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しょうがないな

2007-07-01 18:28:25 | 時事問題
久間防衛相の原爆をめぐる発言が騒動を引き起こしている。この関連で産経新聞の阿比留記者のブログに久間防衛相発言の関連部分が掲載されていた。それを読んで奇妙と思った疑問点が氷解した。

通例原爆使用を正当化するためには、日本上陸作戦に伴う米兵の損傷を抑えるというアメリカ政府の観点が強調される。私が奇妙と考えたのは、久間防衛相が東西冷戦の観点、もっと具体的にはソ連の日本侵攻を食い止めるための原爆使用ということを論じていることであった。

その理由は久間防衛相の講演が、戦後の日本が東西冷戦で自由主義陣営を選択したことの正当化を主旋律としていて、原爆の話はそこからの脱線として語られているからであった。
「ソ連、中国、北朝鮮と社会主義陣営、こっちは西側陣営に与したわけだが、欧州はソ連軍のワルシャワ条約機構とNATO軍が対立していた。そのときに吉田茂首相は日本はとにかく米国と組めばいいという方針で、自由主義、市場原理主義を選択した。私は正しかったと思う。
 これは話は脱線するが、日本が戦後、ドイツみたいに東西ベルリンみたいに仕切られないで済んだのは、ソ連が侵略しなかったことがある。…」

この関連で原爆のために、日本はポツダム宣言受諾・終戦へと促され、そしてソ連の侵略が抑えられ、日本がドイツみたいに東西分割されなかったということになるのだ。そして問題とされる「しょうがないな」は次のように述べられる。
「本当に原爆が落とされた長崎は、本当に無傷の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなという風に思っているところだ。米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという、そういう思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけないと思った。」

素直に読めば、原爆は悲惨な結果をもたらしたが、戦争を早期に終わらせたので「しょうがない」と久間防衛相が考えたと読める。だから米国を恨んでいないと繋がるように見える(それはそれで一つの見識かもしれない)。もっとも講演後のコメントでは論点をずらして、「しょうがないな」というのは久間防衛相自身の評価ではなくて、米国から見れば「しょうがないな」ということであるという。
「今みれば米国の選択というのは米国からみればしょうがなかったんだろうと思うし、私は別に米国を恨んでいませんよとそういう意味で言ったわけだ。「しょうがない」という言葉が、米国の原爆を落とすのがしょうがなかったんだということで是認したように受け取られたことは非常に残念だ。」

議論することは大切である(学生が卒論のテーマとしてこのようなことを取り上げたら、「頑張れ!」ととりあえず励ます)。しかし原爆問題については、日本の世論が非常に敏感で、有力政治家が原爆を肯定するかのような議論をすれば、どのような結果になるかよく分かっているはずだ(この類の微妙な問題は評論家や学者にまかせるのが無難だ)。しかも講演の本筋ではなく、脱線部分でこのようなことをするのは、「しょうがないな」といわざるを得ない。安倍内閣閣僚の間には緊張感が欠けているのだろう。
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