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紅茶の島のものがたり vol.10 冨井穣

2009年06月05日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第10話


試行錯誤の日々





 山城にとって国立茶業試験場のカリキュラムは、やや肩すかし気味だったと言えるだろう。茶園での実習も教室での講義も、内容はほとんど知っていることばかり。7月に講義が始まるころにはもう、入学時にもらった教科書をすべて読み終えていた。

 そこでまず山城が取った行動は、周囲の茶農家でのアルバイトだった。研修生は原則としてアルバイトを禁止されていたが、例外的に茶関係企業など研修上支障のない仕事であれば認められていたため、授業が終わるとすぐ仕事に出かけていった。
「いろいろな茶農家のやり方を学んでおきたかった。ここは日本一の茶産地です。農家の数だけお茶の生産方法は違うわけだから、これ以上生きた教材はありません」

 しかも茶摘みの最盛期となれば、摘んだ生葉は製茶工場で少しでも早く加工しなければならないため、どこの茶農家も連日夜通しで作業を行うほど忙しい。山城はこれまでの経験から、製茶機の使い方も手作業での加工方法もひと通りマスターしていたので、あちこちの農家から声がかかり製茶工場を「はしご」して朝まで過ごしたという。

 こうした山城のどん欲な姿勢は、研修生の範たるものとして称賛に値するかもしれないが、問題となったのは授業のボイコットという「悪癖」だった。
 例えば講義中、これ以上聞いても仕方がないと判断すると、ふらっと席を立っていなくなる。資料室にこもって研究論文をあさることもあれば、アルバイトへ出かけることもある。時には三重県津市の国立茶業試験場本部(現・野菜茶業研究所安濃本所)へ出向いて、研究員と茶の栽培方法について相談したこともある。

 見かねた試験場の職員が山城を呼び出し、研修生らしく振る舞うよう厳重注意したところ、
「それなら退学処分にしていただいて結構です。その代わり、施設見学者として毎日資料室に来ますので」
 と返したというから面白い(茶業試験場は一般開放されており施設内を見学できる)。茶業をやりたくて高校を中退してしまうほど一本気な性格は、そう簡単に直るものではなかった。
 さて、そのように問題児扱いされながらも山城は自分なりに研究を進めていたが、知れば知るほど沖縄の問題点が浮き彫りになっていった。

 その最たる原因は、やはり気候だった。緑茶のうま味のもとであるアミノ酸は、紫外線に当たるとタンニンと呼ばれる渋み成分に変化しやすくなるため、日差しの強い沖縄では渋い緑茶ができやすいことは前に述べた通りである。また、
「緑茶は基本的に機械で収穫します。機械摘みでは一定の高さに沿って刈り取っていくので、新芽の位置がそろっていたほうが全体的に良質な茶葉を収穫できることになります。その点静岡では、冬の気温がグッと下がってお茶の芽の成長がいったん止まり、春になって気温が上がると今度は一斉にそろって芽が吹き出すので、新芽の高さをほぼそろえた状態で生育することができるんです。また休眠期間があるということは、その間に栄養分を根から吸収して蓄えておけることにもつながります。しかし沖縄では冬の気温が高いため、芽の成長が止まるものもあれば止まらないものもあり、翌春の新芽の出方がどうしてもまばらになってしまうんです。そのため機械で収穫すると、成長の早い芽と遅い芽を同時に摘んでしまい、品質にもばらつきが出てきてしまいます。また休眠しない芽は冬に必要な栄養分を蓄えておくことができないので、そのぶん良い芽を育てることが難しくなります」

 それでは、静岡ではなく鹿児島の栽培方法に倣ってみたらどうだろうか。鹿児島は気候的に沖縄に最も近いにもかかわらず、静岡に次ぐ一大茶産地になっている。
「もちろん沖縄でも、一番近い鹿児島県の研究データを参考にしながら栽培に取り組んでいます。しかし、どうしても同じようには育ちません。鹿児島県にある枕崎茶業試験場の研究官に何度も試験してもらっていますが、思うようにいってないのが現状です」
 そこで山城は、これらの問題を収穫後の加工技術でカバーしようといろいろな方策を試してみたが、導き出された結論は「No」だった。


※写真上:国立茶業試験場近くにはSLで有名な大井川鉄道が運行。SLが茶畑の中を走り抜ける光景はとても牧歌的
※写真下:手もみ製茶の研修風景。一人前の茶師になるには最低でも栽培10年・製造10年が必要と言われるほど高度な技術がいる((独)農研機構野菜茶業研究所提供)



text:富井穣



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