「童名(わらびなー)」って聞いたことはありますか? 日本語では「童名(わらべな)」と言います。うちなぁぐちでも、日本語でも、両方とも「元服以前の幼名」と辞典に載っていました。
はい、それでは「元服(げんぷく)」って何?という疑問がわきますね、それに答えましょう。
うちなぁぐちでは「じんぶく(元服)」と発音し、「15歳に大人になる儀式をする」ことをいいます。
その儀式は、「1879年(明治12年)」の沖縄県設置以前、琉球王国時代に行われていました。しかし、明治の中ごろまでその風習を守っていた家庭もあるようです。
さて、そうは言っても、「元服」の儀式が出来たのは、「大名(でーみよー)」と、その下の身分に当たる「士(さむれー)」の子供たちのみで、「士(さむれー)」の子供たちは、「元服」ではなく「欹髻結い(かたかしらゆーい)」と呼んでいたようです。
一番下の「百姓(ひゃくしょー)」ですが、特に15歳になったから何かをするという儀式はなかったようです。
ここで、「わらびなー」を理解してもらうために、琉球王国時代の三つの身分のことについて少しふれておきます。
一つは「大名(でーみょー)」。つまり貴族(きぞく)のことです。王様のすぐ下の階級で琉球王国の中枢にいた人々。
二つは「士(さむれー)」。これは士族(しぞく)のことです。貴族の下の位です。
三つは「百姓(ひゃくしょー)」。平民(へいみん)のことです。
さて、「わらびなー」は貴族、士族ともに元服をすると正式に名前を頂くので、文字通り「童名(わらびなー)」となり、身内などの他には呼ばれなくなったようです。しかし、一番下の位である「百姓(ひゃくしょー)」は、特別な職についた者以外、正式な名前というものはなく、死ぬまでずっと「わらびなー」で呼ばれたようです。
「わらびなー」は、上は王様から、下は平民まで、皆、生まれるとすぐに名付けられたようです。
では、代表的な「わらびなー」を少し紹介しましょう。
上に述べたように、琉球王国時代は三つの身分に分かれていましたが、その三つの身分によって名前も変わって来ます。
まずは、「大名(でーみょー)」の男子の「わらびなー」から。
「樽金(たるがにー)」という名があります。「樽」は日本名「太郎」から来ているようです。
「士(さむれー)」には「樽(たるー)」という名があります。
「百姓(ひゃくしょー)」には「太良(たらー)」という名があります。これも日本名「太郎」から来ているのですが、百姓は「樽」という漢字は使わず「太良」という字をあてるようです。また、「さむれー」は語尾を「るー」と発音しますが、百姓は「らー」と発音します。
「大名(でーみょー)」の女子には「真鶴(まぢるー)」という名があります。これも日本の女子名「鶴」から来ているようです。
「士(さむれー)」の女子には「鶴(ちるー)」という名があります。
「百姓(ひゃくしょー)」の女子には「ちらー」という名があります。
これらは、国立国語研究所編「沖縄語辞典」によるものですが、「さむれー」の身分でも「樽金(たるがにー)」、「真鶴(まぢるー)」という名前も存在し、また、「でーみょー」には「思太郎金(うみたるがにー)」、「真鶴金(まぢるがにー)」などの「わらびなー」も普通にあります。色々と文献を調べてみましたが、「でーみょー」と「さむれー」の「わらびなー」の区別があいまいなんですよ。ですから、皆さん自身の親や、祖父母の「わらびなー」を調べてみたら面白いと思います。
※写真について
(上)
ここが、私の家です、皆さん遊びに来て下さいね(笑)なーんて言えたら良いのですが、ここは本部の海洋博記念公園内にある「おきなわ郷土村」。そのなかにある昔のうちなぁ家屋を復元したものです。すべて無料で見れるんですよ。しかし、土曜日だというのにほとんど誰もいません。みんな、「ちゅら海水族館」にしか行かないようです。もったいない。ここが、本当のうちなぁなのに。
(下)
こういう、うちなぁ家屋に住むことができたら、嬉しくて、毎日こうやって笑っているかも。
text:比嘉光龍
ちょうど、「真鶴金」の読み方が知りたくて、どこを調べても載っていなくて、どうしようかと悩んでいたところ、こちらで答えがみつかりました!!!ほんと助かりました♪
「章氏思真鶴金」の読み方なんですけど、「しょうし・うみまぢるがにー」と読めばいいのでしょうか。書かれていらした記事をヒントに応用してみました。
感謝感謝です<(_ _)>
沖縄は小さい頃に一回行ったことがあるだけなんですが、大人になった今、とっても行ってみたいと思っています。歴史大好きなので、琉球王国の跡をたどってみたいです。
ん―…
非常に複雑ですね
しかしこれが琉球王国
だと思わされますね!
ぬーがな..
しからーさいびんやー…。