社長の柳井正さんの実家、山口県で紳士服のお店を営んでおられました
仕入先に、売値を自分の思い通りにしようとして、出入り禁止に
思い通りの値段を付けるには、自分で作るしかない
ここから、自社の製品を作り始めるが、中々安くて良いのが出来ない
すぐボタンが取れる、ほつれる、縫製が悪いなど、苦情がいっぱい
これを逆手にとって、100万円の賞金をつけて
苦情の募集をして、その内容を分析して、製造に役立てることを考える
低価格でも高品質の物を作るべく、上海へ指導に行く出口靖さん
自分も出来るわけではないが、現地の女工さん達と話し合いながら模索する
やっと出来たフリーズ、軽くて、暖かく、洗濯が家で出来る防寒着
このフリーズがユニクロの顔となる
成功するには、関東へ。千葉で関東一番店を出すが不振
1998年、80%は自社製品になるが「安かろう悪かろう」のイメージが強く
ユニクロ=ユニバレ と言う事でユニクロのタグを剥がされるようになる
このイメージを払拭するような努力があったのでしょう
柳井社長の夢であった、原宿に店を出す計画を進める
過去に実績のある出口靖さんと小野口悟さんが協力してインパクトの有る店にしようと
周りの不安をよそに、ユニクロの顔となりつつあるフリーズで勝負をかける
開店当日、入場制限するほどの盛況に皆の苦労が報われる
フリーズの売上、98年200万枚、99年850万枚、
2000年には、なんと2600万枚、今や定番となり年間2000万枚の売上
店に行くと、マネキンに小物も合わせて、上手に着せて有るが中々着こなしが難しい
そう言えば、手芸品の「ユザワヤ」がユニクロの近くに店を出して
無地の多いユニクロ製品に、一手間加えて
世界で一つだけの服にして着ている人達がいるそうです
パリのオペラザの近くにオープン、長い行列が出来たそうです
世界一を目指して、生地、染色、縫製などの匠達を集めた、匠プロジェクトなど
アイデアをめぐらせて、国内外共に頑張るユニクロです
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます