どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

四又の百合

2020年04月26日 | 宮沢賢治

      四又の百合/宮沢賢治 たなかよしかず・絵/未知谷/2005年

 

 「正遍知はあしたの朝の七時ごろヒ-ムキャの河をお渡りになってこの町にいらしゃるそうだ」 という噂が流れます。
 町の人たちは、どれだけ正遍知が町に来ることを待ち望んでいたことか。

 みんなは正遍知の姿をあれこれ想像し、家も通りも綺麗に掃除します。

 この噂は王宮にもつたわり、王は町の掃除、千人分の食事の支度、精舎の準備も命じますが、人々は、お触れを待たずに掃除していました。

 次の朝五時王さまはみんなを従えてヒームキャの川岸にたたれます。そして正遍知に百合の花を捧げるため、花を見つけてくるよう大臣に命じます。

 大臣は林の陰に一軒の家をみつけ、百合の十の花のついた茎をもっている一人の裸足の子にあいます。

 大臣は子どもに百合の花を売るようもちかけ、値段を交渉して手に入れますが、子どもから「何にするんだい。その花を」ときかれます。大臣が正遍知と答えると、「僕がやろうと思ったんだ」と、子どもはいったんは売ることをやめますが、大臣が返そうというと、やっぱり売ることにします。

 王さまが大臣のもってきた百合を受け取ってまっていると、川の向こうの青い林のこっちにかすかな黄金いろがぽっと虹のようにのぼるのがみえ、王さまは砂にひざまづき、みんなは地にひれふしました。

 もっと続くかと思うと、「二億年ばかり前どこかであったような気がします。」と、突き放すように終わります。

 正遍知は仏陀の呼ばれ方の一つ。仏陀をお迎えする人々の思いがえがかれていますが、仏教を意識するのは儀式の葬儀ぐらいで、不信心の自分にとってはなかなか理解できない世界。

 四又というのは、東西南北、つまり全世界というのをあらわしているのでしょうか。

 百合の花言葉は、赤が「虚栄心」、橙が「華麗、愉快、軽率」、オニユリは「荘厳、富と誇り」、ササユリは「清浄と上品」、カサブランカは「純潔、威厳、無垢、壮大な美」、ヤマユリ・テッポウユリは「純潔、荘厳、無垢」、そして白は「純潔、荘厳」といいますから、白百合が何を示しているかがイメージできます。

 ところで、人々は仏陀になにを期待?していたのでしょうか。


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