが、この合唱団にい続けるか今回限りかの分かれ目になったように思う。
レクイエムを振り終わった時、マエストロは上半身を屈めたままの姿勢で、いっとき微動だもしなかった。
感動を、体全体で味わっているかのようだった。あるいは、湧き上がる感動を押しとどめていたのか?
ともかくそうやって立ち尽くすマエストロを見ていたら、ああ、もう踏まれても蹴られても絶対この人についていく!!という気持ちに怒涛の如く襲われた。
Mモード全開、どうみても洗脳完了です。本当にあり(ry

その後相変わらずおびえつつではあったが、何年かいさせてもらい、色々な曲を歌った。
宗教曲を歌うときの心構えのようなものも教えてもらった。
合唱は指揮者の要求に応えるために、どんな音でも出せるようにしておかないといけないんだなあということも実感した。
いつの間にか、誰が振っていようと指揮者をガッツリ見ながら歌うようになっていた。
これ、釧路に来てから自分でも振るようになってあらためてわかったんだけど、すごい大事なことなんだよね。
そのことを体で覚えさせてくれたマエストロには本当に感謝している。

ちなみに、どんだけ恐いかということは小説にもなっている
(賞までとっている)。
全文はこちらで↓ 郡司博先生ご本人のサイトです。
http://gunji-hiroshi.com/angel/angel-hiroshi.html