コルチャック先生 子どもの権利条約の父/作・絵:トメク・ボガツキ 訳:柳田邦男/講談社/2011年初版
ナチス占領下のポーランドで、ユダヤ人孤児たちと運命をともにした医師、ヤヌシュ・コルチャック先生の伝記です。
絵は、とてもおさえられた感じで、大人も子どもも、目がとても印象的です。
悲しみと怒り、何かを訴えてくるような目です。
ゲットーを歩き回るコルチャックの脇の死者を運ぶ荷車と、ステファ先生が洗濯してきれいになった服で着飾った子どもたちとトレブリンカ収容所に向かう場面が衝撃です。
実は、子どもの権利条約を読んだことがなかったのですが、この絵本で、はじめて読んでみました。
コルチャック先生については、ユニセフのHPにのっていて、あらためて歴史の歯車を動かした先人の思いにふれることができました。
毎度思うことですが、絵本はいろいろなきっかけを与えてくれます。
<ユニセフの広報誌のなかから>
コルチャック先生(本名 ヘンルイック・ゴールドシュミット)は1878年、当時のロシア領ポーランド王国の首都ワルシャワに住む、高名なユダヤ人弁護士の家庭に生まれました。18歳の時、父を亡くし、生活が一変。以後、家計を支え続けます。
コルチャック先生は「明るい学校をつくり、子どもたちから慕われる優しい先生になる」ことが夢でしたが、4つの戦争と3つの革命という歴史の過酷な体験がコルチャック先生に大きな影響を与えます。医学部に入学した20歳の頃から、その後、小児科医になっても、ワルシャワ慈善協会のメンバーとして、非公式の学校などで社会の底辺にいる子どもたちに温かい手を差し伸べました。33歳の時に小児科医を辞めて、きびしい状況にある子どもたちが安心して過ごすことができ、楽しく学べる家庭と学校がひとつになった「ホーム」を設立します。ユダヤ人の子どものための「ドム・シェロット(孤児たちの家)」と、ポーランド人の子どものための「ナシュ・ドム(僕たちの家)」です。双方の子どもたちは交流を通して友情を深めます。コルチャック先生はこうした子どもたちの教育を通して戦争のない平和な世界への道を見出そうとしたのですが、ユダヤ人絶滅政策により、200名の子どもたちとトレブリンカ(ガス室があった場所)に向かいます。
コルチャック先生は作家、教育者、ラジオのパーソナリティとしても活躍していたため、命を救われる特赦の嘆願が通ったにもかかわらず、最期まで子どもと共に生きたのです。