どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

手品師・・豊島与志男

2024年04月11日 | 創作(日本)

        赤い鳥代表作集2/小峰書店/1998年

 

 豊島与志雄(1890ー1955年)が1923年に「赤い鳥」に発表したもの。

 村や町をめぐりあるいて、広場に毛布をしき、そのうえで手品を使い いくらかのお金をもらってその日暮らしをしていたハムーチャという手品師。お金が入ると、その金で酒ばかり飲んでいたのでいつもひどく貧乏でした。

 ある日、ひとりの旅人から、「世界でただひとりきりという世にもふしぎな手品師」のことを聞きました。それは手品師というより、むしろ立派な坊さんで、善の火の神オルムーズドにつかえるマージでした。長い間の修業で、火の神オルムーズドから、どんなものでも煙にしてしまう術をさずかりました。このふしぎな術を見ようと思って、いくたりもの人がでかけましたが、ひとりとしてむこうにいきついた者はいないというのです。ハムーチャは自分がやっている手品は一生つまらなくおわるだけのものだ。それよりもいっそ、そのふしぎなマージをたずねていって、もし運よく向こうにいけて、どんなものでも煙にしてしまうという術を授かったら、それこそすてきだ。世間の者はどんなにびっくりすることだろう。命がけの決心をしてマージをたずねて北へ北へ。

 命がけでマージのところにたどり着いたハムーチャは七年間修業して、どんなものでも煙にする術をさずかりました。そのうえ、がんらいが手品師ですから、その煙をいろんなものの形にする工夫をしました。ハムーチャがいよいよ世の中へもどってゆくとき、マージはよくいいきかせました。「ものを煙にする術は、すべて生きているものや役に立つものを、けっして煙にしようとしてはいけない。もしよからぬ心をおこすと、おまえの術は、自分をほろこぼすことになる」

 さてマージのもとへ行きついた者はいませんでしたから、マージのうわさはうそだとしてきえてしまっていました。ある町のお祭りの日、ハムーチャは、まずふつうの手品を使ってみせました。それから不用なものを、この場で煙にしてみせるといい、見物人のひとりが古い帽子をさしだすと、もうやぶれて役に立たないことをたしかめると、両手を組み合わせ口になにかとなえました。と、その帽子はふーっと煙になり、その煙が大きな鳥の形になって、空高くとびさってしまいました。そのふしぎさに人びとはあっけにとられました。つぎに夢中になって喝采し、お金が雨のようになげられました。ハムーチャは得意になって、なおいろんなものを煙にして見せました。
 それからはハムーチャのうわさは四方にひろがり、いくさきざきで、その地方の人びとがまちかまえてました。大きな都ではハムーチャがくるとおおさわぎ。いろんな品物が積まれていて、それをみたハムーチャは、みんな一緒にして煙にしてしまいました。人々は喝采しましたが、一度ですんだので不満足に思いました。

 もっとなにかを煙にしてほしいと、革の財布を差し出した者がいましたが、ハムーチャは、もう役に立たない不用のものしか煙にしないとことわりました。するともうひとりが、ハムーチャの毛布の代わりに、新しい毛布をあげるから、それを煙にするよういいました。立派な毛布をもらえば、わたしの小さな毛布はいらないと、ハムーチャはじぶんの小さな毛布を煙にして見せました。それをみて、ある人が、立派な靴をもちだし、ハムーチャの破れ靴を煙にしてくださいと言います。その次は、帽子、服、シャツなどが煙になったので、ハムーチャは まるはだか。

 さらに金色の髪がふさふさで、海のように青い目をし、バラ色のほほをして、はだは大理石のようになめらかで真っ白の若い娘が、「あたしのからだをあなたにあげましょう。そうすれば、あなたの年とったしわだらけの体は不用になるでしょうから、それを煙にしてみせてください。」といいました。「なるほど。あなたの美しい体をもらえば、わたしのきたない体はもういらなくなるわけだ。」。それからハムーチャが口になにやらとなえると、かれのからだは、煙になってきえうせました。人々はわれを忘れて喝采しますが・・・。

 

 とちゅう、役に立つものを煙にして術が使えなくなると思っていると、不不用なのはハムーチャだったという思いがけないオチ。